第一話 理不尽な追放宣告と、身ぐるみを剥がされた荷物持ちの覚醒
重い。
肺が焼けつくように熱い。
視界の端を汗が伝い、地面にぽたりと落ちる。
「おいアレン、遅いぞ! 早く回収しろ!」
前方から浴びせられる罵声に、俺、アレンは反射的に「す、すみません!」と声を張り上げた。
背負っているのは、パーティメンバー全員分の予備装備、食料、水、そしてダンジョンで手に入れた戦利品が詰まったマジックバッグだ。その総重量は優に百キロを超えている。
マジックバッグには重量軽減の効果があるが、それでも限度がある。詰め込みすぎた荷物は鉛のように肩に食い込み、一歩踏み出すたびに膝が悲鳴を上げた。
ここは『深淵の魔窟』。推奨レベル七十を超える、難易度Sランクのダンジョンだ。
俺たちがいるのは、その地下四十階層。湿った苔と腐敗臭が漂う薄暗い通路には、先ほど倒されたばかりの魔物、アークデーモンの巨体が横たわっている。
「ちっ、雑用係がトロトロしやがって。せっかくの勝利の余韻が台無しだぜ」
大剣を肩に担ぎ、金色の髪を鬱陶しそうにかき上げた男が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
彼はレオン。この国で五指に入ると言われるSランクパーティ『金色の獅子』のリーダーであり、勇者の称号を持つ男だ。整った顔立ちと圧倒的なカリスマ性、そして何よりその戦闘力で、国民的な人気を誇っている。
「まあまあレオン、そう怒らないであげて。アレンさんだって、無能なりに頑張っているんですから」
くすくすと上品に、しかし目は笑わずに口を挟んだのは、聖女のマリアだ。純白の法衣に身を包み、聖杖を手にしている彼女は慈愛の象徴とされているが、パーティ内での毒舌は周知の事実だった。
「ふん。無能なら無能らしく、手足くらい素早く動かせってんだ。……ほらアレン、いつまでそこで息を切らしてる? さっさとドロップ品を確認しろ」
「はい、ただいま……!」
俺はよろめく足取りでアークデーモンの遺体に近づいた。
魔物は絶命すると、その魔素が凝縮され、稀にアイテムを残す。いわゆる「ドロップ品」だ。
通常、アークデーモンクラスの魔物でも、ドロップ率は高くない。出たとしても「魔石(中)」や、せいぜい素材として使える「悪魔の爪」程度が関の山だ。
俺は祈るような気持ちで、黒い霧となって消えゆく魔物の跡地に手を伸ばした。
すると――。
カラン、と硬質な音が響く。
黒い霧が晴れたそこには、赤黒く脈打つような光を放つ、禍々しくも美しい長剣が落ちていた。
「え……?」
俺は思わず息を呑んだ。
鑑定スキルを持たない俺でも分かる。そこらへんの武器屋で売っている剣とは、放たれるオーラがまるで違う。
俺が拾い上げるよりも早く、レオンが横からその剣を引ったくった。
「おいおい、マジかよ! これ、『魔剣グラム』じゃねえか!? 国宝級の激レアアイテムだぞ!」
「まあ! 市場に出せば、白金貨百枚は下らない代物ですわ!」
「すげぇ……。また大当たりかよ」
後衛で欠伸をしていた魔法使いのルーカスも、目を見開いて近づいてきた。
レオンは魔剣を太陽にかざすように掲げ、恍惚とした表情で笑う。
「はっはっは! 見ろよこの輝き! さすがは俺だ。日頃の行いが良いから、魔物の神様も俺に貢ぎ物を寄越したってわけだ!」
「さすがレオン様です! この階層で三回連続のレアドロップなんて、レオン様の強運があってこそですね」
マリアがうっとりとした声で賛辞を送る。
俺は安堵の息を吐きながら、彼らの歓喜の輪から一歩引いた場所に立っていた。
これでいい。
俺の仕事は荷物持ちと雑用。戦闘の役には立てないけれど、こうして彼らが気持ちよく冒険できるようにサポートするのが俺の役割だ。
幼馴染のレオンが勇者として覚醒した時、「お前もついてこい」と言ってくれた。スキルのない俺をパーティに入れてくれた恩義がある。だから、どれだけ罵倒されても、どれだけ荷物が重くても耐えてきた。
「よし、今日は大漁だ。アレン、これを大事にしまっておけ。傷ひとつ付けたら承知しねえぞ」
