カッコ悪い劇団
さてさて、これからお送りいたしますのは一つの劇団のお話だよ。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。この価値のない時間を楽しんでみようじゃないか。
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さあ、長らくお待たせしました。“カッコ悪い劇団”のはじまりはじまり~
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その場所は正しく地域の市街地と呼ぶのに相応しい街だ。電車の路線も少なければ、電車がやってくる頻度も少ない街で殆どの住民は車を使っている。でも市街地と問われれば市街地と答えるような場所だ。都会ではないが地域の市街地である。
そんな地元に、ある密着型グループがこの街には存在していた。音楽を披露するようなグループではない、彼らが披露するのは劇だ。だから彼らはグループ、集団と呼ぶよりも劇団と呼ぶ方が正しいだろう。劇団のメンバーは全員男で人数は少ない、裏方を含めても十人に満たないような小さなものだ。
彼らを知っている者など限られた人間だろう。劇団も黒字ではなく赤字だ。会場も地域のお祭り等のステージイベントばかりで収入なんて一銭も無い。むしろステージの使用料のマイナスばかりだ。そもそも、彼らは稼ぐことなど考えていない劇団である。メンバーは全員、別の仕事を本職にしているのだ。では、劇団は副業なのかと彼に尋ねると多分だが、彼らは口を揃えて「違う」と言うだろう。本業でも副業でもない、稼ぐための職業ではないのだ。彼らは趣味として劇団を組んでいる。だから赤字か黒字かは関係ないのだ。お金のことは脳内にあるが、稼ぐことは脳内にないから考えてもいないし概念もない。趣味に金を投じるという事は普通の行動であり、つまり彼らは普通なのだ。
彼らは趣味として活動している。彼らは遊びとして活動している。でも彼らは趣味だから、遊びだからといって、手を抜いたりしない。全国、全世界で知られているような劇団には遠く及ばないかも知れないだろう。そのような劇団と比べると、この劇団は技術、資金、知識、人材、構成、あらゆる側面で劣っている。正直に申すと、わざわざ話題に出すようなアマチュアの域を出ない劇団だ。でも、彼らは絶対に手を抜かない、限られたモノの中で彼らは工夫し、自由に、楽しんで活動をしているのだ。
そんな彼らに惹かれるのか、劇団には少ないがファンがいた。ファンの数は本当に少ない、極小レベルのミクロサイズでご苦労様だ。下手すると顔は見たことがあるけど劇団の名前は思い浮かばない人も多い。でもその分、劇団には温かみがあるのか、劇団の公演は見ていて思わず頬が緩み、落ちて、劇のクオリティは視界に入らない。
彼らは広く知られているわけではないが、狭い範囲では知られている。地元で年数回、イベントなどで劇団は活動していた。メンバー全員、普段は別の仕事がある。だから空いた時間に自主練習を重ねて、週末には集まれる範囲で集まって練習する。全員合わせて練習をする機会はとても限られている。だから彼らの演劇はぶっつけ本番が殆どだ。セリフの半分位はアドリブといっても過言ではないだろう。一見、コレはマイナスのアキレス腱に見えるかもしれないが実はそうではない。やんわりとした演劇だから柔軟性があるのだ。客の歓声や様子に合わせて構成を勝手気ままに変更する。場合によってはバッドエンドの予定をハッピーエンドにする事もある。当然その逆もある。それが地域の人間に受けているようだ。名前まで覚えている人は少ないが、それでも見たことはあるという人は限られた範囲でそれなりに居る。
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この劇団はあくまでも趣味だ。勿論、真剣に活動しているので「有名になれればいいなぁ」と思うことは確かにある。でも、それと同時に思うのは「別に自分たちが楽しめればいいや」と思っているのだ。「自分たちが楽しめることでお客さんも楽しめればいいや」と思っていた。
有名になるつもりもない、稼げるプロになるつもりもない、そんな劇団だが、それでも彼らは上に行きたかった。自分たちがもっと上に行けばもっと楽しむことができる。もっとお客さんを楽しませることができる。だから彼らは上を目指した。有名になるつもりはないが。自分たちが楽しむために、お客さんが楽しむために、少ないけどお客さんが楽しめるために、だから上を目指す。
上に行きたいと思っても結局、この劇団はプロとは言えない、アマチュアだ。全国区でもない地域の劇団で地域内でも名前まで知っている人は少ない劇団である。イベントで見かけても「あ、どっかで見たことある劇団だ」と思う程度の劇団だ。上に行きたいと思っても簡単には行けない、行く方法が分からない、考える、答えが出ない、立ち往生の立ち止まり。
彼らは自分で答えを出すことを諦めた。いくら考えてもグッドアイディアは出てこないのだ。こんな状況では無駄の無駄、無意味にも程がある。
「アンケート用紙に書いてもらうっていうのはどうだろうか?」
