表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/30

 1

       プロローグ


 白い世界……。

 ただ一羽の鳥が飛んでゆく。

 白い鳥。

 どこへ──。



 街灯の輝きから急かされるように、男は弾丸を込めていた。

 この明るさは、幻覚か?

 一発。

 特殊なサングラスをかけているのに、光がダイレクトに眼を刺しているかのようだ。たんに、まぶしいからなのか、禁断症状が出ているからなのか……。

 二発。

「おい、止まれ」

 そう声をかけられた。狭い路地に、数人の護衛が待ちかまえていた。政治家の口約束のように、予想どおりだ。

 護衛といっても、まともな人間を守っているわけではない。

 彼らは、男が手にした拳銃に気づいたようだ。緊張を表情にはしらせる。

「こ、こいつ、チャカもってるぞ!」

 三発。

「おい! 来るなっ!」

 男は、無視して前進を続ける。

 四発。

 拳銃の形をした「これ」の名前は、知らない。聞き忘れた。リボルバーを模したものだということと、基本操作しか聞かされていない。込めている弾丸も、特殊なものらしい。

 五発。

「それを地面に置け!」

 護衛が特殊警棒を抜いた。格闘術におぼえがあるようだ。かまえが堂に入っている。

 六発──すべての弾丸は込められた。

 あとは撃つだけ。

〈ドンッ〉

 引き金を絞ると、炸裂音が轟いた。

 本物に近い響きがあった。

 警棒を振りかざしていた護衛の身体は、おもちゃのように崩れ折れた。

「ほ、本当に撃ちやがった!」

 同じように特殊警棒を握った二人。

 サングラスに、標的が映りこむ。

 ドン、ドン、と立て続けに銃弾を放った。

 おまけに一発。さらに加勢しようとしていた一人──計四人を戦闘不能に追い込んだのだ。

「や、やめろ!」

 切羽詰まった声が、かなり前方からあがった。

 路地の入り口付近。銃口が、男を狙っていた。この状況では、法律を遵守する見せ掛けなど役に立たないと踏んだのだろう。

 ためらいはなかった。男は、生理現象のように弾丸を撃ち込む。

 勝算はあった。むこうの本物よりも、こちらのほうが、絶対に速い。

 簡単な物理法則だ。

 案の定、敵は瞬く間に倒れていた。

 路地に邪魔はいなくなった。

 男は前進を再開する。表通りへ向かって。

 その途上、これまでのことを回想した。長いようで短い数日間だった。




        1.72時間前


 夜九時。その日は朝のワイドショーから、ある芸能スキャンダル……いや、ある事件がトップニュースで報じられていた。昼、夕方のワイドショー、さらに夜のニュースでも同様の騒ぎだった。

 若手人気俳優の加納正が、通り魔傷害事件をおこしたのだ。逮捕された加納からは薬物反応があり、自宅からは覚醒剤と合成麻薬MDMAがみつかっていた。

 このところ、芸能人による違法薬物事件があとを絶たなかった。数日前には、元アイドルが大麻所持で捕まり、一週間前には、中堅クラスの芸人がコカインの所持容疑で逮捕されている。

 芸能界全般に、種類を問わず、薬物が蔓延しているといえた。

「勝手にやってろ」

 テレビを観ながら、朝霧流介はつぶやいた。狭い事務所に置かれた小さなテレビだ。リモコンを手にして、流介は電源をオフにした。

 テレビ画面から、視線を窓の外に向けた。

 窓ガラスに、自分の容姿が反射していた。

 ずいぶん、落ちぶれたもんだ──そう素直に思えた。

 むかしは、もっと小綺麗にしていたものだが、いまでは不精髭が肌に貼りついている。髪形もボサボサだ。

 どこからどう見ても、犯人顔だった。

 電話が鳴り出したのは、自分の風貌に苦笑いを浮かべたときだった。すぐに出たのは、ベルの音が鬱陶しかったからだ。自分からは語りかけなかった。

『もしもし? 朝霧さんですか?』

 声は、三〇代ぐらいの男性のものだった。

「そうだ」

 無愛想に、流介は答えた。

『あの、依頼をお願いしたのですが……』

「うちは、高いぞ。悪いことは言わん、ほかをあたれ」

『あ、い、いえ……』

 相手は困ったように、どもってしまった。当然か。こんなことを言う人間は、商売人としては失格なのだから。

『ぜ、ぜひ、朝霧さんにお願いしたいのです! 直接、お会いできないでしょうか!? こちらから出向くべきなのは承知しているのですが……できれば、こちらのほうにいらしていただきたいのです。も、もちろん料金は、充分にお支払いしますから!』

