二ノ①
二、まだらの世界 「もっと、強くなる」
列車の、向かい合わせの席に、佳苗は座っていた。向かいには、佳苗の同僚であり幼馴染でもある少年・藤宮彼方が、クリップでまとめられた書類に目を通している。上司から渡された仕事の書類ではない。それには、佳苗の創った物語が綴られている。彼方の目は、仕事の書類を見ているときより、ずっと真剣味を帯びていた。読んでもらっている立場の佳苗は、手を膝に置いて、彼方が読み終わるのを待っている。やや緊張気味で、瞬きの回数が平常時より増えているし、膝に置いた手はいつの間にか握り拳になっている。脇がきゅっと締まって、肩に力が入っている。もう何度息を呑んだことだろう。一方の彼方はというと、凝視されているのに対して動揺もしない。よほど、目の前の物語に集中しているのか。
「だめだね」
「だ、だめですか……」
彼方は読み終えて第一声を発した。佳苗はその評価にがっくり来た。この少年は、はっきり評価するから、ありがたい。
「世界観の説明が長いし、たまに分かりにくい言葉使ってくるのが難点だね。さらっと目を通して意味が分かるくらいの文章で、それで退屈させない言葉を使って欲しいな」
「さらっと難しいこと注文するね……」
「作家になりたいならそーゆー難しいことをさらっとやってのけなさい」
「新人賞応募していまだ一時選考止まりのひよっこに職人技をさらっと要求しないでください!」
「それってどーなの。今年に入ってもう三作投稿したんでしょ? 全部一時選考落ち? 嘘でしょ?」
半ば呆れを含んでため息をつく彼方に、佳苗はぶうっと頬を膨らませる。
「だいたい、中三の時から毎年投稿してるんでしょ? もう一年経つんじゃん。二次選考までいかないってどれだけ成長してないの」
「さらっときつい一言言わないでください! これでも評価シートで言われたことは直したよ!」
「で、落とされたって? 何してんの君。割と楽しみにしてるんだから、早く世に出てよ」
「彼方君の横暴ー‼」
佳苗は嘆くが、原稿を受け取りリュックにしまう。結局、自分はまだまだなのだから、彼方の言うとおり精進しなければならない。
二人は、ひとつの呼吸の間に、切り替えた。
「そういえば、彼方君。今度の世界は、どんなところだっけ」
「日本語名称は『まだらの世界』。これも前回行ったとこと同じく、ノートから生まれた世界だね。規模は小さめ、住人達は人間がほとんどだけど、その人間は肌にまだら模様がある。だから、『まだら』ね」
「そっか」
二人の着ている青いジャケットは、『調査隊』のものだ。赤い腕章を、彼方は左腕に、佳苗は右腕に。それには、調査隊のシンボルとして、三本足の黒い鳥が刺しゅうされている。それぞれのカバンには、通信機のほか、護身用の拳銃に緊急信号装置、翻訳機、カメラ、発信機など、現地調査員に対して所持が義務つけられたものが詰め込まれている。今日の佳苗は、ポニーテールに髪をまとめていた。
「到着まで一時間半かかるし、寝てたら? ゆうべ、あんまり寝てないんでしょ」
佳苗も彼方も、高校へ通いながら調査隊の仕事を請け負っており、二足のわらじは二人にとってかなりの多忙を要した。特に、佳苗は数日後に中間テストを控えており、ただでさえ欠席しがちな授業についていくため、家での勉強は深夜にまで及ぶことが多かった。
「うん。じゃ、眠るね。着いたら」起こしてくれる?」
「いや、放っとく」
「そこは嘘でもうんって頷くもんじゃない⁉」
「どうせ終点まで行くんだし、いいじゃん。車掌さんが起こしてくれるよ」
「彼方君って、ひどい」
「そりゃどうも」
「まあいいや。おやすみ」
彼方の横暴さと放任主義にへこみながら、佳苗は上半身を席に倒す。この席どころか、この車両全体を見渡してみても佳苗と彼方以外は誰も乗っていない。これから乗るという乗客も出てこない。この列車は、二人の目指すまだらの世界へと直通で運転している。しかも、地球の駅からまだらの世界まで、停車せず一直線に進むのだ。朝の通勤ラッシュとは無縁の列車で、佳苗はこの特権が少しだけ嬉しい。
