第四話 冒険者ギルドでの再会、絶縁宣言と共に叩きつける格差
王都の朝は早い。
大通りの市場には新鮮な野菜や果物が並び、活気ある呼び込みの声が響き渡る。だが、その喧騒から外れた裏通りの安宿『ドブネズミ亭』の一室には、どんよりとした空気が澱んでいた。
「……おい、なんだこの朝飯は」
勇者レオンは、目の前に置かれた皿を睨みつけた。
そこにあるのは、石のように硬い黒パンと、具のほとんど入っていない薄いスープだけ。以前であれば、見向きもしなかったような貧相な食事だ。
「文句を言わないでください。今の私たちの所持金でまともに食べられるのは、これくらいなんです」
聖女マリアが、疲労の滲む顔でスープを啜る。彼女の自慢だった美しい金髪は、手入れが行き届かずにパサつき、艶を失っていた。化粧ノリも悪いのか、目の下の隈がうっすらと浮き出ている。
「ふざけんな! 俺はSランク冒険者だぞ!? なんでこんな家畜の餌みたいなもん食わなきゃなんねえんだ!」
レオンは苛立ちに任せてテーブルを叩いたが、安宿の建て付けの悪いテーブルは、ギシギシと悲鳴を上げるだけだった。
魔法使いのルーカスが、深いため息をつきながら自分の杖を磨いている。いや、磨いているというよりは、ひび割れた部分を補修材で必死に埋めていると言った方が正しい。
「レオン、現実を見ろよ。昨日の『トロールの腰布』事件で、俺たちの資金は完全に底をついた。宿代を払うのでさえギリギリだったんだぞ」
「うるさい! わかってるよ!」
「それに、装備の状態も最悪だ。俺の杖は魔力伝導率が30%まで落ちてるし、レオンの剣だって刃こぼれだらけじゃないか。マリアの法衣に至っては、防御効果が切れてただの布だぞ」
ルーカスの指摘は痛いほど正しかった。
アレンを追放してからまだ十日も経っていない。それなのに、彼らの装備は数年使い込んだかのようにボロボロになっていた。
アレンがいた頃は、野営のたびに彼が専用のオイルで剣を磨き、防具の歪みを調整し、ほころびを縫い直してくれていた。アレンの持つ生活魔法と、マメな手入れのおかげで、彼らの装備は常に新品同様の性能を維持していたのだ。
だが、その「見えないメンテナンス」がなくなった今、Sランクの激しい戦闘に耐えられるはずもなかった。
「……新しい装備を買う金はない。修理に出す金もない」
「だから言ってるだろ、ゲイルの野郎に前金なんか払うからだ」
新メンバーの攻撃魔法使いゲイルは、昨日の失態の後、「こんな貧乏くさいパーティにつきあってられるか」と言い捨て、前金を持ち逃げして消えた。
残されたのは、金も装備も失った三人だけだ。
「くそっ……くそっ! なんでだ! なんで何もかもうまくいかねえんだ!」
レオンは頭を抱えた。
彼のプライドはズタズタだった。
ほんの少し前までは、街を歩けば黄色い声援が飛び、ギルドに行けば最優先で個室に通され、金など湯水のように使えていた。
それが今はどうだ。
安宿の煎餅布団で背中を痛め、硬いパンをかじり、薄汚れた格好で縮こまっている。
「……ギルドに行くぞ」
レオンは決意したように顔を上げた。
「ギルドに行って、緊急依頼を受ける。国からの指名依頼なら、前金が出るはずだ。それで装備を整えて、一発でかいのを狩る」
「で、でもレオン様。今の装備状態で指名依頼なんて……死にに行くなものです」
「やるしかねえんだよ! このまま野垂れ死ぬのを待つか、命がけで栄光を取り戻すか。二つに一つだ!」
レオンの目は血走っていた。それは勇気ではなく、追い詰められた獣の目だった。
ルーカスとマリアは顔を見合わせ、諦めたように首を縦に振った。ここでレオンに逆らえば、パーティは解散だ。そうなれば、彼らもまた路頭に迷うことになる。
三人は重い足取りで安宿を出た。
朝の光が目に染みる。
道行く人々が、ボロボロの彼らを見てギョッとした顔をし、ひそひそと何かを囁き合う。
「あれ、金色の獅子じゃないか?」「なんか薄汚れてない?」「落ちぶれたって噂、本当だったんだな」
そんな声が聞こえるたびに、レオンの背中は小さくなっていった。
◇
冒険者ギルド『竜の顎』。
王都最大のこのギルドは、今日も多くの冒険者たちで賑わっていた。
クエストボードの前には人だかりができ、酒場スペースでは朝から酒盛りをする荒くれ者たちの笑い声が響いている。
その喧騒を切り裂くように、レオンたちは入口の扉を押し開けた。
「……おい、あれ」
「うわ、マジかよ。噂の勇者サマご一行だ」
「なんか匂わないか? ドブみたいな匂いがするぞ」
彼らが入った瞬間、ギルド内の空気が変わった。
以前のような尊敬の眼差しではない。嘲笑と憐れみ、そして侮蔑。
レオンは顔を真っ赤にして、それらの視線を無視しながら受付へと向かった。
「おい、受付! Sランク指定の緊急クエストを見せろ。一番報酬が高いやつだ!」
カウンターにドン、と手を叩きつける。
だが、受付嬢の反応は冷ややかだった。
「レオン様……。申し訳ありませんが、現在の『金色の獅子』の装備状態と、直近のクエスト達成率を鑑みますと、Sランククエストの受注は許可できません」
「はあ!? ふざけんな! 俺たちはSランクパーティだぞ!?」
「ええ。ですが、ギルドの規定により、装備の破損率が一定を超えたパーティには、高難易度クエストの斡旋を制限することになっております。今の皆様の装備では、Aランク……いえ、Bランクのクエストでも危険と判断されます」
事務的な口調で告げられた事実に、レオンは愕然とした。
Sランクの俺たちが、Bランク扱いだと?
