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輪廻魚  作者: 面映唯
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 祥は、結城が死んだ後も学校へと通い続けた。塚越や畑中とは、同じ教室で授業を受けているが、だんだんと疎遠になっていった。


 放課後は、もう塚越や畑中とも会っていなかった。祥の自席に寄ってきて、「早く行くぞ」と声を掛けられることはない。それはわかっていたが、塚越と畑中が自分の席の横を通り過ぎるたびに、もしかしたら声を掛けてくるのではないか、掛けてきたらどう反応しようか、そんな心配がたびたびあった。


 塚越や畑中と過ごすことが少なくなった放課後。その分、香澄と過ごす時間は増えていった。一緒に教室で本を読んだり、学校近くの公園に行ってブランコに乗りながら話をすることも多かった。祥の家に来たこともあれば、香澄の家に行ったこともある。


 今日の放課後も、そういった香澄とのかかわりの一つだった。今日は公園に行こうと昨日決めていたので、校門で待ち合わせをしていた。香澄は、祥の隣の隣のクラスだったこともあり、いつも待ち合わせは校門だった。


 祥は帰りの会を終え教室を出た。玄関へ行くために階段を目指そうと歩き出す。そこで視界の先に、香澄の後姿が映った。隣に女子生徒がいて一緒に歩いていたようだったが、まあいいかと近づいていった。


「でも結城が死んだのは案外よかったんじゃない。香澄ってあいつに付きまとわれてたんでしょ?」


 祥は立ち止まった。香澄の肩へと伸ばしていた腕も、腿の横へと降ろされた。


 え?


 香澄が結城に付きまとわれていた?


 想い淀んでしまった。香澄の隣に居る女子によれば、結城という人物は悪い人間のように聞こえた。でもすぐに思いなおす。彼の死を悲しんでいた人間は見てきた。教室の中で泣くクラスメート。塚越、畑中。


 急に怖くなった。この後会う香澄にこのことが真実かどうか確かめたい気持ちと、香澄の返事を想像してまた混乱してしまう自分。


 結局そんなことを想像しているうちに、香澄と女子生徒は祥に気がつくことなく立ち去っていた。祥自身も自分の中の疑惑に折り合いをつけることができず、そのまま校門まで着くこととなった。


「祥。いこ!」


 香澄は軽くステップを刻む勢いで、祥の手を取った。悶々としていたはずの祥の頭の中は、それだけでひととき、ほんのひとときだが悩みを忘れていたのかもしれない。


 公園に着いてからもそうだった。ブランコに揺らされながら、他愛もない話をした。でもそれは最初だけであった。一瞬の間。香澄が咳払いをしたその一瞬だけで、先程の女子生徒の声が頭にぶり返してくる。「案外死んでもよかったんじゃない」「付きまとわれてたんでしょ?」その声が、祥からひとときを奪った。


 この問いかけに、香澄はなんて答えたんだろう。その発言が衝撃的過ぎたのか、女子生徒の問いかけの香澄の返答を聞きそびれていた。というか、それを聞いていれば今頃こんなことで頭を使う必要はないのだ。香澄の声で、「付きまとわれてなんかないよ」とそれだけ聞ければ、祥は満足なはずだ。


 今俺に話しかけてくれている香澄。楽しそうに話す香澄。笑うときに口に手を持って行く香澄。今の俺に、彼女の話している内容が頭に入ってきているだろうか。


 申し訳ない気持ちになる。


「ねえ、香澄」


 話を遮って祥は名前を呼ぶ。それでもきっと、香澄はなんてことのない顔で当たり前のように「なに?」と聞き返してくるはずだ。案の定、「ん?」と少し首をかしげて前かがみに祥のことを見てくれていた。


「さっき、話聞いちゃったんだ」


「さっきって?」


「廊下にいるときさ、二人で歩いてたでしょ?」


「あ、恭子? なんだ、いたんだったら声かけてくれればいいのに。恭子もね、祥のこと知ってるんだよ? なんなら、祥と教室で最初に会ったときも、恭子と話してて、なんか熱心に本読んでる人いるねって」


「そうじゃなくてさ、その」


 香澄はまた首を少しかしげる。なんだそれは。なんでそんな顔する。すごく言いづらいじゃないか。


「結城って人に付きまとわれてたって本当?」


 香澄の顔は一瞬白くなった気がした。でもそれは多分気のせいだった。次の瞬間には、「全然。恭子が勘違いしてただけだよ」


「本当?」


「うん。気になる?」


 そう言われ、言い淀んでしまった。祥は首を横に振る。


「うれしい。こんな私を信じてくれる優しい祥君なら、そのうちいいことあるかもしれないよ」


 香澄は祥の手を取り、公園を出て歩き出した。握られた手、歩幅。その両方がぴったりと合ったときが、本当の意味で幸せになれたときなのだろうと、なんとなく思った。


 家に帰ってから、香澄からメールが届く。


『明日も公園行って話そうね。ちょっと話したいこともあるし』


 だったら今日話せばよかったではないか。


 布団の上に制服のまま寝転がった。何度も寝転がったこの布団。愛着があると言いたいところだが、時々息苦しくなるときもあった。柔らかいシーツの上でも、肌触りの良い毛布を膝にかけても、心は温まってくれなかった。温まるのは身体だけだった。


 夜になって、窓から入る太陽の光もなくなった。部屋に点った橙色の常夜灯。そんな、炬燵の中で光る紫外線のような橙色は、祥の心を温めようとしていた。まるで巨大な炬燵の中で生活しているようにさえ思えた。


 明日。また明日が来る。明日は変化球が来るだろうか。常にスローボールの毎日に、右打席に立つ祥の胸元をえぐるようなシュートボールは来るだろうか。待っていても来ないことは知っているし、自分から何かをしようとしなければ、変化など起きない。でも、偶々悩みが消えてしまえば、それに越したことはない。


「偶々、か」


 布団の上で呟く。常夜灯の明かりはまだ(とも)っていた。


 蜘蛛の憧憬画。あの本を見つけたのも偶々だった。あの本を見つけたことによって、香澄と出会えた。いや、もしかしたら本を見つけたのと香澄と出会えたのはまた別の偶々なのかもしれない。


 そう考えると、祥は日常から十分なほどシュートボールを投げられていた。


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