表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輪廻魚  作者: 面映唯
15/46

 五限も終わり、教室に帰ってからも真理亜と話すことはなかった。帰りの会を終え、いつものように、塚越と畑中が寄ってきた。


「早く外行こうぜ」


 その言葉に少し心が和らいだ気がした。でも、それすらも嘘なのではないか。一旦心の奥に閉じ込め、祥は二人と一緒に教室を出た。







 三人とも学校へは自転車で通学していた。そのせいもあってか、駐輪場の前でたまることが日常となっていた。


 塚越は自分の自転車に跨りながら、畑中はその後ろに立ち、その隣に祥は立っていた。


なぜか三人とも話し出さなかった。塚越はママチャリのハンドルを握りながら、後輪を空回りさせているし、畑中は俯いている。


「ねえ、なんか話そうよ」


 なんとなく無言の時間が痛々しく感じた祥は、二人にそう問いかけた。しかし、二人とも一瞬顔を上げただけで、結局また視線を落としてしまう。


 そんな姿を目の当たりにすると、何を話せばいいのかわからなくなってしまう。いつもは何を話していただろうか。そんなことを訝ってしまうのだが、いつも何を話していたのかわからない。おそらくは、それだけどうでもいいことを話していたのだろう。


「結城、何で死んだんだろうな」


 ママチャリの上に乗った塚越が、こちらを向かずにそんなことを呟いた。それに応えようとしたのか、「俺たちとの関係が嫌になったのかな」と、畑中が声を震わせた。


 その状況は、祥を再び悩みの中へと引き込んだ。


 真理亜の言っていたことは、やはりというべきか正しいようだった。祥と結城は仲が良かった。おそらくこの三人の横に、彼も立っていたのだろう。


 しかし、いくら考えても祥の記憶の中に結城という人間は存在しなかった。少しも覚えていないのだ。普通に考えれば、それだけ仲が良かった人間の記憶を忘れるだろうか。


「でもあいつ、自殺みたいな愚かなことは絶対にしないとか前に話してたよな」


「うん。覚えてる。だから結構驚いた」


 祥は、それを聞いても結城のことなど思い出せもしなかった。ここにいたはずの人間。その一部分も記憶にない。まるで、解答欄すら奪われた、テストを受ける資格さえ許されない愚かな人間のように思えた。


 真理亜は、結城を覚えていないことに対して、自分だったら怒るといった。確かに、祥にもそれくらいはわかった。もし自分が死んだとして、自分の一番近しい人間が自分のことを元からなかったかのようにその後の人生を歩んでいたとしたら、それはもう悲しいという以上の言葉は見つからない。人情がないと言われても仕方のないことのように思えた。


 でも、事実なのだ。現に今の自分は結城という生徒を覚えていない。忘れたくてとかじゃなくて、本当に覚えていないのだ。覚えていないというよりは、やっぱり元からいなかったのではないかという感覚の方が近い。だとすると、祥は仲の良かった友人を忘れてしまうような腐った人間になってしまう。


 俺は腐った人間なのか。


 自分では到底腐った人間だとは思えなかった。平凡な日々を送りながらも、そこまでは腐っていない。だが、周りの人間が、俺を腐った人間だと揶揄する。どっちを信じればいいのだ? 真理亜は自分のことは自分が一番よくわかっていると言っていたが、じゃあ俺がここで「結城って誰だよ」なんて高笑いしながら塚越と畑中に話せば、ドン引きされることは間違いないだろう。


 ドン引かれる理由など、祥には、まるっきりよくわからなかった。


「祥はどう思う?」畑中がこちらを向いていた。


「お、俺は……」


 喉を詰まらせている最中、逡巡した。どうすればいいのだ。何を言えばいい。大体場を繋ぐような言葉はわかる。「俺もそう思う」とか、「何で死んだのだろう」とかそんなことを言えば、話が繋がるはずだ。だが……。


 もし。もし、彼ら塚越と畑中が、俺のことを信じてくれるのだとしたら。今ここで結城のことなど覚えていないと打ち明けたとしたら、彼らは俺のことを虐げずに信じてくれるかもしれない。そんな期待が、今深まっていた。


「俺も、何でだろうと思う」


 結局祥は、場を繋ぐことを選んだ。蔑まれることが怖かったのかもしれない。これから先、塚越や畑中との関係が壊れるのが嫌だったのかもしれない。


 その程度の人間だった。それでいいと思った。


「そうだよね。結城と最後に話したのって誰なんだろう」


「さあ。あいつが死んだの水曜日だろ? 俺、火曜日は用事あって先に帰ったからな」


「そういえば僕もだ。畑中家伝統の外食があってね」


 塚越も畑中も、火曜日はそのまま帰った。確かにそんな記憶がぼやけている。


「祥は? そういえば結城と一緒に帰るって言ってなかったっけ」


 え? と真っ先に思った。帰ってねーよと。だが、その疑念はだんだんと心臓の動きを速めていった。結城と関わった具体的な質問をここで強要される。結城などそもそも覚えていないのだから作り話をするか、適当に流すしか選択肢はないことに気がつく。ここで話を振られてしまったかと。


