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後日談 黄金の獅子は泥に塗れ、二度と輝くことはない

冷たい雨が降りしきる王都の裏路地。腐った生ゴミと汚水の臭いが充満するその場所に、かつてこの国で最も輝いていたはずの三人の姿があった。

勇者レオン、聖女マリア、魔法使いルーカス。

Sランクパーティ『金色の獅子』と呼ばれ、その名を聞けば誰もが羨望の眼差しを向けた彼らの現在は、あまりにも無様で、惨めなものだった。


「……おい、マリア。水だ。喉が渇いた」


ゴミ捨て場の陰で雨宿りをしながら、レオンが掠れた声で命じた。

彼の自慢だった金色の髪は泥と油で固まり、かつてドラゴンすら切り伏せた聖剣は、柄が折れ、刀身は赤錆に覆われている。身につけている鎧に至っては、留め具が外れてガラクタ同然の状態だ。


「魔力が……ありません。昨日の戦闘で使い果たしました。ポーションもないのに、回復魔法なんて使えるわけないでしょう」


マリアがうつろな目で答える。

純白だった法衣は灰色に汚れ、裾はボロボロに引き裂かれている。聖女としての清廉さは見る影もなく、その顔には深い疲労と苛立ちが刻まれていた。


「ちっ、使えねえな……! 聖女が水も出せねえのかよ!」

「なんですって!? あなたが無謀な突撃ばかりするから、私がどれだけ回復に魔力を回したと思っているんですか! そもそも、武器の手入れくらい自分でしてください!」

「なんだと!? 俺は勇者だぞ! 雑用は下の者がやるもんだろうが!」


怒鳴り合う二人を、ルーカスは死んだような目で見つめていた。

彼は何も言わない。言う気力さえ残っていないのだ。彼の手には、もう杖すらない。先日の借金返済のために、愛用していた魔導書と共に売り払ってしまったからだ。


あの日、ギルドでアレンと再会し、決定的な格差を見せつけられてから一ヶ月。

俺たち『金色の獅子』の転落は、坂道を転がり落ちるどころか、崖から飛び降りるような速度で進んだ。


アレンが去り際に言った「不運の借金」という言葉。

最初はただの負け惜しみだと思っていた。だが、それは現実となった。

ドロップ品がゴミになるだけではない。

歩けば鳥の糞が落ちてくる。宿に泊まれば南京虫に刺される。食事をすれば食あたりを起こす。

そして何より、ダンジョンでの「事故」が頻発した。


絶対に外さないはずの攻撃が外れる。

滅多に遭遇しないトラップを踏み抜く。

逃げた先がモンスターハウスになっている。


まるで世界そのものが、俺たちを拒絶し、殺そうとしているかのようだった。

アレンという「幸運の守り神」を失った反動。いや、アレンが今まで無意識に弾いてくれていた厄災が、一気に押し寄せてきているのだ。


「……なあ、レオン。これからどうするんだ?」


ルーカスが力なく呟いた。


「どうするもこうするもねえ! 稼ぐしかねえだろ! 借金取りの『黒犬商会』の連中、期限は明日までだって言ってたぞ」

「稼ぐって、どうやって? 俺たち、もうギルドから依頼を受ける資格すら剥奪されたんだぞ」


そう、昨日のことだ。

度重なるクエスト失敗と、装備の破損規定違反、そして借金トラブルによる信用失墜。

ギルドマスター直々に、「Sランクの称号剥奪」と「ギルド除名処分」を言い渡されたのだ。

今の俺たちは、冒険者ですらない。ただの無職のゴロツキだ。


「……ダンジョンに潜る。ギルドを通さなくても入れる『無法者の洞窟』なら、誰でも入れるはずだ」

「正気か!? あそこは魔物の質が悪いし、何より他の冒険者狩りが横行してる無法地帯だぞ! 武器もまともにない俺たちが行って、生きて帰れる保証なんて……」

「じゃあどうすんだよ! ここで野垂れ死ぬか、借金取りに内臓を売られるのを待つか! どっちがいいんだ!」


レオンの絶叫が、雨音にかき消されるように響いた。

