・決戦 ジャパンダービー(G1)
6月上旬――ついにジャパンダービーの日がやってきた。
俺と相棒は2番人気で、現在のオッズは単勝3.3倍。一番人気のキングアーサー号とそう変わらなかった。
「バーニィくん」
「おお、きてくれたのか、タマキさん!」
「ダービーに私がこないわけがなかろう。主治医にはあまり興奮するなと言われたがね、興奮しないなど無理に決まっているよっ!」
「まあそうだろうな。けどポックリ死なれても困るから、そこはほどほどに落ち着いてくれよ?」
準備をしていると、タマキさんが秘書さんに手を引かれながらやってきた。
今日は普段よりさらに子供みたいにはしゃいでいる。そんな爺さんを見ていると、つい笑顔がこぼれていた。
「君の勝利が見れるなら、私はここで死んでも構わんよ」
「競馬場に迷惑だから今すぐ死ぬのは止めてやってくれよ。表彰式で待ってるぜ」
「うむ、作戦は君に任せた。必ず勝ってくれ」
「おう、必ず勝つよ。タマキさんのためにも、シノさんのためにも、俺は勝ってくるぜ」
そろそろ本場入場だ。タマキさんと秘書さんに見送られながら、俺は相棒の元に向かった。
本場入場の大声援は何度繰り返しても快感だ。俺たちに賭けてくれたバクチ打ちに勝たせてやるためにも、全力を尽くそうって気にさせられた。
・
俺の名はバーニィ・リトー。シバルリー騎士団・第3軍遊撃隊所属、準騎士――だったんだが、どうも女神様に気に入られちまったみてぇで、今はこの異世界で騎手をしている。
ここはジャパン国トーキョ、トーキョ競馬場、季節は6月上旬だ。
目前に広がるターフは暖かな日差しに照らされて鮮やかな若草色に輝き、3歳馬最強を決めるこのハレの日を祝福してくれていた。
満員のスタンド席からは割れんばかりの大歓声が響き渡り、それがここ出走ゲートまで届いていた。
それも当然だ。何せ今日はジャパンダービーの日なのだから。
この日、この瞬間、この第9レースの出走ゲートに入ることは、選ばれた優駿と、その相棒であるジョッキーだけに許された特権だ。
各馬が一頭一頭ゲート入りしてゆく中、最も不利とされる18番ゲートにて、俺は相棒と共に発走の瞬間を待っていた。
「もしや、緊張しているか?」
「まさか。……あの大観衆を前にして、緊張しねぇ方がおかしいだろ」
俺がこうして相棒と言葉を交わすと、だいたいのやつが奇異の目を向けてくる。
このおっさん、馬とブツブツお喋りしてやがる。って目をな。
「我が背に乗る権利をくれてやったのだ。つまらぬことに気を取られていないで、うぬはただ、全力を尽くせ」
「ははは、人に説教してくる馬なんてお前さんくらいだぜ」
けどよ、こうして言葉が通じちまうもんはしょうがねぇだろ。
変なオヤジだと思われようと関係ねぇ。この相棒のご機嫌の方がよっぽど大切だ。
コイツは他の馬と比べて類を見ないほどに荒々しい魂を持っている。
そのあまりの気の荒さ、いや馬にそぐわぬ異様な気位の高さゆえに、少し前まで誰も乗りこなすことが出来なかった。
俺はこの青鹿毛の巨体を持つ名馬に、ただ一人認められたジョッキーだ。
俺だけがコイツの熱い魂と根性を見抜いて、このジャパンダービーの華舞台まで共に駆け上がってきた。
さあ、いよいよ出走だ。1番から18番まで全てのゲートにダービー出場をもぎ取った名馬たちが収まり、やがて高らかにファンファーレが鳴り響く。
曲としては短いそれが熱く華の舞台を盛り上げると、鳴り止まぬ大歓声と注目がこの出走ゲートに集まった。
思えば遠くまできたものだ。
戦乱の世界の騎士団で、準騎士として戦場や辺境をかけずり回っていたあの頃からは、とても信じられない幻想の国に俺はやってきてしまった。
全ての転機は、シバルリー騎士団を追放されたあの日から始まったのだろう。
「悪ぃな、相棒。一緒に走れるのは今日限りだ……。これが終わったら、俺ぁ元の世界に帰らねぇと……」
「ならばこそ、悔いのないラストランにしようぞ。さあ行くぞ、バーニィッッ!!」
「おうっ、頼んだぜ、相棒……!」
全サラブレッドの中で最も熱い魂を持った愛馬が、荒々しいいななきを上げた。
この気迫だ。こいつならば勝てる。負けるはずがない。
