お使い完了の夜
さて、そこからは早かった。昨夜の往路の様に寝ているモイラを起こさない為に気を使う必要も無いので、フルスピードで飛ぶ事が出来た。途中ちょっかいをかけて来ようとした飛行型の魔物も出たが、スピードで千切ってやった。元々道程の半分程迄来ていたので、日暮れ前には学園に到着することが出来たのだった。
「モイラー!! 」
アンジーの声が聞こえて来る。出発した場所と一緒の共同異空間の制御塔の正面口前、アンジーを始め、人族の数人の学友達、マリーヴ教諭を筆頭に、数名の教職員が集まって来る。その中へと降り立つモイラと俺。モイラを抱える手を離すと、皆に迎えられながら賞賛を受けているモイラ。マリーヴ教諭が手早く彼女の荷物を下ろし、一度モイラをギュッと抱きしめた後、しょい子の中の魔結晶を確認すると、助手達と足早に塔の中へと消えて行った。
「ボニー! 何でそんなボロボロ⁈ 」
丁度俺が懐からネビルブを出している時、アンジーが俺の方を見て叫ぶ。
「ボニー? どうして怪我、治って無いの⁈ 」
モイラも俺の有様に気付いて、ジャンプスーツを脱ぎかけのまま俺の方へ寄って来ようとする。確かに今の俺はロック鳥と死闘を繰り広げた直後のままの状態である。
「いや…これは、実はガス欠で…、回復に魔力を割くより、早く飛ぶ方を優先したから…。」
思わず叱られた子供みたいに素直に答えてしまう俺。実際もう魔力は空っ欠だ。
「ガス欠…ってどういう…?」
というアンジーの質問は、モイラの腹が鳴る音でかき消される。見る見る赤くなっていくモイラ。
「…あなた達、最後に食事したのって…?」
「ん〜と…、昨日のお昼?」
「丸一日じゃない! 食堂へ行くわよ!」
この間にも次々に集まって来る人波を掻き分け、食堂へ突き進むアンジー。ディアン・ケトが治療を申し出てくれたが、食べれば大丈夫と言って遠慮した。やむなく出しっ放しの召喚魔に関しては術者共々結構な負担が掛かっている筈だ。アンジーの肩にいるシルフも魔力のセーブの為か、随分大人しい。
食堂に着き、モイラがやっとジャンプスーツを脱いだ頃に知らせが入り、共同異空間が復活した事が分かったので、「おやすみ〜」と言いながら帰って行くシルフであった。アンジーもほっとした様子だ。
食事は学園長の計らいで、学食としては豪華なものが次々に運ばれてくる。無心に食べるモイラと俺。その間ちゃっかりご相伴に預かりながら、アンジーが魔法局に対し不平不満を言いまくる。夜通しで飛んで来た緊急の使いに対して食事も出さないのかから始まり、こんな貴重な物を運ぶのに護衛の1人も付けないのかまで、眉を吊り上げまくし立てる。それをモイラがなだめ、ネビルブが経緯を説明する。そんな風に騒がしくやっていると、マリーヴ教諭を始め、数名の教職員がやって来る。
「本当に有難う、モイラとボニー。何とか共同異空間の修復が完了したわ。多分明日迄は保たなかった。貴方達が動いてくれなければ終わってたわ。」
安堵した顔で感謝を告げるマリーヴ教諭、だがさすがにその顔には疲労の色が濃く現れている。
「皆さん本当にありがとう、そしてご苦労様。マリーヴ教諭ももうお休み下さい、一睡もされてないでしょう。」
初老の、やや恰幅のいい魔族の男性が告げる。
(あのおっさんは誰でクワ?)
(おっさ…、学園長先生よ!)
ネビルブとアンジーのコソコソ話が聞こえて来る。魔族にしては物腰柔らかい、この人が学園長か…。
「魔法通信で向こうと連絡はとってたんですが、一個小隊の護衛を付けてくれたのではなかったのですか?」
今度はまた別の職員が聞いて来る。その"魔法通信"とやらの担当職員かな?