ルーカスは押し黙る。マリアは膝を抱えて震えている。

選択肢など、最初からなかった。


          ◇


王都から少し離れた荒野にある『無法者の洞窟』。

そこは、正規の冒険者資格を持たないならず者や、犯罪者たちが集まる巣窟だ。

薄暗い洞窟内は湿気が高く、カビと鉄錆、そして微かな死臭が漂っている。


「……おい、気をつけろよ。何が出てくるかわからねえ」


レオンは折れた剣を構え、慎重に進む。

灯りは松明一本。ルーカスの魔法のライトすら、魔力節約のために使えない。

足元のぬかるみに足を取られそうになりがら、彼らは地下二階層へと進んだ。


「ギャギャッ!」


闇の中から飛び出してきたのは、三匹のコボルトだった。

本来なら、鼻歌交じりで蹴散らせる相手だ。レベル差で言えば五十以上離れている。

だが。


「くそっ、速い……!」


レオンが剣を振るうが、足元の泥に滑って体勢を崩す。

その隙を突いて、コボルトの錆びたナイフがレオンの脇腹を掠めた。

以前のアレンによる支援魔法も、最高級の鎧もない今のレオンにとって、それは致命的な一撃になり得る。


「痛ってぇ……! この野郎!」


レオンは激昂し、力任せに剣を振り下ろした。

辛うじて一匹を倒すが、刃が骨に食い込んで抜けない。

残る二匹が左右から飛びかかる。


「マリア、援護だ! 障壁バリアを張れ!」

「無理です! 詠唱する時間が……きゃあっ!」


マリアが悲鳴を上げる。コボルトの一匹が彼女の足に噛み付いたのだ。

聖女にあるまじき罵声を上げ、マリアは杖でコボルトを殴打する。その姿はあまりにも野蛮で、かつての聖女性など微塵もない。


「ファイアボール!」


ルーカスがなけなしの魔力を絞り出し、小さな火球を放つ。

直撃を受けたコボルトが黒焦げになって倒れる。

なんとか三匹を撃退した頃には、三人は肩で息をし、泥だらけになっていた。


「……はぁ、はぁ。雑魚相手に、ここまで苦戦するなんて……」


レオンが膝をつく。

脇腹の傷がズキズキと痛む。毒はなさそうだが、不衛生な環境での怪我は化膿する恐れがある。

だが、治療する手段はない。


「……確認だ。ドロップは?」


ルーカスが倒したコボルトの死体を足で突く。

死体が黒い霧となって消える。

そこに残っていたのは――。


「……『コボルトの抜け毛』。価値、なし」


ルーカスが乾いた声で告げた。

まただ。

またゴミだ。

アレンがいなくなってから、まともなアイテムを見たことがない。

いや、それどころか以前よりも酷くなっている気がする。まるで運命が俺たちを嘲笑っているかのようだ。


「くそッ! なんでだ! なんで俺だけこんな目に遭うんだよ!」


レオンは泥水を殴りつけた。

泥が跳ね、彼の顔にかかる。

その時、ふと洞窟の奥から人の声が聞こえてきた。


「おい見ろよ、すげぇのが落ちてたぜ!」

「マジか! オリハルコンの欠片じゃねえか! 今日はツイてるなぁ!」

「最近、なんかこの辺のダンジョンの『気』が変わった気がしねえか? おこぼれに預かれるっていうかよ」


通りがかった別の冒険者パーティだ。

彼らは嬉々としてドロップ品を拾い集めている。

俺たちが苦戦して倒した魔物のすぐそばで、彼らは簡単にレアアイテムを手に入れている。


「……あいつら、アレンの噂をしてるぞ」


ルーカスが耳をそばだてる。


「聞いたか? 王都の『白百合の鑑定所』のオーナー、アレン様の話」

「ああ、あの神の如き鑑定眼を持つエルザ嬢のパートナーだろ? なんでも、彼がダンジョンに入ると、その余波で周囲のドロップ率まで上がるらしいぜ」

「歩く幸運の神様だな。今度、アレン様が主催するダンジョンツアーがあるらしいぞ。参加費は高いけど、元は絶対に取れるって話だ」


冒険者たちは楽しそうに笑いながら去っていった。

レオンたちは、凍りついたように動けなかった。


アレンが、近くにいる。