佳苗は目を閉じるとすぐに寝入ってしまった。ためしに彼方は佳苗の額をつついたり瞼を軽くつねってみたが、一向に起きる気配がなかった。
二十一世紀のこの時代、あと百年も経たずに二十二世紀になるというのに、未だ車が空を飛ぶことはなさそうだった。代わりに、「世界」という言葉の定義が広がるという時代として歴史を彩った。
平成の御世になって数年も経たないうちに、ある日本人冒険家が、突如として消息を絶ったことから、それは始まった。その者はとある旅から無事に帰ってきたことを感謝せんと実家近くの神社へ参内していた。旅へ行くときと旅から帰ってきたとき、ささやかながら無事の祈りと感謝をその神様に捧げるのが彼の習慣となっていた。いつも通りお参りを済ませたあと、彼はふと懐古の情にかられ、かつて遊んでいた境内の集会所へと足を運んだ。小学生のころは、子供会の集まりでその建物をよく利用していた。集会所は縁側のところの鍵が開いていて、誰もが出入りできるような状態だった。彼はそこから中へ入ろうとして、結果、集会所内に入ることはかなわなかった。
代わりに、集会所とはまったく違う、それどころか日本とは思えないような場所に、立っていたという。
心配した家族が警察に捜索願を出したほどの騒ぎになった。その冒険家は、目的地のほか、出発日や帰郷した時には必ず連絡を入れていたため、その連絡を受けていた家族が不振に思ったのがきっかけだった。
ところが、彼は一か月後、ひょっこりと帰ってきた。最後に消息を絶った境内の集会所の縁側から。
大それた怪我や精神的なダメージも見当たらず、いたって健康の状態で戻って来た。しかしなぜ彼は一か月も姿を消したのか、疑問に思うものが続出した。それに関して、彼は発言した。
「私は、ナルニアのような世界にいた」と。
この発言はたちまち日本全国に行き渡り、さまざまな憶測が飛び交った。特にテレビや新聞などのメディアは単なるデマだろうとまともに取り合わなかったが、インターネット世代の若者はインターネットを通して冒険家とコンタクトを取り、彼に詳しい話を聞いていた。
その取材によると、彼は本当にそのナルニアのような世界にいたという。彼はカメラの容量が許す限り、その世界の光景を収めていた。それらを一つ一つ、インターネット界隈の有志たちが検証し、地球上にはそんな場所は存在しないという結果を導き出した。
この冒険家が地球ではない異世界へと飛んでいたことは、日本国家レベルで話題になった。
専門家たちが検証していくと、冒険家が行っていた世界のほかにも、複数の世界が存在するのではないかという推測が生まれた。
その宇宙に複数存在するかもしれない世界を調査し、検証していくことを仕事とする機関、『調査隊』が発足したのは、冒険家が消息を絶った日から、わずか一年後のことだった。
発足してすでに二十年近く経っており、現在では主要欧米列強もこの『調査隊』を成立させるほどの規模の問題となっている。
日本では、『調査隊』に入隊できる資格は割と緩くて厳しいところは厳しくしている。まず、中学校を卒業した十五歳以上三十歳以下の日本国籍を所持している男女。年齢に上限を設けたのは、若者の人材登用や柔軟性に富んだ発想力や行動力を求めたためである。
次に、資格取得のための試験に合格した者であること。この試験は高校入試と同じく五教科の筆記試験と一つの小論文、そして面接という内容で構成されている。義務教育レベルの教養を身に着けていて、なおかつ論理的な文章を書くに足る力を求められた。たいがいは、五教科で落とされるのが多い。なぜかというと、日本の教育界に住み着いた癌が原因であった。その癌のせいで、大半の子供たちは歪んだ思想を抱いた教師たちのもとに学んだ。そんな教師のもとで教育された子供が、まともで正当な学問をおさめられたわけがない。これは、日本の教育に新たな光をさすという思いがけない結果を残した。
そして何より、この資格を得るために、愛国心を持っているかどうかの試験に重点を置かれた。といっても、日本人なら簡単にできる試験で、これがもとで落ちる日本人はごく少数だった。
