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四ノ④

ずいぶんと深く寝ていたらしい。彼方に肩を叩かれて目を覚ました佳苗は、眠り始めたのがついさっきのような感覚がした。

「あ、着いた?」

「うん。もう着陸するよ。降りる準備しといてよ」

 そそくさと荷物をまとめていると、機関車が停車した。『ご乗車ありがとうございました』というアナウンスが流れ、乗客に降車を促している。自分に構わずさっさと降りる彼方を見て慌てて、佳苗は早足で車内を駆ける。

 降り立った駅は日本の田舎にありそうな小さいもので、この大きな蒸気機関車が停車するには、少し不似合いな場所だった。だが佳苗はこの駅にいたく親近感を抱きさえした。

「ま、待ってよ、彼方君!」

 前方を行く彼方の歩幅は、いつもより長い。速度も速めだ。佳苗が何かしら声をかけたらそれなりの反応を示すのに、彼方は管理局までずかずかと進んでいく。仕事の同僚のことなどお構いなしに。

 駅の改札口は駅員に切符を切ってもらう、やや昔のシステムだった。駅員に催促され、佳苗は慌てて切符をポケットから出す。焦っていたため、ひらひらと切符が宙を舞ったが、何とか両手で受け止め、駅員に渡した。改札をどうにか出た佳苗は、外に広がる世界を堪能する余裕もなく彼方をうろうろと探し回る。通信機を使えばいいものの、今の佳苗にはそれを思いつく余裕も失われている。あわあわと相棒を探し出そうと駅周辺をぐるぐるとまわる。

 突然、通信機が鳴る。

「ぎゃん⁉」

 その音に過剰反応した佳苗は、通信機を取りこぼしそうになるのを何とかこらえた。

「かっ、彼方君⁉」

『でっかい声出さないでよ。耳鳴りがする』

「あ、ごめん。……じゃなくて今どこ?」

『君の後ろ』

 通信機越しに聞こえる声と、背後から聞こえた彼方の声がして、佳苗は結局通信機を落とした。ばっと後ろを振り向くと、少しだけ仏頂面した彼方が通信機を耳に当てて立っていた。

「置いてかないでよー! 迷子になったかと思って焦ったじゃない」

「や、なんかちょっと頭に来ることがあったもんで」

 彼方は悪びれずしれっと弁解する。

「仕事に私情を持ち込むなって言ったの彼方君だよね⁉」

「それはそれ、これはこれ」

「よそはよそうちはうちの言い訳みたいなこと言うなー!」

 通信機を拾い、異常がないかチェックしつつ彼方に文句を言う佳苗は、器用だった。

「あー、まあ……」

 彼方はそっぽを向き、きまり悪そうに頭を掻いた。

「ごめん」

 謝罪の言葉を、佳苗にはっきりと正面から向けた。突然のことに、佳苗はどうしていいかわからない。それを受け入れればいいだけの話だが、相手が相手なのだ。彼方が素直に自分の非を認めるなんて、珍しいことだった。

「へっ?」

「子供みたいな嫌がらせして悪かったよ。少し、腹立たしいことがあったもんだから」

「あ、あれ、わざとだったの?」

「うん。仕事に私情を挟むなって言ったけど、俺も人のこと言えないね。もう置いてけぼりにはしないから、安心して」

 彼方はそういって、佳苗に手を差し伸べる。離れないように、迷子にならないようにするための手段としては単純で明快だ。そのための手でもあるが、仲直りのしるしとして手をつなぐという意味も込めて、彼は佳苗に差し出したのだろう。佳苗は満面の笑みで、その手を取った。お返しに、少し強く握り返す。握力が弱かったらしく、彼方には何とも感じさせる力ではないようだった。

「……よっわ。それで握ってるつもり?」

「これで精いっぱいですよ」

「じゃ、そういうことにしときますよ」

 二人は管理局に着くまで、ずっとそうしながら歩いていた。いつもなら未知の風景に心躍らせ、満足するまでシャッターを切る佳苗が、今はとてもおとなしかった。この風景は、管理局へ行った後でも撮ることはできる。今は、今しか味わえない感覚があるから、それを優先した。

 佳苗はその感覚を、時間が許す限り味わうことにした。彼方の手は佳苗の手をすっぽりおさめてしまうほどに大きかった。ゆっくり歩いてくれているつもりでも、佳苗にはまだ小走りでなければ釣り合わない。

 同じ十五歳のはずなのに、いつの間にかここまで差がついていた。もどかしいような寂しいようなくすぐったい感覚がする。佳苗はまた強く手を握ったが、彼方には別段何ともなかったようだ。一瞬、彼方は手を握るのを離し、また佳苗の手を包み込んだ。

「君、よっわ」

 彼方は振り向きもせず、佳苗にそう言った。

「大きなお世話だよ」

 佳苗はそう答える。

 管理局までの距離が、なぜか長く感じられた。だけれど、佳苗が思っていたよりも早く、目的地にはたどり着くことができた。

 管理局に入る直前、彼方はあまりにもあっさりと手を離した。心持ち、大股で管理局の受付に行ったのは、佳苗の気のせいなのかもしれない。

 佳苗は彼方に続いて調査隊証明証を提示する。これを受付に見せて、必要書類を出す。そしてチェックが行われ、問題がなければ次はその世界の調査に移ることができる。この受付のチェックは、調査隊によって時間がかかることもあるが、日本の埼玉調査隊は抜きんでて短時間で終わる。これも、多くの世界から寄せられる信頼によるものなのだろう。

