メトロポリタン美術館
ネッドが死んだ。大切なボーイフレンドだった。
私はもうすぐ12歳の誕生日を迎えようとしていた。ネッドが死んでから、かれこれ2週間も塞ぎこみっぱなしだ。
元々夢見がちな性格からか、一度落ち込むとなかなか立ち直る事ができない。
今日も肩を落として家路に向かっていると、
「あら?今帰り?」
と、うちのママが喋りかけてきた。隣にはパパもいた。
「どうして一人で帰ってるのよ。いつも誰かと帰ってるあなたが」
「何だっていいでしょ!私は一人になりたいの!」
「それよりどうしてパパがいるの?会社は?」
パパとママは一瞬顔を見合わせ、パパが話し始めた。
「今日はお前にプレゼントがあるんだ」
私はビックリした顔で答えた。
「え?誕生日はまだ先よ?」
「いや、お前があんまり塞ぎ込んでいるから、ママと相談して、早めに渡そうと決めたんだ」
「だから、今日は会社を休んでママとプレゼントを買いに行っていたんだよ」
パパはプレゼントの袋を開けて私に中身を見せてくれた。
それは、私が前から欲しがっていた、人気キャラクターの目覚まし時計だった。
「うわぁ……」
私は思わず声をあげてしまった。
「ちょっとあなた!こんな所で渡すの?」
「いいじゃないか」
私は喜んでそれをカバンに詰め込んだ。その瞬間、私は「しまった」と思った。
ネッドを失った私は、塞ぎ込んでいなければいけない。そうでなければネッドが浮かばれないと思ったからだ。
「私、用があるから!」
気分を悪くした私は、街の方に向かった。
両親は後ろで私の名前を呼んでいた。お礼も言わないのは少し心苦しかったけど、ネッドを失った私の苦しさに比べれば、こんなのは平気だった。
私は無意識に危険な場所に足を向けていた。
車通りの多い交差点、暗い路地裏、虚しい気持ちの時にはこういった危険な場所が、逆に安らぎを与えてくれる。
「はぁ……この世界って何てつまらないんだろう」
私は社会と隔絶された独特の感覚に打ちのめされていた。孤独とはこういうものなのだろうか。
その後、時々一人になりたい時に訪れる路地裏に向かった。いつものように塀の上によじ登る。片方の足を上げて塀の上に乗せると、赤い靴下が顔を覗かせた。
「私のトレードマークも、今は間が抜けて見えるわ」
ため息を一つ付いて、塀から降りてまた歩き出した。
やってきたのは5番街。ここのセントラルパーク沿いは、色んな美術館が並んでいて、歩いているだけで楽しい。
でも今はそれどころじゃない。パパとママはきっと私を探しに来るに違いない。
私は、どんな事をしても見つからないでおこうと決心した。
「今日は家に帰らないわ。私が傷ついてるって事を分からせてあげるんだから」
大見栄を切ったものの、野宿するにしても、やはり外で寝るのは怖い。
「いっその事どこかの建物に忍び込もうかしら……」
そう思っていた時、右手にメトロポリタン美術館を見つけた。
メトロポリタン美術館はとてつもなく大きくて美しい。しかも大人同伴であれば、私の年齢なら無料で入ることができる。
私は気の良さそうな老夫婦を探した。
図々しくも、社会勉強を装って便乗させてもらい、美術館に入れてもらおうと思っていたのだ。
まだ日が高かった事もあり、探すのに苦労はしなかった。
――事は全て順調に進んだ。今、私は美術館の廊下にいる。老夫婦に礼を言って美術館の中を散策しているところだ。
散策と言ってもここには何回も来てるから、見るものはそれほどない。それに子どもが一人で立っていたら、いつ警備員に捕まるか分からない。
私はトイレに隠れて夜まで待とうと決めていたので、すぐさまトイレに向かった。
閉館時間は9時。それまではトイレの中にいて、それから警備員に見つからない場所に移る、という計画だった。
ここでも状況は私に味方してくれた。と言っても普通、トイレには誰も長居しないから、ずっと入っていても怪しまれる事はまずない。
食べ物を何も買わなかった事以外は、計画に何の問題も無かった。
そして時刻は9時前、閉館のアナウンスが聞こえる。
「よし!」
私は便器の裏側に隠れようと決めていた。
ここのトイレは、隠れにくいように(かどうかは分からないけど)敷居の下の隙間が異様に広い。つまり中に人が入っている場合、足が見えるからすぐに分かってしまうのだ。
見えないようにするには、便器の蓋を上げて、その裏側と壁の間でうずくまっているしかない。これだって見つからない保証は無い。私は覚悟を決めて便器の裏に隠れた。
間もなく、警備員の足音がした。もうすぐやってくる!
