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第6話 ネモリン暗殺

   一


 

 そのとき、ネモリンは居眠りしながらインド人のロビイストからレクチャーを受けていた。ときどき目を開くと移植された指が見えた。他人の指であったがツヤツヤと輝いていて、ネモリンはそれを気に入っていた。


 「アフガニスタンのリチウムは硬い石のなかに含まれていまして、精錬するのにかなりのコストがかかります。なので、価格では南米のリチウムのほうがずっと安かったわけです。南米のリチウムは液体のなかに含まれていますからね。ところが、南米は森林の伐採などに注目が集まるようになりまして、環境問題に関する制約が厳しくなりました。それで、リチウムを精製するコストも飛躍的に高くなり、今ではアフガニスタンのリチウムのほうが安い、ということになっています。アフガニスタンの環境問題に注目する学者や団体はほとんど皆無なので・・・・・・」

 と、長い前置きをしていたロビイストの名前はクマル・クマールといった。はにかんだような表情をしつつ正面を向いたまま頭をゆする動きがまさにインド人だった。

 そのクマルの話が途切れると、ネモリンは顔をあげた。そのネモリンの肩を叩く者があったが、それはクマルではなかった。


 「ミスタ・プレジデント、カラチの領事館がテロリストの攻撃を受けまして、瀬戸グンが拉致されました」

 と耳打ちしたのはCIA長官のダイアモンドだった。


 クマルはすでに側近たちによって執務室から出されていた。


 ネモリンはすっかり目をさまし、

 「カラチの領事館? 瀬戸は第7艦隊の病院に入院していたんじゃなかったの?」

 と言った。

 ダイアモンドはその件については答えず、

 「瀬戸グンを拉致したのはズルフィカールである可能性が高いです」

 と言った。


 ネモリンはズルフィカールの顔を思い出し、絶句した。


 そこに側近のひとりが駆け込んで来て、

 「ミスタ・プレジデント、ズルフィカールから電話が入ってます」

 と言った。


 ネモリンはとびあがり、青くなってダイアモンドの顔を見た。

 ダイアモンド長官は、

 「スピーカーモードにしてくれ」

 と、その側近に言った。




 「プレジデント・イチジョー」

 と、ズルフィカールは景気のいい声を発し、

 「アフガニスタンのリチウムに関する契約は覚えてらっしゃいますよね?」

 と言った。

 ダイアモンド長官はこれに対し、

 「USANはテロリストとは取引いたしません。契約するなどということもあり得ません」

 と言った。

 「では、瀬戸二等空尉がマスメディアやSNSでプレジデント・イチジョーについての様々なことを語ってもかまわないのですね?」

 と、ズルフィカールは言った。声の感じから、いやらしくニヤついているのがわかった。


 「ちょっとまってくれ」

 と、ネモリンは半べそをかいたような声をだした。


 「プレジデント・イチジョー、わたしがあなたの釈放手続きをしたときに瀬戸二等空尉も一緒に釈放してもらいましょうかとお尋ねしましたよね? そのときあなたは、その必要はないとおっしゃれた。そうですよね?」

 と、ズルフィカールは言いながら笑い出した。


 「そのような事実はありません。証拠もないでしょう」

 と、ダイアモンド長官はネモリンのクチを押さえてネモリンの代わりに答えた。

 すると、ズルフィカールは電話を切った。


 「まずい、まずいよ・・・・・・」

 と、ネモリンはダイアモンドの顔を見た。


 ダイアモンド長官は、

 「ミスタ・プレジデント、相手はテロリストです。マスコミはテロリストの話など相手にしません。それに、あの男はリチウムの権益が欲しいのです。瀬戸グンの件を公表しても利益はありません」

 と言った。




     二



 PTV(パキスタン・テレビジョン公社 )の海外向け放送に瀬戸グンが登場したのはその日の午後であった。

 「わたしは、一条ネモリン大統領に性的サービスを強要されました」

 と、グンはテレビカメラに向かって言った。画像の右上には<LIVE>という文字が出ていた。


 グンは体力を回復したようで、多少元気になっており、きれいに化粧もしていた。表情は暗く沈んでいたが、テレビ映りはすこぶるよかった。背景はどこかのホテルの一室のように見えた。

