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第5話 USAN大統領(後編)

      六



 ネモリンがサインした委任状はタリバン兵からズルフィカール兵にわたされ、無事にラスキン国務長官の手元に届いた。

 USAN政府がタリバン政権との交渉役をズルフィカールに正式に委任したのは2月6日(土)で、ネモリンは、その翌日の朝に釈放された。


 このとき、ネモリンを請け出しに来たズルフィカールは、別の委任状を用意しており、これにもネモリンのサインを要求した。

 「これはなんですか?」

 と、ネモリンが尋ねると、

 「リチウム鉱山買収に関する委任状です。タリバン政権との交渉については、すべてを私にお任せてください」

 と、ズルフィカールはかん高い声で言った。その黒い顔は笑っているようにも見えたが、怒っているようにも見えた。


 ネモリンは、そのズルフィカールとの契約が自国の利益になるかどうかなどということはまったく思いもせず、両手をつかって念入りにサインした。

 尚、このとき、ズルフィカールは、

 「あの女兵士も釈放させましょうか?」

 と、瀬戸グン二等空尉も一緒に請け出すことを申し出た。

 だが、ネモリンは、

 「いや、その必要はありません」

 と、その申し出を断った。このため、瀬戸グンはそのままカブールの刑務所に置き捨てられた。



 ネモリンが大統領専用機の執務室に入ると、国防長官は即座に言った。

 「ミスタ・プレジデント、ただちに瀬戸二等空尉の救出作戦を行いましょう。マスコミに気づかれる前になんとかせねばなりません!」

 だが、これに対してネモリンは、

 「その件は後にしてくれ」

 と、言ったきり、国防長官や国務長官がいくら進言しても取り合おうとしなかった。戦闘行為の責任をとるのが怖かったこともあるが、瀬戸グンに対して行ったセクシュアルハラスメントがマスコミに露見するのが怖かったのである。

 

 その夜、国防長官はそのネモリンの態度に業を煮やし、

 「私は国防長官として、公然と自国の兵士を見殺しにするようなことはできません。どうしても作戦の許可をいだだけないのなら、本日をもって長官の任を降ります」

 と、辞表を提出した。

 しかし、これに対してネモリンは、

 「とにかく早く病院に連れて行ってくれ」

 と言うだけであった。




     七



 車イスに乗ってホワイトハウスに戻ったネモリンは、金髪の妻と熱い抱擁を交わし、母の胸に顔をうずめ、7歳になる上の娘と6歳になる下の娘にキスしようとした。が、下の娘は指のないネモリンの手を怖がった。また、上の娘はネモリンが頬にキスしようとすると、これを嫌がって顔をそむけた。


 大統領一家の涙の対面シーンにおいては、テレビ局もUSAN市民も大いに期待していたのだが、その期待は裏切られ、放送された映像はすこぶるしらけた。


 その夜、ネモリンは記者会見を開き、アフガニスタンのリチウム鉱山買収に関する交渉をズルフィカールに一任する意向を表明した。

 ラスキン国務長官は何も聞いていなかったために大いに驚き、絶句した。その表情を見た記者団は一斉に騒ぎだして、

 「仲介料は取引額の何パーセントくらいになるのでしょうか?」

 というような質問を矢継ぎ早に発したが、ネモリンはそれらの質問に対してはほとんど回答せず、カブールの刑務所がいかに過酷なところであったかを説明するばかりであった。

 

