*
これにしよう、と真理亜は思った。たとえ事実を混ぜようとも、対象者にはそれがフィクションとして伝わるのだ。自由に表現するという媒体の中でこれ以上のものはない。
真理亜は新しいルーズリーフを取り出し、ペンをカチッと押した。
祥……。あの頃の自分は、彼が何に対して不安だったり痛みを感じているのか気づいてやれなかった。今でさえ気づいてやれていない。「死んだ人間が今までいなかったことのように感じられている」そう打ち明けられるまでは、半分呆れていたという他ない。だって、仲がいいと思っていた人間のことを、忘れた、ととぼけるのだ。そりゃあ呆れるよ。私だけじゃなくて、他の人だって聞いたら呆れるよ。先生だって、他の友達だって――。
懐かしい感覚を覚えた。目の奥が熱い。顔に血管が浮き出て、赤くなっているかもしれない。そう思ったときには、ルーズリーフの上に一粒、何かが落ちた。膨らんでいた水は、だんだんと紙に吸収されて行くように沈み始めた。丸い染みができた。
これほどか。これほどだったのか。涙が頬を滴るならまだわかる。落ちるほどだった。これほどまでに祥のことを考えている自分がいたのか。
「だって、そんなの言ってくれなきゃわからないじゃない!」
誰もいない部屋の壁に向かって、ぶつけた言葉は、涙の分泌を促した。
生きていたはずの人間を忘れた。仲の良かった人間が思い出せない。そんな理由で孤立し始めた祥は、だんだんと今まで以上に口数も少なくなった。それこそ今の真理亜と一緒かもしれない。中学に来て、席に座って、気まずい雰囲気で決められたグループ通しで机を合わせて食事を交わし、高校では個々のグループで昼食をとるようになり、いつの間にか教室にいなくなっていた祥。それを真理亜は傍から眺めていた。たまたま一緒になった掃除の分担で、話しかけるまでは、呆れたままのどうでもいい存在だったのかもしれない。
『俺、未だに覚えてないんだ。結城って奴のこと』
そう打ち明けられ、真理亜が放った言葉。
『病院、行ってみたら』
思い出した途端、真理亜の目からぽとぽとと涙が落ち始めた。他人を重んじない自分の非情さに、胸が苦しくなった。
別に頭がいかれてるからとか、からかうつもりで言った言葉なんかじゃない。祥が、祥が苦しそうだったから本当に結城君のことを覚えていないんだったら、本当に何かの病気なのかもしれないと思ったから。もし、病気だってわかったら、祥だけじゃなくて私だってもっと祥と一緒に居られた。だから……。
だから、なのか。私が祥と一緒にいる理由を作りたかったからなのか。
涙の滴ったしょっぱい下唇を、強く噛み締めた。止まらない。歯形がつくくらい噛み締めた。でも涙は止まらない。
本当に祥のことを考えているのだとしたら、病院に行けなんて言わないはず。もっと彼の立場に立って考えればよかった。その言葉で彼が傷つくことぐらい簡単に想像できた。
はっと真理亜は思い出す。あの結城が死んだ次の日のことだ。五限が自習になって体育館のステージに座って二人で話したこと。
『自分のことは自分が一番よくわかっている』
『自分のことすらわからなくなるときってない?』
あの時すでに祥は、自分の今悩んでいる状況について打ち明けようとしていた。自分のことは自分が一番よくわかっているはずなのに、身近に起きた出来事や他人の言動が「それは違う!」と自分を否定的に訴えている。
『捉え方の違いだと思うんだよね』
事実、捉え方の違いだった。あの後一緒に病院に行き、診察してもらった結果、祥はPTSDだった。はっきりとそう診断されたわけではないが、要因の一つとして幼少期に交通事故で両親を亡くしたことにあるみたいだった。しかもそれが、祥自身が原因だったみたいで、小学生だろうと悔恨は少なからずあったみたいだった。
一緒に病院に行ってカウンセリングをしていく中で、先生はさすがプロだと言わんばかりに、彼の過去を解き明かしていった。両親の交通事故の原因が彼のPTSDに起因している。そしてその詳細も。
「ちょうど彼の誕生日だったようなの。ホールケーキを予約していたみたいなんだけど、手違いかなんかで、一切れずつ売ってるのを両親は買って来たみたい。それで祥君は駄々をこねて、ホールじゃなきゃ嫌だって言って、両親はわざわざ買いに外に出て、その道中で事故に遭ったんだと思う」
それを聞いたとき、両親の気持ちが否応に伝わってきた。子どもにとって誕生日とは楽しい日だ。プレゼントをもらい、ケーキを食べ、家族で温かい時間を過ごす。それを自分がホールケーキを買ってこなかったことによって台無しにしてしまった。
きっと両親も、優しかったのだろう。店員が手違いで申し訳ないと詫びているのを「いえいえ、大丈夫です。代わりにこれをください」と笑顔で対応したことだろう。
そんな優しい両親は、二人揃って家を出た。そして事故に遭う。帰りを待っていた祥は、どんな気持ちで待っていたのだろうか。想像することすらできない。
そして、祥は知った。自分のせいで両親が死んだということを。まだ小学生前の男の子が、自分のせいで両親を失ったことを自覚してしまった。
それでも懸命に生きた。もうこの世に両親がいないとわかっているはずなのに、「まだどこかで生きている」と、葬式が終わっても尚、信じ続けようとした。だが、不運にも、コミュニティがそれを許さなかった。
小学校にいれば、嫌というほど実感するのだ。家族参観然り、運動会然り。
カウンセリングの先生が言っていた。「この子、親は元からいないって言い張るのよ。交通事故で亡くなったとは言わずに」
日々を追うごとにぽっかりと開いた空白が意識されるが、祥はこれを埋めようとはしなかった。
消したのだ。解答欄を。
親を元からいなかったことにしたのだ。「あなたの両親は誰ですか?」と聞かれ、空白のまま提出する用紙。それは「あなたは人間ですか?」とあたりまえのことを聞かれるのと同じようなものだった。私だったら、「体重は何キロですか?」なんて聞かれても答えたくはない。その類の質問を、彼は日常の中で味わい続けていたのだ。
選択肢、解答欄があることで苦しんでいた。選択肢を無くすことで苦痛から逃げようとしたのだ。そのせいか、普通に考えて親がいなければやっていけないようなことでも、彼は一人でやった。親がいないと自覚した祥は強かった。一人で生きていた。
結果、祥はそのせいもあってか死んだ人間の記憶が消えてしまうようになった。完全にこれが原因だとは言い切れないが多分これだろうと先生は言っていた。
祥に見えていた世界と、私たちが見ていた世界。この差だった。
高校を卒業したのが十八歳。真理亜は今年で二十五歳になる。
もう七年も経つのか。あれからの私はというと、未だに引き語りを続けて見栄もしないゴールに向かって突き進んでいる。いや、もはや進んでいるのかすらわからない。迷路を彷徨っている途中だ。
会いたい、とふと思った。卒業のときは、険悪なムードはなく、少し話して晴れやかに別れた気もする。
今は何をしているのだろう。仕事に就いているだろうか。どんな仕事だろうか。恋人はいるだろうか。結婚はしているだろうか。子どもは生まれたのだろうか。機種変更のときの手違いで携帯の番号も知らない。住所すらわからない。連絡回路は途絶えている。
想うことしかできないのか――。
さらさらと筆先は滑らかに動き出した。




