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輪廻魚  作者: 面映唯
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ガンド

 高校の昼食というのは実に不気味な文化で、給食があって皆で一緒に食べていた小学校中学校時代のことを彷彿とはさせない、どこか散漫とした雰囲気を漂わせる。


「いただきます」と言って食べ始める文化の象徴も消えかかりつつあって、個々のグループで机の上に置かれた弁当に箸を伸ばす。雑談や世間話、グループ内での興味の方向性は様々で、スマートフォン片手に親指を動かしながら文化の変遷を感じさせる食事方法をとる男子生徒もいれば、女子生徒は女子生徒で楽しげに会話のみに集中していて、食べるのは二の次にしているように窺えたりもする。


 そんな中で、一人、黙々と食事を進める者がいてもおかしくはないと思うのだ。友達がいない、という訳ではなく、一人の時間を好んで自ら進んでその独自の安寧空間を創り出す人。


 だが見当たらないのだ。


 一人ぐらいいてもおかしくはないはずなのだ。一般に「ぼっち」と呼ばれる彼らは、今、祥が教室を後にしようと後方の扉を振り返った視線の先には、見当たらない。


 高校一年の初め頃、何かの行事をきっかけに少しばかりか話したクラスメイトがいた。その彼は、見るからに虚無感を漂わせるような、悪言に当てはめるのなら、砂を噛ませられているような男。見るからに陰鬱としたと雰囲気と声のトーンで、祥が話しかけたときもレスポンスの言葉に黄色は混ざっていなかった。


 だから正直驚いたのだ。ギャップとも言っていいだろう。祥が知りもしない女子生徒に「体育あるから、ジャージの上脱いで」と身ぐるみをはがされ、追剥が行われた後。彼女が去ったのを見て、「なんかとられたんだけど」と祥が言うと、その彼は陰鬱な雰囲気を残しながらも口角をあげて、「ひひっ」と笑ったのだった。


 それは罪悪人が更正したのをメディアが取り上げて、一部の大衆から好評されるのと同じものだった。真面目に生きている自分たちが馬鹿みたい、と思ってしまうくらいに更生した人々に嫉妬してしまうのと同じ。


 だが実際は違うのだ。真面目に生きていることを言い訳にしてしまうのは人間特有の弱さでもあるが、言い訳にしてしまっている時点でそ奴の真面目は誠の真面目ではないのだ。


 更生する過程が美しいのも否定はできない。並々ならぬ苦労の背景が垣間見えているからこそ、柔らかく誇張すれば、必要以上に勝手に咲き誇ってしまう。その一部分を切り取って報道するメディアもプロとしか言いようがない。人間が何を知りたくて、何に興味があって、どこまで知りたいのかをよく知っている。祥のように興味を持った媒体に関して掘り下げて考えてしまうような人間ばかりではなく、ニュース程度の簡略化された情報で満足できる人々も多いのだ。


 追求するのか、幅広い情報を集めるか。当然後者の方が圧倒的に現代では理に適っている。簡易的な情報から真実を見極められていればの話だが。


 要するに、祥はその不気味な哀愁と「ひひっ」という笑い方をした彼に惹かれてしまったのだ。名前を聞いてみれば、「佐久間琴音(ことね)」という酷く身なりとはかけ離れた名前であった。おまけに、女性の印象を掻き立てさせられる名前。こいつは男なのに。さらに魅力的に思えた。


 そんな彼は、やはり友人関係には疎いようだった。同じクラスだが、話す機会は少なく、欲しいと思っているのかいらないと思っているのか正直なところ定かではない。だが、「ひとりの時間が好き」と聞いたことがあったため、あえて「友達作りなよ」なんて進言するつもりもなかった。


