お前の従姉妹のエリザベートが、私がいないと生きていけないと言うので
いつの間にこんなところまで歩いてきたのでしょう。
橋梁の上に立つわたしの目の前に、川が流れています。
雨が降った後の澱んだ川が。
欄干に寄りかかり、川を見つめながら思います。
先程のオーティス様の衝撃的な台詞は、一体どういうことなのだろう、と。
「クリスタ、結婚が間近に迫っていたが、お前との婚約を破棄する。お前の従姉妹のエリザベートが、私がいないと生きていけないと言うので」
オーティス様はそう仰いました。
表情一つ変えずに。
勿論驚きました。
けれど、一番驚いたのは言われた内容ではありません。
エリザベート!?
誰ですか?
わたしにエリザベートと言う名の従姉妹はおりません。
彼は呆然としているわたしを置いて、颯爽と去って行かれました。
侯爵のオーティス様と、子爵令嬢のわたし。身分差はあります。けれど、いくらなんでもこれでは一方的すぎます。
わたしは承諾しておりません。
こんな疑問符だらけの中、承諾できるわけもありません。
勇気を振り絞り、再びオーティス様の邸を訪れると、彼は怪訝な表情で、
「まだ何か用なのか。もうお前に用はない。慰謝料ならそれなりに払ってやる」
と言いました。
「そういったことはどうぞ父と話してくださいませ。この婚約は全て父が決めたことですから。ただ、どうしても確認したいことがございます」
「私に振られ不服か。しかし、人の気持ちとは移ろいやすいもの。私の心は既にエリザベートのものだ。お前の入り込む隙はない」
「ですから、そのエリザベート様というのは一体どなた様なのでしょう?」
「何を言っている。お前の従姉妹だろうが。お前は自分の従姉妹の名も覚えられないのか」
「お言葉ですが、わたしにそのような名の従姉妹はおりません。婚約を破棄するため、わたしを謀っておられるのですか?」
「お前こそ婚約破棄を受け入れられず、世迷言か?」
オーティス様は、呆れた表情で大きく息を吐きます。
このご様子……。
どうやら、嘘を言っているわけではないようです。
「では、申し訳ございませんが、少しエリザベート様のことをお教え願いませんか? わたしの記憶違いかもしれません」
そんなことは絶対にないと断言できますが、ここはあえて呆けたふりをし、わたしは"エリザベート"の情報を引き出すことにしました。
「………仕方がない。エリザベート・ヴィンサンチア。お前と同じ姓だが、ヴィンサンチア伯爵の令嬢だ。ハンカチーフに施された刺繍の家紋も見せてもらった。間違いはない。あのレアなセレスタイトの瞳とアイスグリーンの流れるような長い髪。……とても魅力的だ」
言いながら、彼の口元がだらしなく緩んでおります。
確かにヴィンサンチア伯爵は父の兄。そして伯爵の娘、つまりわたしの従姉妹は存在します。
彼が言うように、セレスタイトの瞳とアイスグリーンの髪は非常に珍しい色味です。そして、その稀有な色味は優勢遺伝の賜物か、四人の従姉妹全員に共通します。
ただ、勿論彼女たちの中に"エリザベート"は存在しません。
ちなみに従兄弟も、わたしの父と幼い弟も、その珍しい色味です。わたしだけが母と同じ、平凡なクンツァイトの瞳にブラウンの髪なのです。
「あの、エリザベート様は伯爵家の何女に当たる方なのでしょうか?」
「さあな」
「では、ご年齢は?」
「知らん。見た感じ、十六から二十五の間だろう。別に歳など関係ない。私は気にもしない。ただ運命の相手が、ようやく私にひしと縋り付いてきた。それが大事なのだ。私は生涯をかけて、その美しい彼女を全力で守ると誓った。昨夜の彼女も愛らしかった」
今度は、鼻の下が伸びております。
お父様には申し訳ありませんが、そんな彼の表情を見ていますと、婚約を破棄されてよかったとすら思えます。
「……然様ですか。よく分かりました。確かに彼女はわたしの従姉妹です」
誰なのかは存じませんが、特徴的な外見の色味と家紋入りのハンカチーフ。
"エリザベート"がヴィンサンチア伯爵の娘だということだけは確かなようです。
しかし、従姉妹の誰であろうと何れはバレるでしょうに、なぜ中途半端に偽名を使うのか、全く意味が分かりません。
「この運命の出会いについて説明すれば、お前の父、ヴィンサンチア子爵も理解してくれるはずだ。賢明な子爵は、決して親族間の争いなど望むまい。そういうわけだから、聞き分けのないことを言わず、お前もさっさと身を引くがいい」
オーティス様はそう言いながら、だらしないお顔のまま、今度はどこか宙を見ています。
