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蛇足・姉のため息

 水瓶を置いて、彼女は井戸を覗き込んだ。遠く水面に映る表情は晴れない。翌日の朝には嫁ぎ先の村に戻るというのに。

 (私、何のために来たのかしら)

 弟の、魔女への求婚を思いとどまらせるためにはるばる里帰りしたというのに、失敗に終わったどころか彼女はただのお邪魔虫だった。長いこと、子どもを預けて、村を空けて、戻ってきた実家で、彼女は何をしたというのか。

 はあとため息をついて、水を汲んだ水瓶を抱えて歩き出した。と、聞き慣れた声がしてとっさに物陰に身を隠す。

 声は弟のものだった。弟に答えて女の声が聞こえて、そのあとすぐに弟が向こうへ歩きさる後ろ姿が見えた。ぴったりと壁に身を着けて、彼女はもう一度ため息をつく。

 あまり会いたくはない。特に、魔女には。

 彼女はいまだ魔女への偏見を捨てきれていなかった。魔女の恋路を邪魔した自分は、呪われてしまうかも知れないなんて思っている。

 弟はもう見えないところまで歩いていった。魔女も弟がいなければいる意味がない、とっくに魔術で去っただろう。そう判断して壁から顔を出したのに、目に飛び込んできたのはこちらにちょうど顔を向けた魔女の姿だった。ばっちりと、目が合う。

 こうなると仮にも義姉になるべき自分が義妹(魔女の義妹ですって!!)をあからさまに避けるわけにも行かなくて、彼女は身を出し魔女に向かって歩き出した。

 (軽く、あいさつして、通り過ぎればいいのよ)

 それとも、謝った方がいいのだろうか?

 表面上は平静を取り繕いながら、その心中は迷っている。けれどそうしているうちに魔女は目の前に来てしまっていた。


 「おはよう」

 明るい声を心がけた。意外にも魔女は友好的な声音で返してくる。そのまま通り過ぎようとしたのに、なんと魔女の方から話しかけてきた。

 「明日、帰るんですって?」

 「ええ、ええ、そうよ」

 満月までに戻ると約束していた。満月の夜は、もう三日前に過ぎてしまっている。

 「そう」

 「ええ」

 軽い沈黙が残る。

 どうしよう、このまま辞去していいのかしら。水瓶を抱えているし、用事があるってことで、いいわよね。自問自答して、口を開こうとした彼女に、再び魔女が問いかけた。

 「あなたは、まだ私たちの結婚を認めていないのかしら?」

 まさか魔女の方からそんな話をされるとは思っていなかった。物言わぬ制裁ならあり得る(朝起きたら虫に変えられていたらどうしよう!)と思っていたけれど、こうして、静かな声で問われれば、知らず彼女は焦ってしまう。

 「まさか、あなたたちが決めたのなら、ええ、反対なんて…。幸せに、なれるのなら」

 「なるつもりよ」

 間髪をいれずに答えるから、彼女は黙ってしまう。けれど魔女は思いのほか穏やかな顔をしているから、ついうっかり訊いてしまった。

 「ええと…、私のことを、怒っているでしょう?」

 途端魔女の眉が寄せられて、彼女は後悔する。しかし魔女はいぶかしげに訊いてきただけだった。

 「怒る?どうしてかしら?」

 「え?」

 どうしてって…混乱した彼女はとりあえず抱えた水瓶を降ろした。どうしてって、私は、ええと、

 「だって、あの、私、あなたとアルドの結婚を反対していたのよ」

 「もう反対はしていないと言ったじゃない」

 「今は、そうよ、もちろん…」

 どうしても、魔女が優勢だ。彼女はじりじりと後退りたい気持ちになってきた。

 「私が『魔女だから』と思う人間が、アルドの家族にもいて良かったわ」だって魔女は本当にそういうものなのだもの、と魔女は言う。

 「無警戒でいられることは、私個人にとっては都合がいいけれど、危険よ」

 「そ、そう…」

 どうにも皮肉にしか感じられないのは彼女が魔女を信じきれていないからだろうか。魔女の笑みが彼女には、にたりとほくそ笑んでいるように見える。

 「それに恋に障害があった方が良いと聞くわ」

 「わ、私には分からないのよ。お見合い結婚なのだもの。恋愛なんて、ろくに経験せずに嫁いだのよ」

 途端言い訳めいた口調になってしまって、彼女は口をつぐんだ。

 「そう。本当に、会ったこともない人と?」 

 「…そ、そうよ…」

 これ以上ペースを崩されてはたまったものではない。話を終わりにしたかったが、魔女は黙って続きを待っている様子。

 「あの…、でもね、わ、悪くはないのよ、お見合いだって。私の旦那はすごくいい人だし、向こうの家族もよくしてくれるし、こ、子どもは可愛いし、あ、これだってね、旦那が初めて買ってくれて…」