怖い男の人だったらどうしよう……
優しそうな女の人なら理由を話して、居させてもらおうか。
カバンはどこかに置いてくれば良かったかなぁ。
老夫婦に家出の事を話して、泊めてもらった方が良かったかな。
いやいや、それじゃ悲しんでいる事にならないわ。
色々な事を考えているうちにトイレのドアが開いた!
しかし警備員は特に入念に見まわる様子も無く、すぐにトイレから出ていってしまった。
「よかった……」
警備員が近づいてきた瞬間に、お腹の虫が鳴るんじゃないかと、余計な心配までしてたのは、何だったんだろう・・・
ホッと肩を撫で下ろしたが、用心の為に、警備員の足音には十分注意を払っていた……
……はずなんだけど、それまでの疲れからか、いつの間にか眠ってしまっていた。
目覚めた時、電気が消されている事に気づいた。
「今何時だろう?」
私はプレゼントにもらった目覚まし時計がある事を思い出した。
「よかった。あらかじめ電池が入っているみたい」
電気でうっすら光っていた短針は、午前0時の少し前を指していた。うずくまっていたから、2時間半くらいしか寝られなかったみたいだ。
まだ眠かったけど、何時間もトイレの中に居たから、早くここから出たかった。
「ふうっ!」
トイレから出ると、ずっと曲げっぱなしだった腰をぐいっと伸ばした。
思った通りトイレから出ても、視界は真っ暗で何も見えない。仕方なく壁づたいに歩いていく事にした。
途中、絵画の額縁に頭をぶつけながらもゆっくり歩いていると、次第に目が慣れてきた。
壁の反対側を見ると、展示場に入る両開きの大きなドアがあった。
取っ手を押すが、案の定そこには鍵がかかっていた。
中には入れないか……と思っていると、中からカチャリという音がした。
「えっ!」
途端に怖くなって私は逃げだしたくなった。しかし暗闇の中を闇雲に走るわけにもいかず、硬直した姿勢のまま様子をうかがった。
それから5分ほどは硬直したままだった。さっきの音は空耳かもしれない、そう思ってもう一度押してみると、鍵はかかっておらず、中に入る事ができた。
ドアの裏側を覗いてみるが、中には誰もいない……おかしい……
私は十分に注意しながら展示場の中を、腰をかがめて移動した。
展示場の中は廊下よりも更に暗かったが、目が次第に慣れてきた。
今いるのは部屋の中央、ミイラの棺がある所だと分かった。きらびやかなミイラの棺は、夜に見ると一層気味が悪くなる。
そう思った次の瞬間、突然ミイラの棺が開きだした!
「ウオオオオォォl!!」
大きな声と共に、棺の中にいた包帯だらけのミイラが飛びかかってきた!
