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        26.闇のなかにて


 どうしてこんなところで、身を屈めているのだろうか。

 場所は……よくわからない。

 海に面した倉庫街。深夜なので人通りはもちろんなく、暗黒の周囲は恐ろしいほどに孤独を訴えかけている。

 ここに来て、もう一時間近く経っているはずだ。

 朝霧流介が、私服刑事と思われる男たち数人につれられて、眼の前の倉庫に入っていった。

 どうしてこんなところに……。

 どうして、こんなことに──。

 沢村は、回想する。

 朝霧探偵事務所を見張りはじめたのが、夕方六時ごろから。事務所に人の気配がないことを確認してから、少し離れたところにあるコンビニの雑誌コーナーで監視をはじめることにした。なかの様子は、むろん窺い知ることはできないが、事務所のある雑居ビルへの入出は、そこでチェックできる。

 二時間ほど過ごしたのち、さすがに店員の眼が痛くなったので、外へ出た。電柱の陰で、さらに二時間。いったい、いつまでこうしていればいいのだろう──そう思いはじめてきたころに、一人の男の存在に気がついた。

 その人物は、さきほども前の通りを歩いていた。いや、よくよく思い起こしてみれば、コンビニにいたときにも見ている顔だ。

 二〇代後半から三〇歳ぐらいに見える。

 一見すると普通の会社員のようにも感じるが、男を注視していると、そうではないことがわかる。

 さりげなさを装っていても、挙動不審なのはあきらかだ。

 男は、朝霧探偵事務所の様子をうかがっていた。ということは、警察関係者……?

 なるほど、男が刑事ならば、あの動きは納得できる。

 同時に沢村は、肝を冷やす思いをした。

 こちらが気づいたのだから、むこうも、こちらのことに気づいているのではないか……。

 しかし、男にその様子はない。

 そういうものかもしれない。相手がプロであれ、いや、むしろそのほうが、逆に自分たちが監視されているという危険には無頓着なのではないか。

 どうやら男は、朝霧探偵事務所に人がいるかどうかを確認しているようだった。

 現在、なかにはだれもいないはずだ。

 おそらく、朝霧流介が帰ってくるのを待ち構えているのではないだろうか。帰ってきたときが、家宅捜索のときだ。

 男の存在にも注意しながら、沢村は見張りを続けた。男は、それからも数回、事務所の前を通過していく。すると一〇時過ぎに、見知らぬ若い男女をつれて、朝霧流介が戻ってきた。

 沢村は、そこで秋山に連絡をとった。

 朝霧流介が帰ってきたこと。刑事らしき男が、さきほどから事務所の様子をさぐっていること。それらを伝えた。

 いまは動くな。オレを待て。

 その指示に、沢村は従った。

 それから一五分ほどして、もう一人──二〇代後半ぐらいの女性がなかに入っていった。そしてその直後、黒塗りの車が二台、事務所の前に停車した。四人が降りて、雑居ビルへ向かう。あれが、刑事でまちがいないだろう。

 さらに二〇分近くが経ち、刑事たちに朝霧流介が連行されようとしている。

 事務所に仕掛けられた薬物は、秋山が回収しているはずなので、容疑はいったい何になるのか。公務執行妨害などを強引に適用し、なりふりかまわず逮捕したのだろうか。

 おとなしく朝霧流介は車に乗った。

 ここでまた連絡を取ってみた。しかし、秋山は出ない。

 車は、すぐに走り出す。

 奇跡のようなタイミングでタクシーがやって来たのは、まさしく奇跡だった。さらに奇跡は続いて、空車状態だ。

 そのタクシーで、刑事たちの車を追った。

 尾行に気づかれるかとヒヤヒヤしながらだったが、やはり、いつも尾行する側の人々は、逆に尾行されることなど想定していないらしい。

 ほどなくして二台の車は、ここへたどりついた。

 何度目かの連絡で、ようやく秋山に携帯が通じた。

『状況は、どうだ?』

「よくわかりません。彼が連れ込まれてから、三〇分ぐらい経つでしょうか」

『いま、そっちに向かってる。危険だから勝手に動くな』

「ここの場所は、わかるんですか!?」

 なんせ沢村自身も、よくわかっていない場所なので、彼女に教えようにも、それができないのだ。

『大丈夫だ。おまえの位置は把握してる』

 そう言うと、切れた。

 どういうことだ?

 思い至った。

 スーツのポケットをまさぐる。

 あのボールペンがあった。

(たしか、彼女に返したはずじゃ……)

 また、知らぬうちに仕掛けられていたようだ。別れ際にでも入れられたのだろう。

 倉庫の様子をうかがうために忍び込もうかとも考えたが、勇気が出なかった。闇のなかで、ジッと身をひそめる時間が続いた。

 一時間が経過しても、彼女──秋山がやって来る気配はない。朝霧流介は、いま何をされているのだろう。不安と恐怖が、胸をいっぱいにする。

 彼女の話では、すぐには殺さないが、いずれは殺すはずだ、と。

 尋問をうけたあと、朝霧流介は殺されるのだろうか?

 まさか警察が……信じられない自分がいるのと同時に、そこまでやるかもしれない、と思う自分もいる。もちろん、彼女の言うことを全面的に信用すれば……だが。

 秋山という女性は、本当に真実を語っているのだろうか。

 おかしくないか?

 なぜ彼女は、すぐに来ない!?