"エリザベート"。
彼を愛しているけれど、事情があって偽名を使うのか、彼を騙して遊んでいるのか、はたまた、わたしへの嫌がらせなのか、本当に一体どういうつもりなのでしょう。
今すぐ四人の従姉妹を彼の前に並べ、確かめたい衝動に駆られますが、それは決して彼を取り戻したいからではありません。
あるのは、真実を知りたいという思いだけです。
ただ謀りなどではなく、彼が"エリザベート"にご執心だということはよく分かりました。
「どうぞ、お幸せに」
そう言って深々と頭を下げると、わたしは彼の邸を後にしました。
ヴィンサンチア伯爵の子供は全部で六人おります。
長男のエグバートお兄様と次男のノイン、二人を除いた、四人の従姉妹について改めて考えてみます。
長女のジェシカお姉様は二十七歳。
すでに他家へ嫁いでいるので、"エリザベート"候補から除外していいはずですが、もしかしたら既婚者だからこそ、偽名を使っているという可能性があります。
次女のアグノラお姉様は二十三歳。
結婚に興味がなく、王立院の薬学研究所で日々研究に打ち込んでいる才女です。
身持ちが固く真面目な性格の彼女が、人の婚約者を奪うなんて考えられませんが、ストレスからの反動ということなら、ありえない話でもない気がします。
三女のエメリーお姉様は二十歳。
確か、彼女には幼い頃から決まったお相手がいたはずです。
その伯爵の許婚を捨て、侯爵のオーティス様に乗り換えるおつもりなのでしょうか。
最後に四女のカロリーナは、わたしの一つ下で十八歳。
常に優しくおっとりしている彼女が、恋は人を狂わせるというのを実践してしまっているのだとしたら怖い話です。
考えようによっては、誰も彼も疑わしく思えます。
きっと、こういう時は沈着冷静なエグバートお兄様に相談するのが一番いいのでしょう。
ただ、お兄様は王宮で責任ある財務のお仕事をしているため、いつでもお会いできるわけではありません。
翌日、ちょうど休日だったということもあり、わたしは思い切って伯爵家を訪れることにしました。
もしお兄様がいらっしゃらなくても、みんなの様子だけは分かるだろうと思ったからです。
「あら、クリスタ。久しぶりね」
エントランスで明るく迎えてくれたのは、三女のエメリーお姉様。
わたしの視線は、一瞬でお姉様に釘付けになりました。
正確には、お姉様の髪に。
背まであった彼女のアイスグリーンの髪がとても短く、肩につかない程度まで切り揃えられていたからです。
「あの、エメリーお姉様、髪をどうされたのですか?」
「髪? ああ、ひと月前くらいにバッサリね。気分転換よ。それより今日はどうしたの? 遊びに来てくれたの?」
「……はい。あの、少し相談事がありまして。エグバートお兄様はいらっしゃいますか? それとこれ、ベリーのパイとシフォンケーキとチョコレートのクッキーです」
わたしはまだお姉様の短い髪を気にしながら、おずおずとバスケットを差し出しました。
「わあ、私クリスタのお菓子、大好き!! みんなも喜ぶと思うわ。ありがとう。けど、エグバートお兄様は休日だっていうのに、今日もお仕事なの。珍しくアグノラお姉様がいるから、相談なら彼女にしてみたら?」
エメリーお姉様はにこにこと笑いながらバスケットを受け取り、わたしをリビングに促しました。
ソファーに座ると、メイドが香りの良いジャスミンティーを運んで来ました。
エメリーお姉様が呼んできたのか、アグノラお姉様とカロリーナが 二階の自室から下りてきます。
「どうしたのですか!?」
二人を見たわたしは、思わずそう叫んでいました。
「ん? なあに?」
カロリーナはそう言って首を傾げ、アグノラお姉様は無言で目を細めます。
「髪!!」
二人の髪もエメリーお姉様と同じように、短くなっています。
「ああ」
カロリーナは自分の髪に触れました。
腰より長かった彼女の髪は顎のラインで一直線、アグノラお姉様なんてもっと短く、耳にかかる程度のショートヘアになっています。
「まあ、暑いからスッキリと」
「今、真冬ですけど」
わたしはアグノラお姉様の言葉に、冷静に返します。
「あたしはキノコを食べてたら、こういう髪の形もいいなぁって思って」
カロリーナが笑って言います。
「本気でそんなことを思ったの?」
「似合わなあい?」
「そんなことはないけれど」
可愛らしいカロリーナはどんな髪型でも似合います。
勿論、エメリーお姉様もアグノラお姉様もそれぞれに素敵で格好よく、短い髪も似合っております。
でも、どうしてみんな一斉に?