 「では、次の質問が本日の最後の質問になります」

 と議事進行役の報道官が宣言したとき、指名を待たずに立ちあがって大声を張り上げた者があった。

 「あなたの身代わりになって拘束された瀬戸グン二等空尉をどうやって救出するおつもりですか!」

 というのが、その者の質問であった。

 それは瀬戸グンの兄の瀬戸正であった。

 グンはカブールの刑務所に向かう途中で、兄にメールを送っていたのである。


 その場の記者たちはなんの話かわからなかったため、室内は騒然となった。

 が、報道官は、

 「では、これにて本日の記者会見を終了します」

 と、幕を引いた。


 その翌朝、ネモリンはロスチャイルド男爵の訪問を受けた。

 上機嫌で来賓応接室に入ってきた男爵は、ネモリンの顔を見るなり、大げさに同情的な表情をつくり、

「手術はいつ?」

と尋ねた。失われた指の移植手術が行われることになっていた。

 「手の指は今夜の予定です」

 と、ネモリンはソファーに腰かけながら言い、さらに足の指の手術のことまで言おうとしたが、男爵は、そのネモリンの話をさえぎり、

「時間がないので本題に入る」

と、1枚の写真を見せた。

 それは、瀬戸グンの兄の瀬戸正であった。

 「この男が今夜、テレビに出る」

 と、男爵は笑顔を消してネモリンの目を見た。

 「瀬戸グンの件の他に、日米事変でローハン中将を殺した犯人があんただという話をするそうだ」

 と、男爵がさらに言うと、ネモリンは背筋をそらせて青ざめた。

 「あんたも、軍関係者も、そのことは断固として否定するんだろうが、このままでは、今夜からホワイトハウスの報道官たちは不眠不休の状態に陥るだろう。そして、結局、あんたは大統領を辞任することになる」

 男爵は、そこまで言うと大きく息を吐き、

 「大統領をつづけたければ、今すぐ記者会見を開いて、アフガンに兵を送ると宣言するしかない」

 と言った。

 それをすれば、その夜の報道番組はその件一色となり、瀬戸正の出る幕はなくなる、というのが男爵の話であった。


 が、しかし、アフガニスタンに兵を送るということは、ズルフィカールとの契約を反故にすることを意味していた。

 「あの男を怒らせたら何をするかわかりませんよ」

 と、ネモリンが青い顔をしてつぶやくと、

 「ミスタ・プレジデント、大統領をやめたいなら、今すぐそう宣言するといい」

 と、男爵は片方の頬を引きつらせて言った。

 その目を見たネモリンは、それがズルフィカールの目とよく似ていることに気づいた。



     八



 アフガニスタンへの侵攻作戦は、2月12日(金)と決まった。決めたのは片山イチロー旧日本国防衛大臣だった。USANでは、統合参謀本部議長顧問、という役職についていた。これは、日米合併の際に自衛官たちの身分や報酬を保証するために置かれた役職で、すでにその役割は終わっていたのだが、片山は共和党の上院議員でもあったため、元自衛官のアドバイザー的な地位としてその役職に居座っていた。実権はもっていなかったが、作戦の日取りを決めるようなところでは多少の影響力があった。尚、12日(金)としたのは、その日が大安だったからである。


 「アフガンのゴロツキどもを吹き飛ばすんだ」

 と、片山はペンタゴン内のNMCC(国家軍事指揮センター)で演説した。

 すると、その場にいた将官クラスの軍人たちや通信関係の担当者たちは拍手した。

 だが、皆の顔は冴えなかった。

  グンが拘束されてすでに1週間が過ぎおり、すでに死亡している可能性もあった。

 片山の演説はそこの部分について触れなかった。作戦はその3日前でも決行可能だったのに、大安であることを理由に12日としたことについて、NMCCのメンバーたちは不審に思っていた。


 もっとも、それは、ホワイトハウスの意向であった。

 ホワイトハウスはグンが生還することを望んでいなかった。

 グンが生きて帰ってきて、マスコミの注目を一身に集め、カブールの刑務所でどのような目にあったかを切々と訴え、ネモリンを口汚く罵るようなことになっては困るのである。



 だが、そのホワイトハウスの期待とは裏腹に、瀬戸グンは生きていた。

 父親譲りの強靱な精神力と肉体を持っていたのである。

 もっとも、その精神も肉体もほぼ限界にきていた。ネモリンを罵る余力はなかった。

 多数のアフガン兵によってまる1週間連日犯されつづけていたのである。

 連日絶望の朝を迎えていたグンであったが、その朝はちがった。

 地鳴りのような轟音によって目が覚めたのである。

 ・・・・・・なんだろう?