 なんだか嫌な空気が漂い始めていた。先程まで俯いていた塚越でさえ、俺の顔を見ている。


 変なことを言えば、自分が疑われるような気がした。一言一句、言葉を選び抜いて話さなければならない。どうすればいい。火曜の放課後のことは覚えている。俺は一人で帰った。珍しく塚越と畑中がそのまま帰ると言ったので、自分もそのまま帰ったはずだ。


 今の祥に、それを信じ切れるほどの力はなかった。


 これをそのまま伝えればいいと思った。たとえ嘘だったとしても、彼らは知らないから質問しているのだ。何ら問題はない。


「一人で帰ったよ。ほら、皆揃ってないと楽しくないじゃん」


 案の定、祥の言葉に二人は納得していたようだった。塚越はまたママチャリのサドルに視線を戻し、畑中も頷いていた。


 畑中がフッと顔を上げる。


「あれ、でも、確か火曜日って委員会の集まりあったよね。祥って結城と同じ委員会じゃん。わざわざ、別れて帰ったの?」


 委員会? そんなの俺は最初から一人だった。一緒にやっている奴なんていないはず。


「ああ! 思い出した思い出した。畑中家でファミレスに行ったら、祥と結城に会ったんだった! 二人でなんか話してたみたいだけど、なんか深刻そうだからって声かけるのやめたんだよ。それで水曜日の朝にそのこと話そうと思ったら、結城の奴いないからさ。祥は遅刻してくるし」


 畑中はペラペラと口を並べた。軽快に弾んでいく畑中の口調とは裏腹に、場の空気が曇っていくのを感じた。次の瞬間には、塚越がママチャリを下りて地に足を付けていた。


「祥、お前なんか知ってんのか?」


 そう言われても、祥には答えることができなかった。だって本当に何も知らないのだから。仮に、祥と結城の間に何かがあったとしても、一緒にファミレスに行っていたとしても、そんな記憶は結城の中に無かった。かといって、「ごめん、俺、結城の記憶がないんだ」なんて言えば、火に油を注ぐようなもの。そんなことは、誰もがこの場に居れば察することができるはずだ。


「なんかあったんだったら言ってみろよ。俺たち何でも話し合ってたじゃねーか」


 そんな優しい言葉に導かれるように、祥の心は一瞬緩くなった。この人なら信じてみてもいいかもしれない。大丈夫だ。すべてを受け入れてくれる。


 祥は、一時(いっとき)の許容に心を開いてしまった。


「俺さ、なんかよくわからないんだけど、結城との記憶がないんだよ。記憶がないっていうよりは、もともとそんな人がいなかったように記憶がない。だから、結城の顔も声もわからないんだ」


「馬鹿な。寝ぼけてんのか」


「記憶喪失?」


「いや、そういうのじゃないんだ。本当に俺もわからないんだ。結城という存在自体が記憶にない」


「嘘でしょ?」


「お前本気で言ってるのか?」


 その問いかけには答えられずにいた。塚越の丸かったはずの矛先がだんだんと尖っていくのがわかったからだ。ここならまだ引き返せる。「嘘に決まってるじゃーん。いつものジョークだよジョーク」なんて言えば、きっとこの修羅場を免れることができる。


 祥が黙って立ち尽くしているのを見兼ねたのか、塚越は祥の胸倉を掴んだ。


 祥は一瞬何が起こったのかわからなかった。身体が少し宙に浮いているような気がしたのだ。塚越、力が強いと思うと同時に、彼の顔が見えてしまった。その表情に身じろぎもせずにただ見つめてしまった。


「嘘だって言えよ。いつもみたいに、嘘だって言ってくれよ」


 その顔には、普段からは見せないような籠った熱気のようなものがあった。目頭は暑くなっており、短髪によってさらされているおでこには、縦に血管が浮き上がっていた。その強迫差に俯いてしまう。


