表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輪廻魚  作者: 面映唯
26/46

ハマチ

 世界は丸くなった。家族態勢も一部では崩壊しつつある、とは言い過ぎかもしれないが、フランス人や欧米人の実情は知らないが、巷でささやかれている個人主義が色濃く反映されつつある。


 自己主張が強いだとか、客観性や正当性を問わずに自分の信念を曲げないということではなく、環境が個人主義化しつつあるのだ。当人の個人主義は、環境の後を追っている形だ。


 家族という小集団は残っているものの、そのつながりは薄れつつある。十八歳の成人を迎えると、子は独り立ちすることとなる。ベーシックインカムと呼ばれる、人ひとりが生きていく上で月六、七万円程度の金が無償で支給されるようになった。たばこ税、酒税は跳ね上がり、社会保障制度は消えかかり、医者を目指す者も前に比べれば少なくなった。平均寿命も衰えを見せ始め、今では五十歳近くで人々は病などで倒れることが多くなったため、八十歳はおろか、百歳まで生きられていた時代のことなど思い出せなくなるくらい時代は過去を置き去りにして変遷した。


 ただ、いい面もある。少子高齢化には終止符が打たれた。


 ベーシックインカムが取り入れられたことにより、子ども一人につき五万円程度が支給されるようになった。産んだ子どもの人数によっては、少々のベット配給も付くようで、急速に人口も増加した。「二十年後の未来は人口が半減している」と言い放っていたテレビのコメンテーターは、今頃「そんなこと言ったっけ? まあ未来のことはわからんしな」と高笑いし、上機嫌で過ごしていることだろう。


 そしてもう一つ。人口の三分の一近くは、労働をやめた。憲法も変わった。


 数年前に有能な技術者が、実に画期的なツールを開発したことに先駆けて、それはもう、現代に甚大な利益を獲得し始めさせていた。グローバル化に先駆けて、前々から対策を練っていた、子どものようにモチベーションの高いクリエイターらによって、日本は海外に引けを取らないくらい、少し上を行くくらいで、我々国民も豊かな生活を送れるようになった。


 というのも、技術者だったりメディアアーティストだったりは、好んで技術開発を行っている。基礎研究も然り、何かを発見したい、成し遂げたいという気持ちが強いようで、好んで日々の研究開発に取り組んでいるようだ。


 そして一般大衆の我々。量産型の一途をたどってきて、突き詰めて何かを考えることも、そのなんとなくはまってしまっていた線路のないレールからはみ出ることもしようとしなかった我々は、数少ないにせよ、日本有数となった巨大な会社に投資して生活費を得ようとするのだ。


 今のところ落ちる見込みはない。人工知能ロボットだったり、その整備に回る職種、福祉職など以外は、本当に業種が減った。といっても、足りない金は当然働いて稼ぐし、やりたいことはやれる時代だ。好きなことをして生きていく時代になったのだ。


 一部の富裕層を除き、貧富の格差が是正されつつあることにより、娯楽に手を伸ばしすぎる人もいなくなった。風俗街は以前ほど賑わいを見せることもなくなってしまった。需要はあったとしても、供給側の人間が大幅に減ってしまった。そんな身を削らずとも、確実に手元に金が入るという、投資という方法を知った今、水商売は減った。当然、ないことはない。好きなことをして生きている人間や、もっと稼ぎたいと思う人たちはごまんといる。その一途をたどっている人々は、少なからずいる。


 ずっと思っていたのだ。子どもが減り、出生率は二を切り、老後のためのお金が量産される世界。現役世代の老後はないと思われるくらいには、高齢者の社会保障費や延命処置に金が引き裂かれる。癌になれば高額医療費制度などで負担は減り、手術をするといわれれば費用の負担は大幅に減る。風邪を引けば病院に行き、健康保険者であれば負担は三割。中学高校と進むにつれ、病院のあの静かで吹き抜けの殺風景を思い出すこともなくなった。


 なぜ金を払うのか。なぜ病院に行かないのに金を払うのか。誰かの病気を助けるために払っている。自分がもし病気になったときのために払っている相互作用。


 もしも、と、考えすぎだ。


 他人がどう思うかは知らないが、祥はよくて五十歳程度まで生きられればそれでいいと思っていた。これは中学半ばで芽生えた感情で、教師に、「将来は働くのだから」と言われるたびに、働いて年を取っていく自分を想像していたら、七十歳の老いぼれになってまで生きたいと思わないようになっていた。


