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第二話 路地裏の鑑定士も腰を抜かす、ポケットの中の神話級素材

四十階層から地上への道のりは、本来であれば死の行軍となるはずだった。

魔物は上層へ行くほど弱くなるとはいえ、三十階層台でもレベル五十前後の強敵が徘徊している。装備もパーティもなく、たった一人で踏破するなど自殺行為に等しい。

だが、今の俺にとって、それは単なる「収穫祭」でしかなかった。


「……またか」


目の前で崩れ落ちる巨大なミノタウロスの死体を見下ろし、俺は思わず苦笑した。

手にした短剣『双牙・フェンリル』を一閃させただけだ。素人の俺が振るった適当な一撃が、ミノタウロスの鋼鉄のような筋肉を豆腐のように切り裂き、その命を刈り取ってしまった。

この武器の性能は異常だ。使用者の身体能力を底上げするだけでなく、自動的に敵の急所を補足し、刃を導いてくれる感覚がある。まるで、達人の剣技をインストールされたような気分だ。


そして、さらに異常なのはその先だ。

ミノタウロスの巨体が黒い霧となって消滅すると、そこには巨大な肉塊ではなく、掌サイズの美しい宝石が転がっていた。


「『牛魔の紅玉』……しかも、不純物なしの最高品質か」


本来、ミノタウロスからのドロップは「汚れた斧」や「ミノタウロスの肉」が相場だ。この紅玉は、一万体に一体と言われる変異種レア・ネームドからしかドロップしない幻の素材である。武器の火属性付与に使えば、国宝級の魔剣が打てる代物だ。


俺はそれを拾い上げ、既にパンパンに膨れ上がったズボンのポケットに無理やりねじ込んだ。

マジックバッグを奪われたのが、これほど痛いとは思わなかった。

ここまでの道中で倒した魔物は十体ほど。そのすべてが、通常ではありえないレアドロップ品を落とした。

『疾風のブーツ』、『精霊銀のインゴット』、『万能薬のエリクサー』……。

どれもこれも、冒険者たちが一生をかけて追い求めるような財宝ばかりだ。だが、今の俺にはそれを運ぶ手段がない。

泣く泣く、嵩張る装備品はその場に隠し、ポケットに入るサイズの宝石や貴重な素材、薬品だけを選別して持ち運ぶことにした。


「本当なら、あの装備品だけで城が建つ金額になるのにな」


もったいない、と呟きながら、俺は地上を目指して歩き出した。

以前の俺なら、こんな状況で欲をかく余裕などなかったはずだ。生き残るだけで精一杯で、一歩進むごとに死の恐怖に怯えていただろう。

だが今は違う。

恐怖はない。あるのは、これから始まる新しい人生への高揚感と、俺を切り捨てた連中への静かな怒りだけだ。

ポケットの中の重みは、そのまま俺の未来の重みだ。

この力があれば、俺はどこまででも行ける。


三十階層、二十階層、十階層……。

驚くべきことに、地上に近づくにつれて魔物の数は減り、俺はほとんど戦闘をすることなく駆け抜けることができた。

どうやら『双牙・フェンリル』から放たれる神獣の威圧感が、下級の魔物たちを遠ざけているらしい。

いわゆる「魔除け」の効果まであるとは、恐れ入る。


そして、数時間の強行軍の末、俺はようやく地上の光を目にした。

ダンジョンの入り口である巨大な洞窟を抜けると、そこには懐かしい太陽と、青い空が広がっていた。


「帰ってきた……」


眩しさに目を細め、俺は大きく息を吸い込んだ。

肺に入ってくる空気は、ダンジョンの湿気たカビ臭いそれとは違い、乾いた土と草の匂いがした。

生きている。

あの地獄の底から、俺は生きて戻ってきたのだ。


「おい見ろよ、あの恰好」

「うわぁ、ひでぇな。モンスターに襲われたのか?」

「一人みたいだけど、パーティはどうしたんだ? 全滅か?」


ダンジョンの入り口広場には、多くの冒険者や商人がたむろしている。

血と泥にまみれ、ボロボロのシャツ一枚でふらりと現れた俺を見て、彼らは遠巻きにひそひそと噂話を始めた。

その視線には、同情、軽蔑、そして好奇心が混ざり合っている。

以前の俺なら、恥ずかしくて顔を伏せていただろう。Sランクパーティ『金色の獅子』の荷物持ちとして、常に「勇者の面汚しにならないように」と周囲の目を気にしていたからだ。