駆け出しの若造たちが受けるような、下水道の掃除や薬草採取をやれと言うのか?
「なめてんのか……! 俺は勇者だぞ! 魔王を倒す男だぞ!」
「規定ですので。文句があるなら、まずはそのボロボロの剣と鎧を修理してからいらしてください」
受付嬢は冷たく言い放ち、次の冒険者の対応へと視線を移した。
取り付く島もない。
周囲からは、クスクスという忍び笑いが聞こえてくる。
「くそっ……! くそぉッ!!」
レオンは拳を握りしめ、行き場のない怒りに震えた。
その時だった。
ギルドの入口が再び開き、先ほどまでの澱んだ空気を一変させるような、凛とした声が響いた。
「おはようございます。ギルドマスターへの取次をお願いできますか?」
その声は、よく通る落ち着いたバリトンだった。
ギルド内の視線が、一斉に入口へと吸い寄せられる。
そこには、まるで絵画から抜け出してきたような二人の男女が立っていた。
一人は、プラチナブロンドの髪を美しく結い上げ、最高級のシルクドレスに身を包んだ美少女。その胸元には、鑑定士ギルドの最上位ランクを示す『賢者の瞳』のバッジが輝いている。
そしてもう一人。
彼女のエスコートを受けるように並び立つ、長身の青年。
黒髪に黒い瞳。精悍な顔つき。
身に纏っているのは、一見するとシンプルな黒いロングコートだが、見る者が見ればその異常さがわかる。
生地自体が淡い魔力の粒子を放ち、動くたびに夜空のような光沢を見せる『暗黒竜の皮膜』で作られたコート。
腰に差した二振りの短剣は、鞘に収まっていてもなお、周囲の空間を歪ませるほどの神気を放っている。
「……誰だ、ありゃ?」
「すげぇ装備だ……。どこの国の貴族だ?」
「女のほうは、『白百合の鑑定所』のエルザ嬢じゃないか? 最近、王都で一番勢いのある」
「じゃあ、隣の男は……?」
冒険者たちがざわめく中、青年――アレンは、まっすぐにカウンターへと歩み寄った。
その足取りは自信に満ち溢れ、周囲の雑音など耳に入っていないかのようだ。
「……っ!?」
レオンは息を呑んだ。
見覚えがある。
いや、見覚えがあるどころではない。
毎日見ていた顔だ。幼い頃から、ずっと後ろをついてきていた、あの冴えない顔だ。
だけど、雰囲気がまるで違う。
あの卑屈な猫背はどこにもない。堂々と背筋を伸ばし、王者のような風格さえ漂わせている。
「ア……レン……?」
マリアが信じられないものを見る目で呟いた。
その声に反応するように、アレンがふと足を止めた。
彼の視線が、ゆっくりとレオンたちの方へと向けられる。
そこには、かつてのような親愛の情も、怯えもなかった。
あるのは、道端の石ころを見るような、徹底的な無関心。
「……なんだ、まだいたのか」
アレンは短くそう呟くと、すぐに視線を逸らし、再び受付嬢の方を向いた。
「アレン・ウォーカーです。ギルドマスターとの約束の時間ですので、通してください」
「は、はいっ! お待ちしておりました、アレン様! マスター室へご案内します!」
先ほどレオンたちを冷遇した受付嬢が、頬を赤らめて立ち上がり、恭しく頭を下げる。
その扱いの差。天と地ほどの格差。
レオンの中で、何かがプツンと切れた。
「おい、待てよアレンッ!!」
レオンは人波をかき分け、アレンの前に立ちはだかった。
「お前、アレンだよな!? なんでそんな格好してんだよ! それにその装備……!」
レオンの目は、アレンの腰にある短剣『双牙・フェンリル』に釘付けになった。
鑑定スキルがなくても、肌で感じる。
以前手に入れた『魔剣グラム』など比較にならない、正真正銘の神話級アイテムだ。
それに、着ているコート、指輪、ネックレス。すべてが国宝級の輝きを放っている。
「泥棒か!? お前、どこで盗んできやがった!」
「泥棒? 人聞きの悪いことを言うな」
アレンは冷ややかな目でレオンを見下ろした。
「これは全て、俺が自分で手に入れたものだ。……ああ、そういえば君たちには無理だったな。『石ころ』しか手に入らないんだったか?」
その言葉に、ギルド内がどっと湧いた。
ここ数日、『金色の獅子』がゴミばかり持ち帰っているという噂は、既に広まっていたのだ。
「て、てめぇ……! 知ってやがったのか!」
「噂くらいは聞くさ。Sランクパーティが、スライムの粘液にも劣るゴミを拾って喜んでいるとな」
アレンの口元が、皮肉げに歪む。
その表情は、レオンが今まで一度も見たことのない、冷酷な支配者の顔だった。
「返せよ」
「はい?」
「その装備だ! その短剣も、コートも、全部俺たちのものだ!」
レオンは支離滅裂な論理を叫んだ。
「お前は元々俺たちのパーティメンバーだったんだ! なら、お前が手に入れたアイテムは、パーティの共有財産だろ!? それを独り占めして抜けるなんて許されるわけねえ! 今すぐ全部置いていけ!」
あまりに身勝手な主張に、周囲の冒険者たちでさえドン引きしていた。
だが、レオンは本気だった。
その装備があれば。その金があれば。
俺はまた勇者に戻れる。元の輝かしい生活に戻れるんだ。
レオンはアレンの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
しかし。
バチィッ!!
