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        6.60時間前


 朝。不快な悪夢で眼が醒めた。内容は覚えていない。思い出す必要も、思い出そうとする無駄な気力もなかった。

 テレビをつけた。当初は、ちゃんと自室を借りていたが、帰るのが面倒になったので、いまではこの事務所に住みついていた。接客用のソファが、ベッドがわりだった。

 九時少し前。小さな画面にはワイドショーが映し出されていた。昨夜の騒動はやっていなかった。加納正の続報を、やはり本日も大きく取り上げているようだ。それとも佐賀亮の暴力沙汰は、トップニュースでやってしまったのだろうか。いや、それはない。警察の介入を避けた以上、さすがにそこまで情報は早くまわらない。

 しかし時間の問題なのは、まちがいなかった。明日の夕方ぐらいまでには、どこからか情報がもれるはずだ。眠りにつくまえに、赤井には報告してあった。そのときには佐賀亮のマネージャーからも連絡をうけていたようで、意外に冷静な対応だった。内心、穏やかでないのはわかりきっていたが。

 それでも、佐賀亮が「シロ」だったと告げると、赤井の声音から強張りが薄くなったのがわかった。

 次の調査対象は『し』──ショージにするか、『す』──杉浦梨花にするか。

 流介は立ち上がり、身支度を整えた。

 二人と、それぞれのマネージャーの住所は赤井から聞いている。四人のなかで、この事務所から一番近いのは『す』本人だ。

 できれば、順番どおり『し』でいきたいところだが、ここは自然な流れに身をまかせることにした。



『す』の住むマンションは、一〇代の少女には不釣り合いなほど高級感に満ちあふれていた。父親が資産家で、幼いころから甘やかされて育ってきたということだった。アルバトロスの女社長・恩田が躍起になって売り出そうとしているのも、親の資産家から多額の寄付をもらっているからだと、赤井は語っていた。

 しばらくマンションの前で張り込んでいると、一台の車が近寄ってきた。すぐに犬飼の車だということがわかった。

「なぜ、ここがわかった?」

 助手席に乗り込むなり、流介は不審に思ったことを素直に問いかけた。

「どうでもいい質問だな。知りたくないのか? 昨日の悪ガキどもの話」

「聞かせろ」

 すでに佐賀亮は調査対象からはずれていたが、流介は耳に入れておくことを選んだ。犬飼が、わざわざ不毛な情報を伝えようとしているとは考えづらかった。

「あいつらは、あのイケメン君と面識はなかったようだ。もちろんヤクの関係もない」

 佐賀亮本人の主張と、流介の読みどおりの内容だった。

「ヤツら、真実を語ってるのか?」

「俺をだれだと思ってる。締め上げたから、それは大丈夫だ」

「事件にしなかったんじゃないのか?」

「ああ、事件にはしなかった。被害者が現場から自分の意志で消えてるし、訴えるつもりもないようだしな。やって来た警官も、俺が帰した。店のほうにも話は通しておいた。だが、それとこれとはべつだ」

「それで?」

 流介は、要点を急かした。

「ガキども、エクスタシーとアシッド持ってやがった」

 べつに驚くことでもなかった。ああいう連中は、ミントガムを噛む要領で、クスリをやる。

 ただし、流行遅れのアシッド(LSD)をやっていたのは、少し意外だったが。

「で、その出所が、渋谷にある合法ハーブの店だってよ。そこで買ったって」

「まだあんのか、そんな店?」

 驚きだった。

 一時期、かなり多かったそのテの店だが、いまでは取締りが厳しくなり、包括指定制度などの導入によって壊滅したと思っていたのだが……。

「法の抜け穴があるかぎり、なくなるわけがねえだろ」

 犬飼の言葉が、妙にしっくりきた。

 だが、驚くことがもう一つある。

「なんのための合法だ? 違法薬物をあつかったら、それこそ、すぐ検挙されるだろうが」

「だったら直接、店に訊いてみろ」

「それは、おれに調べろ、ってことか?」

「俺は顔が売れてるからよ。借りは返すもんだろ?」

「名前は?」

 犬飼から、店の名と、だいたいの場所を聞いた。

「ヒマがあったら、調べといてやる」

 そう言って車を降りた。

 その調査は、犬飼の利益になるばかりではない。たしか逮捕された加納正という俳優も、エクスタシー(MDMA)をやっていた。

 昨夜の彼らが持っていたものと、芸能界に流れているブツが同一のものであるかもしれない。

 犬飼の車が走り出してしばらくすると、一人の女性がマンションの入り口をめざして歩いてきた。

 サングラスをかけ、帽子を目深にかぶっている。あきらかに人相を隠そうとしていた。

『す』だ。

 一目で流介は、見抜いていた。100%の自信はないが。

 状況を簡潔に読み解くならば、『す』は朝帰りをした。早朝まで仕事だったことも考えられるが、その場合、マネージャーに車で送ってもらうだろう。

 おおかた、男のところに泊まり、その男が朝早くから仕事だったので送ってもらえず、やむなく電車かタクシーで帰ってきた。

 タクシーなら、マンション前までつけるだろうと思うかもしれないが、運転手に家を特定されたくないので、少し離れた場所で停めさせた。女性芸能人だったら、後者のほうが当たっているかもしれない。

 と──。

「おい、梨花!」

 マンションの入り口から、そのとき、男が出てきた。

 佐賀亮だ。とくに変装もしていないから、こちらは100%まちがいない。

 どういうことだ?

