アイサの過去 中
「あなた。魔物の声が聞こえるでしょう?」
ピシリと扉を閉めた矢先に飛び込んできた言葉に体を硬直させた。
弾んだ声を出す魔女様に視線を向ければ、ニコニコとしながらわたしを見つめている。
震える体を止められない。
もしかしたら、わたしはここで命を落とすのかもしれない。そう思いながら正座して地面に頭をつけた。
土下座。魔女様から教わった最上級の謝罪ポーズを取った。謝って許してもらえるのか不明ではあったけれど、こうしなければいけないと頭が判断した。この道しかないとわたしに示した。
「あっ別に怒るつもりはないの。ワタシは、あなたに可能性を見出しただけだから」
「どういう、ことですか?」
「そうね。うん。まずはこの子とお話してみて」
「この子?」
魔女様が何らかの行動をする。
その行動がなんなのか、見ていてもよく分からない。だけど、結果だけは目の前にあった。
小さな魔術陣から零れ落ちたのはここら辺で見ることはないトカゲ型の魔物。手のひらサイズのそれはチロチロと舌を出しながらわたしを見上げた。
「きゃあああ!!!!」
叫び、扉まで転がった。勢いよく外に逃げ出そうとするも扉がビクともしない。叫び声を上げたのに誰も外にはいない。
まるでここだけ隔絶されているかのような現象に、「助けて」と叫んだ。扉を叩いた。
格子状の窓から見える人たちは反応がなく。声や音が届いている様子はまるでない。
なんで、なんで、なんで!!
このままだとわたしは殺される。魔物と戦えないって知ってるのになんでこんなことをするの!!
死にたくなくて、涙が零れた。
助けてほしくて、喉が潰れるくらいに叫んだ。
逃げ出したくて、手から血が出るほどに扉を叩いた。
「はいはい。落ち着いて。この子は何もしてないでしょ?」
「でも、魔物。ですよね?」
魔物がわたしたちを襲う。それは、大前提の話である。だからこそ、襲われないために魔物を狩る。狩った魔物を食べたり材料にして生活を豊かにする。そうやって生きてきた。
それは魔女様だって知っているはずだ。
なのに、とても悲しそうな表情を向けてくる。トカゲ型の魔物の頭を撫でながらふぅと息を吐いた。
「魔物にも色々な種類がいるの。この子は、群れから弾かれた可哀想な子。放っておけば他の魔物に襲われて命を失っていたわ」
「だとしても、わたしには関係ないです」
「でも、声が聞こえるでしょ? この子の声は聞こえないの?」
「それはーー」
わたしの耳に届いていた声。それは、『ごめんなさい』という謝罪だった。
喚き散らかすわたしにずっと謝り続けていた。
深呼吸をしてから、一歩近づく。
「きゅー」
変な鳴き声と共に聞こえてくるのは『怖い』だった。わたしが怯えていたのと同じように目の前に呼び出された魔物も恐怖していたのだ。
そのことを理解したわたしは、震える指で頭を撫でた。ザラザラとした感触と共に流れてくる安心したような感覚に胸が震える。
怯えていた気持ちが一気に吹き飛び、そっと抱き寄せると腕に頭を乗せてグリグリと擦り付けてきた。
命が、そこにはあった。
「あっああ」
魔物は忌み嫌うべき存在である。そう教わってきたのに、こうして命を感じてしまうとこの子を傷つけることが考えられなくなる。
「きゅー」
喉を鳴らす。
トカゲってこんな鳴き声なのかな?
はるか昔に生きていたトカゲとは違うのだろう。見た目が似ているからそう呼んでいるに過ぎない。
「うんうん。やっぱり相性は良さそうだ。よし、あなたにはこれから魔物使いとして生きてもらおう」
「魔物、使い?」
「平たく言えば、魔物と友達になる仕事だよ。魔物のことを調べてほしい。大切な仕事だ。お礼はーーそうだな。もしも、何かがあった時にワタシは全力であなたの願いを叶えよう」
「魔物と友達になって、調べて、報告するんですか?」
「そうなる。あなたのような存在は稀有だ。だからこそ、重宝したい。村人たちの目が気になるなら、他の村に移ることだってできる。さぁどうするかな?」
じっとトカゲ型の魔物を見つめる。
安心したのか目を閉じているこの子みたいな子と友達になる。殺せない戦士を辞めて命を育てる立場になる。
その責任の重さは物凄い。
わたしに、務まるだろうか。
不安が胸の中を駆け巡る。だけど、それ以上の感情が心を貫いた。
「わたしの、答えはーー」
わたしの生き方が、大きく変わる瞬間だった。