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人が亡くなった翌日という事実を加味しても、授業自体は通常通りに進んだ。誰かが死んだ次の日だろうと何だろうと、義務教育は供給される。教師もそのことには触れようとしなかったし、生徒側も、それはそれ、これはこれ、と大人らしく割り切っているようだった。若しくは、興味がないだけなのか教師という仕事に余裕がないのか。
祥は、未だに引っかかっていることがあった。結城という人物が思い出せないこと、それが気になって仕方がなかった。授業中も、勉強になど身が入らず、ずっとそのことを考えていた。
いたはずの誰かを思い出せない。確かにいたはずなのだ。それはクラスの反応からもわかる。あれだけ結城の席付近の生徒は泣いていたのだ。黙祷までしている。あれでクラスの人間じゃなかったなら、これは何の行事だ。ネタなのか? あり得ない。絶対的証拠があるにもかかわらず、答えを導きだせないのは、きっと自分の頭に記憶がないからだ。それ故に、信じ切れないからだ。
五限に差し掛かり、担任の都合の影響で自習になった。代わりの教師が教壇に立って指示を出した。
「体育館を取って来たから、そこで各々行動するように。一応授業という名目だから、全員体育館に行けよー」
指示を受けた男子生徒の一部は、いきり立ち、走って体育館に向かった。残りの女子生徒なども席を立ち、体育館へと教室を後にしていた。
「祥は体育館行くの?」
「え、行く以外の選択肢ってあるの? 一応体育館行った方がいいって先生言ってたし」
「意外と真面目なんだね、祥君って」
真理亜は、手首に付けていたゴム紐で後ろに髪を束ね始めた。
「やる気満々じゃん。男子に混ざってバスケでもするの?」
「しようと思ったけどやめた」
「そう」
祥と真理亜は、体育館へと向かった。隣のクラスは教室で授業をしているようで、教師の声が漏れていた。
「なんかいいよね、こういうの。隣のクラスはまだ授業受けてるのに、廊下を歩ける優越感」真理亜は微笑みながらそう言った。
「真理亜でも意外とそういう無邪気なところあるんだね。もっと優等生かと思ってた」
「いやいやそんなことないよ。祥君こそミステリアスな感じのオーラ出さないでよ。近寄ってくんなーってオーラがむんむん出てるよ」
「願ったり叶ったりだな」
一息空けて祥が言うと、「え、近寄ってきて欲しくないの?」と真理亜が顔を覗かせる。
「自由が欲しい、のかな。多分」
体育館への渡り廊下を通り過ぎ、体育館内へ入ると、すでにバスケットボールを地面に叩きつける独特の音が響いていた。奥の方で丁度ゴールが入ったようで、男子生徒の奇声が上がっていた。女子生徒は女子生徒で、ボールを叩く者も見受けられた。
入ってすぐに体育館のステージが左側に見えた。すでに何人かそこへ腰を下ろしていた。
一番手前のステージの袖付近に祥は腰を乗せた。それに次ぐように、真理亜も隣に腰を乗せた。
座ってから眺めると、ギャラリーにも人がいるようだった。あれは……卓球か。ギャラリーには卓球台もあるようで、身体を動かす生徒が見える。
「祥って、誰かと話すの嫌いなの?」徐に真理亜は問いかけてきた。
「嫌いじゃないよ。嫌いだったら、今真理亜と話してないんじゃない?」
「じゃないって何よ。自分のことぐらい自分でわかるものでしょ?」
漫画のように怒ってそっぽを向いた真理亜だったが、その顔を覗くと別に話しかけづらいというような感じではなかった。寧ろ話しかけてくれ、とでも言っているような気さえした。
「意外と見えないじゃんか、自分のことって。自分が相手に対して不安に思っていることでも、その対象は全然気に留めてなかったりってこともあるし」
「どういうこと?」と、真理亜は打って変わって神妙な面持ちで祥の顔に向かった。
祥は少し悩んだ。
「すごく簡単な話だと、捉え方の違いだと思うんだよね。例えばさ、俺が真理亜を怒らせるような発言をしたとするでしょ。そうすると俺は当然申し訳ないなって気持ちになる。でも実際は、真理亜はその発言に怒ってもいないし、そもそも何でその程度のことで怒るの? って思っちゃうくらいの感情の差、みたいな」
「まあ話は分かるんだけど、それって自分のことを自分でわかってるって話とどうつながるの?」
「ああーごめん。じゃあ繋がってないかも。多分さ、俺だけなんだと思う。自分のことすらわからなくなるときってない?」
「あんまりないかな」
祥は、「そう」とだけ呟いた。なんだか余計なことを話してしまったような感覚を覚えた。これ以上続けても、意味を見出せそうにないな。彼女に話すことでもなかったな、そう思って話を途切れさせようとした。
結城を絡めた自分の悩みを彼女にぶつけるのは違うな。世の中の大抵の悩みは、自分で解決できる程度のことなのだから。それは祥自身もわかっていた。
体育館は広いな、と唐突に感じる。感じた後で、「世界に比べたらくそせめーだろ」とは思うのだが、なぜか広く感じるのだ。
多分自由だからだ。無邪気に遊ぶ姿が、輝いて見えるからだ。取っ組み合いを始める姿も、女子生徒のおぼつかないボール付きも、こんなド田舎の世界から見たちっぽけな体育館でも、それでも微笑ましかった。
「そういえばさ、真理亜って結城って子と話したことある?」
「まあ少しくらいは」
「どんな子?」祥がそれを聞くと、「え、そんなの祥君の方が知ってるんじゃないの? 私なんてたまに話しかけるくらいか、クラスの係の仕事で話すくらいしかないよ」と返ってきた。
「え、俺って結城と仲良かったの?」
「仲いいも何も、いつも話してたじゃん。放課後とか塚越君たちと一緒になって話してたじゃん」
顔を見合わせたまま数秒が過ぎ、「嘘でしょ?」と真理亜は驚いたように食い入った。「あれだけ話したのに結城君のこと忘れちゃったの? ありえないでしょ。私が結城君だったら怒ってるよ」
そんなことを面と向かって言われ、たじろいでしまう。冗談かもしれないと思うが、多分それでも同じ。俺そんなに悪いことしたか? と思ったのが正直なところで、そんな感情が表情を通して伝わってしまったのか、真理亜は呆れたように溜息をついた。
その姿は、昨日の香澄と重なった。
俺、これ嫌いだな。
瞬時に祥は悟った。俺はそんなにおかしな人間だったのか。先程の、自分が一番自分のことをわかっている、という発言が重んじられる。俺は俺のことを一番わかっているはずだ。にもかかわらず、第三者から見れば俺はおかしいことを言っているように感じているみたいだった。それはやっぱり、結城の問題にも紐づけられる。結城を思い出せないお前はおかしい。でも確かに、祥の脳内の記憶に「結城」という人物はいないのだ。
もどかしかった。