 「カブールの刑務所に入れられたのは大統領に面会したときでした」

 と、グンがさらに言うと、そこで突然画像が止まり、<LIVE>の表示が消えた。


 ホワイトハウスの執務室の大きなディスプレイにそのグンの顔が貼り付いたままになると、ネモリンは全身の毛穴から汗が噴き出すのを感じた。

 「ミスタ・プレジデント、お電話です。また、あのズルフィカールです」

 と、側近が言うと、ダイアモンド長官がうなずいた。


 「プレジデント・イチジョー、ご覧になっておられますよね?」

 と、ズルフィカールは言った。

 「もちろん観ておりますが、これはテロリストに拉致された人質の証言です。AIによるフェイク画像でしょうし、だれも信用しますまい」

 と、ダイアモンド長官は言った。

 すると、

 ディスプレイの画像が動きだし、<LIVE>の表示が出た。

 「大統領は刑務所の中でもわたしに性的サービスを求められました・・・・・・」

 と、ピンク色の口紅をつけたグンのクチビルが動いた。


 「まずいよ。オレには妻も娘もいるんだよ・・・・・・」

 と、ネモリンは言った。

 

 そのとき、統合参謀本部議長が言った。

 「場所が特定できました。空爆しますか?」


 ネモリンは表情を急に明るくして、

 「おおぉぉ、たのむよ!」

 と言った。

 すると、

 ディスプレイの画像が2つにわかれ、右半分にはクエッタというパキスタンの大きな都市の衛星画像が映った。そこは、昔は観光都市であったが、2003年頃からアフガニスタンからの難民の町となっていた。

 画像はその都市の中の大きなホテルにズームインした。


 「いいですね?」

 と統合参謀本部議長はネモリンに念を押した。

 

 ネモリンがうなずくと、

 「声に出しておっしゃってください」

 と、議長は言った。

 

 「やってください」

 と、ネモリンがうわずった声を出すと、その数秒後にホテルは大破した。


 「よし!」

と、ネモリンはガッツポーズをとったが、ディスプレイの左半分の画像はそのまま動きつづけた。

 「わたしは、大統領の求めには応じませんでしたが、そのことがもとで拘束され、そのまま投獄されました・・・・・・」

 と、グンは語りつづけた。


 ズルフィカールからまた電話が入った。

 「プレジデント・イチジョー、つづけますか?」

 と言ったその声はネモリンをあざ笑っていた。


 「ちょっと、まってください」

 と、ネモリンは半べそをかきながら統合参謀本部議長の顔を見た。

 議長は沈鬱な表情をしており、顔を左右にふった。


 「プレジデント・イチジョー、インタビューを再開してよろしいですね?」

 と、ズルフィカールは言った。

 そのとき、

 「あなたの条件をお聴きしましょう」

 と、ダイアモンド長官が言った。


 「クマル・クマールくんをもう一度その部屋に通してもらえますか? 彼が持参している契約書にサインをもらいたい」

 と、ズルフィカールは言った。


 「インドの企業にリチウムの採掘権を与えろということですか?」

 と、ダイアモンド長官は尋ねた。


 「まあ、とりあえず、今日はそのへんで手を打ちましょう」

 と、ズルフィカールは言った。


 「インドは我々の敵ではない。その程度のことならこんなテロ行為をせずとも話し合えたはずです」

 と、ダイアモンドは言った。

 が、ズルフィカールは大笑いして、

 「普通に交渉したとして、あなたがたがわたしを仲介人にしたでしょうかね?」

 と言った。




     三



 USANが押さえたアフガニスタンのリチウム鉱山はインドの企業に売却された。

 値段は破格に安かった。

 が、中国の軍事政権に採掘権が渡る、という最悪の事態はまぬがれた。

 そして、このとき、ズルフィカールとCIAの間に緊密な関係が生じた。

 尚、この頃から、ダイアモンド長官も、統合参謀本部議長も、首席補佐官も、ロスチャイルド男爵も、さらに、レジスレイターも、皆、ネモリンを大統領にしておくのは危険だと考えるようになっていた。


