マリーヴ・ルーフの教育日誌 -別れの時-
思えばモイラの無理な召喚から始まって数日程度の話だったけど、余りにも色々な事が起きた。このパンプール魔法学園の存続どころか、魔導国家ザキラムの国家そのものを揺るがす様な事件もあった訳だけど、ようやくそれらが一定の解決を見ようとしている。被害は有ったし、その復旧にはこれからかなりの時間が掛かるだろうけど、その代わりと言っていいか分からないが、この学園にとって、そしてそこで召喚魔法の主任教諭職を務める私にとって、何十年も頭を悩ましていた未処理の不発弾の様な不安要素が解決してしまった。それが人的被害を出す事無く成されたのだから、一部施設の全・半壊ぐらい安いものかも知れない。
この件について私には個人的なしがらみ等が有り、放り出す事が出来ずにいたんだ。この問題、学園の共同異空間にドラゴンが放置されていた問題の当事者、コンロイは、学園の創立当時のメンバーの一人で、いずれは学園長のポストに収まるだろうとされていた。魔法の才能に於いて天才と言われたビオレッタに比べると大分見劣りしたという事で、王位継承レースからは外れていたが、彼は女王の弟という立場だったからだ。だが彼はそれまでに実績を作りたいとこだわる余り、無茶をした。無理な召喚を強行し、被害も出した挙句、いつ暴れ出るかも知れない状態のドラゴンに、出来たばかりの共同異空間に居座られるという結果になってしまった。
この頃私はコンロイと親密な関係で、姉である女王ビオレッタとも顔見知りだったが、彼の落胆ぶり、焦燥ぶりは痛々しい程で、私も姉のビオレッタも慰める事さえ出来ず、心配ばかりを募らせる日々だった。そして、突然の失踪。有力な手掛かりも無く、結局それっきり消息は途絶え、私自身、後悔と心残りにさいなまれながら何年も過ごした。
言わばその心残りの象徴とも言える共同異空間のドラゴン、その件が、たった今解決してしまった。そして今や、残った最大の問題は、その解決の立役者、ボニー…いや、エボニアム様の、この後の動向という事になるんだろう。
「ドラゴンを退けてくれた事、そして女生徒を助けてくれた事に関しては、感謝してもしきれない。」
まずは女王が口を開く。感謝を伝えてはいるけど、その表情は硬い。
「ただ、貴方は私を含め、此処にいる全員をたばかった。正体を隠し、召喚魔の振りまでして学園に潜り込んだ。一体、何がしたかったの?」
「…なあに、隣の国の魔法教育の現場を視察しようと思ったんだ。潜入調査ってやつさ。」
エボニアムが不敵な笑みを作って言う。が、彼のああいう態度はどうもぎこちなく見える。
「潜入調査? 貴方って、そんなチマチマした事をするたちだったっけ、しかも将軍自ら?」
嘲笑混じりにそう疑問を発するビオレッタ様。彼女は元々エボニアム様と顔見知りだった筈だが、どうもこのボニー…、自称エボニアムに違和感が拭えないらしい。"そっくりさん"という説明を信じてしまった程に。
「で、この後は、どうするつもりなの?」
「…まあ、バレてしまったからな、この場は去らねばならないだろうな。」
「自分の国に帰るの?」
「俺の国は今新しい副官に任せている。俺は…、もう少しあちこちを巡るかな。」
そう語る自称エボニアムの顔は少し寂しそうに見える。帰りづらい理由が有るのかも知れない、そんな気がした。
「さっき言った様に、我が国は貴方に大きな借りを作った。本来スパイ活動は重罪だけど、国から去ってくれるのなら追いはしないわ。だけど…、私には分からない。私の知っているエボニアムは、振りとは言え、人間の女学生の命令に従ったり何て決してしない、私に頭を下げたりしないし、私の事を"あんた"なんて呼ばない!」
「それは…、まあ、ただの気まぐれだ。」
自称エボニアムがそう答えた時、それまで沈黙を保ったままだったモイラが、キッと彼に向き直った。
「気まぐれなの? 何度もわたしを守って戦ってくれたのも、死にそうだったわたしに魔力を分けてくれたのも、あの空の旅も、わたしの学園や友達を守って戦ってくれたのも、全部気まぐれなの? そんなにボロボロになって⁈ 」
モイラのその言葉にハッとなって改めて彼の様子を見る。確かに、一見して立っているのが不思議なくらいの満身創痍に見える。身体はボロボロ、服もボロボロ、よく見れば少しふらついているし、体から魔力をほとんど発していない、恐らく魔力も体力もすっからかんなのだろう。
「わたしの召喚魔になった事、全部嘘だったんだよね、振りだけだったんだよね。…あんなに嬉しかったのに、あんなに幸せだったのに、全部、わたしの一人相撲だったんだよね…。」
涙をポロポロこぼしながらモイラがボニーを責めている。ボニーの方はと見ると…、ああ、ビオレッタ様が感じている違和感とはこんな事なのかな…。母親か先生かに叱られて俯いている様な顔をしている。あれじゃまるで、イタズラが見つかって怒られている少年みたいじゃ無いか。私の知っているエボニアム様じゃ無い!