だが、今の俺は堂々と胸を張って歩いた。

彼らは知らないだけだ。

この薄汚れたズボンのポケットの中に、彼らが束になっても買えないほどの財宝が眠っていることを。

俺を見下す彼らの腰にある剣よりも、俺が腰に差したこの短剣一本の方が、遥かに価値があることを。

そう思うと、嘲笑の声すら心地よいBGMのように思えてくる。


「さて、まずは換金だな」


俺は喧騒を抜け、王都の大通りへと向かった。

まずは金だ。金がなければ宿にも泊まれないし、新しい服も買えない。何より、腹が減っている。

ポケットの中身を換金すれば、当面の生活費どころか、遊んで暮らせるだけの大金が手に入るはずだ。

しかし、問題は「どこで売るか」だ。


王都の中央通りには、大手クランが運営する巨大な素材買取所や、貴族御用達の高級鑑定所が立ち並んでいる。

『金色の獅子』にいた頃は、レオンの後ろについて堂々と正面玄関から入っていたものだが、今の俺はただの浮浪者同然の風体だ。

試しに、最大手の『ドラゴンの眼』という鑑定所の前まで行ってみたが、案の定、入り口に立つ屈強なガードマンに手で制された。


「おい、そこな貧乏人。ここは会員制だ。物乞いなら裏の教会へ行け」

「……客として来たんだが」

「はっ、客だと? 鏡を見てから言え。その薄汚れた格好で、何を売るつもりだ? ゴブリンの腰布か?」


ガードマンは鼻で笑い、威圧するように棍棒を叩いた。

俺は小さくため息をつく。

まあ、そうなるよな。

ここで『賢者の石』や『オリハルコン』を取り出して見せれば、態度は一変するだろう。だが、こんな目立つ場所でそんな騒ぎを起こすのは得策ではない。

下手をすれば、「盗品だろ」と難癖をつけられて衛兵を呼ばれるか、悪徳商人に足元を見られて買い叩かれるのがオチだ。

俺のような後ろ盾のない人間が、身分不相応な宝を持ち込むのはリスクが高い。


「……わかったよ、出直す」


俺は踵を返し、中央通りを離れた。

もっと目立たず、それでいて確かな目利きがいる店を探す必要がある。

俺は記憶の糸を手繰り寄せる。

昔、レオンが「あの店は腕はいいが、場所が悪くて流行らない」と嘲笑っていた小さな鑑定所のことを思い出した。

確か、路地裏の奥まった場所にあったはずだ。


大通りの喧騒から離れ、石畳がひび割れた薄暗い路地へと入っていく。

洗濯物がはためき、野良猫が我が物顔で歩く下町の一角。

迷路のような路地を抜け、突き当たりにある古びたレンガ造りの建物の前に、その看板はあった。


『白百合の鑑定所』


看板の塗装は剥げかけ、蝶番の錆びたドアは風が吹くたびにキーキーと音を立てている。

営業しているのかどうかも怪しい雰囲気だ。

だが、窓ガラスは綺麗に磨かれており、入り口の周りも丁寧に掃き清められている。

こういう店は、案外当たりだったりする。


俺は意を決して、ドアノブを回した。

カランコロン、と乾いたベルの音が店内に響く。


「いらっしゃいませ……」


奥から聞こえてきたのは、鈴を転がしたような、しかし少し元気のない少女の声だった。

店内は狭く、古書やガラクタのような骨董品が所狭しと並べられている。埃っぽい匂いの中に、古い紙とインクの香りが混じっていた。

カウンターの奥から姿を現したのは、一人の少女だった。

年齢は十八、九といったところか。

色素の薄いプラチナブロンドの髪を後ろで緩く束ね、分厚い眼鏡をかけている。着ている服は仕立ての良いドレスだが、袖口が擦り切れており、随分と長く着古していることがわかる。