「実は帰り道の途中までは一緒にいて下さったんですけど、丁度真ん中位まで来た辺りでロック鳥の襲撃を受けたんです。護衛の方達はその時に隊を維持出来ない程被害を受けてしまって、怪我した方の治療を優先して貰って、私達だけで先に来たんです。」
モイラの報告に驚愕する一同。
「ロック鳥⁈ 森林地帯に出るなんて聞いた事が無い。野良じゃ…無いんだろうなぁ。」
「ロックは何とか召喚獣に出来ましたよね。丁度首都のレミスからも、学園からも同じくらい遠いっていう地点で襲われている事を思うと、何者かが意図を持って差し向けて来たのだと思います。」
モイラは意外と冷静な分析をしていた。基本頭いいんだもんねこの子。
「そうか、そんな大物に襲われてたんじゃ、ボニーがそんなに大怪我なのも…って、あれ?」
アンジーが俺の方に向き直って鳩豆な顔をしている。ああすまん、飯を食って魔力が戻ったんでもう治しちゃった。
ここでちょっと、俺は気になっていた事をマリーヴ教諭に質問しようと思った。
「教諭。」
「え?」
考えてみればこの人と直接会話した事なんて無かったな…と、不意を突かれたという顔のマリーヴ教諭を見て思ったりする。
「あの…、フレスなんとか言う鳥の召喚獣の主人の事なんだが…。」
「えっと…、グイースの事かしら?」
「フレスベルグの主人って言ったらそうよね。」
アンジーが話に加わって来る。
「そのグイース君なんだが、模擬戦以来見かけないんだが、…元気なのか?」
「ハア?」
突然何言ってるのの顔のアンジー。口下手キャラを拗らせ過ぎて話の切り出しに失敗したんだってば!
「確かにあの後の座学も無断欠席していた様だけど…?」
「ひょっとしてボニー、グイースを疑ってるの?」
さすがモイラは俺の意を察してくれた。
「襲って来たロックが鳥系というのが引っ掛かっててな。」
俺がモイラの指摘を肯定する様にそう告げると、その場に軽い衝撃が走る。
「そう言えばグイース君の経歴はあまりはっきりしていないんでしたな。御家族との連絡もほとんど有りませんし。」
と、学園長氏。マリーヴ教諭もショックを隠せない様子だ。
「状況から内部事情を知った者の工作だとは思いましたけど…、まさか教え子とは…。」
「まだそうと決まった訳では有りません。まずは本人を探して事情を聞いてみない事には…。」
学園長の冷静な意見に、そうですよね、ととりあえず希望的な感想を返すマリーヴ教諭。
「そちらは私の方で調査の手配をしておきましょう。とにかくマリーヴ教諭は一度お休み下さい、それとも今ここで一緒に食事になさいますか?」
と、学園長が提案し、マリーヴ教諭は休ませていただきますと告げて自室に戻って行った。
そして他の教職員達もそれぞれに動き出す。騒動の後始末や学生への説明とケア、魔法局との連絡(特に護衛部隊の件はモイラが念を押して救援を出す事をお願いしていた)。グイースに事情を聞きに行くと探しに出た者もいた。"浮遊のベルト"は学園長自ら持ち帰って行った。
残された3人と一羽。
「それはそうと…、どんだけ食べるの?」
アンジーに言われてはたと気付く、目の前に積まれた皿の山、漫画の大食いシーンそのまんまの絵面だ。いつの間にこんなに? 自分でもびっくりだ。まあ実際俺は空腹を感じないが、満腹も感じない。放って置かれれば、腹が爆発するまで食べ続けるかも知れない。
「ひょっとして、今まで私が用意した食事じゃ少なかったかな?」
済まなそうにするモイラ。
「いや…、そんな事は…、調子に乗って食い過ぎた様だ。うん、食い過ぎだ、苦しい。」
やや安心した顔のモイラと、生暖かい顔のアンジーであった。
少し早目の晩御飯が終わり、さすがにモイラは旅の疲れと汗を流したいという事で、一度女子寮に戻る事に。俺はいよいよ共同異空間デビューか? と思っていたのだが…。
「あなたのその格好は何とかしたいわねェ。」
アンジーが俺をまじまじと見て言う。そう言われて見れば、なるほど、体の怪我は治したものの、着ている服はかなりボロボロだ。模擬戦の時から少しずつ傷んでたけど、ロック鳥戦で決定的になった。