上に行くのに右往左往の劇団の中、メンバーの一人がこんな提案をした。自分たちでは答えがでない、ならば第三者の意見を聞こうというのだ。確かに良いアイディアが得られるかも知れない。だが、アンケートという方法は問題があった。そもそも年に数回しか活動しない劇団だ。当然その分、アンケートをする機会がない。それに趣味で活動する劇団のお財布事情は厳しい、ギリギリの運営をしているのだ。アンケート用紙を刷るお金も惜しい。アンケートという手段はお金だけが消費されるくせに何も得られない意味のない行為だと劇団は結論づけた。
「じゃ、直接聞こうぜ」
メンバーの一人は実に頭脳明細な回答を出した。そもそも第三者から意見を聞くのに紙という昔ながらの媒体なんて必要ないのだ。インターネットという最近の媒体も必要ないのだ。単純に尋ねればいいだけ、声帯と耳があれば成り立つものだ。
この劇団、お金は少ないがメンバーも少ない小規模なものだ。舞台もお祭りのステージイベントが殆どで、サッサと撤収しないと次のグループに迷惑をかけてしまう。だから撤収作業はメンバー総出で迅速に的確に行う。
「直接聞く……、そうしたいところは山々だ。しかし、次のステージはお祭りの出し物の一つだ。観客の感想を聞く暇はない」
役者はステージに上がれば“役”であり“本人”ではない。“裏方”は“裏方”なので表に出てはならない。会場がコンサートホールのような所だったら、お客さんを出口に誘導するついでに感想を聞けるだろうが、お祭りの野外ステージでは難しいことだ。ステージ上で王子様の服装をしたまま「今回の公演はどうでしたか?」では、ムードぶち壊しもいい所だ。仮にお客さんが答えたとしても拍手だけとか、「よかったよ~」的な曖昧でお世辞の入った感想だろう。これでは具体的な成果は得られない。上を目指すために劇団は、良い点ではなく悪い点を求めたい。そうなると残される手段は……。
「分かった。俺が観客席に紛れ込んでみる。観客席から本音を聞き出してみよう」
メンバーの限られた劇団で一人が抜けるのは手痛いマイナスだが、その分、別の何かを付け加える。マイナスの後にプラスだ。一旦はマイナスになるが、それによってプラスが生まれて行き、マイナスプラスのマイプラプラ……、言いにくいから今のナシね。とにかく、メンバーの一人が観客に紛れ込んで反応を見るって話だ。これならお客さんがポツリというような“本音”も聞き出せる。
次の公演は約三ヶ月先に執り行われる地域の商店街で開かれるお祭りだ。商店街には野外特設ステージがあり、そこで準備と撤収時間を含めて三十分で演劇をすることになる。時間も限られた中で迅速に行う必要がある慌ただしいステージだが、お祭り、それも野外という性質上、偶然通りすがった人間が観客となる可能性がある。幅広い人に劇を見てもらえるのだ。
「いつも以上に慌ただしくなりそうだが頑張ろう」
小規模な劇団にはキツイがメンバーの一人を観客席に置くことにした。劇のどのタイミングで、どんな反応をしているかを探るためだ。劇そのものは新作ではなく、過去に一度上演したものを再構成して行うことにした。新しいことにチャレンジしたい気持ちもあるが、時間的な問題と、今までの劇団の改善点を探るために今までの劇をする必要があると感じたからだ。
一度上演したことのある劇とはいえ、練習することには変わりはない。劇団の構成員は皆、社会人で普段はバラバラだ。全員揃っての練習は難しいが、出来る範囲で一生懸命に練習した。中には時間が取りにくいメンバーもいたが、そのメンバーも一生懸命だ。舞台上の人間も、舞台裏の人間も練習し、観客に紛れるメンバーも舞台構成や客の反応チェックをどうしたらいいのか、彼なりに一生懸命考えた。バラバラでも思うことは一つだった。
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そして遂にお祭りの日がやってきた。劇団の“今”を人々に見てもらう日である。作戦は予定通りに決行される。メンバーの内、一人が観客に紛れて反応を見る。当然だが、このメンバーは劇に参加することができない。でも、本人は気にしていない、むしろ自分は劇団の役に立てると意気込んでいた。実際にステージに上がるメンバーも、音響や舞台装置などの裏方もメンバーが一人欠けた分を補おうと張り切っていた。つまり頑張っているのである。
本日は自分達のために行う劇であるが、それと同時にこんな小さな劇団でも楽しんでくれているお客さんのためである。お客さんの反応を見るということは、それだけ全力で行う必要があるのだ。そして得られた情報を元に、更にお客さんに楽しんでもらうように頑張る。全力で。
さあ、準備はいいかい?いよいよ彼らの出番だ。劇団側もステージのセットも、そして観客に紛れたメンバーも準備は万全、磐石でいつでもスタートできる。
ステージの観客席は「次は演劇か」とか「何が始まるんだ?」とか聞こえてくる。神輿や屋台、花火など他の出し物を優先してしまいステージを素通りする人もいるが、中には足を止めてステージに目を向ける人もいる。観客の準備も済んでいるようだ。
司会の声が聞こえる。お客さんの歓声が聞こえる。オンステージだ!!
