表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/30

29/30

        29.9時間前


 探偵事務所は、警察に張られていた。昨夜の連中の一派だろう。発表とはちがい、死体はみつかっていないはずなので(あたりまえだが)、彼らも生きている可能性を考えているはずだ。

 次に、めぐみの病院へ向かった。が、そこにも警察の眼があった。めぐみとの関係は、調べられているようだ。

 強攻突入をして敷地内に入ってしまえば、むこうは手を出すことができない。しかし、わざわざ生きていることを知らせる必要もない。

 仕方がないので、アルバトロスへ行った。ここと新庄会が密接な関係であった場合、警察へも情報が筒抜けになる可能性がある。念のため、すぐ前にはつけず、少し離れた路上に車を停めさせた。

 道のことは知らないと自信なさげだったにもかかわらず、沢村はそつなく運転をこなしてくれた。

「悪いが、頼まれてくれないか?」

 運転手としてだけでもありがたかったが、流介はさらなる仕事を依頼した。

 沢村は、それも快く承諾してくれる。

「本当にいいのか?」

「まかせてください」

「いや……沢村さん、あんたは、無関係の人間だ。おれといっしょに行動する義務はない」

「乗りかかった船です。それに、どうせ日本での仕事はありませんし、暇なんですよ」

 仕事の内容はこれまでの時間で聞かされていたので、そうなんだろうな、と思うことしかできなかった。

「じゃあ、頼む」

「はい」

 屈託のない返事を残して、沢村は車を出た。アルバトロスのなかへと向かう。

 彼には、社長の恩田か、秘書の赤井に会って話をしてくるよう、お願いした。朝霧探偵事務所の人間だと嘘をついて、死んだ朝霧流介のかわりに、自分が調査を受け継ぐ──と。

 あくまでも生きていることは、伏せておくつもりだった。

 そのほうが動きやすい。そして、身の危険を少しでも減らすためだ。

 こうなったら、なんでも利用してやるつもりだった。

 沢村の協力もそうだし、敵がつくってくれたこの状況すら、こちらの有利に使わせてもらう。

 流介は、アルバトロスの自社ビルを眺めた。この芸能事務所には、なにかある。

 なぜ、犬飼はここを見張っていた?

 なぜ、ショージはここに潜入した?

 犬飼は不良警察官とはいえ、拉致をしかけてきた刑事たちの一派であるという可能性は、極めて低い。

 秋山の調べあげた一連の事件の流れは、沢村から耳にしている。自白剤で虚ろだったが、刑事たちとのやり取りからも推し量ることができる。

 それを真実だと仮定しよう。

 そんなことをする警官は、本来の一般感覚からいえば、許すことのできない汚職警官ということになる。しかし警察組織の常識からすると、正反対の見解となってしまう。

 警察のために裏金を稼いだのだから、それは正義となる。つまり彼らは、組織に忠実な模範警官ということになってしまう。

 犬飼は上司を上司とも思わないし、同僚も仲間だとは考えない。たとえ犬飼がそういう一線を越えたとしても、それは警察組織のためではなく、自分自身のためのはずだ。

 では、アルバトロスには、なにがあるのか?

 ショージが潜入先に選んだとなると、麻取も眼をつけていたことになる。

(デザイナー……)

 響野千鶴とショージが同じものをターゲットにしていたのかまでは不明だが、麻薬取締部は警察のように大所帯ではない。おそらく同じものを追っている。ということは、デザイナーはアルバトロスの近くに……。

 事務所の前には、人だかりができているようだった。人気のタレントでもいるのだろうか?

 沢村は、三〇分ほどで戻ってきた。

「どうだった?」

「いやあ、なかに入るのも大変でした。なんだか、ワイドショーのリポーターが大勢押しかけているみたいで」

 流介の脳裏に、佐賀亮の騒動が思い起こされた。

 きっと、あれが表沙汰になったのだ。

「社長には会えたか?」

「社長さんは、不在みたいです。赤井さんという人に会うことができました。言われた通りにやりましたけど、あまり自信ありませんよ」

「反応は?」

「朝霧さんが死亡したことに、とても驚いていました」

「信じてたか?」

「そうだと思います。なんせ、警察から発表されていることですから」

「いや、あんたが探偵だってことを」

「……どうでしょう」

 不安げに、沢村は声をあげた。

「このあとは、どうしますか?」

「千代田区役所に向かってくれないか」

「いいですけど、区役所になんの用があるんですか?」

「用があるのは、役所じゃない」

「では……?」

「関東信越厚生局麻薬取締部」

 九段にある区役所も入った合同庁舎の一七階に、麻取はある。

「わ、わかりました」

 昨日の捕り物で、ショージの潜入が解けている可能性がある。

 どこまでやるつもりかわからないが、徹底的にやるタイプの取締官ならば、整形で顔を変えることもありうる。いや、そうする覚悟がなければ、芸能人になるというような前代未聞の真似はしないだろう。