 五十歳まで生きられればいいといっても、別に五十歳まで生きたいわけじゃない。ぶっちゃけ三十過ぎくらいでもいいと思っている。


 なぜだろうか。


 今が苦しいからだ。不安になるのは、今が苦しいからだ。勉強しろ。将来のため。将来っていつのこと? なんで将来の心配するの。老後とか老いぼれになってまで生き恥晒したくないよ。


 癌になる? 脳卒中? だったら、そのときにもらえる社会保障費を、若くて、身体が活発で、青春時代で、一番生きたい楽しみたいと思えていた時期によこして欲しい。


 長く生きること。輪廻転生を疑って、重きを置く。短くても何度でも生まれ変われればそれはいい人生とは言えないだろうか。隠された本質に迫ろうとせず、「自分はこれでいいから」と無理矢理納得するために、安心するために、自分の中の答えを作る。


 本当にそれが、お前の言う「これでいい」なんだろうか。


 なんてことを昔は無知故に考えていたが、別に今ではそうでもない。若くして脳卒中になったり重い病に悩まされる人もいる。そういう人のことを考えると、別にそこまでしなくてもいいかって思ってしまう。寧ろ自分の働いた金が誰かのためになっていると思えば、こんな情けない自分でも誰かの役に立っているのだと、社会に貢献しているという実感が沸く。おまけに苦しい境遇に置かれている人間を知っていながら、ほっぽっておくのも、祥としては嫌な感じだったというのが正直だった。


 女性が収入のある人と結婚したくなるのもわかる。好きな人と結婚してこの先生きていけなくなったら元も子もないのだ。そういう時代だったのだ。


 だけど、妥協だけはしたくなかった。金がなくても、できれば生きたくなくても、それでも妥協だけはしたくなかった。やりたいことをやって死ぬ。それだけは今も昔も変わらない。大人になれていない子どもが、駄々をこねているだけだと嘲笑われても、そんなことだけは妥協したくなかった。なぜ苦痛を味わってまで生きなきゃならない。自分は誰かに労わられて幸福を感じる人間ではないのだ。そういう人たちはいいのだろうけど、祥は違った。


 どうせいつかは死ぬのに、なぜ妥協しなければならない。生きるために生きている人間は山ほどいるのに、なぜいつか死ぬためにと思って生きている人間がいないのだ。なぜ無駄な時間を浪費させられなくてはならない。社会のため? 働くため? 知識と義務教育は別だろう。テストで点を取る力は勉強ができるのではなくて、その先にあるものを手に入れるためにどうでもいいと思っていることに努力できる才能だろう。意味のないことを社会に認められるために我慢して努力できる力。それを測っているに過ぎないのだろう。努力は明らかに身や時間を削った積み重ねによる才能だが、その才能を手に入れろと強要されるとなると話は別だ。野球選手を目指す人に、画家を目指せと言っているようなもの。


 例えば、数学が好きなら数学を突き詰めたいと思う高校生がいたとしよう。将来数学オリンピックに出て、輝かしい名誉を与えられ、とそんなことを夢見る高校生。学校を終え家に帰り、家では数学の問題を解くことにがむしゃらになった。それは、名誉という肩書が欲しいからではない。ただ、その問いを解くことに飢えているからだ。好きだからだ。


 そんな高校生にとって、体育やその他の科目が必要があるだろうか。数学オリンピックという、自分のやりたいことが明確に見えている。食わず嫌いではないのだ。触れてみても尚やり続けたいとは思わない。マルチに事業をこなしたい将来は見えていないし、別にコミュニケーション能力はいらないと思っている。日本の歴史も興味がないとはっきりわかっているのに、学ばなければならない環境。義務教育で、すでにある程度の社会性は身についている。


 その高校生は、高校を休むようになった。数学の問題を解くのがやめられなくなって、ずっと家で幸福に過ごしていた。


 だが、社会から見れば、そんなことは誰にもわからない。当人の幸福はいざ知らず、残るのは「学校をさぼった」という事実である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