 と、思いつつ目だけを動かしていたグンの視界に泥だらけの靴が入ってきた。

 グンはその靴がだれのものか知っていた。それは、連日執拗に何度もグンを責め続けていた少年兵のひとりであった。

 わずかに顔をあげて、その少年の顔を見あげると、あばた面の少年はニヤリと笑い、なにやら威勢のいいことを言った。グンに理解できるのは、

「アメリカ」

という単語のみであった。喉の奥から空気が抜けるような音がどうやって発せられているのかわからず、その少年の名前も聞きとれなかった。


 ちなみに、学校に通ったことのないアフガニスタンの少年兵たちは、日本と米国が合併したことを知らない。USANは建国以来、日本人の反対があったためにどこの国とも戦争せずにいて、そのおかげで、タリバン政権をしのぐ急進派が急成長したのであるが、無知な少年兵がそのことを知っているはずもなかった。

 ただ、少年たちは親や先輩などから、

 「アメリカ人は悪魔の手先である」

 と、教えられていた。頭髪を金髪に染めていた瀬戸グンは、その悪魔の手先だと思われており、その少年兵も、グンに対しては徹底的に制裁を加えることが正義だと考え、そのことによって自らの悪行を正当化していた。


 ニヤニヤ笑いながらズボンを降ろしたあばた面の少年を見て、

 ・・・・・・まだやるのか!

 と、絶望的な気分に陥った瀬戸グンは、そのまま目を閉じて額を床につけた。

 少年はそのグンの身体を引きずり起こし、グンの口の中に己れの欲の塊をねじ込んだ。

 事がはじまるとグンは意識を建物の外に逃がし、空や太陽を思い浮かべるようにした。が、このとき、ふと思った。

 ・・・・・・あの音は、友軍の爆撃ではないか?

 そう思って、周囲の音に聞き耳をたてていると、アフガン兵たちが大騒ぎで走り回っている音が遠くに聞こえた。

 建物の内外でなにやら大変な騒ぎが起きているのは確かであった。

 ・・・・・・私を助けに来たのかもしれない!

 と、グンは期待した。

 そのとき、少年の欲の塊が瀬戸の喉の奥に強く突き立てられた。

 「うぐっ!」

 と、グンは嗚咽を漏らしたが、もはやその程度のことでは驚かないようになっており、むしろ意識は冴えわたった。


 そして、

 ・・・・・・こいつ、今日は一人で来たな、

 と、グンは上目遣いで少年兵の顔を見た。

 すると、グンの喉のなかの肉塊が急激に勢いづいた。

 少年兵たちは、いつも必ず3人から4人が一組になってやって来たのだが、このとき、その少年兵はひとりでやって来た。他の兵たちは忙しく動き回っていたのだが、その少年兵だけは騒ぎに乗じて持ち場をはなれ、グンを独り占めにすべく単独でグンの房に入ってきたのであった。

 ・・・・・・今だ!

 と、そのとき、瀬戸二等空尉は思った。

 そして、すぼめていた口を大きく開き、上の前歯と下の前歯を真一文字に閉じた。 

 口中に少年の血液が流れ込んだ。

 少年は泣き叫びながら出て行った。

 ドアの鍵はそのままだった。


 グンはクチの中のものを吐き捨て、ほふく前進で房を出た。指を切られたその足は壊疽を発症しており、もはや立ち上がることができなくなっていた。

 出口を探してグンがしばらく通路を這っていると、前方に数名のアフガン兵が見えたが、グンに気づいても近寄っては来なかった。返り血をあびた顔面をこわばらせ、異様な執念を燃やしながら這いずっているその姿は、ひどく怖ろしいものであったのだ。


 そのとき、そこにいたアフガン兵たちの姿が一瞬にしてかき消えた。

 爆風とともに吹き飛んだのである。

 その直後、グンの後方からも爆風と衝撃音が轟いた。

 ・・・・・・私を助けに来たんじゃない!