「本気か? うちは調査員もおれ一人、上等な依頼を引き受けるような探偵事務所じゃない」

『そ、そんなことはありません! あなたの経歴は調べさせてもらいました。秋山さんの言ったとおりでした。朝霧さんこそが、ベストの人選だと思います』

「秋山?」

 なつかしい名前が出た。

『はい、そうです』

「会ったのか?」

『いえ……電話です。いろいろ、そっちの世界に詳しい人をあたっていたら、秋山さんに行き着いたんです』

 用心深いあの男のことだから、素性を明かして人と会うことはないはずだ。

『お、お願いできませんでしょうか!?』

「いつがいい?」

『ひ、引き受けてくれるのですか!?』

「話を聞いてからだ」

『あ、ありがとうございます!』

 声は、まったくもって気が早かった。話を聞いてからと言ったのに……。

『今日、これからというのは、ダメでしょうか!?』

「いまから?」

『はい! そちらの都合がよろしければ』

 そんなに切羽詰まった依頼なのだろうか。

 秋山からの紹介ということは、「アレ」についてか。流介の脳裏には、いま消したばかりのニュース映像が浮かんでいた。

 予想が当たっていれば、依頼主は、芸能事務所のどこか……だ。

「わかった。場所を教えてくれ」

 声が告げた住所は、やはり、とある芸能事務所だった。

 一時間ぐらいかかる、と伝え、流介は電話を切った。

 それから五分ほど、立ち上がることはなかった。ようやく腰をあげると、重い足取りで歩き出す。

 白い鳥。

 飛んでゆく。

 一瞬、そんな幻が見えたような気がした。



『アルバトロス芸能事務所』は、青山の一等地に自社ビルをもっていた。外観も立派で真新しい。大きさも、二流ホテル並だ。

 回転扉を抜けると、広々としたエントランス。高さも二階分はあるだろう。外から数えたところ、六階建てのようだったから、ここを差し引けば、実際は五階建てということになる。

 場に合った美しい受付嬢に名前を告げても、すぐには通してもらえなかった。あきらかに、うさん臭そうなものを見る眼差しで睨まれてしまった。清楚な顔だちが台無しだった。

「あ、朝霧さんですか!?」

 受け付けに、一人の男がやって来た。さきほどの電話の声だった。最初に聞いた印象どおり、三〇半ばの真面目そうな男性だった。公認会計士か司法書士の事務所にいけば、こんな外見の男ばかりだろうと、くだらないこと考えた。

 流介は口には出さす、うなずいた。

「私は赤井といいます。詳しいことは社長から話がありますので、こちらにどうぞ」

 電話でも感じていたことだが、依頼主は彼ではなく、ここの社長のようだ。三基あるエレベーターの右端に乗り、四階の社長室に案内された。

 応接用のソファに座ると、赤井と名乗った男が、お茶をすかさず運んできた。男性秘書ということだろうか。

「社長は、まもなく戻ってまいりますので」

 三分ほど待たされた。その間、赤井と二人きりだったが、とくに会話を交わすこともなかった。

「ごめんなさい、お待たせしました。朝霧流介さんね? 社長の恩田よ」

 入ってきた人物は、女性だった。女性社長だから、秘書が男なのか──そんなどうでもいい考えが頭をよぎった。ほかに男性秘書といえば、政治家を連想してしまう。これも、どうでもいい考えだ。

 歳を重ねると、オヤジギャグを言いたくなるのと同様に、思考力が幼児化していくようだ。

 いや、原因はべつにあるか……。

「朝霧です」

「ぜひ、お会いしたかったわ」

 女社長の年齢は、四〇前後。ただし、見た目がそうというだけで、実際はもっと上──五〇前後だろうと推察できる。そうでなければ、これだけの事務所の社長はできないだろう。