 そして、そこに中国との軍事衝突が発生した。


 その紛争はアフガニスタン北東部にあるフェイザーバード(Faizabad)という町で起きた。

 このフェイザーバードというのは山間部の渓谷にできた町であり、北はタジキスタンと国境を接していた。東にはワハーン回廊と呼ばれる細長い渓谷が延びており、それを3百キロメートルほど進めば中国との国境に至る。人口は5万人ほどの町であったが、周囲を高い山々に囲まれていて天然の要塞都市のような地形を持ち、タジキスタンおよび中国方面に対する前線基地として位置づけられていた。

 が、カブールを追い出された新政権の残党たちは、中国の軍事政権と結びつき、このフェイザーバードに拠点を設け、中国政府の軍事支援を受けることにした。


 中国の軍事政権はこれに約5千の兵を送り込み、畑以外の土地をまるごとコンクリートで固めて要塞化した。そして、それらの工事が完成すると、旧アフガン政権の残党たちは、このフェイザーバードを新しい首都であると主張した。


 尚、USANは再三にわたって中国側に工事の中止を要請していたが、中国側がそれを聞き入れることはなかった。


 ちなみに、このときの中国政府は共産党政権ではない。

 USANが発足する3年前に政府内でクーデターが発生し、中国共産党は消滅し、5名の将軍が代表となる軍事政権が発足した。その5名の将軍による会議はクリルタイ会議と名づけられ、人民はその政権のことをクリルタイ政権と呼んでいた。

 クリルタイというのは遊牧騎馬民族の部族長会議のことであるが、そういう名称になったのは5名の将軍の出自がモンゴル系の者だったことによる。が、その政権下の軍事組織は、人民解放軍という名称を継承していた。正式な国号は中夏民主主義共和国となっていた。


 レジスレイターはカブールでの成功をふまえ、クリルタイ政権との戦闘を提言した。

 国防長官や統合参謀本部議長やCIA長官はこれに反対し、

 「今ここでさらなる軍事作戦を開始すると、事態は収拾がつかなくなります」

 と言った。

 しかし、ネモリンは、

 「レジスレイターの言うとおりにしょましょう」

 と言った。

 ダイアモンド長官や国務長官の提案を容れてパキスタンへ乗り込み、そのままズルフィカールに拉致されたことがトラウマとなっており、長官たちの意見を聞き入れる気分にはならなかったのである。

 

 ちなみに、この年の11月には中間選挙が予定されていた。

 共和党の議員たちはアフガニスタンでの紛争に勝てば自分たちの選挙が安泰になると考えていた。



     四



 フェイザーバードでは双方ともロボットを主力とした戦いを行った。

 USANはロボット戦闘機約2百、ロボット爆撃機約2百、地上用戦闘ロボット約2千を送り込んだ。

 クリルタイ側はこれを迎え撃つにあたり、ロボット戦闘機約3百、地上用戦闘ロボット約2千を出撃させた。

 狭い渓谷の中はたちまち火の海となり、もともとの住民約5万はほとんど瞬時に死滅した。しかし、要塞に立て籠もる旧政権の残党と中国兵約5千は充分な水と食料を蓄えており、戦闘はいつ終わるのかわからない状態となった。


 レジスレイターはここで、

 「中国側の軍事衛星を撃ち落として中国側のロボットを封じ込めるべし」

 という提言を出した。

 ネモリンはこのときもレジスレイターの言いなりになろうとした。

 

 これに猛反対したのはロスチャイルド男爵であった。

 「レジスレイターは公式データで物事を判断しているが、人間世界は非公式データで動いているんだ!」

 というのが、男爵の見解であった。

 だが、ネモリンはその男爵の提言を入れなかった。

 

 中国側の軍事衛星を次々とミサイルで破壊すると、たしかにフェイザーバードは陥落した。

 しかし、その翌日の9月20日(月)、

 クリルタイ政権はUSANの財政を破綻させるべく、保有していたUSAN国債の叩き売りを開始した。このためUSANの国債は急激に値崩れを起こした。




     五



 瀬戸グンは、そのとき、ズルフィカールの下でリハビリに励んでいた。

 失った左手にはまだ肘が残っており、両足にも膝が残っていた。で、義足をつけて走る訓練を積み、100メートルを13秒台で走れるところまできていた。義足を取り替え、左手に義手をつければ、リードクライミングで 5.11b の壁を登れるようになっており、ボルダリングならば V6のルートを登れるまでになっていた。

