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        16.31時間前


『さ』こと、佐賀亮はシロと断定した。

『す』──杉浦梨花は、クロにつながるものはなにもないが、シロと判断するにも材料がたりない。

 明るいグレーといったところだろう。

 もう一人の調査対象──『し』については、まだ手つかずだった。犬飼のことがあったため後回しにしていたが、ここらで本題に戻らなければならない。

 発作のためにさだかではないが、あのとき──クラブで売人・我夢ガムが相手をしていたのは、『し』ショージに見えた。しかし芸能人が、あんな人目につくところで、軽はずみな行動をとるだろうか?

 とはいえ、クスリ依存者の場合、そんな常識など通用しないのも事実だ。

 流介は、吉祥寺を訪れていた。『し』のアパートがある。タレントの住居という感じはしない。名前こそ『パルテノンマンション』となっているが、あきらかに安アパートだ。パルテノン、という大袈裟な名称も、逆に軽っぽい印象をあたえている。

 赤井の話では、非常に多忙で、ほとんど部屋にはいないということだった。帰ってきても、二、三時間眠って、すぐに仕事へ向かっているようだと。

 しかし今日のこの時間は、仕事があいているはずだった。三人のスケジュールは、頭のなかに入っている。ただし、本当に頭のなかだけなので(メモはとらないため)、確実なのかと問われれば、それなりの自信しかなかった。

 時間は、午後二時を少し過ぎている。

 夕方六時からは、雑誌の取材が入っていると記憶している。おそらく、五時ぐらいまでここにいるはずだ。

 来たばかりだが、すでにマンション周囲の様子はうかがいおえていた。肌で感じるかぎり、違法薬物が出回っている雰囲気はない。平和な、どこにでもある町並みだ。

 自宅の近くで違法薬物の調達などしないだろう、と思うかもしれない。が、重度の中毒者になると、移動するもの面倒になる。すぐ手に入る場所へ住居を移りたくなる。捕まることを恐怖に感じなくなり、それよりも、クスリが切れることを恐れるようになる。

 部屋は二階。流介は、ささやかなベランダが見渡せる場所に立っていた。カーテンは閉められていないが、窓から『し』の姿は見えない。

「ん?」

 いや、だれかの影が見えた。

 なぜ『し』ではなく、『だれか』なのか?

 それは、その影が、あきらかに女性のものだったからだ。

 人物の特定までは、この位置からはできない。恋人だろうか……だとすれば、その彼女の素性も知っておきたかった。

 流介は、マンションへ近づくことを考慮した。しかし窓を見るには、ここしかない。これ以上、近づいたところで、部屋のなかに入れるわけでもない。それよりも、女性が出てきたところを尾行するほうが得策だ──そう結論を出した。いや、出しかけたとき、すぐ横を通りすぎた者がいた。すぐに、それがだれなのかわかった。なんの変装もしていないからだ。

