第5話 USAN大統領(前編)
一
USANの初代大統領となったアリソン・キャンディは2期目の2年目に突然死した。享年は57となった。
死因は心臓疾患だったと発表されたがだれも信じなかった。
そのとき、ネモリンは2作目の主演作品に没頭していた。映画俳優としてのキャリアは順調に積み上がっており、次第に大物俳優の仲間入りをするようになっていた。なので、大統領の死にはまったく無関心だった。
が、その2作目の主演作品は大きくコケた。制作会社は制作費の1割も回収できなかった。
「おまえには2度と主演はさせない」
と、ネモリンは社長に言われた。
ネモリンが政治家となったのは俳優では生きていけなくなったからであった。
南関東州から下院議員に立候補すると上院議員の奈良間以上の票をとり、映画に出演するよりも世間の注目を集め、それ以降、芸能人であったことを一切語らなくなった。
そのネモリンがUSANの第3代大統領に選出されたのは、2048年の11月であった。
このときも事前に勝敗は見えていた。
有力な候補予定者は何人もいたのだが、皆、アリソンのように殺されるのではないかと怖れ、土壇場になって立候補をとりやめたのである。最終的に敵対候補となったのは無名の小物で、スキャンダルも多かった。
ネモリンにも女性関係でいくつもスキャンダルがあったが、映画スターであるということで不問に伏された。
2049年1月20日水曜日の就任式では、ハリウッドの国会議事堂前で宣誓が行われ、
「・・・・・・So help me God.」
と言って、ネモリンが聖書から手を下ろすと、
『Hail to the Chief 』が演奏され、21発の礼砲が撃たれた。
「プレジデンド・イチジョー」
と、呼ばれるようになったネモリンは、国会議事堂の中に入り、上下両院総会で形式的な所信表明演説を行った。その内容は、
「レジスレイターの提言を守り、世界平和とUSANの繁栄に向けて、全力で行動します」
というものであった。
万雷の拍手を受けたネモリンは、別室の祝賀昼食会の会場に移動し、そこでも短いスピーチを行い、寿司とローストビーフをコーラで流し込み、最初の公務となる書類へのサインを行い、続いて妻とともにパレードに出かけ、ウエストウッドからロデオ・ドライブを抜けてホワイトハウスに入った。
この間、日本圏のテレビ局は何度もルカが涙ぐむ様子を放送した。ルカの外見はまだまだ若く、テレビ映えしていた。
パレードが終わると、ネモリンの生い立ちを短く編集した特別番組が放送された。
メディアによって編集された幼少期のネモリンは平和な家庭で元気よく育ったわんぱく小僧というイメージにできあがっていた。その映像のクライマックスは日米事変にボランティア兵士として参戦した姿であった。と言っても、そこにはローハン司令官を殺害したシーンはない。そこに登場するネモリンは2人の兵士を抱きかかえて戦場を走っていた。ひとりは日本の自衛官で、もうひとりは米軍兵士であった。
もちろん、ネモリンがそのようなことをした事実はない。あくまでもイメージ映像である。
ちなみに、ネモリンの妻は女性ばかりの人気バンドのボーカリストで、金髪の白人だった。
アリソンの死後、政治家は演説というものをしなくなっていた。
マスメディアが政治問題を報道することはめっきり少なくなっており、政治はレジスレイターに任せておくのが一番安全だ、というようなことをしきりに主張するようになっていた。
このため、政治家は形だけの存在になりつつあった。公務と言えば、種々の公式行事の体裁を整える役まわりを演じたり、外交パーティーなどで他国の政治家と懇親したりすることが主となり、議会で議論をして採決に参加するというような仕事は、まったく形骸化していた。政治家は、ちょっとだけ毛色の違う芸能人というようなものになりつつあったのである。
ネモリンの場合は、ハリウッドスターとしての知名度がしっかりあって、しかも、最初の大統領選挙のとき以来ずっと共和党を支持していた。若手の俳優で共和党を支持する者は希であり、皆、ネモリンにはなにか信念のようなものがあるのだろうと勝手に想像していた。
「ミスタ・プレジデント、大変です」
と、補佐官がネモリンに耳打ちしたのは、その夜の祝賀晩餐会と舞踏会が終わった後の午後10時頃であった。
「なんだ?」
と、ネモリンが補佐官の顔を見ると、補佐官は青い顔で、