彼女は俺の姿を見て、一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに居住まいを正して深々と頭を下げた。


「あの、どのようなご用件でしょうか? 修理ですか、それとも買取でしょうか?」


大手鑑定所のガードマンのような侮蔑の視線はない。

彼女は俺の汚れた服ではなく、俺の目をしっかりと見て話しかけてきた。

それだけで、この店を選んで正解だったと思えた。


「買取をお願いしたい。少し、珍しいものなんだが」

「珍しいもの、ですか……」


少女は少し困ったように眉を下げた。

おそらく、ガラクタを持ち込まれたと思ったのだろう。無理もない。

彼女は眼鏡の位置を直しながら、申し訳なさそうに言った。


「申し訳ありません。当店は今、あまり資金に余裕がなくて……。高価な美術品や宝石類の即金買取は難しいかもしれません。もしよろしければ、委託販売という形なら……」

「いや、まずは物を見てくれないか。話はそれからだ」


俺はカウンターに近づき、ポケットから無造作にアイテムを取り出した。

まずは、小手調べだ。

ゴトリ、とカウンターの上に置いたのは、道中の宝箱から手に入れた『ミスリル銀貨』だ。

ただの銀貨ではない。数百年前に滅びた古代王国の刻印が入った、歴史的価値のある古代硬貨だ。


「え……?」


少女の動きが止まった。

彼女は息を呑み、震える手でルーペを取り出すと、食い入るように銀貨を覗き込んだ。


「こ、これは……古代アステリア王国の記念硬貨!? しかも、未使用品同然の保存状態……!?」

「わかるか?」

「わ、わかります! 私、これの文献を読んだことがあります。現存するのは世界に数枚しかないと言われている幻の硬貨……! ど、どうしてこんなものが……!」


少女の顔が一気に紅潮し、眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝き始めた。

先ほどまでの儚げな雰囲気はどこへやら、好きなものを前にした子供のような興奮ぶりだ。

やはり、彼女の目は確かだ。

俺はニヤリと笑い、本命を取り出すことにした。


「驚くのはまだ早い。これも見てくれ」


次に俺が取り出したのは、ミノタウロスから手に入れた『牛魔の紅玉』だ。

握りこぶしほどの大きさの真紅の宝石が、薄暗い店内で怪しく、そして強烈な光を放つ。


「ひっ……!?」


少女は小さな悲鳴を上げ、思わず後ずさりした。

ただの宝石ではないことが、その魔力波動から伝わったのだろう。


「な、ななな、なんですか、その魔力……! 鑑定スキルが、エラーを起こしそうです……!」

「鑑定してみてくれ。偽物じゃない」

「し、失礼します……! 【真眼トゥルー・アイ】!」


彼女が呪文を唱えると、その瞳が青白く発光した。

鑑定士のみが持つ、物の真贋と価値を見抜くスキルだ。

数秒後。

彼女は膝から崩れ落ちそうになり、慌ててカウンターに手をついた。


「う、嘘……『牛魔の紅玉』……? しかも、純度100%……? 神話級の素材……?」


彼女は顔面蒼白になり、俺と宝石を交互に見比べた。


「あ、あの、お客様……。これは、一体どこで……? いえ、詮索はしませんが、これほどの品、国宝に指定されてもおかしくないレベルです。当店のような小さな店で扱えるような代物では……」