 と、瀬戸二等空尉は思った。


 瀬戸グンは独身であったが、これには幼い息子があった。本来ならば、グンが出張に出るときには離婚した夫がその子をあずかるべきであったが、これには新しい妻子があった。このため、グンが出張に出るときには兄の瀬戸正に息子をあずけていた。

 正は、このとき、ネット配信のジャーナリストをしており、政府や自治体を相手取った訴訟などを専門としていた。理不尽な政府の方針で中学生のときに父を失った正は、政治家や役人を標的にすることに人生のすべてをかけていた。

 このため、グンがエアフォースの採用試験を受けると言い出したとき、正はこれに猛反対した。だが、グンは正よりも5歳下で、父が処刑されたときにはまだ幼かった。このため、父の死に対する思いが正とは違っていた。

 そして、グンは正の話を聞かず、

 「私はパパの遺志を継ぐ」

 と言ってエアフォースに入隊した。

 ・・・・・・あのとき、兄ちゃんの言う通りにしていれば、

 と、グンは過去の自分に腹を立てていた。


 そのとき、グンの上に天井の梁が落ちてきた。が、それは壁にぶつかって頭のすぐ上で止まった。立って歩いていたならひとたまりもなかったが、這いつくばっていたので助かった。

 ・・・・・・わたしはまだ死ねないんだわ、

 と思い、そのことでアドレナリンを大量に分泌させたグンは、気をとり直してほふく前進をつづけた。

 瓦礫を乗り越え、見張り番の詰め所に入ると、そこには武器を収納する金庫があった。これは前政権の施設から持ち出したものであったらしく、頑丈なつくりであった。

 そして、その扉は開いたままであった。

 グンは金庫の中の武器をかき出し、中に身を押し込み、扉が完全に閉じないように木片を扉に挟み込んだ。

 その直後、詰め所の天井が落ちてきて、金庫の上にはおびただしい量の瓦礫が降り積もった。



     九

     


 「爆撃は成功しました。あとは陸戦部隊によるカブール征圧と瀬戸二等空尉の救出です」

 という報告がNMCC(国家軍事指揮センター)内の室内スピーカーから流れると、将官たちは、ほっと胸をなでおろした。

 が、片山統合参謀本部議長顧問は、実働部隊を指揮していた将官のひとりに対し、

 「本番はこれからだぞ」

 と言い、その場の雰囲気に冷水をかけた。

 「瀬戸の救出が今回の目的だが、ひとりを救出するために多数が死傷するようなことがあってはならん」

 と、救出作戦にブレーキをかけた。


 このため、瀬戸グンの捜索が開始されたのは午後5時をすぎてからであった。

 グンの捜索よりも、カブール市民を市街に追い出すことが優先されたからである。


 ちなみに、爆撃機はカラチの西側にあるソンミアニ湾に停泊した第7艦隊から発せられていた。

 その爆撃は午前6時に開始され、3時間ほどで完了した。

 新政府の建物はことごとく破壊され、カブールの住人約3百万のうち1割ほどがその爆撃で死傷した。

 海兵隊で組織された空挺部隊の3個大隊が、カブールの瓦礫の上にパラシュート降下したのは、午前10時52分。これは、地上用戦闘ロボット2千を擁しており、一般市民も兵員も区別せず、味方以外の動くものすべてを発見と同時に撃破した。このため、身体の動くカブール市民は一斉に街の外へ逃げ出し、カブールの市街地は半日のうちにゴーストタウンと化した。


 この間、グンはずっと金庫の中に閉じ込められたいた。

 扉がロックされないようにデッドボルトの部分に木片を挟んでいたが、金庫自体が瓦礫に埋もれてしまっていたために扉を開くことができず、身動きできない状態のまま半日がすぎた。