 芸能界で生きているだけあって、洗練された美貌をもっていた。若いころは、相当な美しさだっただろうことは容易にわかる。

「元麻薬取締官。《関越の雷鳥》と呼ばれていたんですってね?」

 自分の格好を見ても、戸惑いや驚き、もしくは落胆を表情に出さないということは、事前に秋山から、現在の落ちぶれ具合を聞きおよんでいたのだろうか。

「朝霧さんが適任なのよ。武道の心得もあるそうじゃない」

 たしかに空手をやっていたが、もう完全にさびついている。

「あなたも、最近の芸能スキャンダルは知ってるでしょう? 毎日毎日、麻薬だの、覚醒剤だの」

「そっちに顔が利いたのは、もうむかしの話だ」

「いいえ。あなたしかいないわ。元麻薬取締官……滅多に、そんな肩書の人なんてさがせない」

 それはそうだろう。流介は思った。

 麻薬取締官の絶対数が、そもそも少ない。

 しかも経験豊富であり、それなりにまだ若い年齢で退職する者はさらに少ない。

 麻薬取締官になるには、薬剤師の資格を有しているか、Ⅱ種の国家公務員試験(行政、または電子)を合格するかのどちらかだ。

 双方とも、机上の勉強だけが重要であり、危険に対処するための護身術や射撃の訓練などは、取締官になってから習得するしかない。

 警官希望者の場合、射撃はないにしても、もともと柔道の有段者だったり、空手の黒帯だったりと、「腕におぼえのある者」がめざすこともめずらしくない。が、麻薬取締官では、そういう人間はごく少数だ。なぜなら、薬剤師の資格も、Ⅱ国の合格も難関だからだ。

 警察官でⅡ国を受かっている者のことを『準キャリア』と呼ばれることからも、それは想像できるだろう。最近は、国家公務員試験の形態が変わって、Ⅰ種・Ⅱ種・Ⅲ種という区分けがなくなり、総合職・一般職試験になったそうだが、とどのつまり、体育会系では厳しい。頭でっかちのガリベンが、どうしても多くなる。

 そういう下地のなかで、腕におぼえのある優秀な取締官というのは、非常に貴重だ。当然、捜査活動をするということは、頭だけではだめだ。体力も度胸も必要になる。麻取としてのスキルを積むためには、現場で鍛えるしかない。警察官のように、警察学校で手取り足取り授けてくれるわけではないのだ。

 もちろん、初任研修はある。射撃に逮捕術、道場も完備している。取締官が少林寺拳法を習っているのも有名な話だ。が、それで修羅場をくぐり抜けられるようになるかと問われれば、経験者はそろって「NO」と答えるだろう。

 だから、優秀な麻薬取締官というのは、とても希少価値がある。それを中途でやめるということは、そもそも優秀でなかったか、過酷な捜査活動で精神をやられたか、取り返しのつかない不祥事をおこした……そのいずれかだ。

 自分のやめた理由は、不祥事になるのだろうか?

 流介にも、それは判断できなかった。

「なにを調べさせたい?」

「そうね、まずはうちの事務所に違法薬物をやっている人間がいないか……」

「いそうなのか?」

「いないと信じているわ。でも、いまの芸能界には、そんな親心は通用しない。最近のニュースを見ていれば、だれだってそう思ってしまうわ」

 女社長──恩田は、ため息まじりにそう語った。

「もしいたとしたら、どういうルートで流れているのかをつきとめて。できれば、芸能界にはびこっている、そういう連中を一掃してもらいたいわ」

「期限は?」

「急がせて悪いけど、うちの事務所については三日間でやって。そのかわり、やり方はあなたの自由。料金も、あなたの言い値でいいわ。必要経費も、好きなだけかけてもらってかまわない」

 時間についてはたしかに厳しいが、こんな怪しげな探偵に言うセリフではなかった。それほど、麻薬撲滅を本気で考えているということか。

「どう? やってくれる?」

「この事務所の調査だけはやってやる。だが、芸能界から一掃する、みたいなのは勘弁だ」

「わかったわ。それでかまわない。さっそく開始してちょうだい。知りたいことがあったら、赤井になんでも聞いて」

「荒いな、人使いが」

「じゃなきゃ、社長なんてやってられないわよ」

 秘書の赤井が、その会話を困ったような作り笑いで眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