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梯子を上った先。そこは湖だった。太陽のような光はないのに、暗くはない。蒼く純度の高い輝きは、どこから来ているのだろうか想像もできない。底から発光しているのではないかなんて到底言えない。底は、深く、黒く、染まっているのだから。
湖の畔に腰を下ろす少年は、私を胸ポケットから取り出す。
「なあ、これがなんなのかわかるか?」
湖を指さして少年は問う。
「わからない」
嘘だ。少なからず嘘だ。触れたことはないにせよ、これがなんなのかぐらいは知っている。
「さっき器に入れた水は、この湖の水なんだよ」
知っている。
「精霊の木彫りの周りに置いてあった器ってさ、あれのほとんどがダミーなんだよ。なぜ僕が選び抜けたかわかる?」
……蒸発しないから。
「そう! よく知ってるんだね。この水は特別なんだ」
その声を聞いて私は確信した。心の声に手を伸ばして、価値観を差し伸べてくれる。それがいつもあなただった。
「零?」
少年の声は、歪な零の元へも届いた。零は心のままに涙を滴らせる。懐かしい、懐かしい。それだけで感情に素直になれる訳がない。どうして、どうして、そう懐疑に満ち、忘れて、忘れて、記憶から消え、記憶から消し、千年以上のときを越えて今それが蘇り、「やっぱり忘れられなかった」と悟る。
「なんで戻って来たのよ! 春の馬鹿あ!!」
なぜ戻ってきたのかなんて知らない。仕組みも知らない。ただ、そこにいるのがあの黒のオーパーツを見つけて騒いでいた春で、ここにいたのが私で、私の時間は止まっていて、春の時間は進み続けていた。春は何度も転生した。なぜ今なのか。懐疑に陥る必要などどこにもない。
「この水の成分のこと、前に話したの覚えてる?」
春の言葉に、私は頬に滴らせながら無言で頷く。頷いたことなんてわからないはずなのに、春はにんまりと笑った。
「じゃあ話は早いね」