 背中や首や膝がしびれ、そのしびれが痛みに変わったが、頭の中は水を飲むことばかりとなった。

 ・・・・・・このまま死ぬのかも、

 と、グンは思った。それならばそれでもいい、という思いがあったが、身体の苦痛が逆に生きることの動機となった。


 捜索隊の声が聞こえたのは翌日の正午をすぎた頃であった。

 「セートー!」

 というアメリカ人の声にグンは勇気を得た。が、声が出なかった。

 それで、扉を瓦礫に何度も押しつけて音を出した。


 瀬戸グンが瓦礫の下から引きずり出されたのは、13日(土)の午後4時をすぎた頃であった。

 友軍兵士たちの気の毒そうな顔を見て、グンは自分のみじめさを痛烈に感じた。



     十



 CNNやアルジャジーラの特別番組に映し出されたグンの姿は見るも無惨なものであり、マスコミが事前に入手していた写真や動画の姿とは別人のような容貌となっていた。このため、なにゆえそういうことになったのかについて世界の注目が集まった。


 しかし、瀬戸グンは報道関係者に対しては一切何も語らなかった。大統領に性的なサービスを強要されたことや、その大統領の顔にツバを吐きかけたことや、連日アフガン兵に強姦され続けていたことや、そのアフガン兵のひとりの陰部を噛みちぎったことなどを世間に発表する気力も体力も尽きていた。


 だが、ネモリンは、身の危険を感じた。

 そして、CIA長官を呼びだし、

 「まずいことになった」

 と言った。

 CIA長官は能面のような顔をした男であった。名は、

 ペレツ・ダイアモンド、

 といった。

 ダイアモンド長官は、青ざめた顔のネモリンに黄色い歯を見せ、その肩に手を置いて、

 「お任せください」

 と言った。

 その声は金属がこすれ合うような響きを含んでいた。

 ネモリンはその顔を見てぞっとしたが、表情には出さなかった。 



 そのとき、瀬戸グンは第七艦隊の病院船で手術を受けていた。

 まず、壊疽にかかっていた両足の膝から下と左手の肘から下が切断され、子宮が全摘出された。右手が残り、その指は移植手術によって復元されたが、その新しい指の色は褐色であった。指のドナーがカブールの爆撃で死亡したアフガニスタン人の女性であったからである。

 長時間にわたった手術が修了し、大部屋のベッドで横になっていた瀬戸グンに訪問者があったのは、2月15日(月)の早朝であった。

 訪問者の年齢は70代前半であったが、はつらつとした表情の紳士で、随行の者を5名も従えていた。

 グンは、麻酔が効いているはずであったが、その訪問者の姿を見ると即座に身体を起こして身構えた。男を見ると反射的に強い警戒心が湧くようになっていたためであるが、それだけではなかった。グンは、その初老の紳士がだれであるか知っていたのである。

 「どうぞ、そのままでいらしてください」

 と初老の紳士は言い、堂々たる態度で名刺を出した。その名刺には、太い墨字のような書体で、日本圏 南関東州知事 金字塔と印刷されてあった。

 瀬戸グンは、しかし、その名刺を受け取らず、相手の顔をにらみつけたままでいた。

 日米合併の際、瀬戸大翔を米国に引き渡す決定を下したのは、そのときの日本国総理であったのだが、実質的には、それは金字塔の判断であった。そのことは瀬戸正が何度もクチにしていたのでグンも知っていた。


 グンににらみつけられ、出した名刺を懐に戻した金字塔は、多少意気消沈した様子を見せたが、それでもグンに微笑みかけた。そして、緊張した声で、

 「あんたは、ここにいると危険だ」

 と小声で言った。

 これに対して瀬戸グンは、

 「危険なのはあなたです?」

 と言い、それ以上は何も言うまいと決意を固めた。

 すると、金字塔は、

 「お兄さんや息子さんに会いたいでしょう?」

 と言った。

 

