四ノ③
「こんにちはー」
「おー、カナ。お昼食べちゃいな」
「うん。ありがと、お兄ちゃん」
事務所には案の定、兄の孝太が昼食を用意して待っていた。彼方は学校で食べてくるから少し遅れるし、ほかの隊員はそれぞれ出かけている。三島は情報を得るために午前中は事務所を留守にする。中野は如月に同行して、日本支部の責任者と会合している。埼玉の調査隊というのはそんなもので、全員集まるのはだいたい昼を過ぎてからになる。事務所にいつも居座っているのは孝太くらいだ。
佳苗はできたてのオムライスを存分に味わいながら、今回の調査に関して少しばかり考えていた。三島しだいで資料なしの状態から調査するということになる。むしろ、三島の実力を持ってしても情報を得られない完全な未開の地ということも場合によってはありえる。そんな世界を発見した人は偉大だ。佳苗は、それなりに恐怖を抱くがそれもかすかなものでしかない。
佳苗は好奇心が旺盛だ。これは危ないのではないか、これをやったら失敗なのではないかという心配ごととはほぼ無縁である。不安や心配に駆られることはあっても、それを打ち消すどころか覆いつくしてしまえるほどの前向き思考がある。だから、彼女にとって調査は、恐怖ではなく楽しみなのだ。
「ごちそうさま」
「お粗末様。ほれ、食後のコーヒー」
そういうと孝太は佳苗お気に入りのマグカップにコーヒーを注いだ。
「あ、お兄ちゃん! お砂糖は自分で入れるからね?」
「あらそう? ミルクはいいんだっけ?」
「うん。あたしはお砂糖だけ!」
孝太が大の甘党であることを、身内である佳苗はよく知っている。甘いものが好きな佳苗でも、孝太の極端な甘党は度を越えていると思える程度には常識を持っていた。
「あのさ、お兄ちゃん」
自分で適量と判断した砂糖をコーヒーに入れ、佳苗は念のため恐る恐る口をつけてみた。ちょうどいい甘さで心底ほっとした。
「どうしたい、妹?」
「今回の世界ってさ、情報はなくても、どこに交通手段があるかくらいはわかるよね?」
「あー、それは案外すぐに見つかったって。ここの最寄り駅にあるのよね」
「ここの? あたし、さっきその駅通ってきたけど、それらしいものは見当たらなかったよ?」
「いやあ、それがねえ、一番線の下にあるって、三島さんが言ってたのよ」
「下? あそこって地下はないじゃない」
「あるのよそれが」
「九と四分の三番線みたいな?」
「俺様はバナナの皮を燃料に空を飛べる車とかがよかったわ」
「あたしもだけど、そんな都合のいい車は今のところ、ない」
「大丈夫よ。地球以外にもいろんな世界が見つかってる昨今じゃ、そのうちできても不思議じゃないわよ」
「俺、どっちかっつーと空飛ぶ船とか戦隊ものによくある操縦できるロボットとかが先にできると思う」
「あら、いいわね~。戦隊モノのロボはみんな男の憧れだもんね~」
「っていうかさあ、もうロボット自体はいくつも発明できてるからさ、むしろ何で戦隊ロボを作らないんだって思うんだよね」
「そうねえ。費用があればなんとかなるんじゃない?」
「なるほど。開発者にとっての真の敵は、かさむ金か……」
「………………あのさ、ちょっといい?」
佳苗はおずおずと右手を上げる。
「なんでまた彼方君がいつの間にいるの⁉」
「さっきからいたよ~」
「どの辺から⁉」
「自分で砂糖入れるってところから」
「ほぼ最初の方じゃない‼」
「まあ、ソレはさておき、こーちゃん、コーヒーお代わり。砂糖もミルクも自分で入れるからね」
「すでにコーヒー一杯飲んだ後とな⁉」
「俺、ブラックに目覚めそう」
「聞いてないよ!」
「そりゃそうだ、独り言だもん」
そういうと彼方は淹れたてのコーヒーをぐいっと飲み干した。
「じゃ、俺着替えてくる」
彼方が別室に引っ込んで、その後すぐ如月と中野が事務所へ到着した。それに続くようにして、三島も入ってきた。
「よー、カナ嬢ちゃん。今日は片側ポニー? かわうぃいねえ。そんなに長くないから、結ぶの大変だったんじゃない?」
如月はいつものよれよれYシャツではなく、きちっとスーツを着こなしていた。ぼさぼさの頭もそれなりに整えられていて、いつもの如月の醜態を知っている者が見たら、一瞬誰かと思ってしまうだろう。が、服装と違って口調はいつもどおりの軽口のため、すぐに如月だとわかる。
「あ、環ちゃん……高校の友達が結んでくれたんです」
「いいお友達だねえ。じゃ、いつも髪型違うのはそのお友達が結ってくれてんの?」
「はい。あたしは邪魔にならない程度に縛れればいいんですけど、環ちゃんが結ってくれるのが嬉しくてつい」
「そっかそっか。大事にしろよ。俺の目の保養を作ってくれる子なんだから」
「太一、それ以上言うとセクハラで訴えるつもりなんだけど、いいかしら?」