「ジェイミー・ド・ロスチャイルド男爵が表玄関に来ています」
と言った。
それは、世界の金融とマスコミとエネルギービジネスを支配下に置くロスチャイルド系多国籍企業グループの総帥であった。
が、ネモリンは、そんなこととはつゆ知らず、
「だれそれ?」
と、補佐官に聞き返した。
補佐官は、あわを食って説明した。
「ウォール街派のボスのボスです」
説明を聞いたネモリンは、さすがに驚き、
「そんなヤツが俺になんの用だ?」
と言った。
メインハウスの来賓応接室に入ってきたロスチャイルド男爵は、高価なスーツを着ていて立派な出で立ちではあったが、世界経済を牛耳っているようには見えず、どこかのホテルのマネージャーだと紹介されれば、そのようにも見えるような男であった。歳は52で、背はネモリンよりも低かった。
「プレジデント・イチジョー、おめでとうございます」
と、男爵は開口一番に言った。
が、ネモリンが手を差し出すと、両手をポケットに突っ込み、
「すまないが、私はだれとも握手はしないんだ」
と、屈託のない笑顔を見せた。
ソファーに腰かけ、給仕が日本茶を出して奥に消えると、男爵は即座に本題に入った。
「明日、アフガニスタンの内戦が終結する。タリバン政権が敗北宣言を出す。イランの後押しを受けている急進派が政権をとる。それで、あんたには軍を動かしてもらいたい。このままでは、あそこのリチウム鉱山が急進派の手にわたってしまう」
というのが男爵の用件であった。
「ちょっと待ってください」
と、ネモリンは思わず両手の手のひらを広げて男爵に見せた。
「私は今日大統領に就任したばかりなんですよ。なのに、明日戦争をおっぱじろって言うんですか?」
これを聞いた男爵は愉快そうに笑い、
「いやいや、明日とは言わんよ。明後日でいいよ」
と言って高笑いした。
ネモリンが当惑した顔になると、男爵は笑うのをやめて低い声を出した。
「あんた、何もわかっていないみたいだな?」
その男爵の顔はホテルのマネージャーには見えなかった。
「急進派がリチウム鉱山を手に入れたら、それを担保に多額のカネを借りることができる。うちの関係からはびた一文出させないが、中国の軍事政権は出す。カネをもらった急進派はパキスタンに侵攻するだろう。そして、鉱山は最終的に中国のものになってしまう。そうなれば、電気モーターを使う産業は中国の独占市場になってしまう。リチウムは海水からも採れるがコストがかかる。人件費の安いアフガンで掘ったものを中国が独占したら、USANも、ドイツも、韓国も、これには太刀打ちできなくなる。電子機器産業を中国の軍事政権が独占すれば、やつらは必ずこれをテコにして世界を侵略するはずだ。そうなれば、我々は総力をあげて中国を叩かねばならなくなる。それはタリバン相手の戦争とはわけが違う。怖ろしくナスティーな戦いになる。わかるかね?」
これを聞いたネモリンは、きょとんとした顔になり、
「しかし、私は戦争するために大統領になったわけではないんです」
と言った。
すると、男爵は、
「では、なんのために大統領になったんだ?」
と、愉快そうに大口をあけて笑った。
歴史に疎いネモリンは男爵と面談するまえに2分ほど側近からレクチャーを受けた。経済史を専門とする側近はロスチャイルド家の歴史を簡単に語り、
「仁義なき戦いの中で飛び抜けた勝利を重ねてきた一族の末裔です。油断してはいけません」
と、言った。
ネモリンには話が半分も理解できなかったが、ロスチャイルドなる一族が尋常一様なものでないことだけはわかった。
「いいかね。君は知らんだろうが、君が大統領選に勝てたのは私のおかげなんだよ」
と、ジェイミーは肩をそびやかした。
そして、
「私は、君の母親が不正に生活保護を受けていたことを知っているし、君がローハン司令官を殺害したことも知っている」
と、ネモリンに脅しをかけた。
「だから、つべこべ言わずに、私の言うとおりに行動するんだ。間違っても、レジスレイターの提言なんぞを聞いてはならん」
と、男爵は静かに締めくくった。
が、ネモリンはこれに腹を立てた。
・・・・・・私が当選させてやったんだ、
という恩着せがましい話が面白くなかったわけだが、補佐官のレクチャーでロスチャイルド家に対する嫌悪感を抱いてしまっていたこともある。
このため、このときのネモリンの頭に浮かんだのは、
・・・・・・このヤロー!