「それでは、よき調査を」

 受付の係の者は、屈託ない笑顔で調査隊二人を送ってくれた。この笑顔だけで、佳苗にとっては仕事が楽しくなる。受付に軽く一礼して、外に広がる世界へと溶け込んでいく。

 改めて歩いて、佳苗は気づいた。この世界は、どこか郷愁の念にかられるのだ。

 どこまでも青く澄んだ秋の空。その空を自由に優雅に泳ぐ白い生き物は、双眼鏡を頼りに見たら天馬だった。木々はこの世界に合うかのように、紅や黄金色に染まっている。ときどき、土の地べたを優しく通り抜ける風が、葉を揺らす。

 この世界に暮らしている住人達は、地球の人間と同じ人もいたが、それ以外の種族も明らかに暮らしていた。空駆ける天馬だけではない。町並みを改めて見直してみると、よくわかる。

 樹から樹へ、飛び移る影は天狗だった。深紅の肌に長く伸びた鼻、修験者の装束をなびかせながら、樹へ樹へと駆ける。

 流れる川をのんびりと泳いでいるのは河童だった。水遊びを楽しんでいる河童もいれば、川から上がってざるに入れたきゅうりを冷やしている河童もいる。

 街道を元気よく走り抜ける子供たちは、日本の着物を着ている。中には、尻尾をうまく隠しきれていない子供がいる。たぶん、狐か狸あたりが化けているのだろう。

 佳苗は不快にならない程度にそういった妖怪のような住人達の姿をカメラに収めた。彼らは、いずれも日本の妖怪とされている者たちだ。

 吹く風に身を任せながら気の向くままに歩いていくと、海が見つかった。どこまでも深く、底が知れないような青色で、この海の向こう側には何があるのか想像させてくれる。

 その海に、真紅の鳥居が立っていた。海に立っている鳥居といえば、佳苗は小学校四年の頃に旅行で見た厳島神社の大鳥居を思い出す。この世界のあの鳥居は、それによく似ていた。

「彼方君、あの鳥居のところに行っていいかな?」

 佳苗は海にそびえる大鳥居を指差した。

「いーよ。実は俺も気になってた」

 街道と海辺をつなぐ石段をリズミカルに駆け下りていく。遠くから眺める海は、近くでじっと見つめていると印象が違う。さっきまでは遠い場所にあると思ったものが、ただ石段を下りて浜辺に足を踏み入れたら、身近なものに変化した。

 砂浜にはゴミひとつ落ちていない。海が規則的に波を打っては返し、貝やら石やらを運んでくる。海に接していない埼玉で生まれ育っていった佳苗にとって、この空間は新鮮で憧れによく似た感情を芽生えさせる。この美しく澄み切った海を、佳苗はカメラに写した。

「貝がら」

 彼方が貝がらをひとつ、摘み上げる。

「貝がらに耳を当てると海の音が聞こえるっていうけど、本当なのかな?」

「そりゃ聞こえるでしょ。ここが海なんだから」

「いや、そりゃそうだけど……じゃあ、大都会……渋谷とか新宿とかその辺の道でもそうなのかなあ」

「聞こえないよ。都会は騒がしいから、音があってもかき消される」

「……彼方君って現実的なのかロマンチックなのかわかんない」

「それはどうも」

 彼方は拾い上げた貝がらを、袋に丁寧にしまいこむ。調査の参考として、現地の物品を持ち帰るのだ。

 海にいったん区切りをつけ、佳苗は名残惜しさを閉まって大鳥居へと歩いていく。白い砂の感触が、靴越しでも心地よい。ここは海なんだ。改めて、そう佳苗は感じる。

 海にたたずむ大鳥居。近くで見上げると壮大だ。まだ潮が満ちているので、すぐそばで観察することはまだできない。数メートルは離れていても、鳥居の厳かさは伝わった。

「鳥居ってことは、この辺には神社があるんだよね?」

「ありますねえ」

「てことはこの周りは神社なわけだ」

「何を当たり前のことを」

「いや、ほら、仮にも神社なんだから、カメラで撮ったりしたらバチでもあたりはしないかと」

 佳苗の至極全うな畏怖に、彼方は盛大なため息をついた。

「君、妙なところで律儀だね。こーちゃんといいみーちゃんといい、君んちは律儀の塊だな」

 みーちゃんというのは、佳苗と孝太の妹実優のことで、桜井家の末っ子に当たる。実優も上の兄姉に負けず劣らずの律儀さと真面目さを兼ね備えている。

「律儀かな? だって宗教施設だしさ、お天道様のバチっていくつになっても怖いものじゃない」

「君は何を信仰してるっていうんだよ」

「いいじゃんか! 鳥居とか神社は好きだけど怖いものには変わりないんだから」

「しょうがないなあ。じゃ神主でも探すか」

 彼方の言葉に、佳苗は従う。大鳥居を見失わないように、海辺をふらふらと歩いていると、思いのほか早く、目的のものは見つかった。

 その神社にも入り口には当然ながら鳥居が建てられているから、すぐに見つけやすかったのだ。二人はその鳥居の端っこをくぐり、手水舎で手を洗い、参拝した。手を合わせて祈りを捧げるのだが、考えてみれば佳苗には、神様に聞いて欲しい願い事というのがそれほどないことにいまさら気づいた。目指す作家は自分の力で成し遂げるべきことだし、勉強だって自分の力でどうにかすればいい問題だ。さんざん迷った挙句、「この仕事がずっと続けられますように」と、当たり前のことを祈った。


まだまだまだ続くのです。

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