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一ノ③

 メーリには案内ゴーストがいるから万が一はぐれても問題ないが、佳苗のゴーストは調子が悪くアーリが預かっている。メーリのことは気にせず、佳苗が自分と離れないように注意しつつこの森を歩かなければならない。彼女と初めて会ってから理解したが、佳苗という人物は人一倍好奇心が旺盛であるらしい。目を離したら、絶対にふらふらと森をさまよう。だから、弟よりも赤の他人であるはずの彼女とつないだ手を離さなかった。

 森を出るまで、佳苗は興味が尽きないようで目線がひとつに定まることがなかった。自分の知識では分からない魔物を見つけたら、しきりにアーリかメーリに質問攻めした。

「あのカラス、きれいですねー」

「つやっつやの黒でしょ。お姉ちゃん、細部にまで気を配ってるから」

「地球じゃ、少なくともあたしの国じゃ、カラスはゴミを荒らすからあんまり評判よくないんだよね」

「ありえないなあ。カナちゃんとこって、カラスは神聖なもんじゃないの?」

「ここだってカラスは神聖とは設定してないわよ。綺麗ってだけで」

「へえ……。でも、あたしの国の昔話によると、カラスは神聖な神の使いってされてるんですけどね。いつの間に評判下がったのやら。あー! アレ、あれなんですか⁉」

 佳苗は急に大声を出して空いている手を存分に伸ばし、木の上の物体を指差した。

「あれは、地理変更システムよ。形は木の実だけど、定期的にこの辺一体の地理を吸い取って別の地形に変換するの」

「へえええ! アレがこの辺の地理変えてるんですか。見た目もいいしシステム自体もよくできてますし、いいですねえ」

 佳苗は片手で巧みにリュックからカメラを取り出し、地理変更システムを持つ木の実を写し撮った。

「ねーねー、いつ森から出られるの」

 メーリは待ちきれないらしく、アーリにせがむ。アーリなら、ゴーストがなくとも、またわざわざ時間をかけて森を横断せずとも、ものの数分で外に出ることができる。

「すぐよ」

 アーリは佳苗とつないだ手を離さないよう、もっと力を込める。そうでもしなければ、このおかしな少女はこの森をさまようことになろう。

 姉にゴールの近いことを聞かされ、メーリは案内ゴーストをつつきながら楽しそうにステップする。

「ねね、カナちゃん。この世界のこと、どう思う?」

 佳苗は目をぱちくりさせた。メーリの唐突な質問は、佳苗にもアーリにも予想できなかった。その予期せぬ問いに、しかし佳苗はしっかりと答えることができた。

「そうだねー。あまり開放的じゃない感じかな。お姉さんたちの住んでる小屋の周りはこの森でしょ。しかも結構深いし魔物もいるし、初めてここに来た人はびっくりすると思う。地理変更システムがあるってことは、防犯とかの意識も高いのかな」

 アーリは黙って聞いている。メーリも黙ってはいるが、相槌を打つ程度には佳苗の話に集中していた。

 佳苗の、メーリに対する答えは、この世界が調査隊である彼女の目にどう映ったかということである。それはつまるところ、彼女の故郷である地球での評判につながるのだ。アーリは別にこの世界に誰かが訪れてほしいとは考えていない。むしろ最低限の調査隊以外はこの世界に足を踏み入れてほしくないのが本音だ。

「でも」

 佳苗の評価は、まだ続いていた。

「すごいところだと思うよ。ここまで細かく重厚に設定された世界もなかなかないんじゃないかな。深い森とか人外生物とか、地球じゃ考えられない現実だよ。ごく少数の人間が、魔物と静かに暮らすための世界とも言えるよね。お姉さん達の小屋にたどり着くまでは遠くて深いし、迷宮みたいだね。それにもし部外者が訪れても案内ゴーストがいるし、悪い部外者だったときのための地理変更システムもうまく作動してる。森がとっても深いのは、きっとそれだけ深く深く考えられた世界観とシステムを表してるんだと思う」