 ・・・・・・この女は使える、

 と、ズルフィカールは感心していた。


 グンは、そのズルフィカールを恩人と考えていた。

 カラチのUSAN領事館にそのままいたなら間違いなく殺されていたわけで、グンは拉致されたのではなく、救出されたのだと考えていた。

 ズルフィカールを好ましい人物とは思っていなかったが、USANにすべてを奪われたグンとしては、

 ・・・・・・あの男のおかげでこうして生きていられる、

 と、思っていた。


 「あなたは、射撃もできますか?」

 と、ズルフィカールがグンに尋ねたのは、ズルフィカールがCIA長官から極秘のプロジェクトを依頼されたためであった。


 「射撃はまあまあでした」

 と、グンは答えた。


 USエアフォースのキャビンアテンダントは一般の兵員と同じく基礎訓練受け、その後は戦闘サバイバル学校(Combat Survival School)と水上サバイバル学校(Water Survival School)を修了することが義務づけられていた。搭乗した機が敵地に墜落した場合などを想定し、身を隠す方法や救助を求める方法の他に、逃避・回避、サバイバル、抵抗、脱出、などに関する訓練を受けるのである。

 グンがエアフォース・ワンの搭乗員となっていたのは美人だったからではなく、成績が優秀だったからであった。


 「狙撃用ライフルは使ったことがありますか?」

 と、ズルフィカールはさらに尋ねた。

 「そのような武器を見たことはあります」

 と、グンは答えた。

 

 翌日、ズルフィカールはグンがリハビリをしていた筋トレルームに小さな箱を持ってきて、

 「この中に入れますか?」

 と、尋ねた。

 義足と義手を外し、それらを抱きかかえるようにするとグンの身体はその小さな箱の中にすっぽり入った。

 ズルフィカールはそれを見て目を輝かせた。




     六



 その作戦は、リフォーム・イーグル・オペレーションと命名された。

 決行日は建国記念日の11月3日(水)とされ、この日に催される記念式典にネモリンが出席したところを狙撃することとなった。


 作戦の首謀者はCIAであったが、作戦の指揮官にはズルフィカールの手の者が選ばれ、狙撃手は3名となり、そのうちの1名には、瀬戸グンが選ばれた。


 「キミならできる」

 と、ズルフィカールに言われた瀬戸グンは、

 ・・・・・・わたしはこの作戦のために生まれてきたのに違いない、

 と、思った。

 「世界を真っ黒い闇の中に引きづり込もうとしている一条ネモリンという愚か者を我々の世界から切り離し、そのままひとりで闇の中に消え去ってもらう、我々が生き残るにはそれしかないのです」

 と、ズルフィカールは言った。

 グンは、その演説に納得していた。


 尚、3名の狙撃手のうちの2名のコードネームは、Mobil-1、Mobil-2、となり、グンのコードネームは、

 ONi-1、

 となった。

 復習の鬼と化していたからである。



 式典は、例年ならばロサンゼルス・メモリアル・スポーツアリーナで盛大に行われるのだが、経済崩壊が発生して暴動が起きたりしていたために、この年はすべての余興が中止されることとなり、会場は市内のホテルに変更された。


 尚、首席大統領補佐官は、リフォーム・イーグル・オペレーションについては何も知らされていなかったが、その女性秘書官のひとりは作戦の概要を事前に入手していた。 

 その女性秘書官の名は、

 孫冲スン・チョン

 といったが、ホワイトハウス内では、山本キリル、と名乗っていた。

 年齢は31歳であったが26歳と偽っており、実際に26歳に見えた。

 これはクリルタイ政権がUSANに送り込んだ工作員であった。

 ファッションモデルのような容姿と、愛くるしい笑顔を武器に多数の要人たちと関係を結び、得られた情報を逐一本国の情報機関に送っていた。

 そして、このときは、

 「リフォーム・イーグル・オペレーションを阻止せよ」

 という指令を受けていた。


 その孫冲には部下がいた。

 下院副議長の楊龍平である。日米合併前はユン政権下で官房長官をしていた。

 「いいわね、大統領が式典会場に入る直前に電話するのよ。入場が遅れれば狙撃手は動揺するわ」

 と、孫冲は下院副議長の執務室で楊に指示を下した。


 中国の国家安全部と孫冲は狙撃手が3名であることや、そのうちのひとりがONiというコードネームで呼ばれていることを察知していた。

 だが、その人物を特定することができなかった。そこで、大統領の入場を遅らせ、狙撃手を動揺させてその正体を暴こうと考えた。出席者全員の表情をモニターして表情解析ソフトで照合すれば、該当者は数名に絞られるはずであり、護衛官をうまく誘導すれば、狙撃手がアクションを起こした段階でこれを捕らえられる可能性が高かった。

