二ノ②
「……あり?」
佳苗は、首をかしげた。いるはずの仲間がいない。さっきまで歩いていたはずのでこぼこの道が、いつの間にか深い紺色の平坦な床に豹変している。視線を下から自分の目線に戻すと、木々もない。ただ、薄暗い空間が続いている。もう一度後ろを振り返ると、佳苗に感慨を与えた街道までの道のりも消えていることに気づいた。
ここは、明らかに異質な空間だ。一気に危機感と緊張感を能天気な心から引っぱり出し、佳苗は腰に装備していた護身用の拳銃に左手を添える。右手で、胸ポケットに入れておいた通信機のスイッチを入れる。圏外だろうと思って慰め程度に確認したが、幸運なことに彼方とつながった。
「彼方君? 今どこにいる?」
『それはこっちの台詞なんですけど』
「こっちでいいの。それより、気がついたら明らかにさっき歩いてたとことは違うとこにいたんだよ」
『うん。通信に出られるってことは、安全なとこにいるってことでいいよね?』
危機かも知れない状態に仲間が陥っても、彼方は終始冷静でやや横暴だった。佳苗は彼方の問いに短く頷いた。
「彼方君は?」
『君が消えてから一歩も歩いてない。場所は変わらず、街道を出て少し歩いたとこ。君は?』
「全体的に薄暗くて青い。周りには何もないし、人っ子一人いないよ」
『武装集団に銃とか槍とかつきつけられてるってわけじゃなさそうだね』
「そんな状態になってたまるか!」
『なってないんだからいいじゃん。仮にそうなっても、緊急装置があるでしょ、六十秒は時間稼ぎしなきゃだけど』
「物騒なこと言わないでよ! 怖くなるでしょ!」
『あー、なっちゃえなっちゃえ。今オペレータに通信してるから、百二十秒時間稼いどいて』
「緊急装置の二倍時間かかるってどういうことだよ!」
『それは、アレだよ。大人の事情』
「あたし達は十五歳だー‼」
危機的状態かも知れないというのに、彼方と会話をしていると、なぜか漫才のようになってしまう。通信機の向こうにいる相棒は、ふざけているのか、それとも佳苗の恐怖感を取り除こうとあえて道化になっているのか。
「あーもう、二分って意識するとすごくながっ……⁉」
佳苗はそれ以上言葉を出せない。息は詰まり、心臓の鼓動は強くなる。頬に、鈍く冷えた感触が伝う。佳苗が味わっている感触は届かないはずなのに、彼方は彼女が無言を決め込んだことから非常事態であると的確に判断したようだった。
『ちょっと、どうしたの? 無事なんでしょ?』
佳苗は答えない。答えている余裕がない。恐る恐る後ろを振り向くと、人間がいた。その者は、佳苗の頬に背後から刃物を突きつけている。
薄暗くとも、その人の顔や体はよく見えた。くすんだ帽子から、エメラルドの鮮やかな髪がのぞいている。よれよれの上着と擦り切れたブーツを装備している彼は、佳苗と同じくらいの年の少年だった。
肌にのたうつ斑模様は、赤紫色で、肌によく映える。澄んだ銀の瞳は、佳苗をまっすぐ射抜いた。
佳苗はどうやら、銃にも槍にも困らされはしなかったが、剣をつきつけられはしたようだった。
『こら、返事しなさい! 聞こえてんの‼』
通信機から漏れ出る焦燥の声は、苛立ちと怒りが若干含まれてきた。佳苗は自分の身の安全を、このまだらの少年に左右されている立場にある。下手に通信に出て相手のご機嫌を損ねたら、その無駄に切れ味のよさそうな太刀で斬られかねない。緊急装置は首に下げているが、今の佳苗の両手は降伏のポーズをとっている。とても緊急装置に手が届きそうになかった。
『何か言え!』
そんなこと言われましても。こっちは命の危険もあるわけでして。佳苗は相手に了解を取る。
「あの、仲間に無事を伝えたいんで、ちょっと喋ってもいいですか?」
「駄目だ。その前に、お前、まず身分を明かせ」
少年は佳苗の希望を許さず、ひとつ要求した。まさか、顔と名前を調べてノートに書いて殺す気じゃないかと佳苗は割と本気で疑った。でもよく考えてみれば、殺す気ならば最初からその太刀で斬ってしまえばいいだけのこと。ここまで回りくどいことをする必要はない。
佳苗は胸ポケットに入れておいた身分証明書になる調査隊免許を取り出し、相手に見せた。
「地球調査隊、日本第一支部埼玉県立調査隊、現地調査員の桜井佳苗です。ちなみに通信してるのは同じ現地調査員」
「調査隊?」
「あたしたちは、この世界の調査をするために地球の日本という国から派遣されてきました。怪しいものじゃありません」
「怪しい奴はみんなそういうよ」
「ですよねー」
「まあ、身分証明を見る限り嘘じゃないようだな」
「あたしたちが身の潔白、っていうか、怪しくないってのはこの免許で証明できます。それでも疑うなら、こちらの世界の管理局に確認とって下さい。あとは地球の日本にある埼玉県って地域の調査隊に確認するとかですね」
少年はようやく太刀を下ろし、鞘におさめる。刃物の感触が消えて、佳苗は少しだけ安堵した。
「この世界に害をなす野郎って訳じゃなさそーだな」
「あたしは女ですから野郎じゃないですけどね」
鞘を収めた、きん、という音が響くと同時に、青暗い空間はすっと消えた。
