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一ノ①


 一、迷宮の世界 「私を、ここから連れ出して」


 簡素な木造の家、木製の椅子に腰かけ、机の上には一冊のノート。彼女は、白紙のページにペンを走らせる。かしかしと、心地のよい音が静かに響く。時々手を止めて、そばにおいてあるミルクティーを口にする。

 この静かな時間が、好きだ。ここは外と隔絶されているから、騒音とはお付き合いがない。静寂を愛する彼女は、この空間もまた愛していた。

 兄はまたこりもせず、町へ出かけて武器を物色している。弟は、まだ寝ているのだろう。

 ミルクティーがなくなり、彼女はノートを閉じた。今日はこれでおしまい。ノートを引き出しにしまう。椅子からゆっくり立ち上がり、ぐんと伸びをする。腰まで届く淡い栗色の髪が小さく揺れる。ロングスカートを翻し、足首を回す。

 空から、鐘の音が降ってくる。昼を告げる合図だ。兄と弟のために、昼食でも作ってやるか。そう思って台所へ向かう。

 突然、森林がざわめき出した。ぴた、と立ち止まって、耳を済ませる。

 かすかに、誰かが駆け足でこちらへ向かってくる音がする。けっ、と顔に似合わない舌打ちをした。

「おおぉーい、アーリいぃ‼」

 ああ、来やがった。私の平凡を壊すやつ。とりあえず台所で適当に野菜をざっくざっく切り刻む。若干、ナイフを握る力が強いのは、気のせいなんかじゃない。あの陽気で騒がしい、腹立たしい声の主のせいだ。

「アーリ! 返事ぐらいしろよう」

 ノックもせずに入ってきたこの男。走ってきたであろうはずなのに息切れひとつしていない。少し日に焼けた肌が健康そうに艶めいている。精悍な顔立ちの青年は、しかしつんつんさせ放題の金髪のせいで魅力が半減していた。

「……何しに来たの」

 アーリと呼ばれた少女は、もともと透き通ったような美しい声を持っているというのに、もったいないしゃべり方をした。最大限ドスの利いた低い声でこの男を威嚇してやろうと反抗したのに、向こうは意にも介さない。快活に笑って済ませるだけだ。

「何って、そろそろ飯時だろ? トロール達から肉もらってきたからおすそ分け」

「ああそう。じゃそれだけおいて帰ったら? ちょっと、なんで当たり前のように席についてるのよ」

「いいじゃん別に。ここ、オレの席だろ」

「お客様用の椅子よ。あなた専用じゃないわ」

「間違ってないじゃん。オレお客様」

「自分で様をつけるな様を」

 アーリは肉をぶんどり、刻んだ野菜と一緒に鍋に突っ込んでかき回した。料理の匂いが漂えば、寝ている弟も起きるだろう。昼になれば、兄も帰ってくるはずだ。

 ふと、アーリは彼の周囲を見回した。何もない。あるはずのものを、彼は持っていない。

「アルト、案内ゴーストは?」

「ん? 家」

「よく迷わずにここまで来れたわね」

「あー、そうだなあ……」

 アーリの住む小屋は町から隔絶された場所に構えられている。もともと彼女達の住む世界は迷路のように複雑な地形でかたどられており、この世界で迷わない者はいない。しかも定期的に地形が変化するから、地図というものは何の役にも立たないのだ。その地図代わりとして、住人や観光客達には、一人一匹の案内役であるゴーストがつけられる。多少の差はあるが、それはいずれも半透明で淡色の生物であり、住人達の肩周りをふよふよと漂っている。外見も恐ろしくないし、人懐っこい性格で、使用者からは好評を頂いているシステムだ。

 アルトはアーリに指摘されてようやく気づいた。自分がゴーストもないたった一人で迷宮のような森林を抜けて、この小屋にまでたどり着けたことの奇妙さに。

「なんでだろうなあ……」

「何のためにゴーストを採用したと思ってるのよ」

「いやあ、つってもねェ。オレのゴーストは何かヘタレなんだよ。よく道間違えるし、遠回りするし。あいつがいなくても俺は平気だよ。いなきゃいないで寂しいけどさ」

「ゴーストの存在を馬鹿にしないほうがいいわよ。以前、調査隊の一人が調子に乗って一人でこの辺うろつきまわって餓死寸前になったことがあるから」

「あれはそいつが悪いんだろ。それにオレは迷わずここまで来れてるし、いいじゃん別に」

「さて、ご飯ができたわ」

「あの、ちょっとアーリお嬢さん? 聞いてます?」

「メーリを起こしてきて。二階の自室にいるから」

 そういうとアーリはアルトが声をかけても無反応を貫いた。どうやら、気まぐれなアーリは命令に従わなければ口は聞かないらしかった。アルトはやれやれと苦笑しながら、歩き慣れた小屋の階段を上っていった。

