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鬱な人生  作者: あき
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心なき人の、脳内

勝った。めちゃくちゃ勝った。死ぬほど勝った。

特殊景品を両手いっぱいに抱えるくらいには勝った。


今日は気持ちが良い。


いつもイライラしながら吸うタバコ、小銭で買う自販機のコーヒー、松屋の牛丼並。


でも今日は違う。

パチ屋の店員を無視することもない。


美味しすぎるタバコ。いつからタバコの葉に化学調味料を追加したのだろうか。


そろそろ牛丼食べれるレベルの値段になったセブンのコーヒーが暖かい。


体の芯まで沁みる。


今日も牛丼だ。いや、これだけ勝った今日にあえて牛丼だ。


多分今なら目の前で生きている牛を見せられてもおいしそうに肉を頬張る自信がある。


口座の数字が二桁増えた。まあ、元々4桁しか入っていなかったのだが。


よし。これを機にパチンコをやめよう。そうしよう。


このパチンカスの常套句を言うと今まで消えた時間と金がチャラになるような気がした。


そうだ。この金で何か始めてみよーっと


とりあえず寝た。





「こちら会員カードをお作りいただきますと台移動ができます。」


他の台からスマスロに移動するには会員カードを作るしかメダルを移せないらしい。


「わかりました。会員カード作ります。」


店員は何かあればすぐ会員会員とうるさい。ノルマでもあるのだろうか。


えっと職業記入欄か。フリーランスっと


高校を卒業してから適当に飲食業界に就職してから今はやめて配達をして生活している。


年齢は21歳だ。18で高校を卒業したから社会人4年目ってことになるな。久しぶりに自分の年齢を書くと少し不快になった。


ちなみに今日は+200枚。4000円勝ち。


家までの夜風が気持ちいい。この間大勝ちしたとはいえ累計で考えるとぐうの音も出ないほど負けている。


いつか生涯収支も+になったら今日のようなしょぼ勝ちでもセブンのコーヒーに焼肉を頬張るだろう。


あ、そうだ。せっかく今までパチ屋のサンドに貯金してた金取り出せたんだからこの金で何かやろうと思ってたんだ。


何をやろうか


さあ、何をやろうか


よく考えてみると趣味といえばパチンコ。あとは...何かあったっけ?


豪遊したいと思うほど物欲もないし食には厳しいと自負しているが今のこの世の中牛丼を食べれば気持ちよく寝れる。

たまに財布が分厚い時に一人7000円程度の行きつけ焼肉屋に行ければ大満足だ。これ以上高い肉を食べても味は変わらず脂の割合と値段が比例していくだけな気がしている。


...あれ、もしかして貧乏舌なのか?


あとはというと性欲だが普通で一般的な強さだと信じている。夜のお店には行こうとも思わない。結局はパチンコの気持ちよさと比較してしまうからだ。


なんだろう、自分って、俺ってなんだろう。


自分の行動を客観的に見てみよう。

ゲームの主人公を見るみたいに第三者視点から俺のことを見たとしたら、昼前から夜までずっと配達をして牛丼を食べて家に帰ったらYouTubeを見て寝る。

たまに違う行動をとったと思ったらパチンコに行って馬鹿の一つ覚えのようにボタンを押し続けたり、何時間も手首を捻り続けたりしているだけだ。感情が出る時と言えばパチンコを打った後椅子から立つ時とYouTubeを見ている時だけのように思う。


これが自分?


少なくともこれが周りから見た自分なのか。


あ、自分のことを見続けてくれる人なんて一人もいないか...


なんかどん底だな。


「発展途上国に生まれて今にも飢餓で死にそうな人もいる。そんな中で衣食住揃っていてぐっすり寝れるのに自分がいかにもこの世界で一番不幸だみたいに考えるな。」というよくある自分のことを不幸だと思っている人に無責任に吐かれる言葉を思い出してしまった。


でも俺は飢餓で今にも死にそうな人間なんて見たことがない。見たことがないのだから自分の脳内の世界にとって存在しているとは言えない。だから自分がどん底ということは変わらない。そんな人見たことがないんだから。身近にいないんだから。それは自分の世界において、いないに等しい。


俺は「今」ないものは、ないものとして扱う。例えばクレジットカードもそうだ。カードを使った時は1円たりとも払わなくていい。その代金を払うのは来月の自分だ。

来月の自分と今の自分は全くの別人だ。だって来月の自分がどれだけお金を持っていて何をしているのかなんて分からないから。明日地球が滅びているかもしれないし自分は今日のうちに死んでるかもしれない。

こんな不安定な世界で1ヶ月後のことがわかる訳がない。


ともかくそういうことだ。


ん?いや待て...待ってくれ...


「自分の1ヶ月後のこと、わかるかも。」


思わず声に出てしまった。


だってさ、思えば2年前に飲食店を辞めてからずっと同じことを繰り返している。配達して飯食ってYouTube見て、たまにパチンコして寝る。確かに交通事故や何か異常なことが起これば同じことは繰り返していないだろう。でもこの約2年間全く変わってない。


断言できる。今変わらなければ1ヶ月後も今までと全く同じことを繰り返してる。それでいいのか?


今の、人とは呼べないような、機械でも容易に真似できる生活でいいのか?


