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17.30時間前
「で、きみは、ショージから彼女を引き離したいんだな?」
「そうだ」
住宅街のなかにある小さな公園に場所を移し、流介は佐賀亮と具体的な話を進めた。公園からは部屋の窓は見えないが、駅および幹線道路に続く道がすぐ前を走っているので、ここにいれば、徒歩にしろタクシーを使うにしろ、出てきても見逃すことはない。
流介は、昨今の芸能界に蔓延する薬物疑惑についても、率直に質問した。身近に関わっている人間はいないのか、佐賀亮自身が過去に手を出したことはないのか。
会話が会話なだけに、まわりに声がもれないよう気をつけた。
公園には、ほかにだれの姿もなかった。落ち着いて話すために、ベンチへ座るようにうながしたが、佐賀は立ったままだった。流介も、それに合わせた。
その立ったままの会話のなか、佐賀は断じて違法薬物を使用したことはない、と言い切った。そして、よく知っている友人にも、常用者はいないということだった。捕まった加納正とは、仕事での面識はあり、何度か飲みに行ったことはあったが、それほど深く交流はないという。
しかし、一度だけならやったことがある、という人間は知っている、とも述べた。とはいえ、それが真実なのかは疑わしいという。ハクをつけるために虚勢を張る者も、タレントやモデルには多いという。
そういうケースでは、名前に出るのは、ほとんどがマリファナだそうだ。たしかに大麻類は、ほかの薬物より気分の浮き沈みが穏やかで、個人差もあるが、幻覚なども見ることはない(めぐみが語っていた『バッズ』などは除いて)。
容認派のカタをもつわけではないが、タバコとそう変わらない。偽りの体験を口にしたとしても、バレることも少ないだろう。
佐賀も、芸能界の麻薬事情には気をつけているそうだ。そういう誘いはいまのところないとはいえ、いつ目の当たりにするかわからない。が、実感として、自分とは遠い世界のことだ、という気持ちが大きいらしい。だから薬物疑惑をかけられたことに、とても驚きと戸惑いがあるという。
問題の『し』についても、確信があるわけではないということだった。同じ事務所なので会ったことは何度もあるが、べつに仲がいいわけでもなく、俳優業メインの佐賀と、バラエティ中心の『し』では、仕事でいっしょになることもほとんどないらしい。
ただ、いくつかの悪い噂を聞いたことがある──と、佐賀は言った。パーティと称して怪しげな集まりがあり、そこでは危ないクスリや、女、男、金が飛び交っていて、ショージもそのメンバーであるという。
パーティには、タレント、モデル、IT企業の社長、ファッション誌編集長、政治家の子供、若手官僚、開業医などの、いわゆる特権意識の強い人種が多数、名を連ねている。ゆえに、その集まりを『貴族会』という。
響野千鶴が口にしていたパーティと、おそらく同じものだろう。
「どうして彼女は、ショージとつきあうようになった?」
「仕事でいっしょになったとき、パーティの話をされたらしい。梨花は、まだ好奇心の強い子供だからな。まともでない世界のことが、魅力的に見えるんだろ」
『す』は、バラエティタレントというわけではないそうだが、女優というわけでもない。いまはまだ手始めで、事務所としても模索しながら売り出しているという。そういえば赤井の話では、もともとアルバトロスは男性モデル専門だったために、女性タレントのノウハウがなく、苦戦していると語っていた。
「きみと彼女は、どういう仲なんだ? 妹みたいな、と言ってたな」
「彼女の親とオレの親が、知り合い同士なんだ。小さいときから知ってる」
幼なじみということか。
たしか『す』の親は、かなりの資産家で、アルバトロスにも多額の支援をしているはずだ。その知り合いということは、佐賀の実家も裕福ということになる。
「なあ、あんた……力を貸してくれるんだろう?」
「きみはどうしたいんだ? 彼女を『し』から──ショージから救いたいのか、危ないクスリをやってるかもしれないパーティから遠ざけたいのか?」
「どっちもだ」
「もうやってたら、どうする?」
「あんたは、どう思うんだ?」
「昨日接触したときには、匂いはなかった。マリファナや、覚醒剤などのアブリはやってない。だが、ほかのはわからん」
流介は感情を加味せずに、現在ある材料から事実だけを口にした。
「ほかには、どういうのがある?」
「最近騒ぎになってるMDMAなら、カプセル剤や錠剤で一般薬のように飲む。だが、口からの臭気まではチェックできなかった」
心のなかだけで、そんな匂いを嗅ぎ分けられるのは、おれか麻薬犬ぐらいだろうが、とつけ加えた。
「ヘロインは、静脈注射だったら、注入箇所を見なければ、やはりわからない。ただしポンプは、確実に人格を壊す。普段の様子を知っていれば、変化はすぐにわかるはずだ」
「コカイン、っていうのもあるんだろ?」
「思い当たることでもあるのか?」
「い、いや……梨花が言ってたことがある。コーラって、むかしはコカインっていう麻薬が入ってたのよ、って」
それは事実だが、遥か大むかしの話だ。
「コカインは、日本ではマイナーだ。彼女がやっている可能性は低い」