 ならば、こちらから見分けられるうちに、会っておきたかった。




        30.7時間前


 ビルに近づく男。内堀通りの歩道。

 スーツ姿。髪を七三に分け、まわりの通行人たちに溶け込んでいる。風貌から、区役所にでも行くのだろう──普通は、そう発想するものだ。

「ショージだな?」

 朝霧流介は、男の前に立ちふさがった。となりには沢村もいる。

「……やっぱり、生きてたんですね」

「幽霊かもしれない」

「そうかもしれないですね……背筋が、ゾクリとしてきました」

 丁寧な言葉づかいで、男は冗談に応じた。クラブ『フェニックス』で会った印象とはちがう。これが、本当の彼なのかもしれない。

「悪いが、つきあってくれないか。おれは、あまり人に見られたくない」

 男──ショージを、車まで案内した。後部座席に招き入れると、流介自身は助手席に座った。沢村は運転席に。

 スポーツカータイプなので、とても窮屈そうだったが、ショージからの不平は出なかった。そういう空気でもない。

「もう潜入は終了か?」

「私のほうは……。昨夜の段階で、あなたにバレたことがわかりました。いっしょにいた杉浦梨花さんと佐賀亮くんに話をされたら、もうショージとしてはいられません」

「杉浦梨花に容疑をかけようとしたのは、失敗だったな。それをしなければ、おれはだれにも言わなかった」

「元取締官だからですか?」

 それには、答えなかった。

 そう言われればそうだし、ちがうともいえる。

 彼らの仕事の邪魔だけはしたくない。とくに、おとり捜査というものは、つねに危険がつきまとう。自身でも苦い経験がある。元取締官という経歴でなくとも、事情さえ知っていれば、その判断をくだすだろう。

 が、なんの落ち度も(ああいうパーティに行くということはべつにして)ない人間が無実の罪でおとしいれられようとしているのなら、黙ってはいられない。

「彼女には悪いと思いました。しかし、いい社会勉強にはなったでしょう?」

「ふざけるなよ」

「あなただって、わかるはずだ。ああいう大がかりな捜査で、いざ踏み込んで、なんの成果もなかったら、それまでの苦労が無駄になってしまう。いえ、本当になにもなければ、それでいい。ですが、『検挙できる人間がだれもいなかった』なんてくだらない理由で、そんなことになってしまったら!」

 ショージ……だった男は、七三分けが似合わないほどに激昂した。

「で、どうだった?」

「テレビを観れば、わかるでしょう!? やってるのは、あなたのニュースと、佐賀の騒動だけですよ」

「空振りか」

「そうです。生贄にできそうな人間はいませんでした……おかげさまで、みんな『大物』ばかりでしたよ」

「売人や店の従業員は?」

「それは、今回の標的ではありません」

「どういうことだ?」

 すぐに、思い至った。

「千鶴か?」

「そうです……千鶴さんの手引きで、みんな逃がしています」

 それはつまり、昨夜の捕り物が使用者だけにしぼられたものだということだ。クスリを流している側への検挙を目的としていない。ということは、まだ潜入は継続されているということになる。

 ショージが最初に、私のほうは、と言った意味がわかった。

「デザイナーか? そいつを追い詰めるためだな?」

「ええ。店の連中や売人を逃がしたことで、千鶴さんへの信頼は、ゆるぎないものとなりました。本丸への道も開けます。正体すらわからなかった相手への道が……」

 本丸──千鶴が追っているドラッグデザイナーとは、いかなる人物なのか?

 そこまでの仕掛けをしなければ正体すらわからなかったとなると、恐ろしいほどに巧妙で狡猾、用心深い人間なのだろう。

「これで千鶴さんは信用され、必ずやデザイナーまでたどりつけるはず……」

 確信をもっているように、ショージは言った。

「おまえは、どうするつもりだ?」

「どういう意味ですか?」

「顔を変えるのか?」

「そうなると思います。いいですよ。この顔に愛着はありません」

 それは嘘だと、直観的に感じ取っていた。

「そこまでする必要があったのか?」

「あなただって、ずいぶん無茶なことをしてきたんでしょう? 千鶴さんから聞いていますよ」

「あの女ほど異常じゃない」

 本音だった。

「それもそうですね」

 ショージも驚くほどあっさりと、それを認めた。

 額に浮いている汗が、外からの陽光に照らされていた。どこか、落ち着きもない。身長の高いショージにとっては狭い場所だから、閉所恐怖症とも疑うことができる。

 しかし流介には、その変調の原因がよくわかった。

「話は終わりですか? でしたら、もう降ろしてください」

 流介は助手席のドアから外へ出て、シートを前に倒した。ショージが続く。そのまま歩き去ろうとしたショージの肩を、流介はつかんだ。

「まだなにか?」

「おまえ、やってるな?」

「……」

「いい病院を紹介してやる」

「知ってますよ、あなたの恋人がいる病院ですよね」

「そこへ行け」

「私なら、大丈夫ですよ。自分でなんとかできる」

 そう言って、できなかった人間を、何人も知っていた。

「顔を変えたら、きっと転勤です。べつの厚生局で、のんびりやりますよ。もう、あなたに会うこともない」

 一つのおとり捜査を仕上げた者は、ちがう局へ移動するのが通例だ。だが、たとえ地方に行ったとしても、忙しさや危険度が消えるわけではない。関東信越地区よりはマシだったとしても、ストレスが無くなるわけではない。日本全土が麻薬に汚染されている現状では、取締官が休める場所など、どこにもありはしないのだ。

 去っていくショージの後ろ姿を、流介はただ見送った。

 それは、かつての自分の姿であり、もし麻取を続けていたとしたら、まぎれもなく現在の自分自身なのだ。

 木菟ずく引きが、木菟に引かれた。

 潜入の過程で、薬物を摂取しなければならない状況がないともかぎらない。そこで拒絶したり、ためらったりしたら、命の危険にさらされる。ときには自分だけでなく、仲間の取締官におよぶことも……。ショージは、まさしく自分の身を犠牲にしている。

 一度、中毒に陥った者に、安息のときはない。治ったと思っても突然のフラッシュバックで、また薬物を求めてしまう。完治はしない。重く、禍々しい爆弾を抱えながら生きていくしか……。

 一生を──。

「朝霧さん?」

 沢村の呼びかけで、われを取り戻した。

 流介の胸中に去来したのは、ある思いだった。

(おれも、いっしょか……)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