今の生活はなにか人とは呼べないような、人間の形をしただけの機械のような、そんな感じがする。


子供の頃はこんな大人になるとは思ってなかったよな。こんな、心を捨てたような人間になるとは思わなかった。


「君は大人になるにつれて心がどんどん薄れていくんだよ」

なんて、自分が子供の頃に言われたらなんて感じていたのかな。


今ではもうなんて反応するかも分からないよ。子供の頃の自分も確かに自分のはずなのに、どんな風に感じてどんな風に言葉を発してどんな風にその後に影響するか。その全てが見当もつかない。


現在の自分が来月の自分を別人と思っているように、過去の自分にも現在の自分のこと別人と切り捨てられたのか。


自分はついに自分にも捨てられたのか。いや、自分にも捨てられていたことに気づいた。が正しいのか。


目が熱くなっている。地面に水滴が滴った。


今ティッシュもハンカチも持ってないよ。恥ずかしいよ。やっと家に辿り着いたか。





やっぱり歩いた後にベットに飛び込む瞬間は最高だな。


やっと涙と鼻水が落ち着いた。


帰り道に一人で考えに耽ってしまう癖が出てしまった。でも今回は収穫があった気がする。


過去の自分に捨てられたってことだ。そして捨てられた結果心のない機械になってしまったってことだ。


でも、良し。今のままではダメだという心はかろうじて残っているみたいだ。


ということは今からやるべきことははっきりしている。まずは風前の灯の心を修学旅行の時のキャンプファイヤーくらいメラメラと燃えさせなければならない。


でもどうやって?簡単だ。だって過去の自分には心があったんだから。過去と現在の時間軸を逆にすればやるべきことが自ずと見えてくる。


子供の頃にはあって、今の自分にはないもの。それだけだ。




真っ先に思い浮かぶのは食。子供の頃はこんなに頻繁に外食をしなかった。外食は特別なものだった。親と行く時を除いて、自分が頑張って稼いだお金、苦労を対価にして食べるものだった。だからその苦労を差し出してでも食べるほど価値があるものなのか真剣に吟味していた。買い物に対してもそうだった。


今の自分は1ヶ月後の自分を切り捨てていたせいで本気でタダで食べれる。本気でタダで買える。と信じている。ただ利用限度枠という数字減っているだけという感覚でしかなかった。それがダメだったのだ。


普通の人はこんな考え方はしないんだろうな。毎月入る給料以上に使ってはいけないなんてことは自分以外は誰でもわかることなんだろうな。悲しい。


自分でもわかっていた。それがダメなことなんてわかっていたんだ。でも分からないふりをしてきた。だってその生活でなんとかなっていたから。配達という毎月給料が変動する仕事だから支払いが多ければそれだけ長く働けばいい。そう軽く考えていた。つまり自己犠牲だ。そんなことをしてでさえ払いきれずに現在リボ払い中だ。


でもむしろリボ払い中なら都合がいい。まず今月支払うリボの金額は最低金額にしよう。そうすれば来月まで現金を残せる。そして来月はカードを一切使わずに現金で生活する。この現金主義のサイクルができればあとは余ったお金分リボを返せばいい。

しかも先日パチンコで勝ったから現金がある。いや、パチンコで勝った金は何かをするときにとっておこう。


これでお金問題は解決する。そうすることで買い物や食については子供の頃に戻る。大丈夫だ。

あ、あとせっかく現金で計画的に生活しようと決めたのだから計画が狂うギャンブルは絶対にダメだ。よし、やめよう。辞める理由が明確にあるから。やめよう。そうしよう。




他に子供の頃にあったものか、なんだろう。


子供の頃には希望があった。


もっというと夢があった。将来こんなことをしたい。こうなりたい。そういうものが無数にあった。


大人になるにつれてその無数の夢に、「これは難しい。」「これは無理だな。」そう思うたび無数の夢が一つ、また一つと文字通りの夢になっていつの間にか夢にすら見なくなって、自分の頭の中の世界からどこかに消えていった。気づけば無数に思えた夢が一つも無くなっていた。


子供の頃特有のあのワクワク感は何にでもなれると信じて疑わなかった無数の夢が積み重なってできていたのだ。


そんな夢がなくなったら見る夢も持っていない悲しい人間の出来上がりだ。そう、今の自分だ。


そういえば飲食店を辞めてから寝ても夢見てないな。いつの間にか朝が来る。いや、昼前か。


そうか。やりたいこと、なりたいものはあったんだ。自分がそれを頭の中から消していただけで夢は無数にあったんだ。いつの間にか諦めてきた夢があった。これも、逃げていただけだったんだ。本当はちゃんとあったんだ。頭の中の世界から消えたんじゃない。ただ、頭の中で見つからないように自ら深くて狭くて暗くて、埃に塗れた場所に押し込めていただけだった。


やっと見つけたよ。ごめんね、今まで。


例え夢が叶わなくても、叶うためにできることは全てする。一歩一歩でも夢に近づく。


子供の頃はなんでもそうだった。初めて小学校に行く時。


家から小学校までが遠かった。実際2キロもあった。大人の今黙々と歩いても20分は確実にかかるだろう。


6歳当時の自分が新鮮な道を歩くんだ。もしかしたら1時間ほどかかっていたかもしれない。そんな長い道のりでも小学校にはたどり着いた。小さな足で、小さな歩幅で、ゆっくりではあっただろうが、確かに一歩一歩歩いた。一歩歩くごとに小学校に近づいた。


でも不思議と辛かったという記憶はない。あんなに遠い記憶なのになぜか頭の中からふっと出てくる。感じる。小学校に行っている道中、笑顔だった。ワクワクしていた。小学校についた時、あっという間だと感じた。


本能が、いや心が言っている。夢も同じだと。なぜか。なぜなのかは分からない。今、ワクワクしている。


読んでいただきありがとうございます。

続きも投稿します。


風前の灯だった心に薪をくべた。果たしてどうなるのか...

ぜひ今後も彼の脳内を見てあげてください。

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