 佐賀亮だった。

 彼の家からは遠い。偶然、通りかかったのではないだろう。同じ事務所なのだから、友人関係ができあがっていても不思議ではないが、なぜだかちがうと感じた。

 一瞬だが、表情が見えた。

 とても険しい……。

 脳裏に、昨日の『す』のマンション前でのことが浮かんでいた。自然と、さきほどの女性の影が『す』ではないかと思いはじめていた。

「きみ」

 呼びかけた。賭のようなものだった。

 佐賀亮は、足を止めた。

 振り返った顔は、見間違いではなく、とても険しかった。

 顔面の腫れは、もうほとんどわからない。

「あなたは……」

 佐賀亮は、思い出そうとするように、そうつぶやいた。知っている顔だということはわかるようだが、人物の断定までにはいたらないようだ。

 一昨日の晩は、だいぶ酔っていたようだし、一度しか会っていない人間の顔を覚えていなくても責められはしない。

「あ」

 数秒ののち、ようやく思い出したようだ。

「あのときの……」

「奇遇だね」

 流介は言った。一応は、演技したつもりだった。たしか、バーの下で経営している貿易会社かなにかの社長だと嘘をついていたはずだ。

「何者だ?」

 佐賀亮は、警戒するように距離をとった。

 流介は、演技を続けた。

「どうしたっていうんだ?」

「あのバーの下は、会社なんかじゃない。マッサージ店だったはずだ」

「……」

「それにあんたのナリ、社長って風貌かよ」

 それについては、言い返すことができない。

 咄嗟の嘘だったのだから、バレるのも、こんなものだろう。

「雑誌記者か?」

「そうだ」

 そう答えておくことが無難だと判断した。

 だが、またしてもプランが狂った。

「嘘だ」

「おい、いま自分で予想したんじゃねえか」

「記者なら、もうとっくにあの夜の一件が、表に出てるはずだ」

「たぶん、今夜にも騒ぎだすんじゃないか」

 それは、まったくの当てずっぽうだったが、けっして遠くない目測だと思った。

「いいや。あんたがマスコミのたぐいなら、きっと昨日の朝には報道されてた」

 鋭く威嚇するような視線が、正面から向かってくる。

「暴力団か!?」

「は?」

 流介は自分でも、間の抜けた声をあげてしまったな、と感じた。

「オレたちの弱みを握って、事務所に金を要求するつもりだな!?」

「おい、おれがそんな人間に見えるかよ」

「見える!」

 キッパリと言われた。

 見えているのなら、仕方がない。

「ここでも、オレのことを張ってたのか!? それとも──」

 佐賀は、そこで言葉をさえぎった。

 なにを続けようとしたのか……。

 いま彼は、オレたちの弱みを握って、という表現をした。

「たち」をつけたのは、どういうことか。おのずと、答えも見えてくる。

「やっぱり彼女か、あそこにいるのは」

 そう言いながら、『し』の部屋のほうに顎をしゃくった。

 その途端、胸ぐらをつかまれた。

「おい! オレのことはいい! だが、彼女にヘンな噂をたてたら許さねえぞっ!」

「放せ。おれは、怪しい者じゃない」

「信じられるか!」

「安心しろ。おまえと彼女がつきあってることなんて、なんの興味もない」

「オレと梨花がつきあってる!?」

 眉根を寄せ、佐賀はとても困惑しているようだ。

「どうして、そうなるんだ!?」

「彼女のマンション前で、喧嘩してるのを見かけた」

 流介は脚色なしに、あのとき眼に入れた光景をそのまま言葉にのせた。

「そんなところでも張ってたのかよ!」

 心の底から、呆れているようだった。

「梨花は、妹のようなものだ。だいたい、まだ高校生じゃねえか」

 意表を突かれる常識的なセリフだった。

 流介のどこかで、芸能人なんて一般の常識を持ち合わせてはいない、と勝手に想像していた。

「じゃあ、あの男か?」

 流介は部屋に眼を向けた。窓からは、だれの姿も見えなかった。

 つきあっているのは、『し』のほうか。

「ショージの野郎は、ヤバい……」

「どうヤバいんだ?」

「梨花が、ガラの悪い連中と関係があるって噂も、ショージのせいなんだよ!」

「やってるのか?」

「なにをだよ!?」

「クスリだ」

「あ、あんた……本当に何者なんだ!?」

「おれは、麻薬取締官だ」

「ま、麻薬取締……」

「そうだ」

「ま、また嘘だろ!? 身分証、見せろよ! 警察手帳みたいなの、あるんだろ!?」

「バカか。麻取は厚生労働省の職員だ。警察とはちがう。捜査するときに身分の割れるものは、なにも持たない」

 当然、でっち上げだ。潜入捜査のときなどはべつだが、こういう通常捜査のときに持っていないわけがない。

 しかし佐賀にはむしろ、リアリティをあたえたようだ。

「そ、そんな……」

「おまえと彼女と、ショージの三人を捜査してた」

「オ、オレは、クスリなんてやってない!」

「わかってる。もう確認済だ。おまえは、ただ酒癖が悪いだけだ」

 その声は、彼の耳に届いていないようだった。『し』の部屋を心配げに見上げていた。

「おたくらの、事務所の社長に依頼されたんだ。三人を調べてくれってな」

 この男には、本当のことを言おうと決意した。ただし、肩書だけは大嘘だったが。

 さすがに、麻取がだれかに依頼されて動くというのには無理があったが、素人になら通じるだろう。

 ここまで告白してしまえば、べつに探偵だと名乗ったところで、さしつかえはないのだが、あくまでも身分を偽りつづけた。

 意地のようなものだった。


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