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バス停で一時間程度話し終え、琴音とは別れた。やっぱり話しておいてよかった。当初とは違う満足だったが、寧ろいい満足だった。
そんな出来事があった次の日。学校へいつも通り行き、教室に入るといつもよりも騒がしく感じた。騒がしいのはいつものことなのだが、この騒ぎ方はいつものと違う。いつもより柔らかいというかマイルドな騒ぎ方だなと、祥は後方から黒板の前に集っている生徒を眺めた。黒板に何かが貼ってある、それに注目して騒いでいるのだろう。そう思ったときに祥は思い出した。
「今日、大掃除だったのか」
この大掃除、学校の伝統らしく、学校設立当初から、初代の校長の精神によって長く続いているみたいだった。それを初めて聞いた高校一年の当時は、「普段から掃除してればよくないか」などと思ったが、こういう行事を通してクラスの環を深めるのも一つの狙いだそうだ。
そしてこの大掃除の醍醐味。午前中だけなのだ。午後は帰宅できるので、それもあって早く終わらせようと皆、騒いでいたりもするのだろう。
「俺と一緒じゃん」
「マジか。早く行こうぜ」
黒板に貼ってあるだろう分担票を見たのだろう。誰かがそんなことを言っていた。
祥は、黒板の前でたまっている生徒らの端から分担票を眺めた。自分の名前を見つけて、教室を出た。担当になっていたのは、視聴覚室だった。
視聴覚室に行き、教室後方のドアのすぐ横にある清掃用具のロッカーを開けた。箒、雑巾、モップ。どれを使おうか迷ったが、一番手軽そうなモップを選んで取り出した。
さっさと終わらせてしまおうと、床をモップでかけた。トコトコと教室の前後を行ったり来たりする。適当にやって、モップについたゴミを払って、ゴミを捨てに行って、あ、窓ふきはどうしようか、いや、やんなくていいや。モップを掛けながら、この後の自分の行動について考えていた。
教室の隅までかけ終わったところで、モップを上下に振ってゴミを落とした。塵取りと箒を取りに行こうとロッカーへ近づく。
そのとき丁度、人が入って来たようだった。おそらくもう一人の視聴覚室の掃除担当だろう。もう終わるからいいよ、そう言おうとして顔を捻るが、その言葉は喉から出てこなかった。
「もう、終わっちゃった?」
「大体」
「窓ふきは?」
「……やってない」
「じゃあやろうよ」
真理亜はロッカーに近づき、中から雑巾とバケツを取り出した。ロッカーの前で立ち尽くしていた祥は、近づいてきた目の前にいる真理亜を呆然と眺めているだけだった。
「水汲んでくる」
真理亜は一旦、教室を出ていった。
祥はすでに手にしていた箒と塵取りでモップのゴミを取った。ゴミ箱へと捨て、ロッカーの中へと戻す。
真理亜が帰ってきたようだった。またロッカーの前で鉢合わせた二人。祥は立ち尽くしていたが、そんな姿を見て真理亜は、「窓拭くよ」と言って窓際まで歩いていった。渋々といった形でその後を追う。
真理亜は床に置かれたバケツの中で、雑巾を絞っていた。絞り終わっても立ったままの祥に、「絞らないの?」と問いかける。反応のない祥の感情を汲みと取ろうとしたのか、「あ、もしかして水が冷たいから絞りたくないんでしょ?」そう言って、祥の分の雑巾まで絞って手渡した。
「はい」
手渡された雑巾を無言で祥は受け取る。
真理亜は窓を拭き始めた。それを後ろから眺めていた祥は、数秒して自然と窓へと雑巾を当てていた。
無言で視聴覚室の窓を拭く二人。教室の中は二人きりだった。
この無言の空間。窓を雑巾で拭く音だけが聞こえている中、真理亜の心の中だけは忙しかった。その痛い空気を切り裂いたのは、祥だった。
「俺、未だに覚えてないんだ。結城って奴のこと」
窓に雑巾を押し付けたまま手を止め、祥を見た真理亜。祥は窓を拭いていた。
二人の間で中学のときから止まっていた時間が動き出そうとしていた。
「病院、行ってみたら?」
顔色を窺う真理亜。数秒経っても、祥の口は開こうとしなかった。失言だったかと青ざめた真理亜は、「ほら、一緒に行くからさ!」と苦し紛れに饒舌でそんなことを言った。
「ありがとう」
祥の心は、いつも通りであった。