「キャアアアアアアアアア!」
私は後ろに倒れこんで、バッグを落としてしまった。すぐに立ち上がったが、それ以上は怖くて動くこともできなかった。
すると、後ろで私の肩を叩く何者かがいた。おそるおそる振り向くと、そこには天使の像がとびきりの笑顔で私の顔を覗いてきた。
「キャアアアアア!」
私は逃げようと体をのけ反らせたが、天使の像は私の傍にきてやさしい声で話しかけてきた。
「大丈夫、僕は味方だよ。早くここから逃げよう!」
「でも、バッグが!」
「気にしている暇は無い!いいから早く!」
私は、ぎこちなく動く天使の像の後ろについていった。
暫く走り、私達は展示場の壁にかかってある一つの絵画の前にきた。
「よし、この絵がいい!」
天使の像はそういうと私の方向に向き直った。
「この絵の中に逃げこむんだ」
「え?どうやって?」
「君はこの絵を見て念じるだけでいい、眠りに入るときのようにリラックスして、
絵が目に焼き付いたら目を閉じて……」
私は言われた通りにした。眠さも手伝ってすぐにリラックスできた。
目を閉じて数秒もしないうちに私は意識を失った――
――気がつくと私は宙に浮いていた。
「あれっ?」
私は空にいたのだ。下には大きな森が見える。
「成功したみたいだね」
さっきの天使がしゃべり始めた。もう石像では無く、完全な天使の姿。私とほぼ同年代の男の子だった。
「もしかして、ここは絵の中?」
「そうだよ。ここならミイラはやってこない」
私は久しぶりに光の満ちた所に出られたので、とても穏やかで嬉しい気持ちになった。そして天使に尋ねた。
「どうして私たちは宙に浮いているの?」
「宙に浮いているわけじゃないよ。下を見てごらん」
よく見ると、森と私の間に黒いものが見える。私は黒いバーコードみたいなものの上に乗っかっていたのだ。
「その上に乗っていれば落ちないみたいだね」
男の子の言う通り、バーコードの隙間にも感触はあり、落ちる心配は無かった。
「さあ!探検しよう!」
私は嬉しくなって立ち上がった。私が歩き出すと共に、そのバーコードも同時に道を作り出していく。
「すごい!」
私は次第にスピードをあげて、ついには走ってみた。バーコードもそれに対抗するようにサァっと道を作った。
そのバーコードは、念じれば先の方まで道を作る事もできるという事に気がついた。森を抜けた安全な丘で、私はひとつ実験をしてみた。
曲がりくねった道を作り出して、落ちないかどうか試してみる。なぜか、落ちないだろうという予感がしていた。
ビンゴ!バーコードを縦に設置して走ると、体が真横になっても落ちない。
それなら、と思いバーコードをねじって逆さにしても落ちない。まるで私の足がバーコードと繋がっているみたいだった。
更に、バーコードは足から離すことができる事にも気がついた。急な坂を作って、ジャンプすればバーコードは着地点でトランポリンにもなるのだ。
「ひゃっほー!」
私は飛びきり大きな声を挙げてはしゃぎ回った。風を切るスピードはぐんぐんあがり、自分がこんなに速く走れる事に驚いた。息が切れるまで、物騒な森をまたいで駆け抜けた。
ひとしきり遊んだところで私が息を切らしていると、男の子が話しかけてきた。
「君が落ちないと思えば、落ちる事はないよ」
「はぁ……はぁ……どうしてそうなるの?」
「絵の中にいる神様が、君の心を読んで叶えてくれているんだ」
「はぁ……はぁ……すごい……」
息も整った所で私は一旦、丘の上に降りる事にした。降りればバーコードの地面は消えるみたいだ。
「おなか、すかないかい?」
男の子が話しかけてきた。私はお昼から何も食べていない事に気づいて、
「すいた!もうペコペコなの!」
「だったら、神様にお願いしてみるといいよ」
私は栄養のバランスも無視して、ケーキやアイスクリームを山ほど食べたいと願った。
すると、目の前に大皿いっぱいのケーキとアイスクリームがどっさり現れた。
「うわあ!食べきれないよ!」
と言った傍から、私はもうケーキを口に運んでいた。
「満足するまで食べるといい」
「でも太っちゃうなぁ」
「その心配はないよ。ここでは満腹になる事はないし、虫歯になる事もない。
好きなものを好きなだけ食べられるんだ」
「え?うそっ!?」
私はお腹に意識を集中しながら食べてみた。
男の子の言うとおり、どれだけ食べてもお腹いっぱいにならない。ずっと食べていられる状態が続いていたのだ!
私は完全に食べ物の虜になっていた。
男の子に「はしたない」と思われるかな、とも思ったけど、色気より食い気!しまいにはローストチキンを何皿もお願いして食べていた。
男の子は嫌な顔一つせず、笑って見守ってくれていた。
ひとしきり食べたところで、私は「お姫様になる夢も叶えてくれるかな」と思った。
すると、私の前方から馬車が「生えて」きた!
男の子は私の前で丁重にお辞儀をして、
「どうぞ、お姫様。家来もお城で待っていますよ」
「お城?」
私が尋ねた瞬間、遠くの森の山側に大きな城があるのが見えた。もしくは今現れたのかしら?