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これにて公演は終了でございます。ご観覧の皆様、こんな小さな劇団に目を向けてもらって、体を向けてもらって、そして拍手を頂いてありがとうございます。皆さんは見ていないでしょうが、劇は無事に閉幕となりました。反響はとても良かったと思います。流石に全世界を震撼させるようなものでは無いですが、少なくとも地域の人間を楽しませることは出来たでしょう。成功か失敗かといわれれば十分に成功と言えるでしょう。
でも、成功だからといって慢心してはならない。成功にせよ、失敗にせよ、反省点を考える事は重要な事です。今回は観客席にメンバーを紛れ込ませたので、観客の反応も直に受け取ることができる。流石にステージ上では役を演じ切らなければならないし、観客席を見続けることもできない。そういう意味では観客席にメンバーを置いたのは良いアイディアのグッドアイディア。それでは、彼が一体どんな情報を仕入れたのか聞き出してみようじゃないか。
観客席にいたメンバーはこんな情報を仕入れた。
「公演中に観客が友達同士でボソボソと印象を言われていたが、悪い印象じゃなかった。むしろ概ね好評だったと言えるだろう」
好評なのは結構、本当に結構のコケコッコーだ。でも、それでは反省会など開いたところで意味がない、これでは反省会ではなく慢心会だ。だが安心していい、ちゃんと反省点を彼は見つけてくれた。
「直すべきところもあるようだ。あれは高校生くらいの女の子だったかな?」
ちなみにその女子高生の容姿は個人的に気に入ったらしいが、反省会とは関係ないので彼は黙ることにした。
「その女の子によれば俺たちに足りないのは容姿だそうだ」
容姿、確かにこの劇団には足りないものは容姿だ。今時の若者に受けるようないわゆる“イケメン”はいない。これは非常に痛い欠点である。
容姿というものは残念で残酷なものだ。生まれた時にほとんど決まってしまう要素である。劇団が総員で頑張っても解決できる問題ではない。容姿は確かに、この劇団に足りない要素であるが、継ぎ足しができない、解決もできないものだ。せっかく欠点を見つけたのに改善できないようではオシマイだ。
「いや、そうでもないようだ」
その女子高生は「ちょっと服装や髪型に気を使えばカッコ良くなるのに」と友達同士で話していたらしい。なるほど、流石は女性からの目線だ。この劇団は男性しかいないので、こういうファッション周りに気を使っていないかった。
全く気に止めていなかったわけではない。これでも一応は劇団なので、ステージに上がる時くらいは格好に気を遣う。でも、それは役になりきる為のファッションであり、カッコ良くするためものとはチョット違う。つまり、今後は役になりきるのと同時に、カッコ良さも追求したファッションを考えていけばいいのだ。
「よし、反省点も分かったところで早速実践だ。次の公演は町おこしイベント、地域の人はもちろんだが、外の人も集まるだろう」
半年位先に開かれるイベント。半年という時間は長く感じるかもしれないが、仕事オヤジの集団では少ない時間である。
時間は相変わらず限られているが、今度の劇は新作のものだ。脚本担当は随分と昔からこの構想を考えていたので、脚本は既に殆ど完成している。役の割り振りも決まっている。後は実際に練習をしてみて浮かび上がった問題点を調整するくらいだろう。舞台や小道具の担当も早速、製作に取り掛かった。役者も練習を始める。みんな集まっての時間は相変わらず取れないが、それでも頑張って劇を成功させようとしていた。
もちろん、前回の反省点は活かす。いくら劇の内容が良かったとしても容姿が悪い、つまりカッコ悪いのなら意味がないのだ。人間は外見より中身という言葉があるが、結局は外見で判断することが多いのだ。それが人間だしそれが生き物なのだ。
今回は容姿に気を配ることにする。小さな劇団で資金難であるが、それが故に衣装代をケチっていたところは確かにあった。
今回は衣装関連の出費は惜しまないことにする。よりよい作品のためだ。衣装だけでなくメイクや髪型にも気をつける。自分自身のためだ。
髪型やメイク周りは流石にどうにもならなかったので、プロの美容室に予約を入れて彼に任せることにした。お客さんのためだ。
彼らはお金を稼ぐために劇をしているわけではない、これらの努力は正直に言って金の無駄遣いかもしれない。でも彼は構わなかった。だって趣味だから。趣味にお金を投じるのは当然のことだから。そんな趣味で誰かが喜んでくれれば本当に嬉しいことだったから。だから彼らは頑張ったのだ。
そうして、この劇団の生まれ変わった姿を見ることができる日は確実に近づいていった。
