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引き金にかかった指の動きは、《怠惰》のほうが速かった。
狙われたのが杉浦梨花でなかったことは、幸運といえるだろう。弾丸は、流介の腹部に命中していた。
どう倒れたのかは、覚えていなかった。
映像で、はじめてわかった。
あまりの衝撃のため、後方へ倒れ込み、パーティ客の一人にぶつかっていた。
眼の前で発砲をかいま見た参加者たちが、いっせいにパニックをおこす。怠惰は、杉浦梨花を人質にしたまま、逃げようとした。
佐賀亮がそれを追いかけて、梨花の腕をつかむ。
今度は、銃口が佐賀に向いた。
流介は、あのときのことを思い出す。
銃撃をうけて後方に飛ばされたときにぶつかったのは、見知らぬ男だった。その男性客を下敷きにするように、倒れたのだ。男性は、そんな状況にもかかわらず、グラスを手に持ったままだった。
こぼれはしたのだろうが、まだなかにはシャンパンが残っていた。
流介は、そのグラスをひったくった。
一気に飲み干す。
アルコール。
すべてを賭けた無謀な行為。
トリップが、どちらに出るか!?
身体が、カッと熱くなった。
同時に、四種のクスリが再び眼を醒ます。
立ち上がろうと思うまえに、立ち上がっていた。
腹からは血を流しているはずだが、映像を見るかぎり、それを感じさせない立ち姿だった。
スタンガンをかまえる。
サングラスのなかの標的は、すでにロックオンされていた。
立ち上がったことに、怠惰が気づいた。
一瞬の隙をついて、佐賀が体当たりをくらわす。
怠惰が、梨花を放した。
銃口が、こちらを向く。
バンッ!
本物のような音を響かせて、新型のスタンガンが、火を──電流を噴いた。
魂を抜かれように、怠惰はその場に崩れた。
19時間後
「ダメよ、ちゃんと安静にしてなきゃ!」
ノックもなく病室に入ってきたのは、藤川めぐみだった。
彼女の病院だ。本来なら、通常の患者を受け入れる体制は整えていないはずだが、どういうわけか、ここへ入院していた。
個室内を見回してみても、窓は鉄格子で覆われているし、ドアも厳重な造りになっている。とても、ものものしい。心を落ち着けて安静にはしていられない。
「テレビも、ほどほどにしてください」
だが、ほかにすることがないから、めぐみの言葉は聞き流した。
今日一日、ニュースやワイドショーで、幾度も眼にした映像。
それでも観てしまう。自分の体験した出来事も、角度を変えるとおもしろく感じるものだ。
「へえ、あなたって、意外とナルシストだったんだ」
「なんだ、それ」
「自分の映像、何度も何度も」
アルバトロスの五階でおこなわれたパーティでの一幕。流介と《怠惰》の銃撃戦の模様だ。
あのとき、たしかに映像カメラが入っていた。どうやらそれは読みどおり、事務所の広報用のものだったらしい。その映像が、各局に渡ったようだ。
局や番組によっては、モザイクがかかったり、かかっていなかったり……。いまやっているワイドショーでは、かかっていない。
「不精髭を剃ってくれれば、もっとカッコいいのに」
それは、剃ったほうがわたしの好みだ、と言っているようなものだ。
あのあと、すぐに救急車と警察がやって来た。警察は最初、怠惰を撃った流介を逮捕しようとした。
が、当然のことながら、怠惰は死んでいない。スタンガンによって気絶しただけだ。倉庫でのこともあったので、威力をハードモードに変えていた。だから気を失わせることができたのだ。
流介の持っていたものがスタンガンだったことがわかると、怠惰のほうが、銃刀法違反と殺人未遂で現行犯逮捕された。
流介は、救急車で運ばれた。同乗しためぐみよって、救急病院ではなく、ここへ。
朝、眼が醒めたときには、もう弾丸の摘出は終わっていた。
もうそろそろ、捜査員が事情を訊きにやって来るころだとは思うのだが、いっこうにその気配はない。
「なあ、警察とか、来てないのか?」
「ここをどこだと思ってるんですか?」
逆に、問いかけられた。
ということは、彼女が故意にシャットダウンしているということだろう。それとも『日本ではない』ここを訪れることに、警察組織がしり込みしているのか。
「ここは安全なんですから、警察の眼もマスコミの眼も気にせずに、身体を治すことだけ考えてください」
映像が切り替わった。
アルバトロスの社長・恩田が会見をひらいている。
秘書の赤井──《怠惰》には、麻薬及び向精神薬取締法と、大麻取締法違反の容疑もかかっている。恩田自身も、一連の麻薬汚染に関わっているのかを追求されているのだ。恩田は否定している。実際は、どうだろう?
