宿に着きまして
ドゴット兄さんの務める工房を離れた後、兄さんから教えてもらったトール商会の店舗へと入る。
商店街は職人街からは少し離れていたが、道は複雑ではなく王都の中央通り沿いにある店舗だったので、初めて王都に来た俺達でもすぐに分かった。
トールマンの店舗よりは小さめの店内へと入ると、丁度カウンターでトールさんが伝票を確認している所だった。俺達に気付くとすぐに笑顔を浮かべる。
「おかえりなさい。迷いませんでしたか?」
「中央通り沿いの店舗ですから、流石に迷いませんよ」
「それは確かに」
言葉を交わしながらも伝票の確認を行い、全て終わったのかパタンと伝票カバーを閉じる。
「さて、それではお茶にしますか。そろそろ夕方ですし、一旦宿に向かいますか」
「あ、はい。それでお願いします。ちなみに今日の宿は?」
俺がそう問いかけると、トールさんが笑みを深くして言った。
「私のよく利用している宿があるのですよ。小鳥の止り木亭という宿なんですけれどね」
「……あ、あー。そうなんですね」
トールさんに聞こうと思っていた事を、問いかける前に答えが出てしまっていた。
なるほど、トールさんが定宿にするくらいの店、という事なのだろう。それは思ったよりも凄いのかもしれない。
「おや、宿になにか問題が?」
「いえ、その……話は馬車の中ででもしますよ」
言って、とりあえず一旦トールさん所有の馬車へと乗り込む。
道すがらドゴット兄さんの事と、ミレイさんの事。小鳥の止り木亭の話なんかをトールさんに言っておいた。
するとトールさんは驚きを浮かべつつ、結婚の話に笑顔を浮かべた。
「なるほど、ゴドットさんが結婚ですか。めでたいですね。小鳥の止り木亭のお嬢さんなら、さぞかし料理上手なのでしょう」
「そんなに美味しいのですか? 小鳥の止り木亭の食事は」
「そうですな……宮廷料理人を頭数に入れなければ、王都では両手で数える程しかいない腕前でしょうな」
思った以上のトールさんからの高評価に、思わずミャーレと顔を見合わせてしまう。
市井の料理人でそれほどの腕というのは、中々いないのではないだろうか。そんな事を考えながら言葉を交わしつつ、目的地の宿に到着した。
宿、そう宿だ。宿ではあるんだが……宿というよりホテルという言葉が似合う風情だ。名前が完全に外観に追いついていない。
「え、でかい」
周辺よりも明らかに背の高い家屋。綺麗にメンテナンスされた花壇。窓の数から六階建てだと分かる高さの、ビルにも似た外観がある宿だった。
ミャーレも思わずポカンと口を開けて眺めていると、トールさんがしてやったりといった笑みをしていた。
「そうでしょう。ここは1階がエントランス、2階が食事処で3階から各宿泊場所となっているんですよ」
「……これで、冒険者向けなんですか?」
「6人以上の団体客でも泊まれるようになっておりますから。冒険者向けといえばそうですよ」
マジか、と思いつつトールさんに先導されて宿の中へと入る。内装は静かだがキチンと整っており、清潔感が溢れている。そのままカウンターへ向かうと、トールさんが受付をしてくれた。
「いらっしゃいませ、トール様」
「お久しぶりです。今日は3人部屋一つと、2人部屋一つをお願いします」
「かしこまりました」
流れるように受付を済ませると、トールさんは2つの鍵を受け取る。木板のはめ込み式の鍵らしく、笑顔で受け取ると片方を俺へと差し出してきた。
「こちらがお二方の部屋の鍵です。無くさないようにしてくださいね」
「えぇ。ありがとうございます」
「それでは向かいましょうか」
トールさんが言うのに合わせてカウンターの横に控えていたメイド服の女性が静かに近づいてくる。
「それでは、お部屋へご案内いたします」
「よろしくおねがいします」
控えめに先導をしてくれるメイドさんは、とても良い教育を受けているようだ。立ち居振る舞いがいかにもメイドというイメージに沿っている。
先導されるまま階段を上り、3階へと到着して一つの部屋まで案内してくれる。
「こちらが、お二人様用のお部屋でございます」
「それでは一旦こちらで。一時間後くらいに2階の入り口で待ち合わせましょう」
「わかりました」
一旦トールさんと別れて鍵を開けて部屋へと入る。中は清潔感のあふれた、本当に一般的に宿とイメージするものではなく、ホテルといった小綺麗な部屋だ。