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さてさて、五千字を超える文字を読んでくれた皆様、お待たせしました。物語には起承転結が基本とか何たらとか言います。起承が終わっていよいよ転結と言ったところでしょうか?転から結はとても早い、超スピーディです。
まぁ、皆様はもしかすると察しているかもしれませんが、例によって劇そのものは物語で語られません。この物語は劇団の物語であって劇の物語ではないのです。
そもそも作者は演劇に関して殆ど知識がないので書くに書けないのです。本当に実力も学識もない、挙句の果てには精神も脆い上にヘタレ、クソッタレで大馬鹿な……。作者が泣いているのでこの辺にしておきます。
とにかく、この物語は劇団の物語で劇の物語ではないのです。だから劇の部分はカットとなります。
そんなくだらない事を言っている間にあの劇は終わったようです。あの劇団の劇は終わりましたが、彼らはまだ終わりません。終了後の反省会は今回も開かれます。
今回も観客席にメンバーを一人紛れ込ませておきました。もちろん観客の反応を見るため、知るためです。観客はなんて言っていたのか、そして劇団はどう思い、そして感じるのでしょうか?ここまでこの文章を読んでくれた貴方は気になっているでしょう。気にならない、どうでもいい、興味ないと感じる人はサッサとブラウザを閉じてください。ヘンチョコな文書が消えるで、あなたは一安心です。どうぞ、昼寝でも就寝でもしてください、お食事でもお出かけでも結構です。
おや、もう時間のようです。あの劇団はステージの後片付けを終わらせたようです。メンバーの一人が所有している中古車に修理、更に修理を重ねて使っている。そのオンボロ車のトランクに劇に使用した大道具と小道具を詰め込みました。ギッチギチのギュッギュのギュです。それでは、彼らの反省会を見てみましょう。
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人ごみの中から抜け出すには時間がかかる。劇団は参加は参加でもイベントを楽しむ参加ではなく、イベントを作る参加である。手続きもあったので彼らが会場から去ったのはイベントが完全に終了してからだった。町おこしイベントは夜遅くまで行われるものではない。すべてのイベントは夕方に終わる。それでも劇団が打ち上げ会場として選んだ居酒屋についたのは太陽もとっくにオサラバした午後九時だった。
「それで客の様子はどうだった?」
打ち上げが始まって直ぐにこの話題であった。当然の当たり前、この劇団が猿の集団だったとしても、打ち上げ最初の話題はコレになるだろう。
「あ、あぁ……、様子を探ることは出来たけど」
観客に紛れ込んでいた偵察担当は何故か話したくない様子だ。しかし、彼が何をどう思ったとして他の団員は何とも思っていない。観客の様子を知るために少ない人員を割いてでも、観客に団員を置いたのだ。
成果があるのに成果を出さなければ意味がない。教えろ、オシエロと迫って来るものだから偵察担当も喋らざる負えなかった。教えたくもない情報を、知りたくもなかった情報を……。
「“低い完成度“そうだ」
空気が止まった。ほんの数秒前まで酒で火照っていた体も今は上昇を停止している。逆にゆっくり、少しずつだが体温は下がっている。
「今回、聞き出せたのは近くにいた老夫婦の会話だった。イケメンばっかで劇自体の出来は酷いとか……」
酷いのは老夫婦の方だと殴り込みに行きたい。しかし、そんなことをしたら劇団は解散の危機に陥ってしまうので団員は全員こらえることにした。
「確かに劇は新作だがクオリティは保ったつもりだ」
脚本担当の言い訳にしか聞こえないセリフ。でも、団員は全員そう思っていた。確かに新作だが内容自体は問題がないはずだ。では、反省点は何処だろうか?
――いや、もうこれ以上考えるのは止めておくことにしよう。反省会はまた後日、続きを行うことにしよう。
しかし、低い完成度と言われてしまった。この劇団の打ち上げ、この後にどんなに高級な酒を呑んでも美味しくも感じなかった。面白くも感じなかった。冷たい酒も、暖かい酒も、全て冷たく感じた。
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ご来場の皆様、本作品はこれにて終了でございます。最後までご覧頂きまして誠にありがとうございました。お帰りの際にはお忘れ物のないように周囲の確認をお願いします。ちなみに、この小説の観客席に作者や、その関係者は居ませんのでご安心下さいまし。
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はい、何でしょうか?質問があっても私はお答えできません。コレは私の物語ではなくカッコ悪い劇団のお話なのですからね。