"エリザベート"は、間違いなく長い髪のはずです。
彼女と何か関係があるのでしょうか。
リビングのソファーに集まり、姦しくお茶会になりました。
「あの、暫く会っていませんが、ジェシカお姉様は元気にしていらっしゃいますか?」
わたしはさり気なく、彼女の様子を伺います。
「ええ。そういえばクリスタにはまだ伝えていなかったわね。ジェシカお姉様にようやく子供ができたのよ」
エメリーお姉様はそう言って、嬉しそうににぱちんと両手を合わせます。
「えっと、それはご主人であるタイラス辺境伯との?」
「やあね、当たり前でしょう。お姉様、コール様にメロメロだから、彼似の男の子だったら嬉しいなんて言って、とっても喜んでいるわ」
「それで出産までは色々大変だから、近々こちらに戻ってくることになっている。ジェシ姉に会いたいなら、その頃にまた来るといい」
エメリーお姉様に続き、アグノラお姉様が言います。
「赤ちゃん、楽しみね」
カロリーナは言いながら、わたしが持ってきたシフォンケーキを口に運びます。
成程……。
ジェシカお姉様は、タイラス辺境伯を愛していて、ようやく念願のお子に恵まれた。
彼女が"エリザベート"である可能性は限りなくゼロに近い気がします。
「そういえば、ノインの姿が見えないけれど、彼はお邸にいないの?」
わたしは向かいに座るカロリーナにそう聞いてみました。
わたしより三歳下のノイン。
最後に会ったのは、だいぶ前のことです。
どういうわけか邸で姿を見かけず、長い間会っていません。
「ううん。二階の自分の部屋にいるよ。誘ったけど、来ないって」
カロリーナは言いながら、今度はチョコレートのクッキーに手を伸ばします。
「エグ兄もいないし、どうせ女ばかりだから来ても居心地が悪いんだろう」
アグノラお姉様の言葉に、エメリーお姉様が頷きます。
みんないつも通り。とても自然体で、わたしに対してやましい態度を取るようなこともありません。
やはり、エリザベートのことを聞くのは躊躇われます。
「ところで、何か相談があるのでは?」
わたしをじっと見つめ、アグノラお姉様が尋ねます。
「あ、それは、ですね。その、ちょっと異性の……友人とのトラブルのことで。エグバートお兄様はいらっしゃらないし、ノインにでも相談してみようかしら」
何気に発した言葉でしたが、ノインに相談してみるというのは、意外といい案かもしれません。
みんなを疑っているなんて言ったら、彼は怒るかもしれませんが、本人ではないのだから少なくとも傷つけることはないはずです。
「ノインに?」
エメリーお姉さまは目を見開きました。
「駄目、でしょうか?」
「いいんじゃないか」
アグラお姉様が代わりに答えます。
「部屋まで連れて行ってあげるー」
カロリーナがゆっくりとソファーから立ち上がり、わたしの手を引きます。
彼の部屋の前で三度ノックをすると、
「どうぞ」
と返事がありました。
カロリーナは案内役を終え、小さく手を振りなが階段を下りていきます。
「失礼します」
わたしは扉を開けました。
「……クリスタ」
そう言ったまま、部屋の奥の男性は固まっています。
「ノイン?」
「はい」
「暫く見ない間に、ずいぶん大きくなったわね」
ノインは背が伸び、すっかり眉目秀麗な青年になっていました。
「まぁ、それは、僕ももう十六ですし」
「久しぶりです」
「……久しぶり。どうぞ入って。僕に何か用があるのでしょう?」
彼はそう言って、穏やかに笑いました。
わたしは彼に促され、テーブルセットの白い椅子に座ります。
彼は遠慮がちに、わたしの向かいに座りました。
「ノイン、みんなでお茶会をしていたのだけれど、下に来てくれなかったわね。具合でも悪いの?」