 ひとしきり答え終えたらしい佳苗は、アーリとメーリを交互に見、首をかしげた。

「あのー、あたし、また変なこと言っちゃいました? ていうかお姉さん、なんでそんな驚いてるんですか」

 佳苗に指摘されるまで気づかなかったが、アーリは目を見開いて佳苗を凝視していたらしい。

「え、あ……、この世界を、そこまでよく観察してくれた調査隊って、初めてだから」

「なるほど。今までの調査隊はきっと表面上のことに気をとられちゃってたんですよ。これだけ深い世界なんじゃ無理ないですけど。見とれちゃいますから」

「みとれるのはカナちゃんだけだと思うなー」

「なんだよー。誰だってこんなに恐ろしそうで美しい世界に見とれるよー」

 メーリの言葉に、佳苗は唇を尖らせて抗議した。

 アーリは、ゆっくりと、佳苗の言葉を心中でかみ締めた。

 この世界は、自分勝手のための世界だ。だからアーリ自身も、この世界が誇れるとかいいところだとかそんな風に思ったことは一度もなかった。自分の逃げ道として、現実逃避のためのアーリの安息の場所でしかない。

 そんなくだらないと思っていた世界を、この小さな調査隊の少女は、美しいと評価した。アーリが目を向けなかったところに、佳苗はじっくりと観察し、美しさを見出した。物語は、時として紡いだ者本人が予想していた以上の評価を受けることがあるとメーリに聞いたことがある。今が、そのときなのだろうか。

 アーリは少し微笑んだ。こうしてこの世界が、誰かに感銘を与えてやれるのなら、ほんの少しだけ開放しても悪い気はしない。客観的に、そして純粋に世界を分析してくれた佳苗のように。

 目の前に、光が差した。もう森の出口に迫っている。

「出口よ」

 三人は、迷宮のような森から一歩前へ出た。出口の先には、魔物たちが往来する街が広がっていた。親子連れで散歩にいくもの、商売に精を出しているもの、忙しそうに走っているもの。石畳といくつかの小さな店舗で街は形作られ、石畳の隙間から、一本の大樹が根を下ろし、そびえ立っている。

「うわー、まぶしい」

 曇天だった空も、いつの間にか晴れている。こんな晴れ晴れとした空は、いったいどれほど見ていないだろうか。

「今日のお姉ちゃんはご機嫌」

「え、そうなの?」

 メーリは静かに青空を指差した。

「晴れだから」

「そっかそっか」

 佳苗は笑ってうなずいた。

「さて、森の外に出たわけだけど。次はどこへ行けばいい?」

「うーんと、そうですねえ……魔物がどんな生活してるか見てみたいですね」

「分かったわ。じゃ、行きましょう。はぐれちゃだめよ」

 アーリは再び佳苗の手をとる。佳苗は嬉しそうにその手を握り返した。ほんの数十分で、アーリはこの少女が妹のように思えてきた。

 一歩踏み出そうとした。

「お嬢様」

 アーリの顔が、全身がこわばり、足が止まった。

 何年音信不通になっていても、忘れることはない。アーリにとって、一番聞きたくなかった声。飛んでいるコウモリを能天気に眺めていたメーリもさすがに気づいたようだ。眠そうな目つきであっても、真剣味を帯びた。状況を理解できていないのは、調査隊の少女だけだ。

「……メイガス」

 アーリをお嬢様と呼んだ少女・メイガスはやや緊張気味にアーリへと近づく。余所行きのものではない、普段から着慣れている従者の装束に、短く切った菫色の髪、それと同じ色の瞳、若干荒れた手。