「他に行く当てがないんだ。あんたの店で扱ってほしい」

「えっ、で、でも……!」

「あんたの目は確かだ。俺を見た目で判断せず、ちゃんと物を見てくれた。だから、あんたに任せたい」


俺の言葉に、少女はハッとして顔を上げた。

その瞳が揺れている。

どうやら、彼女もまた、不遇な境遇にいるらしい。この寂れた店構えと、擦り切れたドレスがそれを物語っている。

俺にはわかる。実力があるのに正当に評価されず、くすぶっている人間の匂いが。


「……名前を聞いてもいいか?」

「え、あ、はい。エルザです。エルザ・フォン・ローゼンバーグ……今はただのエルザですが」


ローゼンバーグ。

かつて王都で名を馳せた鑑定の名門貴族だ。数年前、何かの陰謀で没落したと聞いたことがある。

なるほど、それでこの腕前と、この現状か。


「俺はアレンだ。エルザ、取引だ。この宝石と銀貨、あんたのルートで一番高く売れる場所に流してくれ。手数料として売り上げの二割を払う」

「に、二割!? そ、そんな大金、いただけません! 通常の手数料は五分ごぶです!」

「いいや、二割だ。その代わり、これからも俺が持ち込む品を優先的に扱ってくれ。……これくらいの品なら、これから山ほど手に入るからな」


山ほど。

その言葉に、エルザは口をあんぐりと開けた。

まさか本気だとは思っていないだろう。だが、俺は本気だ。

俺の【ドロップ確定】スキルがあれば、この程度のレアアイテムなど量産できる。

問題は、それをさばく窓口だ。信頼でき、かつ優秀なパートナーが必要不可欠だった。

そして今、目の前にその原石がいる。


「アレン様……あなたは、一体……」

「ただの、運の良い元荷物持ちさ」


俺は肩をすくめて笑った。


「どうする? 受けてくれるか?」


エルザは一度深く深呼吸をし、眼鏡の奥の瞳に強い光を宿して俺を見据えた。

商売人としての、そして鑑定士としての矜持を取り戻した顔だった。


「……承知いたしました。ローゼンバーグ家の名にかけて、必ずやアレン様の期待に応える成果を出してみせます。このエルザに、全てお任せください!」


彼女の力強い言葉に、俺は満足げに頷いた。

これで、金の心配はなくなった。

それどころか、俺はこの街で一番の大富豪になる足がかりを得たのだ。


「頼んだぞ、相棒」

「は、はいっ! 相棒……えへへ」


照れくさそうに笑うエルザの笑顔は、店内に差し込む陽光のように明るかった。


          ◇


その頃。

『深淵の魔窟』四十階層、ボス部屋前。


「おい、どうなってんだよ!」


勇者レオンの怒号が響き渡った。

彼の足元には、四十階層のボスである『アークデーモン・ロード』の巨体が転がっている。

激闘の末、ようやく倒した強敵だ。

しかし、その死体が消えた後に残っていたのは――ひび割れた黒い石ころ一つだけだった。


「……魔石の欠片(極小)。市場価値、銅貨三枚ですね」


聖女マリアが冷めた声で鑑定結果を告げる。


「ふざけんな! 俺たちのポーション代だけで金貨十枚は使ったんだぞ!? なんでボスドロップが銅貨三枚なんだよ!」

「運が悪かっただけよ、レオン。こういう日もあるわ」

「それにしても酷すぎるぜ。今日一日、まともなドロップが一つもねえ」


魔法使いのルーカスがげっそりとした顔で座り込む。

彼らの装備は激戦で摩耗し、ボロボロになっていた。修理費だけでも馬鹿にならない金額が必要だ。

本来なら、ボスドロップのレアアイテムを売って、それらの経費を賄い、さらに豪遊する予定だったのだ。

それが、大赤字である。


「くそっ、今日は厄日か!?」


レオンが苛立ち紛れに石ころを蹴り飛ばす。

彼らはまだ気づいていなかった。

これが「運が悪かった」のではなく、これから永遠に続く「日常」になるということを。

アレンという「幸運の女神」を自ら追放した彼らに、二度と輝く宝箱が開かれることはないのだ。


地上の古びた鑑定所で、アレンとエルザが未来への希望に胸を膨らませている一方で、地下の勇者たちは、終わりのない泥沼への第一歩を踏み出していた。

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