という陳腐な正義感でしかなかった。
二
レジスレイターは、アフガニスタンの新政権に対し、ロスチャイルド男爵とはまったく逆の対応を提言した。
「新政府にカネを出して、リチウム鉱山を買い取るべし」
というのがその提言である。
「カネだけ取られて鉱山が引き渡されない場合はどうするんだ?」
という疑問に対しては、
「経済制裁を加えるべし」
という回答を出した。
「軍事行動によって問題を即決してはどうか?」
という質問に対しては、
「危険すぎる」
という回答を出した。
理由を問うと、
「軍の練度に不安がある」
という回答が出た。
USANが最後に海外で軍事行動をとったのはキャラウエイ大統領のときであり、アリソンが大統領になって以降は海外の紛争などに介入したことがなかった。これは、アリソンが財政の健全化を気にしていたためであるが、日本圏の市民が戦争に対する強いアレルギーを持っていて、他国との交戦を支持しなかったことも大きな要因になっていた。
「これが大統領としての初仕事だ」
と、ネモリンは勇んでアフガニスタンの新政府との交渉を決定した。
これに対し、
「男爵の意向を無視するんですか?」
と、国務長官はうろたえた。でっぷり太ったその長官の名は、
ザナック・ラスキン、
といった。政治家としてのキャリアではネモリンよりもはるかに上であったが、大統領選に出馬するには腹が出すぎていた。政治のことがまるでわからないネモリンの下で政策や人事を担当していたのはそのラスキンであった。そして、この男は財界との関係も深く、ロスチャイルド系多国籍企業グループからの資金援助を受けていた。
ネモリンはそのラスキン長官の助言を尊重していたが、ロスチャイルド男爵に対しては思い上がった気分があり、所信表明演説で、
「レジスレイターの提言を守り・・・・・」
と発言したことを重く考えていた。ロスチャイルド家についてレクチャーした補佐官もそのネモリンの方針を支持した。
「男爵ってのは貴族の中の一番下の階級だ。怖れることはない」
と、ネモリンはラスキンに知ったかぶりをした。
・・・・・・このアホはホントに何もわかっていない、
と、ラスキン長官は思ったが、とりあえず了解したふりをした。
尚、国務長官も、大統領補佐官も、アフガニスタンの新政権にはパイプを持っていなかった。外交ルートが確立されていない国への交渉事はCIAの守備範囲であったが、このときのCIA長官はロスチャイルド男爵の手の者で、軍事行動の段取り以外には興味を示さなかった。
「ミスタ・プレジデント、いましばらくお時間をください」
と、ラスキン国務長官は言い続けた。
が、ネモリンは待てなかった。
「国民が注目している。ぐずぐずしてると無能な大統領だと思われる」
と言い続けた。
ラスキンはCIA長官をせっついた。
「とりあえず、交渉だけさせましょう。交渉が決裂すれば、あとは作戦行動に移れます」
というラスキンの提案を受け、CIA長官は、
「ならば、パキスタンに行ってもらいましょう」
と、ズルい顔をした。
エアフォース・ワンがロスアンゼルス国際空港を飛び立つと、ネモリンはまず、シャンパンを所望した。
側近のひとりがキッチンに電話を入れると、大統領執務室に女性のフライトアテンダントが入ってきて、にっこりと微笑んだ。エアフォースのユニフォームを着ており、肩には青い線が一本と星と桜のマークがひとつづつ刺繍されていたが、軍人には見えない。
・・・・・・おっ、いい女だ、
とネモリンはその隊員を見て思った。瞳が青く、髪はブロンドであったが、顔立ちは東洋人に見えた。瞳が青いのはコンタクトレンズのようなものを貼り付けているからであった。