 忘れるはずもない。少しは成長しているようだが、アーリが最後に会った時のメイガスと、根本的なものは何も変わっていなかった。

「お久しぶりです、お嬢様。坊ちゃんもいらしたようですね」

「そうね。できればもう金輪際会うこともないと思っていたのだけど」

 アーリは無意識のうちに、佳苗の手を握る手にいっそうの力を込めた。

「あの~、お姉さん。こっちの古きよきメイドさんのようなお姉さんはお知り合いですか?」

 アーリは言葉で返答しない代わりに、心底苦い表情で佳苗に答えた。それだけでは説明に充足しないだろう、と判断したメーリが、佳苗に教えた。

「あのひとはメイガス。僕らの両親の奴隷……おっと失礼、従者」

「いいのよメーリ。奴隷でも従者でも同じじゃない」

「お姉さん、怖いっす」

 主人の子供に言いたい放題言われているのに、メイガスは動じない。この姉弟の毒舌には、慣れているのだろう。

「わたくしの身分云々はさておき、お嬢様。わたくしがこちらへ派遣された理由は、見当がついておいでですよね」

「……何一つ理解できていない、と言ったら?」

「では、はっきりと申しあげましょう。奥様から、帰ってこいとの伝言を預かりました」

「いやよ。帰らない」

 メイガスの伝言を受け取りはしたが、アーリはそれに従うつもりは毛頭ない。この世界も、両親から逃避するために創られたようなものなのだ。そこにアーリはずっと住んでいる。その根本を、従者は理解しているのだろうか。

「だってさメイガス。僕もレーヴェもお姉ちゃんと同じ気持ちなので、一人寂しくお帰りんこ」

 メーリの口調は相変わらずゆったりとしているが、間延びが消えて、ついでに手で虫でも払うかのような仕草までご丁寧に付属している。

 メイガスも負けてはいないようで、このままこの姉弟の言葉に従うことはない。

「いいえ、だめです。坊ちゃんおふたりはできることならと辛うじて見逃されていますが、お嬢様は絶対にわたくしと帰っていただきます」

「なぜ。レーヴェに家を継がせるつもりじゃなかったの」

「奥様はレーヴェ坊ちゃんではなく、お嬢様とご結婚された殿方に継がせると仰せです」

 アーリは頭と目の奥が鈍く痛むのを感じ、ため息をついた。いつから、両親は将来有望なレーヴェから落ちこぼれのこちらに鞍替えしたのだろう。

「いやよ。何度も言うわ。いや。帰らない」

「わがままは許しません」

「メイガス、いつから私に口答えができるようになったの。ずいぶん成長したようね」

「恐れ入ります」

 延々と続く皮肉合戦に、メイガスもアーリも負けを認めようとしない。

 はらはらと、佳苗はこのぎすぎすした状態を見守っていた。メーリはそんな佳苗の肩を軽くたたき、大丈夫と伝えた。

 さっきまで快晴だった空が、いつの間にか曇天に戻ってしまっている。さっきまで、せっかくの晴れ空だったのに。がっかりはしていたが、佳苗はこの急激な変化を嘆くばかりではなかった。

「お嬢様、もう一度、申し上げます。奥様から、連れ帰るよう遣わされました」

「何度でも言ってやるわ。帰らない」

 メイガスはこれ以上の言い合いは無駄だと判断し、ため息をひとつ小さくついた。

「……分かりました。翌朝、またうかがいます。それまでに、荷物の整理をしておくように」

「私が帰る前提での発言はやめてもらえるかしら」

「それでは、今日はこれにて失礼します」

 アーリにとっては一番訪れてほしくなかった者は、恭しく礼をし、その場を立ち去った。

 望ましくない来訪者が遠のくのを確認して、メーリは真剣な面持ちでアーリを覗き込んだ。

「お姉ちゃん、……帰っちゃうの?」

「そんなわけ、ないでしょう」

 アーリはようやく、佳苗から手を離す。姉の心もとない返答に、メーリはそっか、とだけ返す。

 アーリもメーリも、自分の家族だからこそ両親の力をよく知っている。アーリが帰らないと断言したところで、向こう側は強制送還の手を打って来るだろう。こんな世界があるから家に帰らないのだと、きっとこの世界に住む何の罪もない魔物たちを駆逐するだろう。そういう人間だ、あの親は。