桜井佳苗と藤宮彼方はこの試験取得のための試験に合格し、調査隊のメンバーに選ばれた最年少の人材である。「最年少」という肩書から、インターネット界隈ではそれなりに有名だった。テレビや新聞で取り上げられなかったのは、二人を含め調査隊の関係者全員がその二つのメディアに出ることをかたくなに拒否したためである。そのおかげで、二人は日常生活でそれほど悪目立ちすることなく多忙な生活を送るだけにとどまっている。
現在、日本にある調査隊は埼玉県と大阪府を拠点とする第一・第二調査隊の二つのみである。これは世界規模でみると明らかに少数だが、今日に至るまでの異世界調査の実績のほとんどは日本の調査隊の活躍あってのものだった。
佳苗と彼方の乗っている列車は、「まだらの世界」行きの列車であり、当然ながら通常の電車とは違う。停車場所は県内の駅にあり、その駅から乗車するだけだ。違いがあるとはいっても、地球から宇宙にある異世界をつなぐという規模の違いだけで、感覚的には飛行機に乗る程度のものだ。
列車は、線路を離れて、空へと浮かぶ。自動車は結局空を飛ぶことがないが、電車は浮かんだ。
一時間半もすれば、地球とは別の世界へたどり着くことができる。ロケットで宇宙に行くようなレベルの大ごとであるはずのこれは、感覚的には国内旅行レベルのものだった。
「お客さん、終点ですよーう」
彼方は放置するといっておきながら、やっぱり佳苗を起こす。軽く肩をたたけば、彼女は目を覚ました。
「うー? あ、彼方君。もう着いたの?」
「そ。もうすぐ停車するから、準備すませちゃいな」
「うん。……彼方君、放っとくって言ってた割には、ちゃんと起こしてくれたんだね」
佳苗は目をこすり、うーんと伸びをする。髪の毛に乱れはないか、ジャケットの胸ポケットから手鏡を出して確認する。
「まーね」
彼方はそっけなく返事する。
「ありがとう、彼方君」
「どういたしまして、っと」
なんだかんだと辛らつな言動を発する彼だが、結局、佳苗に甘いのだ。その甘やかしとも言える優しさが、佳苗はずっと好きだった。
列車内のアナウンスが響いた。ぷしゅっと音を出して、ドアが開く。身支度を整えて、二人は降車した。切符を通して改札を出、そのあとすぐにまだらの世界の入国管理局へと向かう。駅からは、近い。歩いて十分ほどで、目的の管理局には着いた。
駅から出てきたところですでに、佳苗は好奇心を好き勝手に働かせた。
「……わあ」
口から、感嘆の言葉が漏れる。空を見上げて、だんだんと視線を下に下ろす。気に入ったポイントを見つけると、すぐさまポケットからカメラを取り出してフィルムに収める。
「後にしな。手続き済ませたら、いくらでも撮っていいから」
今回の調査には、終始彼方がついている。もし佳苗が前回のように暴走しようとしても、冷静な彼方が歯止め役となってくれるだろう。佳苗は素直に従い、管理局にて手続きを済ませた。
そこで応対している者は、姿形は佳苗や彼方ら地球の人間と何も変わらない。ただひとつ、違うのは、その応対者の肌に、薄緑色の斑模様がうっすらと浮かび上がっていることだ。この肌の模様は、この世界に住む人間に見られる特徴である。色や模様に多少の個人差はあるが、住人はみなこの斑模様を肌になぞらせていた。
「地球の調査隊、日本の方ですね。……藤宮彼方様、桜井佳苗様。はい、結構です」
その男性職員は、地球人と何ら変わらないサービス対応で、書類と調査隊二人の身分証明書を照らし合わせる。
「それでは、この世界での調査を、存分にお楽しみください」
「ありがとうございますー」
管理局の許可をもらった佳苗は、もう遠慮をしない。もちろん旅先でのマナーや常識はわきまえているが、自分の好奇心にはいつでも素直だ。直感が、これはいい、と告げたら、迷わずそれに近寄る。物理的にもそうだが、心もそれに近づけようとする。
「ここって、小さい片田舎みたいなとこだね」
「そーだね」
佳苗はカメラを惜しみなく使い、風景を少しでも映し出さんと忙しそうだ。