さあジャパンダービーの発走だ。
「――バーニィよ、久方ぶりじゃのぅ」
いや、ところがだ……。隣の17番ゲートから聞き覚えのある女の声が響いた。
それは女神エスリンの声だ。ふわふわの白髪の彼女がジョッキーの格好をして、正面のターフを見据えていた。
「は? お前っ、そこで何やってんだよっ!?」
「バーニィ……本当にすまない。またもや計画に狂いが生じた……」
「おい、嫌な予感がするぞ……。いや、もう出走だ、言いたいことがあるなら今すぐ簡潔に言え!」
「うむ……何をとち狂ったのか、勇者はそのボンボン号ではなくこのキングアーサーに全財産を賭けた。頼む、われわに負けてくれ」
「はぁっ、ここまできて負けろだぁ!? ふざけんなっ、絶対お断りだアホッッ!!」
「まあ、そう言うじゃろうなぁ……。ならば、わらわも全力を尽くすのみよ! 勝負じゃ、バーニィ・リトーッ!!」
「おうよっ、俺は俺たちのために勝つ、使命なんぞ知ったことかっ!!」
ガシャンと小気味いい物音が鳴り響いて、俺たちの進路を塞ぐゲートが姿を消すと、俺たちはトーキョ競馬場の緑のターフへとブッチギリの1番乗りで飛び出していった。
俺と相棒は華のジャパンダービーにて、最高のスタートを切った。
これから俺たちはダービーを勝つ。勝てと命じられたからではなく、俺たちの意思でだ。世界の運命など知ったことか。
ラト、ツィー、シノさん、タルト、タマキさんに秘書さん、調教師のおやっさんにフライドポテトちゃんに、加えてスタンドのバクチ打ちどもまで、みんなが俺を応援してくれている。この期に及んで、はいそうですかと、素直に負けられるわけがねぇ!
「我が言うのも妙だが、我が相棒よ、人間が馬よりも入れ込んでどうする」
「入れ込んでねぇよ、気合い入れてんだ!」
ボンボンの脚質は逃げ寄りの先行。さらには豊かなスタミナがある。つまり作戦は逃げで決まりだ。
一番乗りで飛び出した俺は、そのまま先頭を切って後続を引き離して行った。
「大丈夫そうだな。しかしあの女、なかなかいい尻をしていた。あれは何者だ?」
「俺たちの世界の女神様だよ。急に都合が悪くなったから、俺たちを潰しにきたんだとよ」
「ふむ、面妖な話よ。ならばその目論見、うぬと我で打ち砕こうぞ」
「あたぼうよ!」
味方だと思っていたのに裏切られたような気分だ。
だが女神ちゃんからすれば、俺との義理よりも、世界の命運の方が優先すべき大問題なのだろう。
「むっ、バーニィ、後ろからくるぞ!」
「後ろ……? おい、なんだぁ、アイツら……?」
何を考えたのか、後続から馬が3頭が俺たちに追いすがってきた。そのうち2頭は確か差し馬だったはずだ。
それがあまりに無茶なペースだったので、俺たちは付き合わずに前を譲ることになった。
「こりゃぁ……。おいっ、どういうつもりだよ、お前ら!?」
これは女神エスリンの差し金だろうか。俺たちを抜いたそいつらは、左、右、正面を塞ぐなりペースを落としてきた。立派な反則行為だ……。
「聞こえてんのかよおいっ、いくらなんでも露骨過ぎんだろっ!?」
抗議してもジョッキーたちは言葉を返さない。振り向きもしない。ボンボン号お得意の威圧をかけても、馬たちはまるでひるまなかった。
「まずいぞ、バーニィ! こやつらは普通ではない、こやつらは、我らを封じるつもりだ!」
「いくらなんでもやり過ぎだろ、エスリンちゃん……」
女神様はどうしても俺たちをダービーに勝たせたくないらしい。
後ろを振り返ると、エスリンちゃんがキングアーサーの差し足を温存させている。
逃げ・先行を得意とするコイツの戦法を封じつつ、このままゴールまで俺たちの進路を封じるつもりだ。
それが俺たちの世界のためだとはいえ、いくらなんでもこんなの汚ねぇだろ、エスリンちゃんよ……。
「ぬうぅっ、こ、こやつら……!」
「クソ、こんなのもう競馬じゃねぇぞ……っ」
進路を封じるだけならまだしも、なんと左右の馬たちがこちらに体当たりを仕掛けてきた。当然、あまりの暴挙にスタンド席は大騒ぎだ。馬主たちも発狂していることだろう。
「余裕ばかりこいてないで何か対処をしろ、バーニィ!」
「悪ぃが堪えてくれ、第三コーナーまで行けば綻びが出るはずだ」