「あんた、日本人かい?」
と、ネモリンはその隊員にたずねた。
「ミスタ・プレジデント、さようでございます」
と、その隊員は気さくな笑顔で答えた。ピンク色の口紅がなまめかしい雰囲気を出していた。
ネモリンは嬉しくなったが、その胸の名札を見た途端に気分が悪くなった。
SETO、
と名札にはプリントされていた。瀬戸グンであった。
「きみは、瀬戸というのか?」
と、ネモリンは声の調子を変えて問いただした。
すると、
「さようでございます」
と、瀬戸隊員は言いつつ笑顔を曇らせた。
「まさか、あの瀬戸さんの娘じゃないだろうね?」
と、ネモリンは詰め寄った。
「あの瀬戸さんとは、どちらの瀬戸さんのことでしょう?」
とグンはシラを切ろうとした。
「ローハン司令官のことで裁判にかけられた瀬戸自衛官だよ」
と、ネモリンはグンの顔を真正面からじっと見た。
グンは負けていなかった。ネモリンの視線を真正面から受け止め、
「わたしの父でございます」
と言った。
ネモリンは強烈なものを感じ、補佐官や側近たちを別室にさがらせた。
そして、2人きりになると、
「せっかくだからサービスしてくれないか?」
と言ってズボンをおろした。
そのネモリンの顔は実にあっけらかんとしていた。
「ミスタ・プレジデント・・・・・・」
と言ったきり、グンは絶句してしまったが、これに対してネモリンは、
「どうしたの?」
と優しく言った。
瀬戸グンは苦悶の表情を浮かべたが、黙って大統領の意向にしたがった。
事が終わると、ネモリンは、
「いや〜よかったよ。あとでまたたのむね」
と言って真っ白い歯を見せた。
瀬戸グンは、そのネモリンの顔をにらみつけ、両手で口を押さえて執務室を出て行った。
その顔を見て、ネモリンは、
・・・・・・あれっ、まずかったのか?
と思った。
どう考えても、瀬戸グンがネモリンに好意を持つはずはなかったのだが、そこに思いがいたらなかった。
三
ネモリンを乗せたエアフォース・ワンがペシャワール国際空港に着陸したのは、
2月2日(火)の午後2時であった。
パイロットが日本人であったため、到着時間には1秒のくるいもなかった。
だが、ネモリンは予定通りに飛行機を降りることができなかった。パキスタン政府からの使節団が来ていなかったのである。
「どういうことなんだろう!」
と、2時間待たされた段階でネモリンはラスキン国務長官に不満をぶつけた。
しかし、ラスキン長官もうんざりした顔をして見せただけであった。
その約1時間後、窓の外を眺めていた国防長官が「イェイ」と声をあげた。窓の外に出迎えの使節団らしき多数の兵士の姿が見えたからである。
「やっと来たようです」
と、国防長官がホッとした顔をすると、
「撮影現場でこんなトロトロしてるヤツがいたらすぐにクビだよ」
と、ネモリンは日本語で悪態をついた。国務長官も国防長官も日本語はほとんどできなかったので、ネモリンが何を言ったのかはわからなかったが、自分たちが気に入られていないことはわかっていた。
空港職員によってタラップが運ばれてくると、瀬戸グンはレバーを押して搭乗口の扉を開けた。すると、大統領専属の護衛官2名がタラップを降りた。
この2名はトムとランスという名で呼ばれていた。
トムとランスは出迎えに来た兵士と政府高官らしき者の前に立ち、周囲を見わたした。
政府高官らしき者は異様に明るいスカイブルーの軍服を着ており、その左右には煌びやかな金モールを肩や帽子につけた兵士が2百名ほど整列していた。
ちなみに、使節団の正面には、合衆国海兵隊の兵士50名が整列していた。それらは、エアフォース・ワンとともに着陸した護衛機から降り立った者たちで、すでに1時間以上も直立不動の姿勢をとっていた。