 芸能人同士の恋愛など、めずらしくはない。もちろん、相手が未成年であることを、淫行だと非難するつもりも流介にはなかった。

 だが、彼女は朝帰りをしてきたばかりだ。

 自動的に、佐賀亮が相手ではないことになる。それに昨夜の彼は、女と楽しんでいる余裕などなかったはずだ。なのに、まるで恋人の帰りを待ち焦がれるように、佐賀亮は飛び出してきた。

 二人の関係が気になった。

「あいつのところに行ってたのか!?」

「やめてよ! ストーカーみたいなこと!」

「あいつは、ダメだ!」

「こんなところで、やめて! わたし、将来があるんだから!」

『す』は、まわりを気にする素振りをみせたが、ほかに人通りもなく、流介自身も絶妙に監視できる場所を選んでいた。

 わずか安堵したようにため息をつき、彼女は佐賀の制止を振り切って、マンションのエントランスへ入っていった。オートロックなので、佐賀は玄関口までしか行けないようだ。

 きっと飛び出してくるまでは、そこの陰に隠れていたのだろう。

 佐賀亮は、悔しそうに徒歩でマンションをあとにしていく。フラれたということだろうか。

 その後も張り込みを継続し、一時間が経った。

 ようやく『す』が出てきた。

 学生服を着ている。もうすぐお昼だが、いまから高校に行くようだ。

 流介は『す』に走って近づいた。

 わざと激突する。

「いたっ!」

「すまん」

 倒れてしまった(倒した)彼女を、抱き起こした。

「な、なんなのよ!」

「悪い。急いでたんだ」

 ぶつかってきた男の人相が怪しいと判断したのか、『す』が警戒するように距離をとった。

「ち、近づかないで!」

 真正面から、彼女が睨んでいる。

 化粧はしていないようだが、まだ若いだけに充分美しかった。親のゴリ押し、ということを抜きにしても、スター性を感じさせる美貌だ。

「わたしが、だれだか知ってるわね!?」

「いや、すまない。怪我はない?」

 険しくなった彼女の表情が、ふいにゆるんだ。

「……ピーちゃん?」

「ん?」

『す』が、おかしなことを言い出した。

「あなた、ピーちゃんに似てる!」

「ピーちゃん?」

「小さいころに飼ってたインコ」

「は?」

 思わず、流介は表情を歪めた。

「い~い、ピーちゃんに似た痴漢さん。またわたしに近づいたら、警察に通報するかんね! わかった?」

『す』は、そのまま踵を返し、逃げ去るようにマンション内に戻ってしまった。

「……インコ?」

 流介は、だれもいない空間に問いかけた。

 答えは、永遠に返ってきそうもない。

 彼女の反応には納得できなかったが、目的は果たしている。

 一瞬のコンタクトで、主項目はチェックしていた。

 匂いは、タバコ。これは、赤井も語っていたように、未成年ということでは問題になるが、事務所も把握していることだ。マリファナ等の一線を越えたものはなかった。ほかの体臭は、香水などに邪魔をされていて判断はしきれない。

 瞳。しっかりと意志をもっていた。トリップはしていない。すくなくとも、いまは効いていない状態にある。

 鼻。正常。

 腕の注射跡だけは確認できていない。が、一七歳の少女がシャブやヘロインに手を出すとは思えない。もし手を出していたとしても静脈注射ではなく、アブリのほうだろう。それならば、香水に邪魔をされていても察知できる。

 以上のことから、可能性として、服用するタイプだけが残った。そうなると、やはり手軽なLSDとMDMAということになる。

 その二つ……。アシッドとエクスタシー。

 犬飼がもってきた情報が、やはり気にかかる。まさしく犬並の嗅覚で、犯罪をさぐり当てる職人だ。

 夜になってから、やっつけ仕事で調査しようと思っていたが、本腰を入れる必要があるのかもしれない。

 たしか、合法ハーブの店名は『ジュディ』と教えられたはずだ。犬飼との会話でもメモを取らないために、おぼろげでしかないが。

 むかしなら、記憶力には絶対的な自信があった。あの出来事がなければ……。

(もう一つ、引っかかる)

 衰えてしまった記憶力が、もう一つなにかを伝えようとしていた。

(なんだ?)

 フラッシュバックのように、いま見たばかりの『す』の美貌が浮かび上がった。

「彼女……会ったことがある?」

 いや、そんなはずはない。

 初めての体面だ。

 では、なにが引っかかる?

(ダメだ……本当に、ポンコツになっちまった……)

 どうしても思い出せない。

 流介は、『す』のマンションをあとにした。使いものにならなくなった記憶力に苛立ちながら……。

 芸能界に流れているのはMDMAだけではないが、MDMAが若者たちのあいだで流行しているドラッグであることに疑いようはない。

 渋谷の合法ハーブ店『ジュディ』と同じルートで、芸能界にも蔓延しているかどうかを最優先で調べることにする。


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