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一ノ④

 森は地理変更システムによって行きのときとまったく違う森に生まれ変わっていた。しかしアーリは案内ゴーストもつけず、佳苗というある意味お荷物を抱えていながらも、まっすぐに小屋へ帰ることができた。

 勢いよく小屋のドアを開け、ずかずかと入り込む。妹の異変を察知したレーヴェは、読んでいた本にしおりを挟んで閉じた。

「何があった、アーリ」

「メイガスが来たのよ!」

 アーリは佳苗の手を離すことも忘れ、叫んだ。

「メイガスが……?」

「そうよ! メイガスよ! 私を家に連れ戻しに来たのよ! 私と結婚した男に家を継がせるって‼」

 レーヴェは激昂しているアーリに驚きはしたが流されない。冷静に対処した。

 まず、アーリの手を、佳苗からなるべく優しく引き離す。髪を振り乱して叫び続けたアーリの肩に、手を置いた。

「まずは、落ち着きな」

「どうしてよ、どうして今さら私なの? 今までずっとほったらかしだった癖に、私のことなんて眼中になかったくせに」

「うん」

「戻ったら、こっちには帰ってこれないのに、なのに……アルトはいい話だって。結婚してもいいんじゃないかって‼」

「分かった。分かったから」

 アーリの肩が、かすかに震えている。

「少し、休もうか」

 レーヴェはアーリを自室へと連れて行った。

 アーリは、自室のベッドに突っ伏して嗚咽を漏らしていた。

 わけが分からない。幾年も顔を合わせていないのに突然家に連れ戻そうとする両親に、レーヴェではなく自分を連れ戻したがる母親に、いきなり突き出された結婚話にアルトは肯定的であることに。

 何より、自分がこんなにも激しく感情をあらわにしていることに。

(わからない、わからない! どうしてそういうことを言うの? どうして私なの?)

 心中で何度問いかけても、誰も答えてはくれない。自分で考えてみても、分からないままだ。

 誰かが答えてくれればいいのに。そしたら、少しは自分のなすべきことが見つかるのに。

 遠慮がちに、ドアが開いた。赤くはれた目をこすって、アーリは振り返る。そこには、調査隊の少女が立っていた。

「ごめんなさい。みっともないとこを見せちゃって。無理やり引っ張ってきて、疲れたでしょう?」

「いえ、あたしは大丈夫です。それより、お姉さんは? 具合悪いのに走っちゃって、余計苦しくなってませんか?」

「大丈夫よ。少し、すっきりしたわ」

「なら、よかったです。びっくりしました。お姉さんがあんなに大きい声出すから」

「あら、心外ね。私だって大声出すときくらいあるわ」

 アーリは、佳苗と少しの会話をしただけで、心が落ち着いていくのが分かった。まだ心の整理が追いつかないが、激昂しないまでには冷静さを取り戻していた。

 佳苗をベッドに座らせた。本棚から一冊のノートを手に、アーリは佳苗の隣に腰を下ろした。

「私、分からなくなっちゃった。帰るべきなのか、ここに残っていいのか、どうか」

「それは、お姉さんが何をしたいのか、をしっかり見据えれば分かると思います」

「私の好き勝手にしていいってこと?」

「うーん、端的に言えばそういうことですかね」

 佳苗は唸りながら答えた。

「あなたは、どうしてそう思うの? 私が好き勝手に振舞っていいと思うのはなぜ?」

「お姉さんが、この世界の創造主だからです」

 佳苗は笑ってこそいないが真面目な表情で、アーリに断言して見せた。

 創造主、とアーリは繰り返した。その言葉の意味を、一番よく知っている。

 地球以外にも、宇宙には無数の世界が存在する。その生まれ方は実にさまざまで、地球のような隕石の衝突によって生まれた世界だけではない。たとえば、唯一神が光あれ、と言われたことから始まる世界もある。たとえば、巨人の体から創りだされた世界もある。たとえば、神々自身から生み出された世界もある。

 その中に、一冊のノートから始まる世界、というのが、割と多数存在する。ノートに書きつけた世界が発生するというもので、隕石衝突や神々の創造に次いで多い発生例として調査隊の世界では広く知られていた。