 今思うと、友達が要らないだなんて思う人間はいかれているとさえ思えるようになった祥だった。何か一対象にがむしゃらに没頭できているとしたら話は別だが、二次元やゲームなどに興味を抱いているようにも窺えなかった。一人の時間が好きだということは本当なのだろうが、それでも、人生の半ば青春時代のすべてを一人で過ごすとなると、それはもう老後とさほど変わりはないのではないだろうか。近所のスーパーや路肩でくっちゃべる老後よりも、寂しいものだ。


 祥は一人、三階へと向かった。三階に来て、一番端のクラスの非常扉を開け、風に晒されて錆びかかった鉄階段を上った。屋上へとたどり着くと、人気はなかった。一人ぐらいいてもおかしくはないと思うのだが、屋上で昼飯を喰らうよりも、教室で食べる方が安心するのだろう。おまけに外だということもあって、肌寒いこともある。


 一面コンクリートの敷き詰まったシンプルな屋上。そもそも来る人が少ないせいか、頑丈な手すりもないし、背の高い金網もない。自殺するのなら足を踏み出せば死はすぐそこだ。絶好の場とも呼べる。


 危ないことは確かだ。行くなと言われればそれに従って行かないが、別に入ってはいけないと聞いたことはない。だから祥は、いつも屋上で昼飯を食べていた。


 本当に何の変哲もない屋上で、テレビで見かける不良のたまり場のような雰囲気はない。スプレーで落書きなんて見当たらないし、生徒が使う学校机や椅子なども見当たらない。「何もない」という快適な空間だった。


 首にかけていたヘッドフォンを耳に当てて音楽を流し、売店で買ったパンの封を開けた。一口かじって寝転がる。遮るもののないこの屋上は、天体観測をするのであれば持って来いのように思えた。空が、百八十度窺えた。


 また、佐久間琴音のことを考える。彼は今どこで昼食をとっているのだろう。教室を出てくるときにはいなかった。

 

 ふと、彼を探してしまいたくなる瞬間がたびたびあった。昼飯を友人とゲームをしながら、笑いあいながら食べる姿。琴音のそんな姿を探してみたくなる瞬間があった。


 今、この学校のどこかで琴音も弁当を食べているのだろうなと想像する。それが一人なのか、二人なのか、多数なのか。


 仰向けになって、パンをかじる。心地よい音楽の中に、自分の租借音が混ざった。


 一人の時間が与えられたからこそ、咲き誇れることもしばしばある。琴音もその一人かもしれない。この時間というのは、普通に学校に行って家に帰ってと人生の筋道を辿らされていては気づけない。だからいつの間にか、真っ当に生きていると思って、メディアから流れてきた輝かしく更生した人々に嫉妬してしまうのだ。真っ当、真面目のベクトルが異なっているのだ。そこの欠陥に気がつけなければいくら真面目に生きていたとしても、真意の、彼らが目指すべき真面目には到底届きはしないだろう。


 そんなことをわかっていながらも、祥は今、このベクトルの真面目の上に乗っている。そして、別のベクトルの上を歩いているだろう佐久間琴音のことを悲嘆しようとはせず、ただ、彼の生き様行き様に関心があった。


 久々に話してみようと思った。


 クラスにはいつもいるのだ。席に座って授業を受けている姿も、普段から見受けられている。


 もう高三の秋だ。冬に近づいている。後は、来春を待つのみだった。高校生という青春時代は幕を閉じ、こんな甘い時代はあの頃だけだったなと五年後くらいには悲嘆しているかもしれない。


 ありえないな。


 思ったそばから批判の声がした。確かにありえない。今の自分の生活が本当に甘いだろうか。寧ろ暇があるから余計なことを考えてしまう。仕事に就き、責任感が生まれ、迷惑をかけてはいけないと思い始めた頃、やっとそこで高校時代にあったような余裕が消える。仕事に就けば就いたで、余計なことを考えないでまっすぐ仕事だけに集中できるかもしれない。


 それはそれでいいかもな。


 祥はパンをかじる。


「このじゃがいもパンとももうおさらばか」


 それはそれで寂しいような気もした。


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