全身を汗でぐっしょり濡らしている海兵隊の姿を気の毒そうに眺めたトムとランスは、
「安全です」
と手首のマイクロフォンに向かってささやいた。
機内で待機していた護衛官のチーフは、トムとランスからの連絡を受け、ネモリンの前へ踏み出して、
「どうぞ」
と、右手の手のひらを見せて合図した。このチーフの名は、ウィル、といった。
ウィルの合図を見たネモリンは、
「サンキュー、ウィル」
と言ってタラップに足を降ろした。
そのネモリンには2名の前衛がついた。ひとりはダンカンという名の護衛官で、もうひとりは佐久間という名の護衛官であった。また、ネモリンの背後には、ウィルとその部下2名がぴったりとついて後衛を務めた。
パキスタンの政府高官らしき人物はタラップの下でネモリンを待ち構えるようにして、両手を広げて立っていた。
ダンカンと佐久間がタラップを転げ落ちたのは、ネモリンがタラップの中間あたりまで降りたときであった。
「あっ」
と、ネモリンが声をあげたときには銃撃戦がはじまっていた。出迎えに来ていた金モールの兵士たちが突然発砲しはじめたのである。ダンカンの享年は32、佐久間の享年は41となった。
海兵隊員50名は即座に応戦体制に入った。が、1時間以上も直立不動の姿勢をとっていたため、その動きは鈍かった。しかも、相手の人数は4倍であった。
50名の海兵隊員はまたたくまに全滅した。そして、そのときには、トムとランスも脳天から血を吹いて倒れていた。トムの享年は27。ランスの享年は32となった。
ネモリンは血相を変えてタラップを駆け登ろうとしたが、後ろから追いかけてきた金モールの兵士にスーツの裾をつかまれた。
「うあっ」
と悲鳴をあげたネモリンの目の前で、ウィルとその部下2名が複数の弾丸を頭や胸に受けた。ウィルの享年は52となった。
血しぶきを浴びたネモリンがタラップの上を見上げると、そこでは瀬戸グンがネモリンを見おろしていた。
「おい!」
と、ネモリンは声をかけたが、瀬戸隊員はネモリンの顔を見ながら黙って搭乗口の扉を閉じた。
「そりゃねーだろ!」
と、ネモリンが泣き顔になった直後、その頭には黒い布袋がかぶせられた。
四
このときのペシャワールというのは、人口135万弱の地方都市であった。パキスタンの首都であるイスラマバードとアフガニスタンの首都であるカブールの中間地点に位置しており、カブールまでは直線距離にして約200キロメートルである。
2千年前は仏教研究の中心地であったが、イスラム教徒の町となってからは仏教が排斥され、ガンダーラ美術に属する貴重な仏像のほとんどが破壊され、うち捨てられた。わずかに残った仏像を集めた美術館があったが、地元民がそこを訪れることはない。が、それらの古い仏像を国外に持ち出すことはゆるされていない。
それは、野蛮人の町というわけではないが、文明人の町でないことも確かである。
ネモリンはそのペシャワールの最高級ホテルの一室に閉じ込められた。
「プレジデント・イチジョー、ようこそいらっしゃいました」
と、ネモリンに話しかけたのはタラップの下でネモリンを出迎えた男であった。
これはパキスタン政府の者ではなく、パキスタンの反政府軍のリーダーであった。
このときは、白いシルクのスーツに着替えており、真っ黒な顔が浮き上がって見えた。年齢は57であったが、60を過ぎているように見える。名を、
ズルフィカール・アリー・ザルダーリー、
といった。
