・同じ時を刻むもの
五木賞には出られなかったが、5月上旬の榛名賞(G2)で俺とウィスキーボンボンは1着を取った。
それがどんなレースだったのか、詳細に語りたいところだがここはあえて割愛しよう。
榛名賞は賞金の高い美味しいレースだったが、俺たちにとってはただの前哨戦だ。通過点でしかないこのレースを詳細に語る必要はないだろう。
ボンボン号は晴れてG2馬となった。榛名賞の制覇により、ダービーの優先出場権も手に入ったので、後は6月上旬の最終決戦を待つだけになった。
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「あの、タマキ社長……。あまり何度も何度も同じ映像を見られると、ご高齢もあって、少し心配に……」
「身体は衰えたがまだボケてはおらんよ」
タマキさんはその榛名賞の映像を、自宅でニコニコと笑いながら何度も何度も再生して見ているそうだ。
それがあまりにも度が過ぎているので、秘書は本気で心配になってしまったと言っていた。
「見たまえ、また1着だ」
「録画なのだから当然でしょう、社長」
「うむ……だが何度見ても嬉しいものだ。ウィスキーボンボンは凄いぞ、あれはオニゴロシ号を超える逸材だ!」
「バーニィさんが帰ってきて下さってよかったですね」
「いや……。それが困ったことにだね、彼はダービーが終わったら国に帰ると言っているのだよ……。これだけの才能を持ちながら、なんと惜しいことだ……」
「あの方の場合、もはや才能という言葉では片付かない気もしますね。連対率100%の騎手なんて聞いたこともありません」
「うむ、八百長だと叫ぶ者もいるが、八百長であんなスタートダッシュは連発出来るものか、けしからん……!」
「……もしかしたら、本当に……彼は異世界の騎士様だったりするのでしょうか?」
「ほっほっほっ、君の口からそんな言葉が出るとはな。さて……辻褄は合うが、それでは理屈の方が合わなかろう」
タマキさんの目は映像に釘付けだ。何度も何度もボンボン号の先行威圧勝ちとでも呼べるものを眺めては、リモコンを操作して巻き戻す。
ボケたのではないかと不安に思う気持ちもわかる。だがその勝利は確かに痛快で、ボンボン号の馬主からすればいくら見ても飽きない快勝だった。
「ダービーが楽しみだ。今度こそ、バーニィくんはやってくれるだろう。この馬とバーニィくんなら必ず、果たしてくれるはずだよ」
「そうですね、きっとそうなります。慢心かもしれませんが、今回ばかりは敗因が見あたりません、彼は必ず勝つでしょう」
「不思議だ……。何度見ても不思議だよ。彼が育て、騎乗した馬はまるで天馬のようにターフを駆ける。私はこんな人間と馬を、いまだかつて見たことがない……」
後で知ったことなんだが、タマキさんの孫は騎手志望だったそうだ。だが若くして病で命を落とし、その死は彼を大きく嘆かせた。
「バーニィくんがあまりに異世界異世界と言うので、少し調べたのだがね、ちまたでは異世界転生というのが流行っているそうだね」
「え、いえ、それは……。まあ、一部界隈ではそうらしいですが……」
「もしこの命が燃え尽きたら、私は彼の世界に生まれたいよ。若返って彼と肩を並べて生きられたら、どんなにいいだろうなぁ……」
「あまり悲しいことを言うと怒りますよ、社長……」
そういう相談は、お前さんの孫に擬態している存在にするといい。
もしかしたらもしかするかもしれないぞ。
・
その一方でエナガファームでは、ジンギスカンパーティが開かれていた。
俺が鋼の大鷲に乗ってホッカイドーへと帰ると、榛名賞の勝利を祝ってシノさんたちや従業員一同が歓迎してくれた。
「バーニィさんっ、バーニィさんが大好きなハイパードライですよっ!」
「おおっ、やっぱ地ビールもいいけどこっちだよなぁ! おとととと……悪ぃな、ラト!」
ふわふわの泡が立った小麦色のハイパードゥライを、俺はグビッとグラス半分ほど飲み干した。
さらにそこへと焼き肉をかっ込めば、もう最強だ。もう言葉が出ねぇ、ホッカイドーの大地に感謝した。
「バーニィ兄ぃ、いくらなんでも飛ばしすぎだよ。ちゃんとトイレでおしっこしてよ……?」
「んんー? そりゃつまり、ここで出せってフリかぁ?」
「んなわけあるかーっ、汚いもの出したら蹴るからねっ!」
「わはははっ、冗談に決まってんだろ。んっんぐっ……ぷはぁぁっっ、ラトッ、お酌頼む!」
「う、うん……どうぞ?」
空になったグラスを差し出すと、やさしいラトが残りのパイパードゥライを注いでくれた。みんなが祝ってくれるのが嬉しくて、俺としたことが舞い上がっているようだ。
ところがそれからしばらくすると、事務所の隣の部屋から、キラキラした箱を持ったツィーがやってきた。
鍋ブギョーならぬジンギスカンブギョーとなっていたシノさんも席を立ち、どうもよくわからんのだがタルトを交えて俺の前に立った。
「なんだそれ、美味い酒か?」
「なんでそんなにベロベロになってるの……? うわ、お酒臭い……」
隣のラトまで立ち上がってツィーの隣に移動した。
エナガファームの従業員2名も同じように立ち上がっていた。
「バニーさん、これはみんなからのお祝いですよー。榛名賞優勝、おめでとうございまーす、パチパチパチ……♪」
「おめでとうございますっ! レース凄かったですっ、つい何度も見ちゃうくらい格好よかったです!」
「馬に乗ってるときだけはカッコイイんだよね、バーニィ兄ぃって……」
「あ、うちもそれならわかる。普段は馬とお喋りとかしちゃう、残念なおじさんなのに」
これって、一応祝われてるんだよな?