 のんびりと鍋料理を煮込んでいると、玄関から兄の「ただいま」という声が聞こえてきた。アーリはふっと後ろを振り返る。

「おかえり、レーヴェ」

「うん。ただいま」

 レーヴェは古びたコートを脱ぎ、椅子にかけた。

「今日はどうだった?」

「いつも通り」

 もともと表情の硬いレーヴェは、淡々と答えるだけだ。それが愛想のなさではなく、単に感情が顔に表れにくいだけだということを、妹のアーリは知っている。レーヴェは魔物を相手に武器を売る商売をしている。どんなものを取り扱うにしても、商売人というのは世辞や愛嬌がなければならない。レーヴェにそういったものはなかったが、それでも繁盛しているのは、魔物たちに対するレーヴェの人柄が大きく作用しているからだ。眼鏡の奥に潜むまなざしは、決して濁ることも曇ることもない。アーリは、この兄が昔から大好きだった。

「メーリは?」

「まだ寝てる。アルトが起こしに行ったわ」

「そうか」

 上から、悪戦苦闘しているアルトの声が聞こえてくる。もう昼を過ぎる時刻だというのに、まだ毛布にぐるぐるとくるまって睡眠を決め込むメーリを布団から引っぺがそうと力技を必要としているに違いない。ここでは、いくら早起きの必要がないといっても、あまり寝すぎては体に毒だ。アーリもここへ暮らすことに決めてからずいぶんとメーリに小言を言ったものだが、叱られている当のメーリは右から左で、ちっとも反省していないようだった。二階の寝室でまだ寝ているメーリは、睡眠に関しては情熱を注ぐ。レーヴェとメーリの弟で、三兄妹の末っ子だ。末っ子だからと言って甘やかされて育ったような子でもないのだが、メーリはどうも情熱を注ぐべきところがずれている。あれで、本当に頭がいいのだから、おかしなものだ。

「アルトも来てるのか」

 思いついたようにレーヴェは訪ねた。

「そうよ。食材持ってきてくれたから、ついでに昼食も食べるみたい。本当に、いつもいつも押しかけて迷惑千万だわ」

「とはいえ、アーリもまんざらではないのだろう」

 レーヴェの言葉に、アーリは一瞬だけ、手を止めた。ばっ、とレーヴェの方へ向き直る。アーリの長い髪が、美しく翻った。

「馬鹿言わないで。本当に迷惑しているのよ」

「知ってる」

「レーヴェ、からかってるの?」

「全然」

 何を弁解しても、レーヴェには通じない。アーリは言い合うのを諦めて、目の前の料理に集中することにした。

 料理が一通りできたころ、アルトがいまだに眠気眼のメーリを引きずって降りてきた。

「お、レーヴェ!」

「……よう」

 レーヴェは最低限の挨拶だけ済ませて、席に着いた。

「アルト、遅い。メーリも、起こされたらすぐに起きなさい」

「うーい。考えとく」

 三兄妹と、旧知の仲である男と合わせて四人の食事は、割と賑わった。といっても、喋るのはアルトくらいで、まともに聞いているのはメーリだけだった。別にアルトは長男長女に無視を決め込まれても気にしなかった。この男は、楽観的で妙に前向きだからか、冷たくあしらわれていることにも気づいていない。

「ごちそーさん。うまかったあ」

「そう。また食材を持ってくれば、アルトの分も作ってあげなくもないわよ」

「本当か? じゃ、夕方また来る。今度は甘いものでも持ってくるよ」

 アルトは帰り際、アーリの頭をその大きなたくましい手でぐしゃぐしゃと撫で回した。彼なりの、食事の感謝の表れだ。

「ちょっと、いつもいつも言ってるんだけど、やめてもらえない? これ、セットにかなり時間かかるのよ」

「え、そうなのか。覚えてたらやめる」

 そう言ってやめてもらったためしは、一度としてないのだけれど。

「じゃな。また来る」

 アルトは軽く手を振り、アーリの家を後にした。

 食事を終えると、アルトは帰っていく。何だかんだ言って、アルトは出されたものは全部食べた。嫌がらせとして味を濃くしてやったが、「いつもと味付け違うなあ」の一言で済まされた。

 あの男は、どうもこの世界には似合わない。こんな陰気で迷路のような世界には、アルトはまぶしすぎる存在だ。

 それでも、あの男は毎日のようにここに来て、食材と引き換えに昼食を食べに来る。メーリが懐いているし、いい食材を持ってきてくれるからそう邪険に扱うつもりもないのだが。

 どうして、こんな迷路のゴールに来てくれるのか、アーリには分からなかった。

「アーリ」

 レーヴェが、アーリの持っていた食器を取った。

「なに、レーヴェ?」

「片付け、俺がやっとく」

「そう? じゃあ、ちょっと散歩してくる」

「ん。案内ゴーストは?」

「いらないわ。私一人で大丈夫よ」

「いいおみやげを期待します~」

 メーリがテーブルに突っ伏しながらそう頼んできた。散歩で得られるおみやげなどない。 

 アーリは何も持たず、ゴーストもつけず、ふらりと森林の中をさまようことにした。

 


切のいいところでいっぺん区切ります。

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