「わかった、任せてくれ」
レオンから放り投げられた魔剣を、俺は慎重に受け取り、マジックバッグの「貴重品枠」へと収納した。
ふと、レオンと目が合う。
彼は何やら値踏みするような、冷ややかな視線を俺に向けていた。
背筋に冷たいものが走る。
今まで何度も見てきた、レオンが不要な装備を捨てる時の目。それと同じだったからだ。
「……なぁ、アレン」
「な、なんだ?」
「ここ、四十階層のボス部屋前だよな。セーフティエリアまであと少しか」
「ああ、地図によればそうだけど」
レオンはふむ、と頷くと、マリアとルーカスに目配せをした。
二人はニヤリと口角を上げ、無言で頷き返す。
嫌な予感がした。心臓の鼓動が早くなる。
「単刀直入に言うぜ。アレン、お前、クビな」
思考が停止した。
洞窟内に滴る水音だけが、やけに大きく響く。
「……え? ごめん、レオン。今、なんて?」
「耳まで悪くなったのか? クビだと言ったんだよ。追放。解雇。お前の席はもうねえの」
レオンはまるで明日の天気を話すような軽さで告げた。
俺は乾いた笑い声を漏らすことしかできない。
「じ、冗談だろ? だって、俺がいなくなったら荷物はどうするんだ? 食事の準備や、装備のメンテナンスは……」
「あのなぁ」
レオンが呆れたようにため息をつき、俺の肩に手を置いた。
その手には、友情など微塵も感じられない、ただの侮蔑が込められていた。
「お前、勘違いしてないか? 俺たちはSランクパーティ『金色の獅子』だぞ? 国内最強の俺たちが、なんでレベル10のお荷物を連れ歩かなきゃなんねーんだよ」
「そ、それは……俺が荷物持ちとして……」
「荷物持ち? そんなもん、もっと高価なマジックバッグを買えば済む話だ。飯? 携帯食料でいい。メンテナンス? 街の職人に頼めばもっといい仕事をする」
レオンの言葉が、一つ一つナイフのように胸に突き刺さる。
反論しようとしたが、言葉が出てこない。事実だからだ。俺には戦闘力がない。彼らの足手まといにならないよう、必死で雑用をこなすことしかできなかった。
「それにですね、アレンさん」
マリアが一歩進み出て、侮蔑の色を隠そうともせずに言った。
「あなたの取り分、無駄なんですよ。パーティの報酬は頭割り。あなたがただ荷物を背負って後ろで震えている間に、私たちは命がけで戦っているんです。その報酬を、役立たずのあなたに分けるのが馬鹿らしくなってきたんです」
「そうそう。今回の魔剣グラムだって、売れば凄まじい額になる。これを四人で割るより、三人で割ったほうが一人当たりの取り分が増えるだろ? 単純な計算さ」
ルーカスが肩をすくめる。
つまり、金だ。
彼らは、より多くの富を得るために、俺を切り捨てることを決めたのだ。
「でも、俺たちはずっと一緒にやってきたじゃないか! レオン、俺とお前は同じ村で育って……」
「過去の話を持ち出すなよ、みっともねぇ」
レオンが冷たく言い放つ。
「俺は勇者だ。上を目指さなきゃならねえ。これ以上、寄生虫を飼ってる余裕はねえんだよ。……それに、もう新しいメンバーの目星はついてるんだ。高火力の攻撃魔法使い。お前と違って、ちゃんと戦力になる奴だ」
もう、決定事項だったのだ。
俺の意見など、最初から聞く気はない。
悔しさで唇を噛み締める。鉄の味が口の中に広がった。
俺が彼らのために費やしてきた三年間は、一体なんだったのか。
毎晩彼らが寝た後に剣を磨き、綻びた服を縫い、少しでも快適に過ごせるようにと薬草学を独学で学び、栄養バランスを考えた食事を作ってきた日々は。
彼らにとっては、「無駄なコスト」でしかなかったのか。
「……わかった。パーティを抜けるよ」
絞り出すように言った。これ以上ここにいても、惨めになるだけだ。
「そうか、物分かりが良くて助かるぜ。じゃあ、さっさとそのマジックバッグを置いていけ」
「え?」
「え、じゃねえよ。そのバッグはパーティの備品だろ? 中身も全部、俺たちが倒して手に入れたものだ。お前個人の所有物なんて一つもねえはずだ」
レオンの言葉に、俺は愕然とした。