いや、正確には「アレンの影響力」が、この世界全体に広がりつつあるのだ。

彼が動けば富が生まれ、彼が歩けば奇跡が起きる。

そして、彼を捨てた俺たちは、その恩恵のすべてから見放され、世界の掃き溜めに取り残されている。


「……ふざけるな」


レオンの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

悔し涙ではない。ただの絶望の涙だ。


「俺の金だ……俺の栄光だ……。あいつが持ってるものは、全部俺のものだったはずなのに……!」


レオンは子供のように泣きじゃくった。

マリアも、ルーカスも、かける言葉がなかった。

「あの時、アレンを追放しなければ」。

その思いが、全員の胸中に呪いのように渦巻いていた。だが、口に出すことはできない。それを認めてしまえば、自分たちの愚かさに押し潰されて発狂してしまうからだ。


「帰ろう……」


ルーカスが力なく言った。


「もう無理だ。これ以上進んでも、死ぬだけだ」


レオンは反論しなかった。

彼の中の「勇者」は、とっくに死んでいた。


          ◇


洞窟を出た頃には、雨は止んでいた。

だが、空は分厚い雲に覆われ、薄暗いままだった。

泥と血にまみれた三人が、王都への道をトボトボと歩いていると、大通りの巨大な魔導スクリーンに映像が映し出されているのが見えた。


王都の中央広場で、大規模な式典が行われている様子だ。

壇上に立っているのは、国王陛下。

そしてその隣に並び立つのは――。


「……アレン」


マリアが呻くような声を漏らした。

画面の中のアレンは、神話に出てくる英雄のような輝きを纏っていた。

仕立ての良い純白の礼服に身を包み、その胸には王家から授与された『救国の英雄』の勲章が輝いている。

隣には、アレンに寄り添うように微笑むエルザの姿。彼女の美しさは、宝石すら霞むほどだ。


『――本日、我らが王国を長年脅かしてきた深層の邪竜を討伐し、さらにはダンジョンの資源管理によって我が国の経済を飛躍的に発展させた功績を称え、アレン・ウォーカー殿に爵位を授与するものである』


国王の厳かな声が響き渡る。

広場を埋め尽くす群衆から、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。


「アレン様ー! こっち向いてー!」

「エルザ様もお美しい!」

「最高のカップルだ! 万歳!」


画面の中のアレンは、穏やかな笑みを浮かべて手を振っていた。

その笑顔は、かつてレオンたちに向けていた遠慮がちなものではなく、自信と余裕に満ちた強者のものだった。


「……伯爵……?」


レオンが呆然と呟く。

勇者である自分ですら、男爵位が約束されていただけだった。

それを、ただの荷物持ちだったアレンが、たった一ヶ月で飛び越えていった。

しかも、救国の英雄として。


「あいつ……本当に、雲の上に行っちまったんだな」


ルーカスが乾いた笑いを漏らす。

嫉妬すら湧かない。あまりにも遠すぎて。

自分たちは泥の中を這いずり回り、明日の食い扶持にも困っているというのに。


「見て! あれ!」


マリアが指差した先。スクリーンの端に、インタビューを受けるアレンの姿が映し出された。

記者が質問を投げかける。


『アレン様、その強大な力と幸運の秘訣は、一体何なのでしょうか?』


アレンは少し考え込むような仕草を見せ、そしてカメラの向こう側――まるで、これを見ているレオンたちの目を見つめるように、静かに答えた。


『秘訣、ですか。……そうですね。「不要なものを捨てた」ことでしょうか』


ドキリ、とレオンの心臓が跳ねた。


『人生には、重すぎる荷物というものがあります。自分の価値を理解せず、ただ足を引っ張るだけの重荷。……それを手放した瞬間、私は本当の自分になれた。それだけのことです』