三島はいつもの穏やかな笑顔でさりげなく恐ろしいことを言ってのける。
「え、俺なんかまずいこと言った?」
「今の時代はね、セクハラだと思った時点でセクハラになるのよ、悲しいことに」
「そうねえ。俺は別にエロいことは何も言ってないぞ。カナ嬢ちゃんがかわいいって言いたかったんだぞ?」
「それでもセクハラと感じたらセクハラなのよ」
「めんどくせー」
上司たちが言い合っている間に、佳苗は学校のセーラー服から調査隊の制服に着替えてきた。青いジャケットに右腕には赤い腕章。鞄の中に必要なものを詰め込み、準備を整えた。
現地調査員二人の準備が万端になったのを確認し、如月はいつもの通り二人を送っていった。
今回の交通は、事務所の最寄駅にあるらしいが、佳苗も彼方もそれがどんなものなのか具体的にはわからなかった。如月が送り迎えを引き受けたのは、それを伝えるためであるのも理由のうちにある。情報を得ていた三島が同行すればいいのだが、現地調査員の送迎は自分の仕事だと言って譲らない指揮官なので、如月がそれも担うこととなった。
事務所から駅までは歩いて行ける距離だから、車で行けばなおのこと短時間でたどり着く。前回のように居眠りする暇もなく駅に着いた。駅員には、調査隊の調査であることを話した。
駅員に連れられてきたところは、ホームの端っこだった。その端に、マンホールがある。それを開くと、階段が下へ続いている。駅員の誘導に従い、調査隊三人はそれについていく。
少しばかり暗かったが、階段を降り切ると徐々に光が存在を主張してきた。「ここです」と駅員に導かれて佳苗が見たものは、大きな蒸気機関車だった。黒く艶のある機関車は新品そのもので、偉大だった。
「これが、交通手段……?」
「そ。空飛ぶ機関車。これが、今回調査する世界へと連れてってくれるよ。さ、いっといで」
如月は佳苗と彼方の背中をぽんと押す。駅員に連れられ入った機関車の中は、佳苗にとってなぜか懐かしさを思わせる匂いがした。乗車口付近でその匂いを全身に感じていると、彼方に手を引かれ、座席へと連れて行かれた。
「座るよ」
「あ、うん。ごめん。ぼーっとしちゃって」
「恋煩い?」
「そんなわけないでしょ!」
「だよね」
「否定するなら最初からそんなこと聞かないでよ!」
「いや、念のための確認も兼ねて。君でも恋煩いするのかなーって」
「変な確認反対はんたーい!」
むきになって言い返していると、アナウンスが流れてきた。
『間もなく発車いたします』
席に座ると、がたんと揺れた。機関車が動き出したのだ。
「あのさ、彼方君」
「うん?」
向かいの席で、窓枠に頬杖をついている彼方に佳苗は話しかけた。
「あたしたちさ、蒸気機関車に乗ったことってあったかな?」
「さあ……。博物館とかに展示してある機関車の模型だったら可能性はあるんじゃないの?」
「ううん。模型とかじゃなくて、本物の」
「それはないと思うよ。俺たち、物心ついた時から電車だったじゃん」
「うん。そうだよね……」
彼方は首をかしげる。
「しっくりこないの?」
「なんていうのかな、あたし、蒸気機関車に、初めて乗った気がしないんだよね」
「そうかあ? 記憶違いじゃないの? 記憶って、思い出そうとすると改ざんされるから。勘違いとかの可能性もあるよ?」
「う、ん……」
いつも、佳苗は突拍子のないことを彼方に聞く。それらはすべて、彼方の真剣な受け答えによってほとんど払拭される疑問なのだが、今回は彼方をもってしても納得はできなかった。
記憶違いというにはあまりに鮮明で、夢というにはあまりに匂いや乗り心地の感触を体が覚えすぎている。まったく、しっくりこなかった。
「……思い出せなくて気持ち悪い?」
「ちょっとね。でも、向こうに着いたらなるべく集中するよ」
「仕事に支障が出てたまりますか」
「ですよねー」
ふと窓を見やると、機関車は外へ飛び出し、空へと浮かんでいた。それを見ていた佳苗は、思わず席から立ち上がる。窓の枠に手をかけ、外を存分に眺める。
「うわあー……!」
「空飛ぶ機関車、か。懐かしいね、そんなアニメあったっけ」
「うん! あたし、空飛ぶ機関車に乗るのが夢だったなあ」
「車型のタイムマシンは?」
「それもある」
「まだらの世界の交通手段も似たようなものじゃなかった?」
「あれは電車だったじゃない」
「そりゃそうだけどさ」
佳苗は小さく欠伸した。徹夜続きの勉強がまた祟ったらしい。
「寝てれば? 今回は着いたら起こしたげるからさ」
「うん……。でも彼方君さ」
「なに?」
「いつもひどいこと言うけど、いつも起こしてくれるじゃない」
ふにゃんと笑いながら、佳苗は上半身を横にして、くーすかと気持ちよさそうに眠った。
まだまだ続きます。