自社ビルをもち、いかにも羽振りがよかったアルバトロスという芸能事務所。赤井による麻薬マネーが流れていなかったとは、断言できない。
しかし、流介を雇ったのも彼女なのだ。
関係があるのか、ないのか……。
いまとなっては流介にも、それはわからない。ただ、恩田が演技しているようには、どうしても感じられなかった。
また、映像が切り替わる。
めぐみの顔色が、朱に染まった。
「消しますよ!」
リモコンを取られて、画面から映像がなくなった。
最後に映された光景は、怠惰の戦闘力を奪い、だが負傷によるダメージで倒れた流介を、杉浦梨花が抱き寄せるシーンだった。
ここは、話題を変えるしかない。
「捜査は、どうなってるんだ?」
「わたしは、医者ですよ」
まだ怒りが強く残っていた。
「なんとなくは、わかるだろ?」
「さあ。でも、麻薬取締部との合同捜査になるらしいです」
もともとは、麻取の潜入がおこなわれていたのだから、新庄会による麻薬ネットワークの壊滅は、麻取が陣頭指揮をとろうとするはずだ。デザイナーであった怠惰を逮捕したのは警視庁であるが、違法薬物の流通については、まったく把握していなかったのだから。
それに警視庁には、後ろめたさもある。一部の人間による押収薬物の横流し。どこまで上層部が絡んでいるのかわからないが、下手な動きをして、せっかく隠蔽したものを突っつかれたくはないはずだ。
そして、死亡したと発表した人間が生きていたことを、どうにか釈明しなければならない。いまは、そのことで頭がいっぱいのはずだ。
そのとき、めぐみのPHSが鳴り出した。
一般の携帯も使用許可にしている病院も増えたようだが、ここでは旧ルールのままのようだ。が、よくよく考えてみれば、ここは薬物中毒専用の病棟なのだから、そんな必要はあるのだろうか?
いまでは、ほぼ病院関係者だけしか契約をしていない年季物に、彼女は手をのばす。
「はい。どちらさま……」
すると、すぐにそれを流介に差し出した。
ますます、機嫌が悪くなっていた。
流介は、PHSを耳にあてた。
『生きてる?』
響野千鶴だった。
「それを確認したかったのか?」
『テレビ映り悪いわね。髭は剃りなさい』
「それは、もう言われてる」
『あら、いまの彼女に?』
流介は、相手にしなかった。
『一応、礼を言っておこうと思って』
「べつに、そっちに協力したわけじゃない。おれは、おれの依頼を遂行したまでだ」
『ま、それもそうね』
「これから、転属か?」
麻薬取締官は、同じ場所で勤務する期間はそう長くない。とくに千鶴のように潜入捜査を繰り返している者は、一つの大きな捜査が終わると、べつの厚生局へ転属する。
『本当は、そのはずだったんだけどね。予定が変わっちゃった。関越で、もう一仕事よ。聞きたい?』
まったく聞きたくはなかった。
『今度の潜入先は、ちょっとめずらしいわよ』
こちらの考えを無視して、千鶴は続けた。
『学校よ、学校』
「なんだ、それ?」
めずらしいもなにも、そんなことは可能なのか?