 が、その表情解析ソフトの精度に不安がないわけではない。安全策をとるのならば大統領を入院させるなどして式典を欠席させるべきであった。だが、そうすると、CIAは代替作戦を計画するはずであり、その作戦の場所や時間に関する情報を事前に入手できるかどうかはわからなかった。


 楊は孫冲の脚を見たまま軽くうなずいた。

 これに対して、孫冲は、組んでいた脚をほどいて座りなおし、両手でスカートのすそを整え、鮮やかな笑顔をつくり、

 「返事をするときは声を出してください」

 と言った。

 楊はハッとして姿勢を正し、31歳の上司の目を見ながら、

 「わかりました。お任せください」

 と言った。



     七


 その日、ネモリンは朝から腹をくだしていた。

 青白い顔をしたネモリンを見て、妻と娘は、

 「式典なんか欠席すれば? 副大統領にも仕事を与えないと」

 と言ったが、ネモリンは支持率を回復したいと考えており、

 「大丈夫だ」

 と言って、ホワイトハウスを出た。


 ネモリンを乗せたリムジンがホテルの正面玄関に到着すると、護衛官たちが駆け寄ってきてドアを開けた。が、ネモリンはすぐには外に出なかった。下院副議長からの電話を受けていたのである。

 「大統領、今日の式典には中国政府のスパイが出席するようです」

 と、楊龍平は切り出した。楊が中国からの移民二世であることを知っていたネモリンは、つい、この話に引き込まれ、なかなかリムジンを降りられなくなった。


 このとき、孫冲は式典会場内をモニターしていたオペレーター室に入っていた。  

 ディスプレイを見ながら会場内の護衛官たちに指示を下していたオペレーターは、その孫冲の顔を見てにっこり笑った。

 孫冲はこれに笑顔を返したが、セキュリティーシステムを統括するコンピューターの電源が入っていないことに気づき、

 「あら、大変」

 と言って、オペレーターの了解をとらずに電源ボタンを押した。

 オペレーターは、これに驚き、

 「あっ、困ります」

 と言った。

 すると、孫冲は、すかさず、

 「困るとは、どういうことですか?」

 と尋ねた。

 そのオペレーターはCIAから派遣された者で、作戦をスムーズに進めるためにあえてコンピューターの電源を切っておいたのだが、首席大統領補佐官の秘書である孫冲にそのことを言うわけにはいかず、

 「いえ、うっかりしてました。ありがとうございます」

 と、礼を言った。


 コンピューターが起動すると、孫冲は表情解析ソフトを立ち上げるよう忠告した。

 オペレーターは、仕方なく孫冲の忠告に従った。

 すると、すぐに室内にアラーム音が鳴った。

 表情解析ソフトは若い男5名をディスプレイ上で特定し、その人物を赤く点滅させた。


 孫冲は、即座に言った。

 「急いで取り押さえなくては!」


 が、オペレーターは、

 「まだ、確証はありませんから・・・・・・」

 と、孫冲の言いなりにはなるまいと抵抗した。


 これを聞いた孫冲は、即座に携帯PCを取りだし、大統領護衛官のチーフを呼びだし、

 「モニター室のオペレーターが中国政府のエイジェントのようだわ。すぐに拘束して!」

 と、早口でまくしたてた。


 これを聞いたオペレーターは、一瞬あわてたが、すぐに開きなおり、

 「俺は無実だ」

 と言って両手をあげた。

 あきらかな時間稼ぎであった。


 それを見抜いた孫冲は、オペレーターのインカムをひったくり、会場内の護衛官たちに通告しはじめた。

 「不審人物を5名発見しました。ひとりは1階F列5番席。もうひとりは2階C列17番席。もうひとりは・・・・・・」

 これに対して、オペレーターは任務を果たすべく孫冲につかみかかろうとした。護衛官たちへの通告を止めねばならなかったのである。

 が、孫冲はオペレーターと格闘しながら通告を続けた。5名の座席番号はすでに頭の中に入っており、ディスプレイから目を離しても、それらの番号を正確に読み上げることができた。