俺たちは必勝法を封じられたまま、どんなにスローペースでも2分半で終わる2400m芝を走っていった。
俺たちを取り囲む馬たちのうち2頭が差し馬だ。無茶な作戦を強いられて、少しずつペースの乱れを起こしている。
「大丈夫か、相棒」
「笑止。かような匹夫ごときに、我の雄大な馬体が負けるわけがなかろう」
「そうか。ゴツく産んでくれたカーチャンに感謝だな」
「母上の話は後にしろっ、第三コーナーがくるぞ!」
俺たちは封じ込まれたままコーナーへと入った。
後続の先行馬が俺たちを追い抜いてゆく。だがそこまで走ると、外周と内周を走る馬の間でペースの齟齬が出る上に、馬本来の能力差も露呈することになる。
「好機!」
俺たちは一瞬生じたその隙間に黒い馬体をねじ込ませて、ついに卑怯な包囲網から抜け出した。
「すまぬ、すまぬと思っておるぞ、バーニィッ!」
だがようやく抜け出した俺たちを、女神エスリンのアーサー号が差し抜いた。
こうなりゃペースはグチャグチャ、逃げも先行も失敗だ。それでも俺たちは必死で加速して前を行く馬たちを追った。
こっちはペースを乱されて、豊かなスタミナという武器を使いこなせなかった。かなり不利な状況だ。
ああ腹が立つ。こんなもの競馬への冒涜だ。
どれだけタマキさんが俺たちの勝利を心待ちにしていると思っている。エナガファーム連中だって、画面の向こうで俺たちを見守っているというのに、こんな汚いやつらにここで負けるわけにいくか!
「退けっ、下郎どもがっっ!!」
俺たちは怒った。怒りのままに先頭を行くアーサー号と女神エスリンを睨んだ。
怒りの末脚が少しずつ先頭に追いすがって、ついに残り200mのところで女神様のケツに追いついた。
「やはりきおったか! 悔しい気持ちはわらわもわかる! だがわらわたちの世界のためじゃ、頼む、負けてくれ!」
「嫌なこった!! 俺はペテン師じゃねぇ、こっちの世界じゃジョッキーだ!! 俺たちに賭けてくれたバカ野郎どもと、コイツを育ててくれた全ての競馬関係者の誇りにかけても、んなイカサマはぜってぇ許さねぇ!!」
残り100m。俺たちはついに併走した。ここまできたら俺と相棒の土俵だ。世界の命運などクソ喰らえだと、俺たちはアーサー号と女神エスリンを睨み付け、ぶち抜いた。
「くっ……バーニィッ、そなたという男はっ!!」
「悪ぃな、女神様。この勝負、俺たちの勝ちだ!!」
俺とボンボン号はついにゴール板を抜けて、ついに念願のジャパンダービーを制覇した。満員のスタンド席から、かつてない熱狂的な大歓声が俺たちを迎え入れてくれた。
舞い散る馬券。祝福の言葉。新たなるダービー馬の誕生に、トーキョ競馬場中が感動に震えていた。
まさかの不利と不正を覆しての勝利は、最高のスパイスとなって人々を魅了していた。
「やれやれ、強情な男じゃな……」
「悪ぃな、エスリンちゃん。勝たせてもらったぜ」
「うむ、素晴らしい手並みであった。まさかわらわの策略を崩すとはのぅ……。じゃが、このままではマジで勇者が首を吊ってしまう……」
「ふーん……」
「ふーんではないっ、この状況をどうしてくれるのじゃっ、バーニィ・リトー! わらわたちの世界が滅んだら、全てそなたのせいじゃぞ!」
「そもそもそんなダメ人間、勇者にしねー方がいいんじゃねーのか……?」
「ダメなやつほどとんでもないバイタリティを持っているものじゃ! 今はクズでも10年後は英雄じゃ!」
「うへ……気が遠くなってきたわ……。まさかこの先10年も、ソイツの面倒見ろとか言わねーだろな……?」
併走しながら俺たちは言い合った。端から見れば激戦を繰り広げた騎手同士の友情か何かに見えなくもない。
「その前にやつが借金で首を吊る! これでは同じ破滅の未来に行き着くだけじゃ!」
「そのバカは今どこにいるんだよ?」
「あそこのスタンドじゃっ、あのいかにも平凡な見た目の青年じゃ」
「へー……名前は? この後、どこに行く?」
「そんなことを聞いてどうする。何をするつもりじゃ……?」
「まあ俺に任せとけ」
俺は授賞式に参加してタマキさんと一緒にはしゃぎまくると、全財産をすったバカを追った。