 どこかで会ったことがあると警視庁の前で思ったことが、ここにきて、どうしようもなく気になりだしていた。

 錯覚かもしれない、と簡単にやり過ごしていいものか……。もし会ったことがあるのなら、それはどこだ?

(あ……っ!)

 ひらめくものがあった。

 そのときだった。

 倉庫のなかから、男たちが出てきた。

 六人……。すると、倉庫のなかに、あらかじめ二人がいたということになる。そのうちの一人に見覚えがあった。事務所荒らしを雇ったと思われる男だ。渋谷のクラブにも出入りしていた。

 そして、その六人に引っ立てられるように朝霧流介も姿をあらわした。だが、どうしたのだろう。酩酊状態のように、足元がおぼつかない。昨夜よりも、ひどい状態だ。

 男たちに支えられて、歩かされている。

 なにかされた。薬物のたぐいを投与されたのか……。

 すぐに、彼ら自身の乗ってきた一台の運転席に、朝霧流介は座らされた。六人の刑事たちは、その車をゆっくりと押していく。

 前方は、真っ暗な闇だ。

 たぶん、海。遠くに、船の灯だと思われる光源がいくつか。

 爆音に近い落下音を響かせて、朝霧流介の乗った自動車は、奈落の海面へ──。

 ど、どうする!?

 秋山は、まだ姿をあらわさない。

 自分がどうにかしなければ、朝霧流介は死んでしまう。いや、どうにかしたとしても、死んでしまうかもしれない。

 刑事たちは、しばらく水面方向を眺めていたが、車が沈みきったのか、全員が踵を返していた。

 どうやら倉庫の陰に、車をもう一台用意してあったようだ。三人と三人に分かれて、男たちは去っていった。

 沢村は、海へ近づいた。

 暗くて、ほとんどなにも見えない。

 かすかに街灯の光が反射して、水面の様子がわかった。車は、水上からは消えていた。

 どうする!?

 このまま、見殺しにするか!?

 自分は、もともと傍観者だ。

 物語の登場人物ではない……。

「クソッ」

 下品な言葉が口をついた。

 こんなことを声に出したのは、子供のとき以来だ。

 ここから飛び込めるだろうか!?

 飛び込んだ瞬間に、自分も、この物語の登場人物になってしまう──そんな気持ちが大きく膨れ上がっていた。

 どうすべきか!?

(どうにでもなれ!)

 答えが出るまえに、飛び込んでいた。




        27.埠頭にて


 荒く息を吐いていた。

 自分がなにをしたのか、まったく思い出せない。

 ここは……そうだ、海沿いの倉庫街。

 海に飛び込んだ。

(ぼくが……)

 まぶしい。いや、光は頭上の常夜灯だけだ。本来なら、まぶしいはずがない。なのにそう感じるのは、とても暗い場所にいままでいたからなのか……。

 暗い暗い海の底。

 そこに自分はいた。

 どうやって、戻ってきたのか。

「おい、わかるか?」

 女性の声が、鼓膜を揺らす。

 正直、耳障りだと思った。

「おい!」

 もう一度。

「わ、わかります」

 沢村は応えた。

 女性は、声が……いまの状況が、わかるのかと問うているのだ。

 わかるようになってきた。

 朝霧流介を助けるために、海中へ飛び込んだ。

 結果は知らないが、どうやら自分だけは陸へ戻っている。

 朝霧流介は、どうなったのだ!?

「息はある。リュウさんは、無事だ」

 そう言った女性のほうに顔を向けた。

 女性の身体も濡れていた。女性の見ている視線のさきに、朝霧流介が横たわっていた。

「あなたに……助けられたんですか?」

 呆然と、沢村はたずねた。

「ちがう。リュウさんを救ったのは、おまえだ」

 本当だろうか……助けようと海に飛び込んだところまでは、われながらカッコよかったと思うが、力およばず、運よく到着した彼女がどうにかしてくれたのではないのだろうか。

 だから、彼女も濡れている。

「とにかく、ここを移動しよう。手伝え」

 すぐ近くには、彼女の車が停まっていた。

 朝霧流介を運ぶのを手伝え、ということらしい。

 助手席のシートを倒して、後部座席に彼を寝かせた。シートを戻すと、そのまま助手席に乗り込んだ。外と同じように、潮の香りが消えない。みんな海水につかっているから。

 それから、一時間ほど移動した。

 ついたのは、住宅地の商店街だった。

 時間も時間だからなのか、それとも、もともとそうなのか、すべての店舗が閉まっている。受けた印象からは、みんなつぶれている、と感じた。

 そのうちの一店舗──。

 下りているシャッターを、運転席から出た秋山が開けた。

 そこは、もとは八百屋らしかった。

 二人がかりで朝霧流介を店舗のなかへ入れた。

 電気がつけられる。やはり、すでにつぶれているようだ。

 野菜を陳列するはずの台に、朝霧流介を寝かせた。

 奥から、秋山が毛布を持ってくる。

 朝霧流介にかぶせた。まだ意識は戻っていない。

 それからすぐに、彼女はタオルも持ってきた。

「ここは?」

 タオルを受け取りながら、沢村は問いかけた。

「大型スーパーができたおかげで、過疎になった商店街だ。管理している不動産屋が知り合いなんだ。隠れ家として使ってる」

「あなたのこと、思い出しました」

 脈絡がないと感じたが、かまわずに話を続けた。

「なんのことだ?」

「ぼくは、あなたに会ってます。霞が関以外で」

「勘違いだろ」

「いえ、ちがいます。あなたとは──」


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