「ひどいよ…、ひどいよボニー、わたしもう、召喚魔法なんて二度と使わない!」
そう言ったきり、ボニーに背を向けてしまうモイラ。ボニーの方は…、駄目だ、私にはもう初恋の人に告白して振られた男子学生にしか見えない。そんなモイラの肩に手をやりながら、アンジーが進み出て来る。
「召喚魔っていうのは…まあ、嘘だったかも知れない。でも、ただの気まぐれでしたってのも、嘘だよね。ていうか多分、潜入調査ってのも嘘!」
「なな…何を言って…」
「ボニーはいつだって本気だった。召喚に応えたのは気まぐれかも知れないけど、その後は本気でモイラを守ろうとしてたよね、本当の召喚魔以上に。弱って指示も出せなくなったモイラに自分から魔力を分けてあげてたし、逃げて暴れてた召喚魔達からも守り抜いた。ロック鳥からも守ったんでしょ? モイラを悲しませたく無いから、学園の為に飲まず食わず休まずでお使いにも行ってくれたし、ドラゴンの相手までしてくれた。…モイラが悲しむから、わたしの事まで助けてくれた。でも、それをする為に自分の正体ばらしちゃうとか、馬鹿でしょ! 何が潜入調査の為よ。気まぐれの遊び半分で、何でそんなにズタボロになってるのよ!」
最初半笑いだったアンジーだが、終わりの方は叫んでいて、枯れたと思った涙が又滲んでいた。
「お前を助けたのは、ご主人…、モイラの為って訳じゃ…、その…、服を直して貰ったお礼だ。」
「服なんて前よりボロボロじゃない!」
「あっ!…すまん。」
もう将軍の威厳も片鱗も無いボニーのその答えに、ヘナヘナと座り込むアンジー。
「謝るとこ…、そこ?」
ここまで彼女の勢いに気押されていたボニーだったけど、少し持ち直して、言葉を続ける。
「なぁに、ドラゴンと戦う事の方に興味が移ったのだ。お陰で堪能した。これくらいは、名誉の負傷ってとこだ。」
不敵な笑みを浮かべながらそう語る自称エボニアム。でも一度気付いてしまうと、それが精一杯強がってる顔だと言うのが分かる様になった。アンジーにもそれは感じ取れるのか、やれやれという感じの反応。でもモイラは…、もうボニーを見ようとはしない。そっちを見て、ボニーがちょっと寂しそうな顔をしたのにも気付いてしまった。そしてそれを吹き払うかの様に、ボニーは踵を返す。
「さあ、女王の気が変わらない内に、俺はもう去らせて貰う。」
「ちょ、そのまま行くの⁈ 怪我の治療ぐらいしていかないの? 服だって直し…、さすがにもう無理か。」
アンジーの呼び掛けに、ボニーは首を振る。
「前にも言っただろう、俺の怪我は放っておいてもすぐ治る。」
「それは魔力が残っていればでしょ、あなた今、全部使い切ってるくせに!」
「みくびって貰っては困る。まだまだ、魔力は充分残して有るとも。」
そうボニーは言うが、顔にはあの"強がり"の笑みがたたえられている。
「…食事くらい、していけば?」
モイラがボニーに背を向けたままでボソリと言葉をかける。この子もボニーが自分の為に動いてくれていたのは分かってるんだ。ただ、つい数時間前まで自分の召喚魔として接してきた相手から、召喚魔は嘘でしたと突然告げられて、すぐじゃあこれからは友達として接しましょう…とはならないんだろうな。