私はバーコードを馬車の下に張り巡らせて、空を飛びながらお城に向かった。
途中、右手には大きな海と浜辺が見えていた。少しもの悲しい気分になった。
すると突然、浜辺付近の上空に大きなクラゲが現れた。
「ク、クラゲが浮いてる!」
「君はユニークなお願いをするんだね」
と男の子が笑った。これも私が願った事なのかと、ちょっと照れくさかった。
お城までの道程はまだ大分あったので、私は無理なお願いをしてみることにした。
「空の色を黄色にしてちょうだい!」
すると空は辺り一面、まっ黄色に染まった。
「うわあ!」
「じゃあ次は紫!」
空は明るい紫色に変わった。
「ハハッ!変な色!」
ようやくお城に着くと、沢山の兵士と、大臣のような姿をした人がいた。
「お帰りなさいませ。お姫様」
「入浴の準備が出来ております」
まさに至れり尽くせり!私は大きなお風呂に入りながら、誇らしい気持ちになった。ずっとこんな暮しをしていたい、と思った。
私はもう現実世界の事を思い出さなくなっていた。
それどころか、空の色が移り変わる中で、時間の概念すら失っていたのだ。
寝るという選択肢も思い浮かばなかった。眠くもならなかったのだ。
それからというもの、私は自由の限りを尽くして遊んだ。大きな街を作って、民衆が頭を下げる姿に、私は謙虚で慈悲深い、本当のお姫様のように振舞って挨拶をした。
鳴り止まぬパレードの中で、台座の上から手を降りながら行進した。
男の子はいつも私の傍にいて、私が望む事を一緒に楽しんでいるようだった。
しかし、果てしなく続く華やかなパレードにも次第に飽きが来始めていた。
私はどうしても一人になりたいという気持ちになり、クラゲのいた浜辺に向かった。
私が一人で座っていると、ふと何か思い出せないものがある事に気づいた。
どうしても思い出せない。何か大切な事を忘れているはずなのに……
少し経って、男の子が近寄ってきた。
「どうしたの?ここには何でも揃っているよ。もっと遊ぼうよ」
「うん、でも……」
私は自分の気持ちを言葉にできず、悶々としていた。
男の子が何か言おうとした次の瞬間、突然大きな地鳴りがした。
「ゴォォォッ!!!」
地面は揺れていない。でも音はとてつもなく大きい。
その音は一定のリズムで、まるで鳴り止む気配がない。もっとおかしいのは、それが地面からでは無く、空から聞こえているという事!
「な、なんだ!」
初めて男の子が困惑した表情をした。これは予想外の出来事なのだろうか。
もしや、この世界が壊れてしまうのだろうか。
――そう思った瞬間、世界の中に「歪み」が生じた。
空に大きな穴が空いたのだ。穴の境界はグラグラと揺れていて定まっていない。
私はその時、初めて「現実世界」の存在を思い出した。
「帰らなくちゃ!!」
私は一目散にバーコードを空に巡らせて、穴の傍まで行き、勢いよく穴に飛び込んだ!
「ま、待って!」
後ろで男の子の声がする。でも私の衝動は収まらなかった。
穴に入った瞬間、加速度的にスピードが上昇し、穴の中を突き進む。
穴の中は明るくて、何か色んなものが流れているが、私の進むスピードが速すぎて見えない。
私は地鳴りのような音がする方向に進んでいた。しかしその反対側、私の後方からも何か別の大きな音が聞こえた。
いや、これは声、怒鳴り声だ!
「まてえええええええええ!」
後ろを振り返ると、男の子がすごい形相で私を追っかけていた。その顔はもう天使なんかじゃない。悪魔そのものである。
その悪魔は一気に私に追いつき、顔が歪むほど大きな口を開けて、私の足の先にかぶりついた。
「痛い!」
私が足を抜くと、靴だけが取れて悪魔を少し引き離した。赤い靴下の先が破れて血が出ていた。
私は向き直り、大慌てでスピードが上がる事を願った。
するとスピードがどんどん上がり、風の抵抗で顔が痛くなるほどスピードが上がった。
「まてえええええええええ!」
後ろでは悪魔がものすごい形相で追いかけてくる。私は夢中で逃げた。
こんなに怖いのは初めてだった。私は食べられてしまうの?