少年の後ろには、護身用の拳銃を構えて少年に向けている、彼方がたっていた。
「彼方君?」
「無事、だったみたいだね」
彼方は銃を下ろした。
「で、桜井だっけ? こいつも同じ調査隊なのか?」
少年は佳苗に問う。
「はい。現地調査員は原則として二人一組で行動するんですよ。にしても、こんなに近くにいたなんてね」
「安っぽい幻覚だよ。あたかも別の空間に異動したように見せかけて、実は俺らの周りだけを幻覚で惑わしたんでしょ。わざわざ二人がお互いを見えなくしたのは、多勢に無勢だからなんじゃないの? その証拠に、幻覚が解けたらまた元の場所にこうして戻ってるしさ」
「お前は頭が回るんだな。こいつより」
「お誉めにあずかり光栄、と言いたいところだけど、現地住民の理由なき攻撃は調査隊の世界だとちょっとマズいんだけど。何の理由があってこんな面倒なことしてくれるの」
今の会話の中で、少し自分のことを馬鹿にされた気がしたが、佳苗は話の腰を折るのも気が引けるので口を挟むことはしなかった。それに、佳苗も彼方と同じく、この少年が何を思ってこんなことをしたのか気になるところだった。
時々好奇心に負けて我を忘れてはしゃぎ回ることはあれども、それが常軌を逸した行動になることは決して、ない。佳苗は、地球ではない別の世界へ調査に向かう際は、最大限の配慮を配って行動している。彼方は常に頭で考えてから行動するし、後先考えずに突っ走るような者でもないので、彼も佳苗と同じく、まだらの世界で無礼を働いたということはないはずだ。
「悪かった。先日、創造主を誘拐して自分がこの世界の創造主に成り代わろうとしたふてえやつがいたもんでな。ちょっとぴりぴりしてたんだよ」
「ぴりぴりしてたくらいで刀つきつけられてちゃ命がいくつあっても足りないね」
「だから悪かったって。創造主はあれ以来外出を少し控える程度で、世界に対して防犯システムの強化をしないし、昔っから無防備で危なっかしいから」
少年は帽子を脱いで現地調査員二名に頭を下げる。謝罪を要求されることはあっても、こうして深々謝罪されることはまれだった佳苗としては、少し困った。
「あ、あのー、怪我もないし、誤解が解けたようなのでもう気にしてないですよ。今後は注意してくださいね」
「かたじけない」
ずいぶん古風な言葉を使うなあ、と佳苗は思った。
和解が成立し、二人とこの世界の住人はそこで別れた。まだらの少年が視界から消えたのを確認した彼方は、いきなり佳苗の肩をがっちりつかんで彼女を睨んだ。
「うおうっ?」
「怪我は? どこか痛いところとか精神的にどっか痛めつけられたとかない?」
若干、肩をつかむ手の力が強い。がくがくと揺らされた。
「だ、大丈夫。ちょっと怖かったけど、もう平気だよ」
「そう。ならいい」
「ごめんね、心配かけた?」
「あったりまえでしょ。君の好奇心で何にでも首を突っ込む性格のせいで、どれだけ肝をつぶされたと思ってんの」
「う、それはごめん」
「無事でよかった」
彼方は満足したのかようやく手を離してくれた。あー、今回ばかりは彼を本気で心配かけちゃったなあ、と佳苗は自分を恥じた。正直、この一連の出来事で、佳苗には何のミスもないのだが、それでも彼方に心配をかけたことが何より悔しくてたまらない。同じ状態に陥っても、佳苗の性格がある程度自重されていればこれほどまでには彼を不安にさせなかっただろう。
「ごめんね、彼方君」
「もういーって。首を突っ込みたがる性格も考えものだけど、しょんぼりされるともっと嫌」
「なにそれ」
佳苗はぷっと苦笑した。どうにか、仲直りできたみたいだった。
彼方の頼みで、念のためにということで、佳苗は病院で診察を受けた。あの青い空間が知らず知らずのうちに精神侵略しているかも知れないという杞憂を晴らすためだ。身体的にも精神的にもきちんとした診察を受けた結果、彼方の杞憂は結局杞憂とまりだった。佳苗の身体に、異常は見当たらなかった。
それを聞いた彼方は、本当に安心したらしく、病院を出てからはいつもどおりの辛辣さを取り戻していた。それがなんだか、佳苗には嬉しいことだった。
目的地にはすぐに着き、そこで佳苗は存分に撮影した。彼方にチェックしてもらったところ、こちらは絶賛された。
(小説もこれくらいほめてもらえるのを書けたらなー)
考えて、いまだに一時選考落ちで終わる自分の結果を思い出して少しうなだれた。ずっと長い時間、彼女なりのがんばりは見せている。ただそれが結果に結びつかないだけだ。高校の友達や気心の知れた兄にも、描いた物語を読んでもらうことはよくある。面白いとは言ってくれるが、技術が身についていないと、いつも言われた。
(いやいやいや)
首を横に振る。後ろ向きな考えは、不安を生み、また後ろ向きにさせ、さらに不安を生むとは、父と祖父に教わったことだ。佳苗は無理やりにでもネガティブな考えを振り払い、できるだけ前向きに考え直す。
(辛辣なのは、それだけ期待してもらってるってことだ。がんばろう。仕事も、やりたいことも)
二章からこのお話の構造が語られて、少年少女がちょっとばかり危ない目に遭います←