ご飯を食べまして
この世界で生まれてはじめてのシャワーはそれはとても気持ちが良かった。村の川で沐浴するのも気持ちがいいものだが、やはり温かいお湯を目一杯浴びられるという環境は得難いものだ。機会があるなら風呂にも入りたいなー。
身奇麗にした俺達は普段よりも上等な服に着替え、廊下へと出る。そのまま1階下へと降りて、2階へと入った。
2階はその階層自体が一つの食事処、レストランになっているようで、階段のすぐ近くにカウンターが設置されていた。燕尾服を着た爽やかな青年がカウンター越しに頭を下げてくる。それに返礼をしながら問いかける。
「すみません、トールさんの同行者なのですが」
「はい、トール様他2名のご同行者様でいらっしゃいますね。席は予約してありますので、すぐにご案内できますが」
「いえ、こちらで待ってても大丈夫でしょうか」
俺はそう言うとカウンターと対面になっているソファーを指差す。
初めてこんなフォーマルな場にきたのだ、行動を慎重に行いたい。店を知っているトールさんと一緒に行動したいというのが正直な所だ。
なので俺達は一旦カウンターの向かいのソファーへと腰掛けた。部屋の備え付けのベッドに勝るとも劣らないふかふか加減のソファーに、やはりここ高級店だよなぁと思いつつ隣のミャーレを見る。
ミャーレは2階に入ってきてから落ち着きなく周囲をチラチラ見ていた。余りにも今までの生活空間とかけ離れすぎていて落ち着かないのだろう。その気持ちはとても分かる。
程なくして階段からトールさんが姿を現す。俺達を見つけるとニッコリ笑みを浮かべながら近づいてきた。
「いや、お待たせしました。さすがですな、カインさん」
「まぁ、気を使っていただいてありがとうございます」
俺の言葉ににっこり頷くトールさんに先導され、カウンターから受付の男性が出てきて席へと案内してくれる。
窓際の席に3人で座り、外を流れる人の姿を眺めながら軽く会話を弾ませる。2階部分から見下ろすように通りを流れる人を眺めていると、ウェイターがやってきた。
「こちら、本日の食前酒でございます」
ウェイターは陶器の瓶を片手に持ち、もう片方にはゴブレットを3つ持っていた。そのゴブレットは、この世界で初めて見る銅のゴブレットだ。
トクトクトク、と音を立ててゴブレットに酒が注ぎ込まれる。淡い色合いの液体がゴブレットになみなみと注がれる。
それを各人の目の前に置いていき、テーブルの上に瓶を置いてウェイターは頭を下げると静かに去っていった。
「……食前酒って、なに?」
そのつぶらな瞳をパチクリさせながら聞いてくるミャーレに苦笑を浮かべながらゴブレットを持ち上げる。
「食欲が出るように食事前に飲むお酒だよ。まぁ、普通の食事処で出るようなものじゃない」
そう言ってゴブレットに注がれた酒の香りを味わう。すっきりとした爽やかな匂いが鼻孔をくすぐる。
「しかもこれは、葡萄だ。銅製のゴブレットに葡萄酒、それも白を飲めるなんてね」
「いやはや、お分かりですか。ですが驚いてくださったようでなによりです」
俺の言葉に笑みを深めながら頷くトールさん。
この国では葡萄酒、ワインはある程度栄えた国では飲めるだろうが、大半が赤ワインだ。それが今注がれたワインは透明度の高い白ワイン。いったいいくらかけているのだろうかと考えてしまう。
ミャーレは俺の言っている事に理解が及んだのか、ゴクリと生唾を飲み込むと緊張した手でゴブレットを持ち上げる。
そうしてトールさんもゴブレットを持ち上げる。
「それではお二人とも。初めての王都を祝して」
『乾杯』
3人で軽くゴブレットを掲げて、一口目をゆっくり口に含む。
じんわりと口の中に広がるフルーティな香りと、程よい甘さ、酸味。しかも冷えている。そして喉を通過する際に感じる酒精の感覚に酷く懐かしさを覚える。
この世界では初めての、以前からでも二桁の年月を通過した熟成されたワインの味だ。
「……びっくりするほど美味しい」
その味にミャーレが感嘆の声をあげる。その言葉に全面的に同意だ。村で作っていた小麦のエールや木苺の酒など比較にならないほどの味の膨らみだ。
年月を経て、樽で仕込んだ白ワインとはこれほど味がハッキリとしているのか。
「ここのワインは王都近郊のワイン畑で栽培を許された白葡萄をベースに付近の村落でのみ製造を許されたワインなのですよ。混ぜものの一切ない味です」
「これは、確かに食欲が増しますね」
ゆっくり味わうようにワインを飲み感想を告げる。確実に胃が喜んでいる。酒精の刺激に内臓が活発になっているのが分かる。
こんな上質な酒が、この世界で飲めるとは。
隣でホウ、と熱っぽいため息を零しながらミャーレがワインを飲んでいる。
「それでトールさん、相当奮発したんじゃないですか、これ」
「いやいや。お二方の新しい門出をですね」
ミャーレの言葉にニコニコとしながら応じるトールさんの言葉に、一瞬喉が詰まる。新しい門出って、別に結婚する訳じゃないんだから。
確かに門出ではある。村から独立するという意味では正しいのだ。
すると先程のウェイターさんがカートを押しながらやってくる。カートの上にはスープ皿と、鍋が置いてある。
静かにカートを止めると、ウェイターさんは鍋からスープ皿へとスープを注ぎ、俺達の前へと並べる。
スープ皿の中にはほんのり琥珀色をした温かいスープが注がれていた。
「おや、今日はスープからですか」