「いや、体調が悪いわけじゃないよ」
昔と同じ砕けた口調で返してくれたので、少しほっとします。
「お菓子を作ってきたから、よかったら食べてね」
「ありがとう。カロリーナ姉さんに全部食べられていないといいけど」
「あ、確かに。それはそうね」
わたしが笑うと、彼もまた笑いました。
「それで、どうしたの? 何か悩み事?」
彼が尋ねます。
「ノイン、わたしがオーティスと婚約していることを知っているでしょう?」
ノインは頷きます。
「実は、恥ずかしいのだけれど、婚約を破棄されてしまったの。他に好きな方ができたからって」
「……そう。だから落ち込んでいるんだね。婚約者のこと……好きだった?」
「分からない。……ううん。こうなって、全然好きじゃなかったことを知ったのかもしれないわ」
「けれど、未練があるような顔をしている」
わたしは左右に首を振ります。
「そうじゃないの。気になることがあって……。オーティス様の好きな方というのは、わたしの従姉妹で"エリザベート"という名らしいの」
「そんな従姉妹はいないよね」
ノインは考え込みます。
「ええ。でも、"エリザベート"はヴィンサンチア伯爵の娘だと言っていたわ」
わたしは、伏せたノインの美しいセレスタイトの瞳を見つめました。
「クリスタは姉さんたちを疑っているの?」
「本当は疑いたくなんてない。でも、嘘をついているようには見えなかったから」
ノインは顔を上げ、わたしを真っ直ぐに見つめ返します。
わたしは言葉を続けました。
「ノイン、こんなことを聞いて気分を悪くして当然だと思うけれど、あなたはみんなのことをどう思う?」
「クリスタは本当に、姉さんたちの誰かが偽名を使って、君から婚約者を奪ったと思っているの?」
再び質問を返され、動揺しました。
確かに……。
確かに、誰がそんなことをするというのでしょう。
ジェシカお姉様は、旦那様が大好きで元々愛情深い方。アグノラお姉様もエメリーお姉様もカロリーナも優しくて、わたしに嫌がらせをするはずがないのです。
そして、もし三人のうちの誰かがオーティス様に惹かれてしまったのなら、こんな形でわたしから彼を奪う前に、正々堂々と相談してくるはずです。
「従姉妹の中に"エリザベート"は、いないわ」
わたしは、はっきりとそう答えました。
ノインは頷き、綺麗な笑顔を向けました。
軽くなった足取りでリビングに戻ると、エメリーお姉様が大きな花束を抱えています。
「綺麗な花束……」
わたしは呟きます。
「婚約者が送ってくれたのよ」
「熱烈な恋文も添えてねー」
カロリーナが茶化すように言います。
「でも自室に飾るしかないわ。あの子がこんなものを見たら、絶対にいい顔をしないもの」
エメリーお姉様は、花を見ながらため息を吐きます。
「あの子?」
「ノインよ。なんだか切られた花は好きじゃないんですって。いつの頃からか、すっかりガーデニングに凝ってしまって。クリスタも春になったら、庭園を見に来たらいいわ」
「ノインにそんな趣味が?」
暫く会わない間に、彼は本当に変わったようです。
「全く、私たちがガサツな反動からかもしれないな」
アグノラお姉様は、自嘲気味に笑います。
「それで、クリスタの悩みは解決したの?」
エメリーお姉様の言葉にわたしは大きく頷きました。
結局、"エリザベート"が誰なのかは分かりません。
解決したとはとても言えないけれど、"エリザベート"はここにはいない。
それでいいと思えました。
「ノインもやるわね」
「みなさま、申し訳ありませんでした」
わたしはそう言って頭を下げます。
「ちょっと何謝ってるのー? まさか、あたしたちの悪口をノインに言ってたんじゃないよねえ?」
カロリーナが、可愛らしく頬を膨らませます。