佳苗の感想に彼方は同意した。この世界は、ノートから生まれた世界のためもあるだろうが、それにしたって規模が小さい。同じノートの世界でも、前回調査した迷宮の世界よりもずっと小さかった。
澄み切った青空に、てんてんと雲が乗っかり、時々冷たい風がレンガ道を通り抜ける。今の気温は春と夏の中間ほどで少し暑い程度だったが、この風のおかげで暑さから生じる不快感を忘れられた。
少し道を歩けば、畑や田んぼが広く面積をとっているのを見かける。街灯は少ない。佳苗の住む地域もこの田舎じみた世界に似ている。彼女の見慣れた地元の都会部分とは、まったく違う。人々はのんびり歩いているし、仕事に追われて時計を気にすることもないし、喧騒もまったくない。タクシーなんてものはない。代わりに、馬車がある。
「まるで、時間がないみたいだ」
ぽつんと、佳苗はつぶやいた。この世界だっていずれは日が暮れるだろうし、時が経てば日の出もある。そうして一日を迎えていくのはこの世界も地球も同じだ。
しかし、この世界には、時間がそれほど気にならない。時間が必要以上に住人に干渉しないのだ。
「言いえて妙だね」
「あ、聞こえてた?」
「俺に言ったんじゃなかったの?」
「や、そういうわけじゃないけど。彼方君は、そう思わない?」
「思うよ。羨ましいよね、こういう空気」
「うん。何か、時間が経つのをっていうより、時間があるってこと忘れちゃいそう」
佳苗は、そこにいた住人に話しかけ、撮影の許可をいただいていた。その住人を撮影し終えたら、深く礼をして、すぐにまた別の被写体を探す。
「そんなに急がなくても、時間はいっぱいあるよ。ここは地球じゃないんだから、ゆっくりやれば?」
「分かってるけど、いいなって思ったものを見つけるとさ、のんびりなんてしてられないんだ」
佳苗は朗らかに微笑んで答える。のんびりできる空気の世界にいてもなお、休むことなく、ひとつ、またひとつと、美しいと思ったものを見つけ出す。それほどまでに、佳苗は魅力を多く見つけ出した。
魅力を見出すのが得意なんだよね、あの子。彼方は近すぎず遠すぎずの距離をきちんと保って佳苗をしっかり見守っていた。佳苗も、彼方がちょうどよい距離で自分を見張っていてくれるから、安心して自由に歩きまわれる。
一通り写真を収めてから、佳苗は彼方のほうを振り向いて、手をぶんぶんと振る。
「彼方君! いっぱい撮れたよ。見よう?」
「ん」
本当は、佳苗としては、自分の美しいと思ったものをリアルタイムで彼方にも感じて欲しかったが、仕事だと思い直して割り切った。その分、撮った写真を一番最初に、必ず彼方に見せる。
慣れた手つきで、画像を見せてくる。プロとまでは行かないまでも、佳苗のカメラを使う腕は人並み以上だと職場でも評価を受けている。おそらく、趣味で写真を撮るという、佳苗の父の影響もあるのだろう。
「どうかな?」
「まあ、いいんじゃないの。調査報告のための写真枚数はとっくにクリアしてるし、あとは容量が許す限り、いくらでも撮ればいいよ」
彼方は素っ気なく答える。
「そうする。あ、でも指示された場所も撮っとかなきゃなんだった。どこだったっけ?」
「もっと奥深くのほう。地図だと……街道抜けた先だね。歩くよ」
彼方は佳苗の承諾も聞かずにさっさと歩き出す。置いていかれるのはいやなので、佳苗は彼にてくてくと着いていく。
数分も歩けば、人の手でならされた道はなくなり、ぼこぼこに盛り上がった土の感触が足に伝わってきた。木漏れ日が射す道を、佳苗は彼方の後をついていく形で歩いていく。仕事中でもシャッターチャンスは逃さない。どうせ撮るなら、よく撮れている写真のほうがいい。
佳苗は、ふと後ろを振り向く。佳苗が歩くたびに、後ろに敷かれた街道はどんどん小さくなっていった。どんなに遠い道のりでも、歩いていけば必ずゴールに到着する。そう感慨深く考えた。
「前見て歩かないと、危ないよ」
彼方が、律儀に忠告する。はっとして、佳苗は向き直った。
前方には、仕事の相棒であり、古くからの付き合いである幼なじみが、先導しているはずだった。
二章に突入です。また別の世界へレッツゴーっす。