確かにバッグはパーティ資金で買ったものだが、中には俺の着替えや日用品も入っている。
「ま、待ってくれ。せめて自分の着替えと、当面の食料くらいは……」
「甘えるな」
ドンッ、とレオンに突き飛ばされた。
無防備だった俺は、重いバッグの重さに引かれて背中から無様に転倒する。
その隙に、ルーカスが魔法で俺の背中からバッグを強引に引き剥がした。
「おい、アレン。お前が着てるその『耐火のローブ』も、先月パーティの経費で買ったやつだよな?」
「は……?」
「置いていけって言ってんだよ。それは俺たちの金で買った資産だ。泥棒する気か?」
レオンの目が、獲物を狙う猛獣のように鋭くなる。
冗談ではない。本気だ。
こいつらは、俺の身ぐるみをすべて剥ぐつもりだ。
「マリア、やってやれ」
「はいはい。仕方ないですねぇ、手癖の悪い元メンバーへの慈悲です」
マリアが杖を振るうと、俺の体にかかっていた身体強化魔法が解除され、同時に見えない力によってローブの留め具が弾け飛んだ。
強制的に装備を解除された俺は、インナーの薄汚れたシャツとズボンだけの姿になる。
武器も、防具も、金も、食料も。
すべて奪われた。
「あ、そうだ。アレンさん、餞別です」
マリアがにっこりと笑い、足元に何かを放り投げた。
それは、錆びついた鉄のナイフだった。以前、料理用に使っていたが切れ味が悪くなって捨てようとしていたものだ。
「このダンジョンから一人で帰るの大変でしょう? 護身用にどうぞ。感謝してくださいね?」
「ぎゃはは! 優しいなぁマリアは! 錆びたナイフ一本で、Sランクダンジョンから脱出できるといいな!」
レオンが高らかに笑う。
ここは地下四十階層。
魔物のレベルは七十以上。
装備もアイテムもなしに、レベル10の俺が生きて帰れる確率は、限りなくゼロに近い。
彼らは俺を追放したのではない。
ここで死ねと、言っているのだ。間接的な殺人だ。
「……お前ら、本気かよ」
震える声で問う。
怒りと絶望が入り混じり、視界が歪む。
「本気も何も、これはビジネスだ。無能な社員をリストラし、会社の資産を回収した。それだけのことだろ?」
レオンは冷徹に言い放ち、踵を返した。
「じゃあな、アレン。あの世で運が良ければ、また会おうぜ」
「さようなら、アレンさん。来世では役に立つスキルを持って生まれてくるといいですね」
「魔剣グラムの売却益で飲む酒は美味そうだなぁ。あばよ!」
三人は一度も振り返ることなく、闇の向こうへと消えていった。
遠ざかる足音と、彼らの笑い声だけが残響となって耳にこびりつく。
一人、残された。
圧倒的な静寂と闇が俺を包み込む。
手元にあるのは、錆びたナイフ一本だけ。
「くそっ……くそっ、くそぉぉぉぉッ!!」
俺は地面を拳で殴りつけた。
痛みが走るが、心の痛みには到底及ばない。
信じていた。仲間だと思っていた。
幼い頃、「一緒に世界一の冒険者になろうぜ」と約束したレオンの笑顔は、もうどこにもない。
今の彼にあるのは、肥大化したエゴと、弱者を踏みにじる優越感だけだ。
「絶対に……許さない」
涙を拭い、俺は立ち上がった。
死んでたまるか。
あんな奴らに殺されてたまるか。
這いずってでも生きて帰って、あいつらの思い上がりを叩き潰してやる。
そう決意した時だった。
『グルルルル……』
背後から、低い唸り声が聞こえた。
心臓が跳ね上がる。
ゆっくりと振り返ると、暗闇の中に赤い瞳が二つ、浮かんでいた。
ヘルハウンドだ。
地獄の番犬と呼ばれる魔物で、その牙には猛毒があり、吐き出す炎は鉄をも溶かす。
レベルは六十五。本来なら、Sランク装備で固めた前衛が盾となり、後衛が魔法で攻撃してようやく倒せる相手だ。
錆びたナイフ一本の俺が勝てる相手ではない。
「ふ、ふざけるなよ……!」
俺は後ずさりしながら、ナイフを構えた。
手が震える。膝が笑う。
ヘルハウンドが涎を垂らしながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
俺はただの餌だ。あいつにとって、俺は無力な肉塊でしかない。
(ここで終わるのか? あいつらに嘲笑われたまま?)