「よく分からないが、解決したならまぁいいじゃないか。また、美味しいお菓子を頼む」
アグノラお姉様がわたしの頭にぽんと手を載せました。
「今度はアップルパイがいいなぁ。あと、チェリーのタルト!!」
「現金なやつだ」
お菓子と聞いて便乗してきたカロリーナに、アグノラお姉様が呆れた顔をします。
清々しい気持ちで、わたしは伯爵家を後にしました。
それから半年が経った頃、元婚約者のオーティス・グラド侯爵が捕まったという知らせが舞い込みました。
王宮の財務省に自分の手駒を忍ばせ、横領したという罪に始まり、その後、禁止薬物の密売や使用人の虐殺など、様々な罪が発覚したのです。
使用人といえども、中に下級貴族もおり、どうやら死罪は免れないとのことです。
衝撃から、わたしは身体の震えが止まりません。
父も驚き、そんな男に嫁がせようとしていたなんて申し訳がなかったと、わたしに何度も謝罪しました。
あれからもう、考えることをやめてしまった"エリザベート"はどうなったのでしょう。
オーティス様がこんなことになり、哀しんでいるのでしょうか。
騙されたと憤っているのでしょうか。
それとも、わたしのように震えているのでしょうか。
わたしに知るすべはありません。
一週間ほどが経ち、エメリーお姉様が自邸を訪ねてきました。
テーブルを挟み、向かいに座るお姉様はいつになく深刻な表情です。
「本当は伝えるつもりはなかったの。ごめんなさいね」
このタイミングで、このような謝罪の言葉。
「まさか、お姉様が"エリザベート"だったのですか?」
わたしの問いかけに、お姉様は左右に首を振りました。
「私じゃないわ」
「では誰が?」
お姉様は言いにくそうに口を開きます。
「ノインよ」
「ノイン?」
予想外の名前に、思わず声が大きくなります。
「どうしてノインが?」
「勿論、グラド侯爵にあなたとの婚約を破棄させるためよ。そもそも彼にはあなたと婚約する前から悪い噂があった。だから、婚約の話が持ち上がった時、父と兄は何度も叔父様に話しに行ったの。でも、叔父様はそんなのはただの噂だと言って、聞く耳を持たなかった。由緒あるグラド侯爵家と縁戚になるチャンスを逃すわけにはいかないというお考えを、決して変えてはくださらなかったわ」
「そんな……。その時、わたしにも伝えてくだされば」
わたしの言葉に、エメリーお姉様はまた左右に緩く首を振り、視線を落とします。
「まだ、はっきりとした犯罪の証拠がなかったのよ。あなたに叔父様とも争って欲しくはなかった。それでとうとう結婚の日取りまで決まってしまって……。あなたには申し訳ないけれど、私は一先ず結婚してしまっても、仕方がないと思っていた。だって証拠を見つけるのに、どれだけ時間がかかるか分からなかったから。でも、ノインがどうしても駄目だって。あの男は危険だから、あなたを彼の傍に置けない。あなたを傷つける可能性があるって」
「それで彼が"エリザベート"になって、オーティス様を誘惑してくれたのですか?」
「そうよ。でもまあ、きっと誘惑するまでもなかったわ。あの男は最初から私たちのこの髪と瞳に興味があったから。それで、エグバートお兄様は外部から、ノインは内部からお互い協力し合い、最終的に確たる証拠を掴んだわ。我が弟ながら本当にすごい行動力よね」
「女装をして?」
「あの子は、とても綺麗な顔をしているから、お化粧で女性に見せるなんて簡単だったわ。ただ、変なところに律儀で、それだけは参ってしまったけれど」
お姉様は可笑しそうに笑いながら続けます。