涙を流しながら、私は祈るようなポーズを取り、風の抵抗を必死に受けて猛スピードの中進んでいた。
「出口はまだなの!?」
そう思うと、遥か先に出口と見られる穴が見えた!あと10秒もすれば辿りつく。
「よし!いける!」と思った次の瞬間、
あ そ ぼ
――とても優しい声がした。風の音が消え、静寂が辺りを包んだ。
振り返ると、悪魔の顔が元の天使の顔になっていた。私はひるんで、スピードを落としてしまった。
それを見逃さなかった天使は、すぐさま悪魔の形相に変わり、一瞬で私に追いついた。
大口を開けた悪魔は、今度は左足の膝辺りまで噛み付いた。
「ああっ!!!」
私は完全にスピードを殺され、あわや止まってしまうまでになった。
すると、近くまで来ていた出口が遠ざかっていった。
「もうだめだ、逃げられない……」
と言うと、出口も閉じてしまった。
私は肩を落として全てを諦めた。
しかし、そこで私はハッと気づいた。
「諦めたら出口が消えた?……もしかして……」
私の疑問はすぐ確信に変わった。
「そうだ!ここは絵の中なんかじゃない!何でも思い通りになる、私の夢の中だ!」
私は悪魔の方をキッと睨み、大声で怒鳴った。
「そんなに私の靴下が好きならあげるわ!」
私は、履いている赤い靴下が激しく燃えるイメージを作り上げた。
すると私の足にかぶりついていた悪魔の口の中から、物凄い炎が溢れてきた。その炎はみるみる悪魔の全身を焼き尽くした。
「ギャアアアアアアアアアアア!」
悪魔は後方に吹き飛び、のたうち回りながら消滅した。
私は向き直り、現実世界に帰りたいと強く願った。
するとさっきまで消えていた出口がまた現れた。
私はスピードを上げてその穴を突っ切った。まばゆい光が私を包み込んだ――
――気がつくと、私は絵の前で寝転がっていた。
傷ついていたはずの左足は何ともなく、靴も靴下もちゃんと履いていた。振り返ると、傍にはなんとあのミイラがいた!
「きゃあ!」
私が後ずさりすると、ミイラがしゃべりだした。
「良かった!目覚めたんだね」
「えっ?」
私は何がなんだか分からないままでいた。
「ごめんね、ごめんねぇ。君を驚かそうとしたばっかりに」
ミイラがとても弱々しそうに謝ってきた。
「君が絵の前で倒れていて、いくら呼んでも起きないから心配してたんだ」
「あなたは誰?そうだ!あの天使は!?」
「もう動かないよ」
天使の像は不気味な笑みを浮かべていたが、確かに動いていなかった。
ふと私は、ミイラがその手に私の目覚まし時計を持っている事に気づいた。
「君が落としたバッグの中に目覚まし時計があったから、君の耳元で鳴らしたんだ。そうしたら起きると思って」
あの空から鳴っていた地鳴りのような音は、目覚まし時計のアラームの音だったのだ。
「ありがとう、ミイラさん!」
私は包帯だらけのミイラに抱きついた。このミイラは私の命の恩人だ。
「お礼なんていらないよ。だって僕は君のかけがえの無い友達だからさ」
「えっ?あなた、もしかして……」
彼は頷いた。
「そう、ネッドだよ。君を驚かす為に、ミイラに乗り移ったんだけど、まさか天使の像まで動き出すなんて……」
「ホントに、ホントにネッドなの!?」
私は泣き出した。もう会えるなんて思っていなかった。
「ごめんね、僕も君に会いたくて、どうにかして会える手段を探していたんだ」
私はもう驚かされた事なんてどうでもよくて、ただ湧き上がる感情に身を任せて泣いた。
――暫くして泣き止んだ後、ネッドが話し始めた。
「本当は死んだ人が生きた人に会うなんてよくない事さ。僕は行かなくちゃいけない」
「……うん、そうだね……」
ネッドがまたいなくなるのは嫌だったけど、あんな事もあってか、素直に現実世界を受け容れる事を考えるようになっていた。
「この天使さんも寂しかったのかもしれない」
私はふと、そんな言葉を呟いていた。
「君はひどい目にあったんじゃないの?」
「うん。確かにそうだけど、この天使さんも孤独だったんだと思うの」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって私と居る時には、私を食べようとしなかったもの。
私と一緒にいる事をただ楽しんでいたの」
私はおもむろに左足の靴下を脱いで、天使の像の前に置いた。
「赤い靴下でよければ、かたっぽあげる」