 そして、その孫冲の左足が黒いミニスカートをまくりあげつつ大きく屈伸し、オペレーターのノドに赤いハイヒールの踵を突き刺したときには、護衛官たちへの通告は修了していた。


 このとき、ディスプレイには、特定された5名の名前と経歴が次々と表示されていた。が、5名のうち2名の職業欄には何も記されていなかった。

 「拘束した5名のうちの2名のポケットから凶器を発見!」

 という連絡がオペレーター室に入るまでには5分とかからなかった。


 ・・・・・・あとひとり!

 と、孫冲は声に出さずにつぶやいた。だが、そのあとひとりは、表情解析ソフトでは検出されなかった。


 そのとき、瀬戸グンは小さな円柱形の箱の中に身を隠していた。その箱はステージ裏の右サイドに置かれた照明設備の台座であった。高さが50センチメートルで床面の直径が70センチメートルほどであったため、その中に人が入っているとはだれも思わなかった。

 グンはこの作戦のために特注された義足を折りたたみ、首と腰を折り曲げ、両手に拳銃を握りしめたまま、3時間以上もその窮屈な姿勢に耐えていた。


 そのとき、そのグンの耳にはめ込まれたイヤホンにしわがれた声が入った。

 「モービル・ワンとモービル・ツーは護衛官に拘束された。あとはおまえしかいない。大統領はもうすぐ会場に入るはずだ。たのむぞ」

 と言ったその声はダイアモンド長官の手の者であった。

 ・・・・・・こいつら、このまえまではわたしを殺そうとしていたくせに、

 と、グンは思った。


 尚、グンはCIAを信用していなかったため、受けた連絡を密かに携帯PCで録音していた。裏切られたときのための対抗策であった。


 ネモリンがステージに登ったのは予定より7分遅れの午前11時7分であった。

 『星条旗よ永遠なれ』と『君が代』が吹奏され、出席者たちが一斉に立ち上がると、ネモリンは両手にピースサインをつくってそれを高くあげた。支持率は史上最低にまで落ち込んでいたが一応拍手が湧きあがり、ブーイングをする者はなかった。 

 ブーイングをするような者は招待されていなかったのである。


 拍手が鳴ったのを見た司会者は、

 「皆さん、プレジデント・イチジョーです!」

 と叫んだ。


 ネモリンがステージ中央に立つと、黒人歌手が新たにつくられたUSAN国歌を熱唱しはじめたが、会場は盛り上がらなかった。


 「よし、今だ、GO!」

 と、作戦の指揮官が小声を出したのは、ネモリンが演台の前に立ったときであった。

 瀬戸グンは、右肘で扉の留め金をはずし、静かに扉を開いてカーテンの裏側に転がり出た。義足と義手をしっかり固定し終わると、右手に拳銃を握った。

 護衛官たちはステージに背を向けて観客たちに目をこらしていたため、グンがステージのカーテンの下から這い出てきて、観客たちが悲鳴をあげても即座に何が起きたのか察知できなかった。


 グンは素速くネモリンの頭部に向けて拳銃をかまえ、引き金を引いた。

 だが、このとき、ネモリンは直腸内の圧力を制しきれなくなっていた。そして、ガスだと思って放出したものが液体であったことに気づき、あわてて肛門を引き締めた。このため、上半身を大きく後ろにのけぞらせた。

 グンの放った弾丸はネモリンのこめかみをかすめて空を切った。

 0.3秒後には2発目の弾丸が発射されたが、その直前にグンの右手が手首ごと吹き飛んだ。

 ステージの下からステージ上の出来事を見ていた孫冲が、護衛官のレーザーガンを奪って発砲したのである。

 そして、孫冲は右手を失って驚愕する瀬戸グンの前頭葉にもレーザーを撃ち込んだ。


 瀬戸グンの享年は25となった。

 その名は事件のファイルにはしっかり残ったが、人々の記憶からはすぐに消えた。


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