「女装するにも支度があるでしょう。だから、私たちの物を何でも貸すと言ったのだけど、借り物から個人を特定されると迷惑がかかると言って聞かなかったの。別に邸の財政が厳しいわけでもないのに、自分勝手な理由で邸のお金を遣うわけにもいかないなんて言い出すし。それなら、元あるお金を使わなければいいと思って、髪を売ったの。私たちのせめてもの応援の気持ち。髪なんてどうせ伸びるし、何しろタダだもの。驚いたわ。アイスグリーンの髪って貴重だとかで高く売れるのね。彼のウィッグを作って、残ったお金でドレス、宝飾品なんかを全て揃えられたのよ。勝手なことをして、あの子には後からたっぷり怒られたけど」
「それで、みんなの髪が……」
「気にしないで。ついでに、ジェシカお姉様とエグバートお兄様の髪も、ものすごく短くなっているわよ」
エメリーお姉様は、柔らかく笑っています。
「ノインは、どうしてそこまで?」
「分かるでしょう。あなたのことが大好きだからよ」
「彼がわたしを?」
「これからも、その気持ちを直接あなたに伝えるつもりはないと思うけれど。ノインは、あなたと結ばれることを望んでいないから」
エメリーお姉様はそう言うと、小さく息を吐きました。
「……従弟だからですか?」
「そうね。それに自分が恋愛対象に見られていないことをよく分かっているのよ。だから、ただあなたの幸せを願っているだけ。これからも、ずっとね」
ノインが自分を女性として見ているなんて、確かにこれまで考えてもみませんでした。
「私だって伝えるつもりはなかったの。本当よ。血が近い相手との恋愛なんて賛成してもいなかった。でも、あの子があまりに不憫で。健気で。今は私も兄姉妹も、そして両親も応援しているわ。ねぇ、クリスタ。従姉弟は結婚できるのよ。ゆっくりでいいから、ノインのことをきちんと考えてあげて。あなたがその気なら私たち、今度こそ叔父様と叔母様を説得してみせるわ」
「エメリーお姉様」
改めてお姉様を見つめます。
「迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。それに何も知らず、これまでみんなのことを疑ったりもしました。本当にごめんなさい」
わたしはそう言って、頭を下げます。
「いいのよ。私の方こそ、あの男が薬物の密売や殺人までしているなんて知らなかった。全てノインが正しかった。あなたに何事もなくてよかったわ」
お姉様はわたしの隣に移動すると、優しくわたしを抱きしめてくれました。
数日後、わたしはお菓子を持って伯爵家を訪れました。
「夏の花も綺麗ね」
水撒きをしている彼にそっと近づき、そう声をかけます。
「クリスタ」
振り向いたノインは、戸惑った表情をしています。
「ガーデニングが趣味だなんて、少しも知らなかったわ。でも、花が好きなのにどうして切り花は嫌いなの?」
「……それは、昔、君に言われたから」
「わたし?」
「花が好きだから、花を摘まないでほしいって」
思い出しました。
川縁に咲いた花、野山に咲いた花、草原に咲いた花。
自然に咲いている花を、摘まないでほしいと、確かにそう言いました。
けれどそれは、幼いあなたがむやみやたらに花を摘んでいたから。
そんなことを、覚えていたのですね。
庭園には、沢山の花。
わたしが好きな花。
「エメリーお姉様から聞きました。優しい"エリザベート"、わたしを守ってくれてありがとう」
わたしの言葉に、ノインは赤くなり俯きます。
今後、どうなるかなんて分かりません。
ただこれからは、彼のことを従弟ではなく一人の男の人として、真っ直ぐに見つめてみようと思うのです。
まずは、このお菓子を彼に差し出すところから始めてみます。
お読みいただきありがとうございました。
評価やリアクション等いただけましたら、大変嬉しいです。
今後の執筆活動の励みになります。