 そのノートに書きつけた世界を生み出したものは、その世界の創造主となる。創造主は、世界を創造するだけではなく、世界の持続やシステム構成なども担う。ノートから生み出された世界は、創造主の性格が色濃く反映する。

 アーリの創造したこの世界は、アーリの心を反映したといっても問題ない。

「どうして、私が創造主だとわかったの?」

「んー、いっぱいありますけど、最初にあたしがあれ? って思ったのは、案内ゴーストですね。あたしのゴーストが調子悪いって言ったとき、お姉さんは治してくれるといいました。ゴーストはこの世界のいわばシステムのひとつですから、システムをいじれるのは創造主くらいです。それに、迷宮と言われている森を、ゴーストなしで小屋まで行けるってことは、この世界の全体を把握できてる証拠ですよね。あと、お天気ですね。お姉さんの機嫌がいいときはまっさらに晴れてましたけど、お姉さんの感情が高ぶったり激しくなると天気もそれに従って激しくなったり曇ったりしてました。天気が創造主の感情と結びついてるのはよく見られる事例ですし、何より」

 佳苗は、アーリの持っているノートを指差した。

「たぶん、それがお姉さんの世界の始まりなんじゃないかなって、思ったんです」 

「これが、ただのノートだっていう可能性もあるわよね?」

「はい。だからノートの方は、まったくの推測ですけど」

 アーリはノートの表紙を開いて、一ページ目を佳苗に見せた。

 そこには、余白が見つからないくらいぎっしりと、この世界のシステムがつづられていた。

「やっぱり、それがお姉さんのノートだったんですね」

「そうよ。私が、この世界の創造主」

 戯れに、ぱらぱらとページをめくる。殴り書きされた場所もあれば、落ち着いた字で余裕を持った書き方をしたページも見受けられる。

「だけど、私が創造主だから、何だというの? 私は、何もできない、弱い小娘なのよ」

「違います。創造主は、何だってできます」

 佳苗は、ノートにそっと手を置いた。

「この世界は、お姉さんが創造した世界です。創造主であるお姉さんが、この世界をどうこうするなんて簡単なことです。お姉さんは今、何をしたいのか、何を望んでいるのか、それをきちんと見極めた上で、行動すれば、叶わないお願いなんてないです」

 佳苗はアーリに微笑みかけた。

「お姉さんは、突然の予期せぬできごとに、ちょっとだけ動揺しちゃっただけなんです。ですから、少し時間をかければ、すぐに見えてくるんじゃないかな。お姉さんが、心の底から望んでること」

 佳苗の微笑は力強く、アーリに冷静さと勇気を与えてくれた。ここでようやく、アーリは心底微笑むことができた。

「あなた、カウンセラーに向いてるのかもね」

「いやいや、創造主のお悩み相談も、現地調査員のお仕事ですから」

 アーリはノートを閉じ、胸にしっかりと抱く。すく、と立ち上がり、佳苗に振り返る。

「ごめんなさい。ゴーストは必ず直すから、ここで少し休んでいてもらえるかしら」

 アーリの謝罪に、佳苗は快くうなずいた。

「お姉さんの世界が、お姉さんの幸せに結びつくことを祈ってます」

 アーリは、ノートをしっかりと抱いて、小屋を飛び出した。視界の端に、少し驚いていたレーヴェが映った。


 アーリの生まれは地球のとある商家である。三人兄妹の真ん中で、兄と弟に挟まれ、穏やかに兄弟と生活していた。裕福な家であり、両親もそれなりに、特に母親が厳格だった。厳格というより、哀れなひとだった。どんな経緯で結婚にこぎつけたかアーリは聞かずともだいたい予想できていた。むしろ父親のほうがアーリに寛容だったかもしれない。

 いくら裕福であっても、時間にゆとりがあるとは限らない。両親は仕事に忙殺され、兄弟との時間を作れないことが多かった。やっととれた休みを、父は子供たちとの憩いに使い、母は休息に費やしていた。アーリに結婚を迫らせたのも、早いところ仕事を引退して事業を子供に継がせ、子供の稼ぎをいただいて自分はのんびり趣味にひたろうという魂胆なのだろう。