『これでもわたし、教員免許もってるの』
「そうなんだ」
適当に、応対した。
『あら、なんか興味なさそうね?』
「いや、おまえの先生姿が想像できないだけだ」
『それもそうね』
一瞬の沈黙のあと。
『あ、それと、あなたのお友達の大男が、わたしに会いにきたわ。そこには入り込めそうもないからって』
まちがいなく、犬飼のことだ。
「友達じゃない」
『彼ね、また遠くの僻地に左遷だって。だから、あなたによろしくって』
事件の解決によって、監察官の任を解かれたのか。
きっと、すぐに戻ってくるだろうが……。
あの男が都会へ舞い戻ったとき、それはすなわち、大きな事件が再び起きるときだ。
『じゃあね、またいつか』
「……」
通話は切られた。
もう会いたくはない──と最後に言おうとしたが、声にはならなかった。
視線を動かしたら、複雑な面持ちのめぐみがいた。
「いろいろと女の影があって、お盛んね」
「なんにもねえよ」
「あの娘も、面会に来たわよ」
「あの娘?」
「とぼけて……! アイドルだか、モデルだかの! もちろん、ここは閉鎖病棟だからって、追い返したけど」
「そうか」
鉄格子のはまった窓際に、花瓶が置かれていた。色とりどりの花が飾られている。
「それ、その娘から。いっしょに、いま騒動をおこしてる彼も来たけど」
「佐賀亮か?」
「あなたのおかげで、自分の問題への関心が薄れたって。お礼を言ってたわ」
飲み屋での暴力事件のことだろう。
「そのかわり、あなたが注目されちゃってるけどね。死んだはずの元麻薬取締官が、事件を解決したって。芸能界にはびこる麻薬シンジケートを潰した男」
「面倒だな」
「でもこれで、依頼が殺到しそうね。よかったじゃない。家賃もため込んでるでしょ、どうせ」
「面倒だ」
心底、そう思った。
「あ、でも、大丈夫かな。マスコミの関心がなくなるまで、ここに入院させるから」
めぐみの瞳が、なにかを企んでいるかのように、爛々と輝いた。
寒気を感じた流介は、べつのことを考えようとした。
さて……。
まだ、思い出さなければならない人物がいたような気がするのだが。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
あっさりと、流介はあきらめた。
「この携帯、少し借りていいか?」
「女にかけなければ、いいですよ」
「男だよ」
信用しているとはいいがたい表情のまま、めぐみは病室を出ていった。
流介は、気づかない。
入り口のわきには、入院患者の所持品を収納する棚が設置されている。棚の上──そこにあるものを。
自分の命を救ってくれたもの……。
* * *
流介が、いまだ思い出せない人物……。
沢村洋士は、ホテルの部屋で青ざめていた。
どのチャンネルをつけても、朝霧流介が解決した事件のことをやっている。自社のスタンガンが、何度も何度も映像に出てくる。
無断で部外者に使用させた責任は、重い。
「こりゃ、クビ、確実だ……」
タイミングを見計らったように、携帯が鳴り出した。
本社からだった。いまの時代、どうして携帯の電波は海をも渡ってしまうのだろう。
「は、はい……沢村です」
追い詰められすぎて、日本語しか出てこなかった。
『サワムラ、コッチデモ、ニュースニヤッテイル』
電話の相手は、上司だった。片言だが、日本語もできる。
『ハヤク、コッチヲカエッテコイ!』
こちらに合わせて、日本語で会話を続けてくれるようだ。が、助詞の使い方がまちがっている。言っている意味はわかるが……。
沢村は、覚悟を決めた。ついに、解雇通告をうけるときがきたのだ。
「ク、クビ……ですか」
それならば、いまここで言ってほしい。
『ナニテイッテルンデスカ? コッチヲタイヘンナコトニナッテルンデスヨ』
て・に・を・は、がバラバラだから、頭のなかで整理しなおさなければならない。
──なにをいってるんですか? こっちはたいへんなことになってるんですよ。
「た、大変って……なにがおこってるんですか!?」
もしや、自分の考えている不測の事態を、遙かに超えているのか!?
社の秘密を漏らした罪で、逮捕される……とか。
このまま逃げ出したかった。
『チュウモン、サットウネ。カッコクカラ、ショウヒンノトイアワセイッパイ。コレカライソガシクナルヨ!』
──注文殺到ね。各国から、商品の問い合わせいっぱい。これから忙しくなるよ!