勝手知ったるなんとやら、ではないが。顔見知りであろうウェイターにトールさんが声をかけると、ウェイターはにっこり笑顔を浮かべて答えた。
「本日はスープからが良いと料理長の判断です。その理由は、スープを味わって頂ければ分かります」
「ほほう、なるほど。それは楽しみですな」
そう言うウェイターの言葉に誘導されるようにカトラリーからスプーンを取り出して、スープを掬って口に含む。
途端、口の中で濃厚な旨味が爆発した。
思った以上の旨味の爆弾に、思わず口の中のスープを思いっきり飲み込んでしまう。なんだ、これは。こんな美味いもの、生まれて初めて食べた。
口の中が旨味でいっぱいだ。
「これは――すごいですな」
思わず、といった感じでトールさんが驚愕の表情を浮かべながら漏らす。
そう、これはすごい。言葉では言い表せない程の味だ。肉とも魚とも違う、濃厚な味。だがどこかで……似たようなものに覚えがあるような。
「これは……多分、亀。でもソフトシェルなんかじゃない、もっと濃厚な、それでいて澄んでいて……」
ミャーレの言葉になるほど、と納得してしまう。ソフトシェルタートル、いわゆるスッポンだ。この世界でも亀の肉や内臓は食用にされていたり、薬の材料として干して乾燥させたりして利用されている。
昔ミャーレのばあさんに珍しいものを食わせると言われて、肉と肝臓、心臓を鍋にして食べた思い出がある。だがこの味は、その時以上のものだ。
ミャーレの言葉にウェイターも驚いたのか、一瞬大きく目を開けると、次には笑顔を浮かべて頷いた。
「ご慧眼の通り、こちらは亀のスープです。ですがこちらはノコギリガメと呼ばれるモンスターの一種で、まだ子供の個体です。子供の個体ゆえ泥臭さも強く無く、澄んだスープになります。水から煮出してほぼ半日、鍋からアクを取り、これほどの味になるのです」
「なるほど、モンスター食材。手間暇かかった一品なのですな」
ウェイターさんの解説に頷きながら勢いを増しつつトールさんがスープを飲む。ミャーレも黙ってコクコクとスープを飲んでいる。
俺もスープを味わいながら、スプーンを持つ手を止めない。なんだか飲めば飲むほど、腹が減ってくるのだ。
そうして全員が飲み終わったのを見計らってウェイターさんが皿を持ってくる。突き出しにオードブル、魚料理と代わる代わる出てくる料理に舌鼓を打つ。
そうしてメインディッシュの肉料理となった所で、ウェイターさんは再びカートを持ってやってきた。
皿の上に……なんだ、丸い玉?
「ねぇ、あれ……なに?」
「なんだろう、わからん」
小声で聞いてくるミャーレに反応に困る。あの丸い玉は一体何なんだろうかとトールさんを見ると、彼もあれの正体が分からないようで首を捻っていた。
だがこの店の料理の味を見る限り、そう滅多なものではないのだろうと思う。どれもこれも美味しいのだから、きっとアレも美味いものなのだろう。
そう思って眺めていると、ウェイターさんがナイフを丸い玉にナイフを突き刺す。すると、風船が萎むように丸い玉がしなしなと萎んだ。
その中から出てきたのは、なんと鶏肉だ。
「鳥の丸焼き……いや、茹で鳥か?」
「何でしょうね。このような食べ方は初めてです」
トールさんも初めてなのか。思ったより凄いものが出てきそうだ。
ウェイターは丸の鶏肉にナイフを入れ切り分けていく。薄切り状態になった鶏肉の上に横に添えられていたソースをかけて、俺達の前へと皿を並べる。
「本日のメインディッシュ、コンターナル鶏の蒸し鶏でございます」
ウェイターの言葉に、トールさんが驚愕の表情を浮かべる。
え、なに?
「コンターナル鶏……国の名を冠した鶏です。流通量はかなり少なく、また調理の難易度も高い、国の管理する飼育場でしか育てる事のできない宮廷御用達の鶏です」
トールさんの言葉に思わず絶句する。国の名を冠した鶏。しかも国が管理する飼育場でしか飼育できない鶏とは。
俺達の驚愕が余程嬉しいのか、ウェイターが我が事のように胸を張り話す。
「昨日入荷いたしました。メインを飾るに相応しい鶏です。先程の丸い玉のようなものはフォレストボアの膀胱で、その中にコンターナル鶏を入れ、丸ごと湯の中へと入れました。中の空気が熱により膨らみ膀胱は丸い玉のようになりますが、中の鶏には湯は一切触れずに、湯の熱だけを鶏に伝えます。そうする事で全体に火は通りつつも湯に鶏の旨味は一切逃げないようになっております」
これもまた、とても手間のかかった料理なのだろう。恐る恐るといった感じで皿の上の肉を切り、フォークで口へと運ぶ。
口に含んだ瞬間、とてもジューシーな肉汁が口の中に溢れた。
「ほわっ」
思わず自分の口から出た言葉に慌てて口を塞ぐ。
声が出るほど美味かったのだ。
「すごい、目の前がパチパチする」
「これほどの美味、中々味わえませんな」
ミャーレもトールさんも目の前の美味に屈していた。幸せそうな表情を浮かべて鶏肉を食べる。
俺も口の中が幸せでいっぱいになっているのを実感しながら切り分けられた鶏肉を食べる。肉の上にかかっているソースも絶品で、これだけでもパンにつけて食べたら幸せになれるだろう品だ。
「皆様、鶏肉のおかわりはいかがですかな」
『勿論、ください』
ニコニコと嬉しそうなウェイターさんの言葉に、3人で口を揃えておかわりを要求するのだった。
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