・放蕩オヤジと細い手首 - エナガ産 -
勝つとそう意気込んだのはいいものの、実際に行動に移そうとしてみると厄介な問題があることに気づいた。それは女神様ご指名のウィスキーボンボン号についての件だ。
これは簡単な話なんだが、さて俺はどうやって見ず知らずの馬主に接触し、どうやってウィスキーボンボン号の専属騎手の座を手に入れればいいのだろうか。
いくらバーニィ・リトーが連対率100%の成績を持った花形騎手であろうとも、馬主だって人付き合いを無視して赤の他人にお手馬を与えられるはずがない。
そもそもどうやって馬主に接触すればいいのかすら、異世界出身の俺にはよくわからなかった。
加えてこちらの世界の馬主は王侯や大商人クラスの大金持ちたちだ。この手の人々が順序や段取りをことさらに重視することは、奇しくも双方の世界に共通している。
馬主の説得は、俺にとってはダービーの制覇よりもずっと厄介なミッションだった。
ところがだ。ところが難しい話はそこまでだった。
いざシノさんに調べてもらおうと事務所を尋ねると、彼女はこちらの相談に対して、いつものほんわかした笑顔でこう言った。
『あらー、ボンボンちゃんですかー♪ その子ならー、うちの子ですねー♪』
『うちの子……? おいおい、ちょっと待ってくれよ、シノさん……。それって、まさか……』
『ええ、そうなんですよー♪ 昔から強情っぱりな子なのでー、よーく覚えています♪ バニーさんはー、あの子に乗りたいんですねー♪』
ウィスキーボンボン号はなんと、我らがエナガファーム産の競走馬だった。
『あ、ああ……そんなところだな。あー、ところでそいつ、結構気が荒いのか?』
『いいえー、ボンボンちゃんはいい子ですよ。けどあれはー、ん~~、そうですねぇー……。ボンボンちゃんはー、なんと言いますかねー、とーーーっても気位が高くてー、とーーっても頭の良い子なんですよー♪』
どんな馬かと思えばちょっと面白そうなやつだった。これは俺の勝手な推測だが、それは知能の高さゆえに他の馬より気位が高く感じられるのだろう。
『へぇ、なるほどな。俺も前に1度そういう馬の面倒を見たことがあるよ』
『ふふふー♪ ボンボンちゃんに会ったらー、バニーさんはきっと驚くと思いますよー♪』
『そりゃ楽しみだ。……しかしそうなると話が早いぜ。俺はそのボンボン号に乗るために、こっちの世界にやってきたんだ。ソイツの馬主に心当たりは――』
『タマキさんです♪』
『んな……っ?!』
『タマキさんがボンボンちゃんの馬主さんなんですよー♪』
『な、なんだとぉぉぉーっ?!!』
その名を聞くなり俺は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じて、それから半ば無意識に野太く叫んでしまっていた。
老齢の彼があれから4年経った今も生きていてくれた。それが嬉しかったのも多々あるが、それ以上に運命の巡り合わせを感じた。
また彼の馬に乗りたい。彼を喜ばせてやりたい。今度こそあの老紳士にダービーの栄光をくれてやりたい。あちらの世界に帰ってより、そう夢に願わずにはいれなかった。
さらにはエナガファームで産まれた馬で、もう1度栄光を目指せるという。こうなってはもはや女神に課せられた使命など関係ない。
俺は何がなんでも、タマキさんのウィスキーボンボン号に乗らなければならなかった。
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こうして俺たちがエナガファームに落ち着いてより約1週間後の土曜日。ナメコを気持ち悪いと言っていたツィーがナメコ蕎麦にドハマりして、頻繁に催促をするようになった頃、エナガファームにタマキさんとその美人秘書がやってきた。
「なんだね、シノくん? ホッカイドーにきたら大切な話があると言われたら、つい気になって気になって飛んできてしまったではないかね」
「ふふふ、すみません♪ 実はですねー、ご紹介したい方がいましてー」
そういえばあの時も、こうやってコソコソと様子を見ながら紹介の時を待ったっけ。
あの時は結局、自分から出て行くはめになったけどな……。
「はぁ……」
「あらー、どうかしましたかー、タマキさん? どこかお身体でも……」
「そうではない、そうではないよ、シノくん……。私はてっきり、バーニィくんが帰ってきてくれたのかと期待して、歳がいもなくここまで飛んできてしまったのだよ……」
「あらあら……」
「まったく、あの変わり者は……いったいどこで何をやっているのであろうなぁ……。せめて元気でやっていると、手紙くらいよこしてくれてもいいのに……」
まさかタマキさんと俺が相思相愛だったとはな。
シノさんが手招きをするので俺は柵の陰から立ち上がり、タマキさんの背中側に立った。
「シノさん、早く紹介してやってくれよ、そういうのは意地が悪いぜ」
「ふふふー、だってー、再会を盛り上げたいじゃないですかー♪」
「だがよ、あまり年寄りを驚かすと、下手すりゃショック死すんぞ」
タマキさんの後ろ姿は俺の勘違いか、4年前より少し小さくなって見えた。
成長したタルトの姿は感動的だったが、こっちからは時の流れの残酷さを感じた。同じ時間軸に生きられないということは、こういうことなのだと痛感した。
秘書さんに手を引かれながら、タマキさんが後ろを振り返る。そして俺を見た。