アレンは涼しげに微笑み、インタビューを締めくくった。

不要なもの。

重荷。

足を引っ張るだけの存在。

それはかつて、レオンたちがアレンに向けて言った言葉だ。

「お前は重荷だ」「役立たずだ」。

その言葉が、今、ブーメランのように、いや、巨大な岩となって自分たちの頭上に叩きつけられた。

アレンにとっての「不要な荷物」は、俺たちだったのだ。


映像が切り替わり、華やかなパレードの様子が流れる。

レオンはその場に膝から崩れ落ちた。


「……うああああああああああああッ!!」


往来の真ん中で、レオンは絶叫した。

周囲の人々が奇異の目で彼を見る。

「なんだあの汚い男」「頭がおかしいのか?」「関わらない方がいいよ」

冷ややかな視線と言葉が突き刺さる。


「違う! 俺は勇者だ! 俺があそこに立つはずだったんだ! 俺が……俺が……!」


地面を拳で殴りつけるが、誰も彼を助け起こそうとはしない。

マリアは顔を覆って泣き崩れ、ルーカスは虚空を見つめたまま立ち尽くしている。


その時。

彼らの背後に、数人の男たちが近づいてきた。

黒いスーツを着た、屈強な男たちだ。その目つきは鋭く、獲物を追い詰めた狩人のような獰猛さを秘めている。


「よう、レオンさん。探したぜ」


ドスの利いた声に、レオンはビクリと震えて振り返った。

『黒犬商会』の取り立て屋だ。


「き、期限は明日までのはずだろ……!」

「ああ、そうだな。だが、お前らが街を出て逃げようとしてるってタレコミがあってな。……まさか、俺たちの金を食い逃げするつもりじゃねえよな?」


男がレオンの胸ぐらを掴み上げ、強引に立たせる。

泥だらけの顔に、男の吐く紫煙がかかる。


「金はあるんだろうな? まさか、そのボロ切れみたいな装備が全財産ってわけじゃねえよな?」

「ま、待ってくれ! もう少しだけ待ってくれれば、必ず……!」

「『必ず』? お前らのそのセリフ、もう聞き飽きたんだよ」


男は冷酷に笑い、合図を送った。

背後にいた部下たちが、マリアとルーカスを取り囲む。


「金がねえなら、体で払ってもらうしかねえなぁ。勇者様の体だ、鉱山奴隷としてなら少しは値がつくだろ。聖女様も、裏の店なら需要があるかもしれねえしな」

「い、嫌っ! 離して! 私は聖女よ! こんな扱い許されるわけないわ!」

「俺は魔法使いだ! 知識がある! 奴隷なんかじゃない!」


二人が抵抗するが、暴力の前には無力だった。

腹を殴られ、うずくまったところを縛り上げられる。


「やめろ……やめてくれ……」


レオンは懇願した。

だが、取り立て屋の男は、レオンの頬を軽く叩いて嘲笑った。


「往生際が悪いぜ、元勇者様。……お前は『運が悪い』んじゃない。自分の選択で、ここまで落ちたんだよ。地獄の底で、たっぷりと後悔するんだな」


男の言葉は、最後通牒だった。

レオンは抵抗する力を失い、ズルズルと引きずられていく。


曇天の空を見上げる。

雨雲の隙間から、一筋の光が差し込んでいた。

その光は、王城の方角――アレンがいる場所を照らしているように見えた。


(もしも……もしもあの時、お前に「ありがとう」と言えていたら)


走馬灯のように、アレンとの思い出が駆け巡る。

笑顔で荷物を持つアレン。傷の手当てをしてくれるアレン。

「レオンならできるよ」と励ましてくれたアレン。

その全てを、自分の手で壊し、踏みにじり、捨ててしまった。


後悔などという言葉では軽すぎる。

絶望すら生ぬるい。

これから始まる本当の地獄を前に、レオンはただ、声を殺して泣き続けるしかなかった。


こうして、かつて国を背負うと期待されたSランクパーティ『金色の獅子』は、歴史の表舞台から姿を消した。

彼らの名は、成功者が語る教訓として、あるいは酒場の笑い話として、しばらくの間だけ語り継がれることになる。

「本物の宝を捨てた、愚か者たちの末路」として。


一方、アレンの快進撃はまだ始まったばかりである。

だが、それはまた別の物語。

泥に塗れた彼らには、もう二度と関係のない、輝かしい世界の話である。

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