氷室さんとこれから(前編)
『陽太君、起きて』
「うん、おはようひむ……冷実さん?」
氷室さんに起こして貰ったと思ったら、スマホをこちらに向ける冷実さんが居た。
「ごめんね陽太君。澪が『陽太君を起こしたいけど会えない』とか言うから」
『お姉ちゃんは余計なことを言わないの』
「ここに居ないのが悪い。陽太君、昨日澪と遊園地に行ったんだよね?」
「うん」
観覧車でいっぱい泣いた氷室さんは、観覧車から降りる頃には涙が引いていて、普通に帰って来た。
「陽太君、澪に告白とかした?」
『おね』
「文句を言いたいなら陽太君の部屋に来なさい」
冷実さんは氷室さんにそう言うと、電話を切った。
「それでどうなの?」
「告白って『好き』って伝えることだよね。だったらしてない」
いつもは言っているけど、昨日は言ってなかった気がする。
「じゃあ最後の方にどんな話した?」
「最後……」
帰りはずっと無言だったから、最後にお話したのは観覧車の中になる。
「氷室さんの昔の話を聞いた」
「背中?」
「うん」
氷室さんのことだから、僕がどうこう言えることはないのだけど、思い出すと少し嫌になる。
「そっか話せたんだ」
冷実さんが安心したような顔をする。
「澪の反応的に陽太君に嫌われたとかじゃないから……、陽太君は澪の昔の話を聞いてなんて言ったの?」
「うーんとね。氷室さんの隣に居てずっと笑顔になってもらうみたいなこと?」
自分で言ったことだけど、詳しくはあんまり覚えていない。
氷室さんを一生大切にするって思ったことは覚えているけど。
「あぁ、うん。つまり陽太君の無自覚告白で澪が照れてる感じか」
「告白?」
「これは当人同士で話させた方がいいやつか」
冷実さんはそう言って部屋の扉を見た。
すると扉が開いて、息を切らした氷室さんが冷実さんを細目で見ている。
「来れるんじゃん」
「うるさい。変なこと聞いてないよね?」
「もちろん」
冷実さんが堂々と言うけど、氷室さんの疑いの目は消えない。
「陽太君と知り合えて良かったね」
「聞いてんじゃん。……良かったよ」
氷室さんが僕の方をちらっと見てから言う。
「じゃあ後は二人で話して」
冷実さんはそう言うと立ち上がって氷室さんを僕の隣に座らせる。
「陽太君は自分の気持ちをちゃんと言葉にして、澪はそれを受け止めて返事をすること」
冷実さんはそう言って立ち去ろうとしたけど、扉の前で立ち止まりこっちを向いた。
「またねよう君」
「またねすずさん」
二人の時だけの呼び名だったはずだけど、すずさんがニマニマしながら言ってきたから、僕もそれで返した。
「よう君みたいな子と結婚したい」
すずさんはそう言って部屋を出て行った。
「陽太君」
「何?」
「さっきの何?」
「さっき?」
氷室さんがどこか怒ったように聞いてくる。
「よう君とすずさんってやつ」
「えっとね、すず……さんが二人の時はそう呼んでって」
冷実さんとすずさんのどちらで言うか迷ったけど、氷室さんの前で呼んだということはすずさんの方でいい気がした。
「ほんとに陽太君のこと狙ってんじゃないか?」
「なにを?」
「陽太君は分かんなくていいの。多分沈黙防止のネタ提供だし」
氷室さんの言っていることはたまに分からないことがある。
そういう時はとりあえず何も言わないでおく。
「結局さ、陽太君の中学の時の話って聞いてないよね?」
「言ってない。でも静玖ちゃんからちゃんと聞いたよ」
静玖ちゃんに聞いた時に「よーくんだねぇ」って言われた。
どういう意味なのかは分からなかったけど。
「聞いても平気?」
「うん。えっとね、僕が寝てたんだよ」
「いつもだね」
「それでね、寝てる僕を起こした人がいて、静玖ちゃんが言うには、僕が睨んでその人が気絶しちゃったんだって」
氷室さんに起こして貰っているから忘れていたけど、僕は起こされた時の機嫌が悪い。
今は氷室さんからしか起こされないから分からないけど、昔は明莉やお母さんに起こされる時だって機嫌が悪かったから、明莉には「お兄ちゃんと遊びたくても起こすと怖いから起こせないんだよね」と言われたことがある。
だから明莉は、僕が起きている学校帰りや、ご飯を食べた後に映画鑑賞に誘ってきたりしていた。
「なんか陽太君って感じ。確かに陽太君って怒ると怖いもんね」
「怒るの好きじゃないんだけどね」
寝てたのを起こされて怒る時は意識が朦朧としてるからあんまり覚えてないけど、前に優正を怒った時のように、意識がハッキリしてる時に怒ると自分が自分じゃないみたいで好きじゃない。
「陽太君は優しいからね。陽太君が怒るのは自分のことじゃなくて他人のことだけだろうし」
「寝てるの起こされて怒るのは自分の為じゃない?」
「じゃあ陽太君は『好き』を邪魔されるのが嫌なのかな?」
「好き?」
「陽太君、寝るの好きでしょ? それに陽太君が怒るのは好きな人が何か言わ……なんでもない」
氷室さんがいきなり顔を赤くして逸らしてしまった。
「そっか『好き』の時間を邪魔されるのが嫌なんだ」
僕は寝るのが好きだ。だからその時間を邪魔されたら怒る。
そして好きな人との時間も好きだ。だから好きな人との時間を邪魔されたり、好きな人が嫌な気持ちになってたら怒りたくなる。
「だから氷室さんに起こして貰うと普通に起きれるのかな?」
「どゆこと?」
「僕、氷室さんのことが大好きだから」
氷室さんが少し慌てる。
多分だけど『寝るのが好き』より『氷室さんのことが好き』の方が上だから、氷室さんに起こして貰うとすんなり起きれる理由なのかもしれない。
でもそれだと明莉のことが好きじゃないみたいになるから少し違うのかもしれない。
「わ、分かってるよ。友達として大好きなんだよね、うん」
「多分違う」
「え?」
今言った大好きは、いつもの好きとは少し違う気がした。
「僕はさ、好きとかよく分からないから本当にそうなのか分からないんだけど、今言った大好きは友達としてじゃなくて女の子として、異性として好きなんだと思う」
「思うじゃ嫌。なんでそう思ったか教えて」
「クリスマスイヴの時から違和感はあったんだよ。氷室さんを好きなのはずっとそうだったけど、ドキドキの回数が増えて、たまに氷室さんを見れなくなったりして」
一月の一日に氷室さんが「全部を聞いてから決めて欲しい」って言ってたけど、氷室さんの過去を聞いてもあの時の気持ちは変わらない。
「氷室さんのことをちゃんと好きってなったのはクリスマスイヴだけどその時はよく分からなくて、大晦日で氷室さんの見方が変わって、一月の一日に好きなのかもって思ったんだ。それで昨日、氷室さんの過去を聞いて、今まで以上に氷室さんの隣に居たいって思ったんだ」
同情なんかじゃ絶対にない。
氷室さんを悲しい顔にはたとえ見えていなくてもさせたくない。
氷室さんはいっぱい傷ついたんだから、これからはずっと幸せでいていいんだ。
「僕は氷室さんが幸せでいる手助けがしたい。これからずっと一緒に居て氷室さんの笑顔を守りたい。だからね」
氷室さんがいきなり僕を抱きしめる。
「陽太君は勘違いしてるよ」
「え?」