パキスタン国内で5本の指に入る富豪であり、その曾祖父は大統領であった。が、その曾祖父は米軍の撤退後に失脚し、その後はパキスタン北西部で広大な麻薬農場を経営しながら国内最大の反政府軍を率いる軍閥となった。ズルフィカールは、その3代目であり、アフガニスタンのタリバン政権や中国の人民解放軍と深い関係を持っていた。
「すいません。私が間違ってました。勘弁してください」
と、ネモリンは泣いた。
ネモリンの手には手錠がかけられ、足はヒモで縛られていた。左右には屈強な体型の兵士が4名、ネモリンを囲むようにして立っていた。
「ミスタ・プレジデント、なにを間違ったのでしょう?」
と、ズルフィカールはかん高い声でたずねた。
「わかりませんが、とにかく、なんでもします。ですから、勘弁してください」
と言いつつネモリンは糞を漏らした。
その異臭に気づいたズルフィカールは、
「なんでもしていただけるということなら、こんなありがたいことはありませんが、しかし、椅子の上でクソをしてもらってもありがたくはないですね」
と、言って笑った。
手錠をはずされたネモリンは、2人の兵士に両腕をつかまれ、バスルームに放り込まれた。シャワーを浴び終わると着替えを与えられたが、その着替えは囚人服であった。
「私の用件は少々複雑なことです」
と、ズルフィカールは言った。
「まず、あなたにはアフガニスタンに行ってもらい、カブールの刑務所に入ってもらいます。あなたの国はあなたを救出するために外交交渉を開始するでしょうが、それには仲介役が必要です。あなたには合衆国政府の者たちに対し、この私を仲介役にするよう訴えてもらいたい。私が仲介役に選ばれた際には、速やかにあなたを釈放させます」
要求が出たことでネモリンは多少落ち着きを取り戻した。すぐに殺されることはないと感じたのである。そして、何度もうなずいて見せたうえで、
「わかりました。やりましょう。必ずあなたを仲介役にしてさしあげます。ですが、まず先に私を釈放してください。でないと、私は何もできません」
と、選挙用のスマイルを見せた。
だが、パキスタンの麻薬王がそのスマイルにだまされるわけがなかった。ズルフィカールはにっこりと笑い返し、渾身の力を込めてネモリンの右頬を叩いた。
震え上がったネモリンは、またも糞を漏らした。
ペシャワール国際空港にとり残された大統領専用機は、周囲をズルフィカールの兵に固められ、ノーズギアの車輪に車止めをはめられて離陸できないようにされていた。機内にはラスキン国務長官の他に主席補佐官と国防長官もいた。
「こうなったら、副大統領を大統領にして救出作戦を開始するしかない」
と、国防長官は言った。
だが、ホワイトハウスに連絡してみると、
「副大統領はまだ早いとおっしゃられてます}
ということだった。
ホワイトハウス横の行政府ビル内で待機していた副大統領は、
「冗談じゃねえ!」
と側近に言っていた。
このような局面で大統領に就任して、そのことが原因でネモリンが殺害されたりした場合、何もしないまま辞任に追い込まれる危険があった。
ちなみに、レジスレイターは、その副大統領の意見に同意した。
「大統領の交代はいつでもできる。救出作戦は、そのままパキスタンやアフガニスタンへの侵攻作戦に発展する可能性がある」
というのが、レジスレイターの見解であった。
事件が発生して48時間が経過した頃、主席大統領補佐官の携帯PCに画像つきのメールが届いた。
その画像には泣いているネモリンの姿が収録されてあり、その中でネモリンは、
「タリバンとの交渉の仲介役をズルフィカール・アリー・ザルダーリー氏にお願いしてくれ」
と、叫んでいた。
首席補佐官他、その画像を見たものは皆一斉に胆をつぶした。
カブールの刑務所内で撮影されたその映像では、ネモリンの両手と両足には指が一本もなくなっていたのである。