 レーヴェは父の後を継ごうと常に自律し、長男としての自覚を早くに持った。だから率先して屋敷の手伝いをしたし、幼かった妹と弟の子守りをしていた。学校でも学業に励み、貴重な学友を得ていた。いわば、将来有望な男だった。

 末っ子のメーリは小さいころから屋敷内にある本という本を貪欲に読んでいた。両親の感情を読み取ることに長けたこの子供は、駄々をこねることをしなかった。ひたすら読書で知識と教養を培い真の意味での頭のよさを学校にて習得していた。彼は、何にでもなれる天才だった。本人は、そんなものに興味を示しはしなかったが。

 この二人に比べて、アーリは必ず見劣りするように、周囲から映ってしまった。そのせいで、アーリ自身が何の問題も起こしていないのに、近所からの評判はやたらと厳しかった。時々、兄や弟が妬ましかったが、わずかな時間での父との交流や、ずっと一緒に過ごしてきた兄弟との絆が、アーリを救った。

 母からは見向きもされていないと知ってからも割り切り、見劣りするならするなりに、生活しようと前向きに考えていけるようになった。

 アーリは何よりも空想が好きだった。メーリほどではないにしても、アーリも本が好きだった。特に、魔物や空想上の生物が出てくる図鑑やおとぎ話を率先して読んだ。いつの日か、空想を読むだけでは飽き足らず、自分が満足するような物語を書き綴ることを覚えた。

 アルトと出会ったのは、学校に入学してすぐだった。学校の近くに、孤児たちを引き取る施設があり、アルトはそこで育っていた。後見人は施設の院長で、血縁関係のある人間を、彼は持っていなかった。それでもひねくれることなく、むしろ前向きで底抜けに明るく生きていた。また、頭の悪い部類に入る男であったが、努力家でもあり、レーヴェですら苦労した高等学校に入学まで果たした。その学校で、レーヴェと知り合い、アーリもレーヴェを介してアルトを知った。

 レーヴェと友になったアルトは、彼の家に遊びに行くことがあった。学問のことで語り合ったり、二人が将来同じ業界を目指していることを認識したり、ボードゲームに興じたりした。

 兄の珍しい客人に興味を抱いた妹と弟は、恐る恐るその友人を覗きに行った。アーリはこの時中等学校に入学したての小さな子供だった。

 アーリもメーリも、時間をかけてゆっくりと、アルトの人柄を理解していき、両親よりもアルトのほうによく懐いた。

 ある日、アーリは一人でノートに世界を描いていた。学校の宿題に目を向けず、ずっと空想をノートに書きつづっていたのは、学校でも母親からも落ちこぼれと言われ続けて不機嫌になり、その憂さ晴らしとして些細な反抗をしたかったからだ。いくら兄弟と父親、そしてアルトのおかげで極端にひねくれることはなかったが、それでも心の荒みは少しずつ蓄積されていった。

 こんな世界じゃなく、自分の空想した世界が現実だったらいいのに。中等学校を卒業し、高等学校に入学が決まってからは特にそうした思いが強くなっていた。

 部屋の窓から、何か小さなものがこつんとあたった気がした。気になって窓を開けると、アルトがそこに立っていた。アーリの部屋は二階の北側にあり、夏は涼しくてよろしいが冬は極寒の地となった。

 このころ、アルトもレーヴェも高等学校を卒業して、本格的に目指している業界の修業をしていた。そのため、兄弟とアルトがまだ学生時代だったころよりも、会う回数は激減していた。だから、アルトが奇妙な形で自分に会いに来てくれたことが、うれしかった。

 アルトは無遠慮に窓からアーリの部屋に入る。あの大きな手で、アーリの頭を撫でてくれた。元気か、とか勉強してるか、とか一方的に話しかけてくるのが、アーリには救いだった。父はレーヴェを見習いとして家業にかかわらせて家を留守にしていた。メーリも母と一緒に出掛けていた。この家には、アーリのほかはメイガス以下従者しかいなかった。