 腕のバングルを見せようとしたところで、これ以上しゃべると恋愛結婚(をする予定)の魔女が気を悪くするのではと思って慌ててぐちゃぐちゃとフォローを入れる。

 「いえ、違うのよ、別に、あの。人それぞれの結婚の形があるってだけで、その。…そうよ。私、もう、この村の人間じゃないし、そもそも口を出す資格もないのよ」嫁いで、夫の村の人間になったのだから。

 「人間の不可解なところね」

 魔女は腕を組んだ。

 「家とか、村とか、魔女にとってはどうでもいいことよ。あなたたちにとって大事なものということは理解しているつもりだから、切って捨てろとは言わないけれど」

 魔女は美しすぎるのだ、と彼女は急に思った。美しすぎて、表情が読めないのだ。

 「あなたは姉として弟に忠告しにきたのでしょう?ならそれで良かったのよ」

 「全部、裏目だったわ」

 彼女は知らずうなだれた。

 「…言い方が悪いかも知れないけれど、本当に良い障害役になってくれたわ、あなたは。あなたの意図したところじゃなかったにしてもね」

 魔女自身言った通りあんまりな言い方だ。彼女は魔女を見た。

 「だって私たち、きっとあなたがこの村に帰ってこなくても幸せになれたけれど、あの『けんか』のおかげで、もっと幸せになれそうな気がするの」

 魔女の笑みは美しかった。ようやく彼女は魔女のことを、魔女ではなくルイとして見た。


 アルドが魅入られるわけだわ。

 魔性とはほど遠い笑みだった。


 「『気がする』なんて、不確実なことを言うのね」

 「あら魔女は不確実なことしか言わないわ、人間にとって。私たちにとっては『気がする』なんて確実な言葉、他にないのに」けれどルイはあくまで魔女としての台詞を吐いた。

 彼女の介入をただの「けんか」の一言で済ませてしまっても、彼女は腹立たしくも思わなかった。

 むしろ急に朝が清々しく感じられる。

 「あなたは、怒っていないのね」

 「最初からそう言っているわ」

 「そう」

 彼女は笑い出した。ルイにはその意味がわからないようで不可解な顔をする。

 「魔女って、案外人間臭いのね」笑いながら言うと、魔女は心外だと眉をひそめた。

 「一緒にしないでほしいわ」

 その柳眉が一瞬後わずかに持ち上がった。視線を丘に投げる。自然彼女もそれを追った。

 馬に乗った人影がひとつ。


 シルエットなのに、彼女にはそれが誰かわかってしまった。

 けれど信じられない。

 「あなた、満月までに帰ると言って出たんでしょう?煮えを切らしたのね」

 笑みを含んだ声で魔女が言った。

 「わざわざ?」

 ルイに聞いても仕方がないのに、彼女はつぶやいた。

 夫はきっと、「君がいないと何もできない」なんてうそぶくんだろう。子どもも義母さまに預けっぱなしにしているんだわ、全く。大体、入れ違ったらどうするつもりだったのかしら。

 「ごめんなさい、この水瓶を置いていくけれど、気にしなくていいわ。ちょっと叱ったらすぐに戻るから」

 言って、彼女は丘へ足を向けた。

 ルイが微笑んで見送ったのは、走っていく彼女のその表情が、アルドへ向けるルイ自身の笑顔と同じものであることを、知っているからだ。

いただいた拍手のコメントで、「姉本当に邪魔するためだけに来ましたね」という旨のものがあり、「確かに」と思ったのでちょっと救済してみました。みんなそれぞれの思惑と背景で動くから仕方ないねというお話。

※短編で投稿していましたが、本編の続きで投稿する方法がわかったのでこちらに移しました。

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