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カラオケ店に入り、支払いを済ませ、一人部屋の中へと入った。今までに幾人座ったかもわからないような備え付けの簡素なソファアに腰を下ろす。溜息をつく暇もなく、再び立ち上がって、テレビの前に備え付けてあった電子機器へと手を伸ばし、曲を入れた。
男性の曲でもキーを下げることはせず、そのまま歌った。低い声にはそれだけ魅力がある。高い声にだって相応の魅力がある。真理亜はその両方を気に入っていた。
ただひたすらに歌う。ひたすら歌っている自覚などない。いつもそうだ。歌っている間だけはすべてを乖離できる。自分の中に閉じこもる訳ではなく、ただ歌うのだ。作曲者の思いが伝わっているとか、曲に身を委ねているとか、歌詞に心を打たれているとか、そういうことじゃないのだ。曲本来の美しさに、自分の想いを乗せる。眉根を顰め、口蓋垂を上に引っ張り、空気を吸い込むことを忘れて吐き続ける。
そんなことをしていると、始発までの時間など風のように素早く過ぎて行ってしまう。
いったん歌うのをやめ、自分が何を歌っていたのかなんとなく履歴を見てみる。
ああ、やっぱり。
決まって、恋愛関連の曲が多いのだ。次いで多いのが、人間味のある曲。
私にはまだ未練があるのだろうか。真理亜は、ふと自分の過去を訝しむ。今の私が欲しいものとは何だろう。立派なアーティストになって名声が欲しい。テレビの歌番組で自分で作った歌を歌っている姿を全国に流したい。誰かに認められたい。確かにそういう欲求はあった。でもそれだけではない。気がする。
なぜこんな生活を送っているのか、ふと不安になった。アルバイトをして、弾き語りをして、歌うのは好きだがこれを何年も続けたところで本当に満たされるのか。それは、歌に限ったことではない。たとえ大学に通っていたとしても、その後は就職することになるだろう。就職して何十年も同じ仕事を続ける未来。仕事が嫌になって転職する未来。誰かと結婚して、子どもを産んで、円満な生活を送る未来。
どの未来も、しっくりこなかった。
想像の範疇なので、現実味がないことも確かだった。実際に仕事を何年も繰り返していけば、そんな不安を抱くこともなくやっていけるかもしれない。実際に誰かと付き合って、結婚を言いよどまれれば、素直に嬉しいと思って結婚して円満な家庭を築いて不安を抱いていたことすら忘れてしまうのかもしれない。
じゃあ、就職すればいいのかな。結婚すればいいのかな。
物事は経験だということが現実味を帯びてきた。しかし冒険する気にあるほどの度胸はない。度胸に至るまでの動機もない。勇気もない。
じゃあ私って何なの!?
そんなことはどうでもいいことだった。真理亜が知っているのは、音楽がそういうどうでもいい想像をかき消すくらいに夢中になれるということだった。
音楽が私を昇華させてくれる。
再びマイクを掌に握りしめ、真理亜は歌った。