「ぐあぁっ!?」
レオンの手がアレンに触れる直前、目に見えない衝撃波が走り、レオンは弾き飛ばされた。
床に無様に転がる勇者。
アレンは指一本動かしていない。彼のコートに付与された『自動防御』の魔法が発動しただけだ。
「触るな。汚れる」
アレンは手で服の埃を払う仕草をした。
「な、なんだよそれ……! 魔法か!? お前、荷物持ちのくせに……!」
「荷物持ち? ああ、昔はそんな役目もしていたな。君たちが無能すぎて、俺が世話をしてやらないと何もできなかったから」
「なっ……!」
「アレンさん、ひどいです! 私たちは仲間だったじゃないですか!」
マリアが涙目で訴えかける。
彼女の視線は、アレンの指に光る『聖女の涙』という最高級の魔力増幅リングに釘付けだった。あれがあれば、私の聖女としての格は数段上がるのに。
「仲間、か。面白い冗談だ」
アレンはエルザの方を向き、優しく微笑みかけた。
「行こうか、エルザ。雑音がうるさい」
「はい、アレン様」
エルザはレオンたちを一瞥し、侮蔑のこもった冷たい視線を送った後、アレンの腕に手を回した。
その親密な様子。そして、エルザという「本物」の才女に認められているという事実が、レオンたちに決定的な敗北感を植え付ける。
「待て! 待ってくれアレン!」
ルーカスが縋るように声を上げた。
「俺たちが悪かった! 謝る! だから戻ってきてくれ! お前が必要なんだ! お前がいなきゃ、俺たちは……!」
「今さら何を言っているんだ?」
アレンは立ち止まり、背中を向けたまま言った。
「『お前は運が良いだけ』。そう言ったのは君たちだろう?」
「そ、それは……」
「俺は運が良かっただけだ。だから、君たちみたいな疫病神と縁が切れて、こうして本来の運命を掴むことができた。……君たちも精々、自分の実力とやらで頑張ればいい」
アレンはゆっくりと振り返り、絶望に染まる三人の顔を、愉悦に満ちた瞳で見据えた。
「ああ、一つ忠告しておいてやる」
アレンの声が、低く、重く響く。
「俺が抜けた『金色の獅子』は、もうただの『錆びた鉄屑』だ。……これからは、今まで俺が防いでいた『不運』の借金まで、まとめて払うことになるぞ」
「ふ、不運の借金……?」
「俺のスキルは『ドロップ確定』だけじゃない。……ま、すぐにわかるさ」
意味深な言葉を残し、アレンは再び歩き出した。
ギルドマスター室への扉が開かれ、彼が中へと消えていく。
その背中は、あまりにも遠く、高く、眩しかった。
残されたレオンたちは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
周囲からの視線が痛い。
「あいつら、あんな凄いやつを追放したのか?」「馬鹿すぎるだろ」「自業自得だな」
囁き声が、罵倒となって降り注ぐ。
「……嘘だ……嘘だろ……」
レオンは震える手で自分の剣を握りしめた。
刃こぼれし、錆の浮いた惨めな剣。
対して、アレンが持っていたのは神話級の輝き。
その圧倒的な格差。
「俺が……勇者なのに……。なんであいつが……!」
悔し涙が頬を伝う。
だが、アレンの言った「不運の借金」という言葉の意味を、彼らはまだ理解していなかった。
ドロップがゴミになるだけではない。
装備の劣化が早まるだけでもない。
今まで「最高品質」に固定されていた運命の反動が、彼らを本当の地獄へと引きずり込もうとしていた。
ギルドの片隅で、借金取りのような風体の男たちが、ニヤリと笑いながらレオンたちを見ていることに、彼らはまだ気づいていない。
ざまぁの幕開けは、まだ序章に過ぎなかったのだ。