実のところ、俺が服を着る必要が有るのかは微妙だ。暑さ寒さは感じるものの、余程極端な気温で無ければ不快には感じ無いし、全裸で恥ずかしいかと言えば、見た目が自分の感覚と違い過ぎて余り気にならない。ただ不快に思う人もいるかも知れないと思い、当てがわれた物を着ていただけだ。
最後に自分の砦を出発して以来着たきりだったが、俺には新陳代謝というものが基本的に無いらしい。トイレに行く訳でも無いので、着ていただけで汚れるという事は無い。実は下着的な物も着けておらず、防具機能の有る服の上から外套の様な物を着込んでいるに過ぎない。
と、いう訳で、俺の異空間デビューはまたお預けとなり、モイラの部屋に3人で集まる事となった。先に自分の部屋へ寄って、裁縫道具等を取ってから来るアンジー、その時丁度大浴場に行く準備で着替え始めようとしていたモイラ、もちろん俺の目の前で…。
「ちょっ…、何してんのモイラ?」
「ああアンジー、お風呂に行くのに部屋着に着替えとこうと思って…。」
「ボニーのいる前なんだけど?」
「そう…だね?」
モイラ、キョトン。
「着替えはそのままお風呂へ持って行って向こうでして来なさい! まだ何が有るか分からないからギリ外に出られるのにしとくのよ。」
「はい…、分かった。」
アンジーの言わんとする事を理屈で理解したモイラは慌ててそういう服を探し始める。という訳で今日のお着替え披露は回避された。べ、別に残念なんかじゃ無いんだからね!
「さて、こっちはその間に貴方の服を繕ってあげるわ。脱いで。」
「は?」
俺の口から思わず素っ頓狂な声が漏れる。
「脱がなきゃ繕えないでしょ。ほら、全部脱いで。」
俺は言われた通り着ていたものを全て脱いでアンジーに渡す。そりゃ全裸でもそんなに気にならないとは言ったけどさ、何だか納得いかないぞ。それまで胡座をかいて座っていたが、思わず体育座りに変更。この辺りで支度を終えたモイラが退出、アンジーが俺の服と格闘し始める。
「これは…、私の弟なんかもしょっちゅう服をビリビリにして来たけど、こいつはその比じゃ無いわね。切れたり破れたり、焦げたりもしてるじゃない!」
あまりの惨状に呆れ顔のアンジーだが、逆にファイトを燃やして早速修繕に取り掛かる。
「6人兄弟長女の家事力を舐めるな〜!」
なるほど、中々手際がいい様だ、見る見る綻びが直っていく。
「で、どうだったの、モイラとの2人旅は?」
「どうって…、大変だったぞ。」
アンジーのいきなりの質問の真意が分からず、無難に答える俺。この子は俺がモイラとの召喚魔としての主従契約の強制下に無い事を感づいている様なのだ。
「ただ辛かっただけの旅だったの?、2人共?」
「いや…、モイラ…主人は空の旅に結構はしゃいでいたな。俺は…、とにかく主人に安全で快適に旅をして貰う事に気を使い詰めだったが、喜んで貰えたのは嬉しかったかな。ただ、怖い思いや、護衛部隊に犠牲が出て、悲しい思いもさせてしまった。」
「そうよね。ロック鳥? 確か物凄く大きな鳥よね、小さい町ぐらいなら一羽で全滅させちゃうって。そんなのに襲われて、よく怪我ぐらいで逃げて来れたわよね。」
ああ、そう言えばロック鳥に襲われたとは伝えたが、倒したとは言ってなかったっけ。
「空の旅かぁ、わたしも行ってみたいなあ。怖いのは困るけど…。」
アンジーが手を動かしながら、独り言の様に呟く。
「…服を直してもらう礼に、一度連れて行ってやってもいい…。」
「ホント⁈ 」
俺が呟き返すと、手を止め俺に目をくれるアンジー。俺が頷くのを見ると、
「ふふふ…、約束だからね。今はちょっと遊んでる場合でも無さそうだけど、この件が落ち着いたらネ。」
と、作業に戻りながら念を押して来る。
「ただ、行くと言ってもご主人とあまり離れられないから遠出は出来ないし、"浮遊のベルト"無しだと俺が捕まえて飛ぶしか無いから、それ程快適では無いかもしれないぞ。」
「その分ボニーがモイラの時以上にギューって捕まえててくれればいいよ。」
「……」
その後も取り止めの無い会話(ほとんどアンジーが一方的に喋っていた)を続け、モイラが部屋に戻って来た頃には繕い物も粗方終わっていた。