嫌だ。
そんな結末は認めない。
「うおおおおおッ!!」
恐怖を振り払うように、俺は叫び声を上げて突っ込んだ。
ヘルハウンドが飛びかかってくる。
鋭い爪が俺の肩を掠め、鮮血が舞う。熱い痛みが走るが、構わず懐に飛び込んだ。
狙うは一点。魔物の急所である喉元。
錆びたナイフじゃ、硬い毛皮は貫けない。柔らかい場所を狙うしかない。
ガブッ、と左腕を噛まれた。
骨が軋む音。激痛に目の前が真っ白になる。
だが、その痛みのおかげで、俺の意識は逆に研ぎ澄まされた。
左腕を犠牲にして、俺は右手のナイフを、ヘルハウンドの喉の奥深くへと突き立てた。
「死ねぇぇぇッ!!」
渾身の力で捻じ込む。
ヘルハウンドが苦悶の声を上げ、暴れ回る。
俺は振り落とされないようにしがみつき、何度も、何度もナイフを突き刺した。
やがて、魔物の動きが鈍くなり――ドサリ、と重い音を立てて倒れた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
勝った。
奇跡だ。
俺は血まみれで、地面に大の字に倒れ込んだ。
左腕の感覚がない。出血も酷い。このままでは失血死か、毒で死ぬかだ。
結局、少し死ぬのが遅くなっただけか……。
薄れゆく意識の中で、ヘルハウンドの死体が黒い霧になって消えていくのを見た。
ドロップ品なんて期待していない。
レオンが言っていた通り、俺には運がない。才能もない。
ただの石ころか、良くて汚れた獣の皮だろう。
カラン。
音がした。
俺は重い瞼をこじ開け、首だけで音のした方を見た。
「……は?」
そこにあったのは、石ころではなかった。
黄金に輝く、小さな瓶。
そして、虹色の光を放つ宝箱だった。
「なんだ……これ……?」
震える手で、黄金の瓶を手に取る。
鑑定スキルはないが、冒険者としての知識が告げている。
これは『神酒』。
どんな傷も、どんな病も、欠損した四肢さえも瞬時に再生させ、状態異常を完全に回復させる、伝説級の回復薬だ。
市場価値なんてつけられない。国が傾くほどの値段がつく代物だ。
なぜ?
ヘルハウンドごときから、なぜ神話級のアイテムが出る?
レオンたちは言っていた。「俺の運が良いからだ」と。
だが、レオンはもういない。
ここにいるのは、運も実力もない、無能な俺だけだ。
俺は震える手で神酒の蓋を開け、一気に飲み干した。
瞬間、体中を温かい光が駆け巡る。
ズタズタだった左腕の傷が塞がり、噛み砕かれた骨が元通りに繋がり、失った血液が戻ってくる。毒による痺れも消え失せた。
「治った……完全に……」
信じられない思いで自分の体を見下ろす。
そして、視線はもう一つのドロップ品、虹色の宝箱へと向く。
虹色の宝箱なんて、御伽噺の中でしか聞いたことがない。ダンジョンの最奥に眠る神龍を倒した時に稀に出ると言われる、最高ランクの宝箱だ。
俺はおそるおそる、宝箱に手を触れた。
鍵はかかっていない。
ゆっくりと蓋を開ける。
溢れ出す光の中にあったのは、一対の短剣だった。
透き通るような蒼い刃。持ち手には複雑な魔術刻印が施されている。
『双牙・フェンリル』
なぜか、その名前が頭に浮かんだ。
このダンジョンに存在するはずのない、神獣の名を冠した武器。
俺は短剣を手に取った。
軽い。まるで羽のように軽いのに、振れば空間そのものを切り裂くような鋭さを感じる。
その時、俺の脳裏に電流のような閃きが走った。
「もしかして……」
今まで、レオンたちがレアアイテムを連発していたのは、レオンの運じゃなかったのか?
俺がいたから?
俺がパーティにいたから、ドロップ品がレアドロップに変わっていたのか?
試しに、近くを這っていた小さなムカデの魔物を、手に入れた短剣で刺してみた。
本来ならドロップすらないような雑魚だ。
だが、ムカデが消滅した後に残ったのは――拳大の『オリハルコン』の塊だった。
「……ははっ」
乾いた笑いが漏れる。
確信した。
俺には、特別な力がある。
魔物を倒した時、あるいは宝箱を開けた時、その中身を強制的に「最高品質(SSSランク)」に書き換える力が。
レオンが「俺の実力だ」と威張っていたあの成果はすべて、俺のこのふざけた能力のおかげだったのだ。
「あいつら、とんでもないことをしやがったな」
笑いが止まらなかった。
俺を追放した? 無能だから?
違う。彼らは、自ら「黄金を生むガチョウ」を殺そうとしたのだ。
俺がいなくなった『金色の獅子』がどうなるか、想像するだけで滑稽だ。
これから彼らは、どれだけ強敵を倒しても、手に入るのはゴミくずだけになる。
莫大な維持費、高価な装備の修理費、派手な生活費。
収入が途絶えた彼らが、どこまで堕ちていくのか。
「いい気味だ」
俺は立ち上がり、双牙フェンリルを強く握りしめた。
体には力が満ち溢れている。この武器と、この能力があれば、一人でも生きていける。いや、今まで以上に稼げる。
「見てろよ、レオン、マリア、ルーカス」
暗闇の奥、地上へと続く道を睨みつける。
「お前らが俺を捨てたんじゃない。俺が、お前らを見限ったんだ。……後悔しても、もう遅いからな」
俺は、一歩を踏み出した。
絶望の淵から這い上がった俺の足取りは、ここに来た時よりもずっと力強く、そして軽やかだった。