「お姉さん、大丈夫ですか……?」

 佳苗が、心配そうにこちらを診る。この子は、完全な部外者なのだ。

「大丈夫よ。いきなり昔なじみが来たから、ちょっと、びっくりしただけ」

「そうですか。でも、もし気分が悪いとかでしたら、案内は今日じゃなくてもいいですよ」

「ありがとう。そうね、少し気分が悪いから、休ませてもらえるかしら。一時間もゆっくりすれば、きっと治るから」

「分かりました。じゃあ、どっか休ませてもらえるとこは……」

 佳苗はアーリの肩を支え、宿なり喫茶店なりを求めてきょろきょろする。目的のものらしきものを視界に捕らえて指差し、メーリに確認をとった。

「メイ君、あれは宿屋かな?」

「うん。そこのロビーのソファでも借りようか。カナちゃん、お姉ちゃんをお願いね。はぐれないように、しっかり僕について来るんだよ」

「たかだか十メートルくらいの距離で迷わないって」

 佳苗は口を尖らせながらも、言われたことには律儀にしたがって、メーリの後をついていく。

 魔物たちは、みなアーリの心配をしていた。すれ違うたびに、優しく声をかけてもらったり、疲れに効くからと、この地独特の茶葉をもらったりしていた。

 宿屋に入る直前、アーリはよく知っている人間に声をかけられた。それは、メイガスではない、聞きなれた声だった。

「あれ、アーリ?」

 アルトが、小さな紙袋を抱えてこちらへ近づいてきた。

「と、メーリか。珍しいな、外に出るなんて。んで、このお嬢ちゃんはどちらさん?」

「あ、初めまして。あたしは地球から派遣されてきた調査隊の者です。詳しいお話は後でします。今、ちょっと、お姉さんが、具合悪いみたいで」

 佳苗は早口でまくしたて、アーリに集中を戻した。最初から様子がおかしいと感づいていたアルトは、アーリと視線を合わせた。

「大丈夫か、アーリ? 顔が真っ青だぞ」

「大丈夫よ。少し休めば、また元に戻る」

「そっか。しっかし、何があった? お前、体壊すなんて今までなかっただろ」

「メイガスがね、来たの」

 アルトは息を呑んだ。メイガスがアーリの実家に出仕している従者であることは知っているし、その従者がここへ来るということの意味も痛いほどに分かっていた。

「嘘だろ……。お前ら、もうずっと向こうと連絡とってなかったんだろ? 向こうだって、縁を切ってたはずなのに、いまさらどうして……」

 向こう側にいたころ、アルトはアーリたち三兄妹だけでなく、彼女らの家とも多少の付き合いはしていた。アーリがレーヴェとメーリをこちらへ巻き込み、自分もまたこちらへ引っ越してからもうどれほどの歳月が経っているのか、向こうも分からないわけではない。

 それを顧みず、当然のように従者をよこして連れ帰るなどとは、虫がよすぎるというものではないのか。

「母様が、私と結婚した男に家を継がせるんだって」

「な……」

 アルトは何も言えなくなった。アーリと結婚した男がアーリの家を継ぐということは、長男であるレーヴェに家を継がせるつもりはない。つまり、レーヴェが目的ではないのだ。そして、アーリは連れ戻される危険を抱えているということだ。アーリに結婚させるという相手が、自分ではないことくらい、いちいち聞かなくても、分かる。

「なぜ突然私に鞍替えしたのか分からないけど、とにかく、向こうは私が目当てのようだったわ。向こうに帰ったら、私はすぐ結婚させられるんでしょうね」

 アーリは俯いて、言う。結婚したら、もうこちらへは二度と戻ってこられない。そうしたら、アーリの愛したこの世界は、立ち行かなくなって、いずれ消える運命に飲まれる。アーリの言葉に、アルトは残酷な一言を返した。

「そうか」

 たった、それだけで、アーリはアルトをばっと見上げた。アルトの顔に、表情は浮かんでいない。ただ諦観したような空気が漂っている。

「そうかって、それだけ? 私、顔も名前も知らない人と結婚するのよ? そしたら、この世界に戻ってこれなくなるのよ?」

「あのひとたちは、人を見る目は確かだから、きっといい奴連れてくるよ。そいつは、きっとアーリを幸せにできるくらいの男だと思う。悪い話じゃないだろう」

 この男は本気で言っているのか、とアーリは疑った。まだ調子が戻っていないのか、足元がふらふらしてくる。

「メイガスと一緒に、家に帰って結婚してもいいんじゃないか」

 力なく微笑んでいるアルトを、アーリは精一杯睨んだ。ぎゅっと拳を握り、唇をわななかせ、涙が目から零れ落ちるのを必死に押さえ、アーリは叫んだ。

「アルトの、大馬鹿‼」

 佳苗の手を引いて、アーリは宿屋へ行かず、再び森へと消えていった。

 曇天が、雷を落とし、大雨を降らせた。


一章はまだ続きます。切りのいいところでまた区切ります。

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