はことレティ その2「コミティアを訪れる」
「はことレティ コミティアを訪れる」
快晴の早秋。
東京ビッグサイト――東京都江東区の海沿いに聳える逆三角形の建物へと、多くの人々が吸い込まれていく。
その中に、目立ってゆっくりな歩調の女の子二人組がいた。
二人のうちの黒髪にメガネの子が、黒いプリーツスカートの端を押さえつつ大階段をもそもそ上りながら、横の子へと尋ねる。
「ねえ、レティ。すごい人だよ……建物の中、満員電車みたいになってるんじゃない?」
対して、金髪ポニーテールを秋風に靡かせる少女が、歯を見せて笑いかける。
「はこちんってば、心配性。だいじょーぶだって、コミケのときはこの五倍とか十倍とかの来場者を受け止めてる会場なんだから。よく知らないけど!」
「もー、レティは今日も適当。この同人誌即売会コミティアって、本当におもしろいの?」
「たぶんね。お兄ちゃんが『行けばわかる。お前らは行くべき』ってさ」
「レティのお兄さん、自称〝サブカル神〟のおすすめ……ちょっぴり不安」
「大丈夫、わたしも不安だから」
「そんなあ」
「いいから、行くよっ!」
「う、わわっ!?」
レティと呼ばれた金髪の少女――東風レティシアが、黒髪の少女の腕へ自分の手をするりとからめて先導し始めた。キュロットスカートと黒ニーハイソックスに包まれた脚が、大股でずんずん進む。
はこちん――羽鳥はこが、よろめきながら階段を駆け上がる。
やがて二人も、奇妙な形の建物へと姿を消した。
*
随分と歩いた先には、巨大なホール群が待っていた。開かれたエリアの中では見渡す限りに机が何千個と並び、人が立ち、行き来していた。
卓上には、一つとして通常のお店では見ることのできない品々が置かれていた。当然だ、全てが商業の商品流通にのっていないのだから。
様々な装幀の本はもちろん、ポストカードやクリアファイル、トートバッグ等のグッズやタペストリーが空間を飾り、音楽CDやゲームの動画が持ち込まれた小型モニタで流れ、楽しげなPOPが人を立ち止まらせる。
「これ、みんな本を売ったり買ったりしてるの? ほわあ」
「はこちん、興味津々だね。さすが今をときめくウェブ小説作家『夢乃函』先生!」
「ちょ、大声で言わないでっ」
「今度、いっしょに参加してみる?」
「む、むりむりむり! 恥ずかしいし」
「ちぇー、はこちんおもしろそうなのに」
「その『おもしろそう』ってなんか意味違うよね? 私がどうなるかをおもしろがってるよね!?」
「~♪」
ホールの端には、雰囲気の少し違う人だかりができていた。並んでいる人が皆そわそわしている。
「ねえ、レティ。あれは?」
「あー、出張編集部ってやつだね。出版社の編集さんが来てて、自分の漫画やイラストの原稿とかを見て、その場で意見もらえるんだって。いつも人気で、早くこないとああいう風に行列になるんだってさ。こういうとこで拾い上げられてデビューする人も結構いるらしいよん」
「へー……」
はこがぽーっとした顔で見つめるのは、机で対面に座って語らうおじさんと、同年代の女の子。原稿を評価されているのだろう。
「はこちんも持ち込んでみる? 今日はないみたいだけど、小説の持ち込みを受け付けてることもあるみたいだよ」
「ふぇっ!? そ、そんな、わわわ私なんか無理だよぅ、ボコボコに言われちゃうよお」
「ベタ褒めされてそのまま書籍化されちゃうかもよ? はこちんならイケるって!」
「レ、レティは楽観的すぎ!」
はこが、足早にその場を離れ――しかし、二度三度と、列を作って並ぶ作家の卵たちへと振り返った。その様子をレティが楽しそうに眺めた。
それからしばらく。
はこが、どこか熱に浮かされたような足取りで会場をゆらゆらと歩きまわった。レティは終始笑顔で、はこが人にぶつかりそうになったらさりげなく手を引いてやったりしながら、いっしょにまわった。
ゲームの試遊ができるエリアでだけ、レティとはこの立場が入れ替わった。
「あ」
とある机の前で、はこが足を止めた。
「どしたん?」
「この作家さん、知ってる……この人のウェブ連載、いつも楽しみに読んでるの」
「おお、はこちんのライバルってわけだね~!」
「違うからっ! 変なこと言わないでよぉ」
はこがレティへと、両手をばたばた振り回す。その様子を見ていた机の向こうの女の子が、二人へと声をかけてきた。
はこやレティよりほんの少し年上に見える、小柄の女性だ。大学生だろうか。
「よかったら見ていってください! 原始人が現代にタイムスリップしてきて、みるみる文明に馴染みながら恋をする話なんです……えへへ、変な話ですよね」
小声で苦笑いの、弱気なアピールだ。レティが「うわ、すごいあらすじ」とつぶやいた。
だが、はこは弾かれたように身を乗り出し、一瞬固まって「え、えと……」と声を詰まらせてから、早口で吐き出した。
「ネ、ネットで毎週読んでます! すっごくおもしろくって、今度は誰に振られるんだろうって、毎週切なくて……あの、すごくおもしろいです!!」
その言葉で、相手が照れくさそうに笑った。
レティは「二回も『すごくおもしろい』って言ってるよ、はこちん」と横から脇腹をつついて物理ツッコミを入れて、はこを飛び上がらせた。
*
あっという間の数時間。
空っぽだった二人のバッグは、本やCD、謎の手芸品などでぱんぱんになっていた。俗に言う、〝戦利品〟である。
「あー、楽しかった! お兄ちゃんのことは認めたくないけど、確かにこのイベントは楽しかった!」
「だね。……えっと、レティ?」
はこがバッグから、二つのストラップを取り出した。お揃いのデザインで、それぞれ「H」と「L」の文字があしらわれている。
「今日誘ってくれたお礼に、こっちをレティにあげる。はい」
レティが「L」の方を受け取りながら、目をぱちくりさせた。やがて彼女の白いもち肌の頬が、ほわほわと桃色に染まっていく。
「は、はこちん!? ……ったく、急に上目遣いで、そんな、完璧な不意打ちを……くぁー!」
「? レティ、どうしたの?」
「はこちん、その無自覚はよくないよ! 将来、悪い女になっちゃうよ! ってか、今既にだいぶ悪い!!」
「意味がわからないんだけど……」
「いい! もういい! それ以上つぶらな瞳で首をかしげないでっ」
たくさんの人々が帰路に就く中で、二人はしばらく足を止めて語らい、それからまた、レティがはこの腕を引いてずんずんと歩き出すのだった。
ゴトンゴトン、ゴトンゴトン――。
帰りの電車に乗って一息ついてから、レティがぼそりと言った。
「ね、はこちん。もっかい言うけどさ、また来よっか。できたら、参加してみよーよ」
「……ん、考えとく」
それから二人はいつものように、学校の宿題や流行の漫画など――他愛のない日常の会話を始めるのだった。