「…スパイを見逃して貰っておいて、そこまでして貰う訳にはいかない。」
一瞬、後ろ髪を引かれた顔を見せたボニー、すぐにそれを振り払い、翼を広げる。
「じゃあ、これでさよならだ! 世話になったな、アンジー、マリーヴ教諭、それに…、ご主人。」
ボニーが空へ舞い上がる。
「ああ、さ…さよならボニー!」
アンジーが力いっぱい手を振る。私も並んで手を振り見送る。ビオレッタ様も腕組みしながら見送っている。と、モイラが最後にやって来た。
「さよなら、わたしの最初で最後の召喚魔さん!」
それだけ叫ぶと、またくるりと背を向け走り去って行く。
「ボニー、大丈夫じゃないですよね、やっぱり。何だかヨタヨタしてるし…。」
「ええ。魔力を残して有るって言うのは虚勢だと思うわ。やっと飛んでる状態だと思う。」
アンジーに問われ、私は正直に見解を述べた。でも彼女が余りにも心配そうにするので、もう少し気休めを織り込むべきだったかと後悔する。
「あれは本当にエボニアムだったのかしらね? 何だか中身だけそっくり入れ替わってしまったかの様だわ。」
ずっと沈黙していたビオレッタ様が、ここで口を挟む。
「今彼が向かってるのはエボニアム国の方角じゃあない、むしろビリジオン辺りを目指してる様だね、自分の国に戻れない、或いは戻りたく無い理由が有るのかもね。」
「あんな状態で? 一体何で、何の為に?」
そう私が疑問を口に出したが、もちろん答えられる者などいない。確かに今回の事でビリジオンには少なからぬ遺恨が残った。私自身、今すぐにでもビリジオンに飛びたい気持ちが有る。でも、私の大人の部分がその気持ちに制動をかける。今この場に私がしなくてはならない仕事が、私にしか出来ない仕事が山積みなのだ。そういう意味では思い付きで飛んで行けるボニーが羨ましくも有る。とは言え、あんな魔力も体力も尽きた怪我人が一人で乗り込んでどうなるというのだろう、そもそも辿り着けるのか?
ボニーの姿はもうゴマ粒程だ、でも首都のレミスに魔結晶を受け取りに出発した時に比べて明らかに遅いし、高度も無い、調子が悪いのは確実だ。心配は募るが、もう出来る事は無い。ビオレッタ様は既に後処理の為に詰所の有る棟へと戻って行った。私も戻るべく、アンジーを促す。彼女もディアンに診て貰った方がいいだろうし…。しかし彼女は中々そこを離れようとはしなかった。
「ボニー、お家にも帰らないなんて…。何でいつも"しなくちゃいけない事"ばっかり抱え込んでるんだろう。」
「…確かにそうね。今思えば彼、いつも結構無理してたみたいだけど、それってみんなモイラやあなた、そして誰かの為に頑張ってた…ていう風にも思えるわね。」
ちょっと良い方に考え過ぎな気もする。でも、そう考えれば納得のいく事ばかりなのも確か。
「そんなに頑張ったのに、最後には一番大事にしてたモイラに嫌われちゃった。それも、わたしなんかを助ける為に…。アハハ…、馬鹿だよボニー。」
笑うアンジー、でも目にはいっぱいの涙。
「ハハハ…、馬鹿だなぁ、本当に、馬鹿だなぁ…」
私は思わずアンジーを抱きしめる。ぼたぼたと地面に落ちる彼女の涙。私も何だか視界が歪んでくる。歪んだ視界の中、ボニーの姿はいつの間にか見えなくなっていた…。