機内のスーパーコンピューターを使って、その画像がCGでないことを確認した国防長官は、
「もはや一刻の猶予もならぬ。ただちに救出作戦を開始すべきである」
と主張した。
だが、ラスキン国務長官は別の考えを主張した。
「ここは、とにかくプレジデント・イチジョーが言う通りに事を運びましょう」
と、言うのである。
救出作戦をやると言っても、実戦経験をもった兵士はほとんどおらず、作戦が失敗した場合にはだれかが責任をとらねばならない。そのままにしておいて獄中でネモリンが殺害された場合も世間は騒ぐであろうが、しかし、この場合は政府内のだれかが責任をとる話にはならない。とにかく、ネモリンのようなアホウのために無理をする必要はない、というのが正直なラスキンの気持ちであった。
そして、ラスキンは真剣な表情の国防長官の肩に手を置いて、
「わかるだろう?」
と言いながら、一瞬ニヤリとした表情をつくって見せた。
国防長官は、その一瞬の表情ですべてを理解し、これに同意した。
国防長官の同意を得たラスキンは、司法長官に命じてズルフィカール宛ての委任状を作成させた。
が、これには問題がひとつあった。その書類を公式なものとするためにはネモリンのサインが必要で、だれかがカブールの刑務所まで行って、ネモリンのサインをもらってこなければならなかったのである。
「だれに行かせよう?」
と、ラスキンは機内を見わたしたが、機内にいた戦闘用員は、ネモリンが拉致された際の戦闘ですべて死亡、または活動不能となっていた。残った兵員としては、パイロットと事務官がいるだけであった。
「この際、事務官を使ってはどうだろう?」
とラスキンは提案したが、国防長官は別の案を出した。
「フライトアテンダントも一応は兵士だ」
というのである。
これを聞いたラスキン長官は、
「ならばいっそのこと女に行かせよう。女の方が警戒されずにすむかもしれない」
と言った。
瀬戸グンにその任務が言いわたされたのは、同日の19時25分であった。
「わたしがですか!」
と、グンは目を丸くしたが、軍人である以上、任務を拒否することはできない。
「ラジャー」
と、姿勢をただして敬礼した瀬戸隊員に対し、国防長官は、
「今から、君をファースト・ルテナントに任ずる。父上の名誉を挽回する絶好の機会だ。頑張ってくれ」
と言った。
グンは驚いた。
ファースト・ルテナントは二等空尉である。それまでの瀬戸グンは准空尉であり、それは二階級特進であった。だが、瀬戸二等空尉の口を突いて出てきたのは、別のことであった。
「私の父には名誉を挽回しなくてはならないようなことは何ひとつありません」
これには国防長官も面食らってしまい、
「そうだったな。すまなかった。きみの父上は日米事変の犠牲者というあつかいになったんだったな」
と何度も首をふりながら言った。
五
大統領専用機を降りた瀬戸二等空尉は、ズルフィカールの兵に連れられて、小型のプロペラ機に乗り、カブールの空港に降り立った。
カブールは標高が高く、そのぶん気温が低い。その日は常になく気温が下がっており、空港は雪で真っ白になっていた。
ズルフィカールの兵たちはプロペラ機を降りると帽子を脱ぎ、黒いターバンを頭に巻いた。
瀬戸二等空尉は強姦されることを怖れていたが、ズルフィカールの兵士たちはグンの容色を恐れているようであった。
・・・・・・この男たちは童貞だな、
と、グンは思った。
が、アフガニスタンの兵に引き渡されると、グンの待遇は一変した。手錠をかけられ、頭には黒い布袋がかぶせられた。
戦闘で半壊した空港の建物を抜けると、グンは黒塗りのベンツに乗せられ、その中で3名の兵士に次々と強姦された。