「アルト、上京して修行中だったんじゃないの?」

「んー、今日だけ休みもらったからさ、こっちに来た。さっき、施設にも顔出してきたとこ。あんまり長居はできないんだけどなー」

「わざわざ、私に会いに来てくれたの?」

「レーヴェにも頼まれてたからさ。メーリがいないのは残念だけどねえ」

 アルトは窓枠に寄りかかる。アーリの勇気を出した問いはあっさりと流された。

「で、どうよ、お前?」

「どうって、何がよ」

「レーヴェがねえ、そりゃもう心配してたんだよ。俺から見てアーリが何か悩んでそうだったら相談に乗ってやってほしいって。ないならないに越したことはないんだけどねえ」

「あるわ。大いにあるわよ」

 あるんだ、とアルトは少し意外そうに相槌を打った。

「でもね、いろいろありすぎて、吐き出したらアルトが気持ち悪くなるくらいの量だけど、いい? 最初に聞いておくのは私の優しさよ」

「いーよ」

 どーんと来い、とアルトは両手を広げる。あっさりと覚悟を示し、アーリの鬱憤に対していつでも受け取れるくらいの準備をした。

「いいって、いいの? 本当にいっぱいたまってるのよ?」

「だからいいって。ほら、来い。時間はいっぱいある」

 躊躇どころかアルトは急かしさえする。じゃあ言うわよ、とアーリは最後に断った。

「ときどき思うのよ。私、この世界の住人じゃないのかもしれないって」

「ロマンチックな考えだな」

「そうね。きっとどこか遠い、別の世界があって、私はなぜかそこからこっちに来ちゃって、間違って生まれたの。だからレーヴェやメーリに比べて私はぱっとしないの」

「待て待て。レーヴェとメーリとは比べちゃダメだろ。あれは論外だ。比較対象にしちゃいけない人間だ。アーリはぱっとしない子じゃないよ」

「だといいんだけどね。この間、学校の先生から厳しい評価をもらったばかりよ」

 その時は、あまりに平均的な成績で、兄は優秀だったのにといわれた気がする。

「もう言われ慣れて気にしなくなったんだけどね」

「そういうのは慣れちゃダメだって」

「いちいちつっかかるわね」

「そりゃつっかかるわい」

 アーリは一度ため息をついた。

「私、本当の故郷に帰りたい。でも、私は帰り方を知らないのよ。だからどうしようもないの。ここから出たい。帰りたい」

 窓枠に置いていた手に、力がこもる。

 手の甲に、ぽたっ、と滴が落ちた。

 私、いつの間に?

「帰りたい。ここじゃない、別の世界に帰りたい……」

 そっと差し出された、大きな手が、アーリの頭をやさしくなでる。頭をなでるときは、いつも、強引にぐしゃぐしゃとかき回すのに。こういうときだけやさしくされると、余計に涙腺が緩む。

「わかった」

 アルトは、アーリの手をとった。似合いもしないのに、うやうやしくかしずいて見せる。

「俺が、連れてってやる。アーリのもといた世界に」

 快活で豪快な笑顔ではない。控えめな、静かな微笑は、アルトには似合わない。似合いはしないが、アーリはその表情が心に染みた。

「お姫様、どうぞご命令を?」

 アルトはちょいっと首をかしげた。アーリに、命令を促すように。わがままな小さな姫君をあやすように。

 別世界なんてあるわけないのだ。少なくとも、アーリの住んでいた国では、別世界の存在をさとすような教育はなかった。その存在を認めることは、主を否定することにつながりかねないから。

 だから、アルトの催促も、きっとまやかしだ。現実を考えれば、アルトの差しのべられた手はただの慰めでしかない。

 しかし、アルトは本気で信じていた。アーリのいう、アーリの故郷を、真正面から受け止め、結果として信じた。本人が疑っている別の世界を、アルトは何の疑いも抱かずに信じた。要するにこの男は馬鹿なのだ。馬鹿とは言っても、だからといって賢人が嘲笑っていいような馬鹿ではない。

「アルト、お願い」

 アルトの信じる、アーリの故郷を、アーリはもしかしたらあるかもしれない、くらいに思っていた。それよりも強く抱いた思いは、そんな世界があったらいいのに、という願望だった。

 アーリは、アルトの手をぎゅっと握る。

「私を、ここから連れ出して」

 アーリの故郷は、彼女の願望から生まれ出でた。


このお話と、もう一話で一章は終わります。

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