 だが、グンは沈黙した。

 すると、金字塔は、

 「あんたの息子と兄さんは今カラチのホテルに来ています」

 と言った。

 グンはこれを無視できなかった。


 「私にまかせてもらえるなら、あんたの家族はわたしが保護するよ」

 と金字塔は言い、

 「大統領はあんたが余計なことをマスコミに言うのではないかと怖れている」

 と、つけ加えた。


 垂直離着陸機でカラチの高級ホテルに運び込まれた瀬戸グンは、そこのスウィートルームで兄と息子に面会し、全身を震わせて泣き崩れた。心の内側に押し込めていたものが一気に解放されたのである。

 金字塔は、その様子を見ながらもらい泣きし、

 「もう大丈夫だ。このホテルには見張りもつけてあるから安心しなさい」

 と言った。

 これに対して、瀬戸正は丁寧に頭を下げて礼を言った。

 金字塔は大きく頷き、ハンカチで涙をふきながら部屋を出て、側近のひとりを呼びつけた。そして、駆け寄ってきた側近に向かって、アゴをしゃくり、

 「よし、いいぞ」

 と言った。


 ロビーで待機していたポロシャツ姿の中年男2名が金字塔の側近から合図を受けて、スウィートルームのドアをノックしたのは、金字塔が退出した1分後であった。 

 ひとりは黒いポロシャツを着ており、もうひとりは鈍い赤のポロシャツを着ていた。

 ドアに向かって走ったのはグンの息子のダントであった。

 

 「ダント! だめだよ! 相手がだれだか・・・・・」

 瀬戸正は不用意にドアを開けたダントを叱ろうとしたが、その言葉は途中で途切れた。

 ポロシャツ姿の男2名のうち、黒いポロシャツを着ていた男は、まずダントの脳天にアイスピックを突き刺した。この間、瀬戸正は赤いポロシャツの男に羽交い締めにされた。

 黒いポロシャツの男は、ダントの脳天からアイスピックを引き抜くと、それを瀬戸正の右手に握らせ、その手をつかんで瀬戸正の頸動脈にアイスピックを突き立てた。


 グンは絶叫した。


 が、逃げようとは考えなかった。

 黒いポロシャツの男は、そのグンの右手にアイスピックを握らせ、その手をグンの首に誘導した。移植されたばかりの指には力が入らなかったが、それでも、グンはそれを握ることができた。

 「どうだ、自分でやれるか?」

 と男はグンに尋ねた。

 グンはアイスピックで男を刺そうとしたが男は簡単にそれを払いのけた。

 アイスピックは床に転がった。

 「このぉ!」

 と、男はグンの髪の毛をつかみ、車イスからひきづり降ろした。


 その瞬間、グンは両ひざで立ち上がった。

 膝の切断面に激痛がはしったが意に介さず、男の首に噛みついた。

 黒いポロシャツの男は首から大量の血しぶきをあげた。


 赤いポロシャツの男は仰天し、グンに向かって、突進した。

 グンは床に落ちていたアイスピックを拾ったが、赤いポロシャツの男はその手を蹴り上げた。

 「うおぉぉぉ・・・・・・!」

 と声をあげながら男はグンの首をつかんでベッドに押しつけた。

 が、そのとき、

 首を刺されて昏倒していた瀬戸正が意識を取り戻し、無言でアイスピックを拾って立ち上がり、

 「テメエこのっ!」

 と叫びながら赤いポロシャツの男の背中を何度も刺した。

 赤いポロシャツの男の享年は48となり、黒いポロシャツの男の享年は50となった。

 また、瀬戸ダントの享年は3となり、瀬戸正の享年は29となった。


 グンはパキスタンの警察に拘束され、取り調べがすむとUSAN領事館に引き渡された。


 そのとき、金字塔はすでにパキスタンを脱出しており、側近とともに無事に帰国していた。


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