ベンツがネモリンのいる刑務所に到着するとグンはようやく兵士たちの暴行から開放された。
グンは精神的にひどく打ちのめされたが、その肉体は頑丈にできており、ベンツを降りて手錠をはずされ、頭にかぶせられた布をとられると、身なりを整えて何事もなかったように歩き出した。
国防長官の説明では、カブールには米軍が建設した鉄筋コンクリート製の古い刑務所があり、瀬戸はそこに連れて行かれるはずであった。だが、その刑務所は新政権を興した急進派が政権を奪取するときに破壊されていて廃墟と化していた。
新政権が新しく建てた刑務所はまだ仮説のもので、土壁を張り巡らせただけの平屋の構造物で、屋根は細い丸太を梁のように渡したうえにムシロのようなものが被せてあるだけであり、暖房設備はないに等しかった。
その怖ろしく寒い刑務所には鉄格子がなく、通路と部屋の仕切りには薄い板が張られてあるだけで、囚人たちがその気になれば簡単に脱走できる構造になっていた。
が、囚人たちは逃げられなかった。皆一様に手と足の指を切り落とされていたからである。
ネモリンは、その刑務所の一番奥の部屋にいた。が、一見しただけでは、それがネモリンだとはわからなかった。床に直接盛られた米のようなものを這いつくばって食べていたからである。
尚、ネモリンが着せられていた囚人服は薄手のナイロン製で、それだけでは建物内に入り込んでくる寒気から身を守ることができない。このため、ネモリンは床に敷かれてあったムシロのようなもので身体をくるんでいた。
「あのー・・・・・・」
と、グンが声を発すると、ネモリンはムシロのようなものから顔だけ出してグンを見あげ、
「おおぉぉ、助けに来てくれたのか!」
と、泣きべそをかいた。
「いえ、私は書類を持ってきただけであります」
と、グンが委任状にサインが必要であることを説明すると、
「サインだって?」
と、ネモリンは泣きながら両の手のひらを見せた。切り落とされた指の切断面付近が糸で縛られてあり、傷口は真っ黒に変色していた。
「指がないのに、どうやってサインするんだ?」
という問いかけに、グンは冷ややかな微笑みを浮かべ、ポケットから携帯PCを出して、それをデジカメモードに切り替え、
「手のひらを使うなり、口を使うなり、好きにしてください。これでその様子を撮影しますから、そうすればサインは正式なものとなります」
と言った。
ネモリンは受け取った紙を床に置き、それを指のない両足で固定し、ペンを両の手のひらではさんで、もぞもぞと紙の上に曲線を引いた。書かれたものは文字には見えなかった。
瀬戸二等空尉は、それを受け取り、携帯PCと一緒に頑丈なケースにしまい込んだ。
ケースに鍵をかけたグンは、立ち上がってネモリンを見おろし、
「ミスタ・プレジデント、他になにかありますでしょうか?」
と言って敬礼した。
ネモリンはぼんやりとグンの顔をながめていたが、しばらくするとニヤリと笑い、意を決してムシロのようなものをはね上げ、
「では、また、あれをたのむ」
と、囚人服のズボンを脱ごうとした。
グンは、その様子を見るなり、
「では、これにて帰還します」
と言って、くるりとネモリンに背を向けたが、3歩ほど歩いたところで引き返し、ネモリンの顔をにらみつけて、これにツバを吐きかけた。
これを見たタリバンの兵士たちは笑いころげた。が、しかし、事態は笑い事では収まらなかった。女が男の顔にツバを吐きかけるという行為は、彼らの倫理観ではあり得ないことであり、そういうことをする女は極刑に処せられて当然であった。
このため、瀬戸二等空尉はその場で拘束され、ネモリンの隣の房に放り込まれた。