シノさんがキラキラと光る箱を差し出すので、俺はそれを受け取ってすぐに包装紙を破いた。
「こりゃ時計、だな……?」
「それね、電池なしで半永久的に動くやつなんだよ」
「へー、ならあっちの世界でも使えそうだな。夜明けに合わせて6時に調整すれば――」
「はい、それはダメです♪」
「ダメって……なんでだ?」
「とにかくダメッ、時計合わせしたら絶交だから!」
シノさんがやさしく笑いかけてくれて、続けてその懐中時計を俺の首に回してくれた。
最初はよくわからなかったが、少しするとなんとなくタルトの怒りから鈍い俺も意図を察した。
これがあれば、仮に元の世界に帰っても同じ時の流れを感じられるはずだ。時計としてはまるで役に立たない使い方だが、これは変わらぬ時を刻んでくれる。ただそれだけで価値がある。
「なるほどな、そういうことか……。ありがとよタルト、シノさん。こりゃ最高のプレゼントだ」
「わかればいいよ、わかれば……。あ、それとこれ、ラトとツィーの分ね……」
「へっ、ボ、ボクたちにですかっ!?」
「待って、そんなの聞いてないよっ!?」
いいから受け取れと、お姉さん風を吹かせてタルトが平たい箱を押し付けた。
包装を解けばそこにあったのは、えーと、あれだ。そう、スマフォンってやつだった。
「わあああ……っ、これっ、い、いいんですかっ!?」
「こ、これは……これはかなり嬉しいかも……!」
「ふふふー、今回は大型の充電器も買って帰りましょうね、バニーさん♪」
そういえばこいつら、タルトが使っているのをいつも羨ましそうに見ていたっけ。
よっぽどスマフォン欲しかったのか、マグダ族の双子は遠慮すら忘れて四角くてよくわからないソレに夢中になっていた。
いや訂正だ。1つだけ俺にもわかっていることがある……。
「おい、おいラト……」
「ふふふっ……。あ、なんですか、バーニィさん?」
「……後でエッチなドーガってやつ、それで一緒に見ようぜ? それ使えるんだろ、お前?」
「え、あの……え? エッチな動画、ですか……?」
スマフォンのことはよくわからん。だが、これだけは知っている。スマフォンからはエッチなやつがいっぱい見れる!! すげぇぜスマフォン!!
「見れるんだろ? 見れるんだよな、なっ!?」
「は、はい……見れると、思いますけど……。でも、あの……一緒にだなんて、ボク、恥ずかしい……」
「でかしたっ、でかしたぞラトッ! よし、じゃあまずは巨乳ちゃ――グハッッ?!」
4年経ってちょっとお淑やかになったかなと思っていたのに、タルトがテーブルの下からすねに蹴りを入れてきた。
「ラトくん、そうやってバーニィ兄ぃ言うことなんでも聞いてたら、同じド変態になっちゃうから止めた方がいいよ」
「あ、ありがとうございます、タルトさん……。正直言うと、とても助かりました……」
「せっかくみんながバーニィのこと祝ってくれてるのに、バーニィの頭の中はエロしかないのっ!?」
そうは言うが、エッチな動画を見せてくれたらそれが最高の優勝祝いだろ。
そういうわけで、俺は諦めていないからなとラトの肩を抱いて念押ししておいた。
「ラト、俺はお前さんのこと信じてるぜ。信じてるからな?」
「ど、どうしても、一緒じゃなきゃ……ダメですか……?」
「当たり前だろっ、お前が操作してくれねーと俺は何にもわかんねーよっ……」
「ぅ、ぅぅ……でも、そんなの、恥ずかしいよぉ……」
「うわぁ、必死過ぎでしょ……」
「バーニィ兄ぃ、シニア用携帯すら使えないもんね……」
やったぜ、夜が楽しみだ。俺はラトを解放すると、ハイパードゥライとジンギスカンで景気付けた。
美味い酒とべらぼうに安い畜産品がホッカイドーの魅力だ。いやホッカイドーは何もかもが美味い。
それからしばらくして、俺はふと胸の懐中時計を手に取った。
一緒にいられるのはあと1ヶ月だ。俺たちはダービーに勝ったら帰らなければならない。その事実をふいに思い出してしまった。
こちらで勝って、あちらでも勝って、定住地へと戻りマグダを救わなければならない。ダービーは目前だが、まだまだやることがいっぱいだ。
「ホッカイドーと俺たちの世界が、地続きだったらよかったのによ……。なんでこうも時間の流れが違うんだろうな……」
小さな懐中時計を胸の前で握り締めて、俺は己の闘志へと薪をくべた。まずはダービーに勝つ。それこそが目標であり、そこからが本番だった。