寝室にはベッドが2つ並び、備え付けられた戸棚には陶器のカップやティーポットが置いてある。なんと茶葉付きだ。
ベッドの布団もとても柔らかそうで、普段家で使っているものより何倍も上等なものと分かる。
その内の一つ、手前のベッドに腰掛けると、ふかふかの弾力が身体を押し返してきた。
「……想像以上にいい部屋なんじゃないの、ここは」
同じようにベッドに腰掛けてみたミャーレが思わず呟く。
「確かに。宿っていうより、トールさんの家みたいにとても整えられた豪華な部屋だ」
「ここに冒険者が宿泊している様子が想像できないわ」
王都までの道中で泊まった宿場町の宿屋を思い出しているのだろう、ミャーレが眉間にシワを寄せて言う。道中の宿はいかにも宿っていう感じの宿だった。こことは天と地の差がある。
確かにこんな上等な宿に冒険者が宿泊している様が想像できない。
そんな事を考えていると、キュッとミャーレが俺の腕を掴んできた。
「どうした?」
「なんだか、緊張しちゃって。村とは比べ物にならない綺麗さだから。この後の食事も凄いんじゃないの?」
言われてみてば。もしかしたら食事もとんでもないものなのかもしれない。というか、今の服装で入れるのだろうか、と一抹の不安を感じる。
今の俺とミャーレの服装は田舎者丸出しの服装だ。こんな格好でドレスコードに引っかかりはしないだろうか。そう考えて思い出す。
トールさんの家に泊めて貰った時、ついでに今の服装より上等な服を購入したのだった。何かの時に使えるように、と。トールさんに勧められて。
そこで思い至る。というか、前もって言ってほしい。
「トールマンで服を買っただろ。それに着替えよう」
「え? ……トールさん、そういう事?」
「多分な」
俺の言っている事を理解したミャーレが呆れ混じりに言う。そう、呆れるしか無い。こっそり手を回して今夜のドレスコードに引っかからない服装を前もって用意させていたのだ、俺達に。
こういうさり気ない気遣いができるのが、やはり大店の経営者なのだなと感じる。
「着替える前に水浴びしたいわ」
「寝室の手前に扉があったな、多分トイレと沐浴スペースだと思う」
言いながらベッドから立ち上がり部屋へと入る。予想通りにそこはトイレだった。そしてその奥にもう一枚扉がある。そこも開けると、なんとそこには壁にくっついたシャワーヘッドがあった。
「マジか……シャワーかよ」
「シャワー、これが」
2人で同時に生唾を飲み込む。村での生活では当たり前だがシャワーなんてものは存在しなかった。井戸水を汲んで浴びるか、近くの小川で沐浴するかしかなかったのだ。
道中の宿場町でも基本水でタオルを濡らして拭くか、追加料金を払って宿にお湯を用意してもらい、そのお湯で身体を拭くしかなかったのだ。
だがここに来てシャワーとは。王都の文明の進歩度合いを痛感させられる。
「この石が……水。こっちがお湯みたい」
「魔石埋込式のシャワーとか。王都すげぇ」
ミャーレがシャワーヘッドの下に埋め込まれた石を操作しながらシャワーヘッドから少し水を出す。
この世界に上水道が無い以上、水を汲み上げるのは難しい。ポンプのようなものは現在トールさんが開発中ではあるが、まだ設備として備えている場所なんてどこにもないだろう。
なので各個室に魔道具でシャワーが備え付けられているのだろうと思う。この世界の人間は必ず魔力を持っているのだから。
「じゃあ、とりあえず浴びるわ。カインは服を出しておいて」
「あぁ。とりあえず石鹸もあったほうがいいだろ。ほれ」
「ありがとう、助かるわ」
シャドウスペースに突っ込んでいた石鹸を取り出してミャーレへと手渡す。それからシャワー室を出て寝室へと戻ってきてから、ミャーレと俺のトールマンで買った服をベッドの上へと並べた。
思わずため息をつく。王都の設備に関しては、この宿がスタンダードなのだろうか。だとしたら故郷の村なんて原始時代みたいなものだ。文明人と原始人ほどの隔たりを感じる。
そう考えながら、俺はミャーレがシャワー室から出てくるまでこの文明の進歩度合いをいかに埋めていくかを考えていた。
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