ちなみに、コカインをタバコ状にしたクラックは、やはり煙をともなうので、匂いが残る。直接鼻から吸い上げる摂取方もあるが、粘膜が炎症を起こし、鼻が赤くなる。だからこれも見ればわかる。
「いまから確かめてやる」
決意するようにそう言うと、佐賀は足を公園の外へ向けた。
流介はなにも言わず、あとをついていく。
アパートの入り口に近づいたとき、なかから二〇代とおぼしき男が出てきた。キャップをかぶり、サングラスをしているから断定はできないが、おそらく『し』だ。佐賀も、そう判断したようで、いまにも飛びかかりそうに駆けだした。
腕をつかんで、それを制した。
「まて」
小声で、そう囁きかける。
『し』は、こちらには気づいた様子もなく、反対の方向へ歩いていく。その手では、車のキーがもてあそばれていた。
どうやら、駐車場から車を取ってくるつもりのようだ。
『す』の姿はない。自家用車で仕事に向かうのか、彼女をつれて、べつのどこかに行くのか……。どちらにしろ、いま『す』は一人で部屋にいるということになる。
「行くぞ」
アパートの階段に視線を向けた。
流介が踏み出すよりもさきに、佐賀が先陣をきっていた。
二階にある『し』の部屋へ急ぐ。
ノックもせずに、佐賀は扉を開けた。
が、鍵がかかっている。
ドンッ、ドンッ、と佐賀は腕をぶつける。
「おい! 梨花、いるんだろ!? 開けろ、オレだ!」
亮ちゃん……と、なかから声が聞こえた。
その直後、ガチャ、と音がした。佐賀はノブを回し、扉を開け放った。
「梨花!」
「な、なんなのよ、こんなところまで!」
「いいから、見せてみろ!」
「な、なによ!?」
佐賀は、彼女の左腕をつかんで、肘のつけ根までシャツの袖を上げた。どうやら、注射の痕らしきものはなかったようだ。
「朝霧さん、匂いは!?」
「しない」
簡潔に、流介は答えた。
が、こうつけたした。
「腕に注射するとは限らないぞ。かなりの常習者でなけりゃやらないとは思うが、足首も見ろ」
発覚を避ける目的だけでなく、注射を打ちすぎると、表在静脈が出なくなり、やむなく打つ箇所を変える常用者も多くいるのだ。
それを聞いて佐賀は、今度はしゃがみ込んで、パンツの裾を上げた。
「や、やめてよ、やらしいわね!」
しかし、丈はもともと短かったので、わざわざ上げるまでもないようだった。左右の足をくまなく観察して、佐賀は「シロ」と断定したようだ。
安堵したような顔を向けてきた。
可哀相だったが、現実を突きつけた。
「いまやったチェックは、所詮、気休めだ。クスリの摂取法は、数限りなく存在する。おれの知らない新種だったら、匂いも当然わからない」
「ど、どうすればいいんですか!?」
投げやりに、佐賀は言った。
「いま効いている状態かどうかは、わかる。眼を見ろ」
佐賀は、すぐに立ち上がり、彼女へと向き直った。
「弱いものならべつだが、トリップしてたら視点に異常がある。おまえをしっかりとみつめ返していたら、大丈夫だ」
「やってないんだな!?」
佐賀は、彼女に念を押した。
「いったい、なんのつもりよ!?」
「クスリだよ! ショージとつきあうのは、ヤバいって忠告したろ」
「バッカじゃないの。わたし、これからショーくんとデートなのよ」
『す』は言った。しかし、これから『し』は仕事が入っているはずだ。
「どこに行くって?」
流介は、問いかけた。
「だれ、このオジサン?」
「この人は──」
佐賀が紹介しかけたが、流介はそれを手でさえぎった。
「昨日、会ってる」
「……ああ、ピーちゃん!」
どうやら、思い出してくれたようだ。
「彼、これから仕事が入ってるよね?」
「そうだよ。でも、簡単な雑誌の取材だから、すぐに終わるの。そのあと、つれてってもらうのよ」
「どこにだ!? あやしげなパーティだろ!?」
佐賀が激昂した。
「もう! いいかげん、アニキづら、やめてくんない」
さらに佐賀が食ってかかろうとしたが、ブーブー、というクラクションの音に機先を制された。
「わたし、もう行くから」
そう軽い口調で言うと、彼女は靴をはいて玄関を出る。流介と佐賀は、それに押し出されるように後退した。
「お、おい!」
鍵を閉めると、佐賀の制止も聞かず、彼女は去っていった。
部屋の鍵がついていたキーホルダーには、ほかに動物の人形がついていて、あきらかに女性のものだということがわかる。スペアキーを受け取っている仲ということになる。
佐賀は、どうするのか、という眼で流介を見ていた。
「ここまで、なにで来た?」
「え?」
「車は?」
「いや、オレは運転できません。仕事の移動は事務所の車ですが、プライベートでは普通に電車を使ってます」
意外だった。車を運転できない、というのもだが、彼はまるで変装もしていないし、これで電車に乗ったら大騒ぎになるのではないか。
「けっこう、バレません」
流介の思いを悟ったのか、佐賀は続けた。
「じゃあ、電車で行くか」
「どこへですか?」
いつのまにか、佐賀の言葉づかいが丁寧なものになっていた。これが、本来の彼なのかもしれない。
「ショージは、どこで雑誌の取材を受ける?」
「たぶん、事務所だと思います。収録や撮影があるときは、テレビ局や撮影所でやることが多いですけど……。でも出版社によっては、ホテルで、っていうこともあります。事務所に確認してみましょうか?」
「たのむ」