 これほどだったか。人の死が与える影響力は。たとえ今だけだったとしても、普段見せないような迫力を、死という要因によって形作る。


 祥は何も答えられなかった。


 祥は地に足を付き、首元も緩くなった。塚越はすでに背を向けて立ち去っていた。


 取り残された二人。


「ちょっと話そうか」


 畑中はいつに無く、大人びた表情で呟いた。



「塚越もさ、悪いやつじゃないんだ。ただ、ちょっと情が強いっていうか、すぐかっとなっちゃうんだと思う」


 学校の中庭に来た祥と畑中は、渡り廊下に出るための段差に座っていた。


「本当に覚えてないの?」


「ああ」


 それは仕方のないことだった。それが事実なのだから。いくら仲が良かったのだろうと、まるでそんな記憶がない。声も、顔すらも覚えていないのだから、自分でこんな顔だっただろうかと想像して彼の印象を言語化することもできなかった。


「そう。あんなに一緒に笑いあったのに覚えてないんだね」


「本当なんだよ」祥は信じてくれとでも言うように畑中に言い寄った。


「うん信じてるよ。別に疑ってるわけじゃない。でもさ、僕は結構心配性なんだよ。もしいつか急に祥が僕のことを忘れたらって考えるとちょっと寂しいなって」


「そんなことないよ。絶対覚えてる」


「どの口が言ってんのさ。根拠ないじゃん。現に結城のことを覚えてないんでしょ? だったら僕のことも忘れちゃうかもしれないじゃん。それとも何。結城のこと覚えてるのに記憶喪失のふりしてる訳? なんか後ろめたいことでもあるんじゃない?」


 祥はその言葉に畑中に襲い掛かる勢いで口を開こうとした。結城が死んだ理由が俺と関係していると畑中が疑っているのだとわかった。そんなことない。俺が結城のことを何も知らないのは事実だ。


 だが、と思考を巡らせる。もし仮に俺と結城が仲が良くて、畑中の言ったように死ぬ前日にファミレスに二人で行っていたとしたら。その光景を想像すると、あながち間違っていない気がしなくもなかった。俺に記憶がないだけで、実際は結城の死に起因する出来事が起きていた。俺が関係するような事案が起きていた可能性もあり得なくはない。


 急に不安が襲って来た。記憶がないということの怖さ。その空白に何があったのかわからない。信用すべきものが何かわからない。何を信用していいのかもわからない。自分が正しいのか、それとも畑中の言っていることが正しいのか。


 真理亜の顔が浮かぶ。なあ、本当に自分が一番自分のことをわかっているのか?


 祥にとっての不安とは、これだった。


 畑中に食って掛かる勢いだった祥は、立ち上がっていて、その場に立ち尽くしてしまっていた。何も言えることがなかったからだ。畑中にとって、祥が結城を覚えていないという記憶喪失を信じるとするなら、自分もそのうち忘れられてしまうのではないかという不安が襲う。対称に、後ろめたいことがあって故意に記憶喪失を装っていると疑うとしたら、それは祥が原因で結城が死んだかもしれないということである。結城が死ぬ前日に、一緒にファミレスにいたという事象が完全に成立し、それを祥は隠そうとしていた。後ろめたいことがあったと捉えることになってしまう。


 もう何が何だかわからなかった。


 どうしてこんなに頭を悩ませているのだろうか。そもそも、悩むこと自体がおかしくはないだろうか。本当に結城との記憶がすっぽりと抜けているのだとしたら、結城が死んだとか、結城と仲が良かったとか、そんなこと気にせずにいつも通りの生活を送っているはずだ。


 このとき何かが吹っ切れたような気がした。誰もいない中庭に、二人。俺は立ち尽くし、畑中は段差に腰掛け俯いている。ここから見える校庭では、サッカー少年たちが砂埃を立てて駆けていた。校庭の端では、テニス部がボールを打つポコン、ポコンという音が鳴って止まない。


 楽しそうだな、と単純に思った。こんな深刻そうな顔をして友人と関係性について話し合い、言いたいことも言えず、どうにもならないと割り切ってこれから過ごしていくしかないだろうと思った途端に、どうでもよく思え、サッカー少年、テニス少年少女が瞳に明るく映った。


 何かに没頭することができたら。不安を忘れるぐらいに何かに没頭出来たら。生活が充実していたら。一対象に没頭し、そのための時間に毎日追われ、余計なことを考えられなくなるくらい充実した日常。


「ごめん。俺もう帰るわ」


 畑中に投げかけた言葉は、そんな安っぽい言葉だった。その安っぽい言葉でさえも、祥にとっては重い言葉であった。さよなら、の一言が重すぎて、またね、と期待を残すのもちょっと違う。「ごめん」その言葉の偉大さに気がついた瞬間でもあった。


 昇降口を出ると、一人とぼとぼと歩いた。今学校を去ったとしても、また明日には来る学校。


 明日と捉えるからいけないのかもしれないな。明日も明後日も、今日の延長線上。明日も今日だし、明後日も今日。今日は二十四時間なんじゃなくて、一生なんだな。


 家帰ってベース弾こう。


 祥は音楽が独自の世界観を創り出せることを知っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