「え!?」
それは、どういうことなのか……?
あの映像が世界にも発信され、新型スタンガンが人気沸騰中──ということか!?
たしかに、宣伝効果は絶大かもしれない。警察庁への売り込みは失敗だったが、これはもしかして……成功なのか?
「あ、あの……それじゃあ……ぼくは」
『カッコクヘノウリコミハタントウスルノ、キミネ! ハヤク、カエッテコイ!』
沢村は、大急ぎで帰り支度をはじめた。
エピローグ
老兵は去る。
本当に、去る日がやってきた。
自分のなかで、この日は永遠にやってこないのではないか──そんな思い込みがどこかにあった。
しかし、なにごとにも終わりはある。
これまで、人生のすべてを捧げてきたこの職業を、あとわずかの時間で、やめなくてはならないのだ。
「もしもし、麻薬・覚醒剤相談です」
『あの……』
例の母親だった。
昨日は電話がなかったから、決心がつかなかったのだとあきらめていたが、ようやく覚悟を固めてくれたのだろう。
「どうですか、タオルか下着を持ってくることは、できそうですか?」
『そのことなんですが……』
やはり、迷っているのだ。
だが心なしか、女性の声が明るく弾んでいるような。
なにか、あったのだろうか?
「どうかされたんですか?」
『はい。じつは……』
次になにを語るのか、固唾を呑んだ。
『ちがったんです』
「は、はい?」
『ですから、ちがったんです! 息子は、クスリに手を出していなかったんです』
興奮を隠しきれず、母親は言った。
前回の電話のあと、彼女はたまらずに、本人を問いただしたらしい。
またクスリをやっているんじゃないのか、と──。
『そうしたら、オレはやってないって』
その言葉だけを鵜呑みにするぐらいなら、はじめからここには電話をかけてこないだろう。ほかにも根拠はあるはずだ。
『あの子、下着だけじゃなく、尿検査でもなんでも受けるって、そう言ってくれたんですよ!』
「そうですか」
『それでですね、昨日はわたしの誕生日だったんですけど、あの子からプレゼントをもらったんです。海外旅行です。ヨーロッパ旅行の! いままで苦労をかけたからって』
このところ帰りが遅かったのは、本職以外にも、週の半分ほど、夜のアルバイトをやっていたからだそうだ。貯金をおろしたのも、プレゼントのためだという。
『汗は、もともとかきやすい体質でしたから──』
これまでの不安感から考えると、とても幸福に満ちていた。
「そうですか。では検査は、やめておきますか?」
『はい……、あの子を信じてみようと思います』
むろん、だからといって、息子の容疑が完全に晴れたわけではない。検査を受けると言ったのも、それで母親が納得するということを計算してのことかもしれない。プレゼントもカムフラージュのためかもしれない。
が……、自分も嬉しかった。
仕事最後の日に、希望に出会えたような。
この仕事をやってきて、よかった、と素直に思えた。
「旅行、楽しんできてください」
『ありがとうございました』
温まった心のまま、時計を見た。
もうまもなくで、終わる。
本当の、本当に……最後の仕事。
「もしもし、麻薬・覚醒剤相談です」
『もしもし』
「心配してました」
『最後の日、ですよね……』
伝えてはいないはずだが、鳥山はそれを知っていた。
「そうです。鳥山さんとこうして話せるのも、最後になります」
『おれはね、みんなに思われてるほど、強くはないんですよ……弱いんですよ』
ここまでの弱音は、聞いていて、つらかった。
「知っています。でも、あなたなら……おまえなら、大丈夫だ。みつけたか、白い鳥を?」
『捕まえた』
「どうだ、おまえは変われたか?」
『わからない。わからないよ……』
そのとき、受話器のむこうから、嗚咽がもれてきた。これまで泣くことのなかったあの男が、はじめて声をあげた。
「おまえなら、必ずまた羽ばたけるさ。流介! おまえは、《魔鳥》なんだから」
自分も、涙が止まらなかった。