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第3話 日本消滅

       一



 ネモリンは病院で目を覚ました。

 腕に点滴の管がつながっていた。

 顔と両手に包帯がまかれていたが、痛みはなかった。

 頭の中はキャンテのことばかりがめぐっていて、それ以外のことはすでにおぼろな記憶になっていた。

 手元にリモコンがあったのでテレビをつけるとなにやら騒がしかった。


 「降伏を宣言したローハン司令官を日本国が殺害した」

 というニュースが世界をかけめぐり、日本への非難が殺到していることをコメンテーターたちが力説していた。

 「政府が急いで対応しないと日本は国際市場で孤立しますよ」

 と、威勢よくまくしたてる芸能人も登場していた。

 また、「米国債の金利が爆上がり」という話や「1ユーロが1000円以上になった」というようなニュースも同時に語れていたが、ネモリンにとってはどうでもいいことばかりであり、音量を下げた。

 画面が切り替わると解説者の疲れた顔が映り、その下には赤い帯が現れ、白抜きの文字で短い文面が次々と流れた。


 「日米の株価・通貨・国債大暴落」

 「昨晩の紛争を日米事変と命名」

 「レジスレイター ver 1.0 の財政政策をユン政権が採用」

 「日本政府が手持ちの米国債を密かに大量に売却」

 「米軍幹部が橫田基地周辺で交通事故死したことが引き金」

 「キャラウエイ大統領が日本の財務方針を批難」

 「橫田基地とホワイトハウスの通信が5分間遮断されていた」

 「ローハン司令官を殺害したのは民間人であったと判明」

 「立憲共産党は金幹事長の金銭スキャンダル追求継続を宣言」

 「中国製再エネ機器破裂による被害拡大」

 「イエメン・フーシ派によるホルムズ海峡封鎖が深刻化」

 「ロシアとの天然ガス輸入交渉頓挫」

 「電気料金さらなる値上げ必至」

 「中国軍事政権が尖閣諸島を完全封鎖」

 「劉財務大臣がプライマリーバランス黒字化堅持を発表」

 「キャリートレーダーの円・ドル売りが加速」


 ネモリンが反応したのは民間人という部分であった。

 それが自分のことであることは理解できたのである。


 そのとき、母親の一条ルカが花瓶に花を刺しながら病室に入ってきた。

 「あら、目が覚めたのね」

 と、ルカはノーテンキな笑顔を見せた。

 姉かと思うほど若く見える。


 ネモリンの父親は全国チェーンの楽器店が経営する音楽教室でギターを教えてい

た。ネモリンという名前を思いついたのはその父親であった。が、ネモリンに弟ができ、その弟が5歳でモヤモヤ病という難病を発症すると家を出て行った。

 ルカは生活保護を受けながら密かに夜の接客業をしてネモリンとその弟を育てた。が、弟は2年前に脳梗塞で他界していた。享年は12であった。 

 ちなみに、黄色いポルシェはルカの兄の名義になっていた。


 「ローハンってだれ?」

 と、ネモリンはルカに尋ねた。

 「さあねえ・・・・・・」

 と、ルカの返答はいつもどおりそっけなかった。


 ネモリンはテレビ台の上にあった自分の携帯PCをみつけ、それでローハンという名前を検索してみた。

 遺族たちが怒りをあらわにしている動画が出てきた。

 それを観たネモリンは不安になった。

 また拘置所に入るのかな・・・・・・

 と、思ったりした。

 

 「そういえば、さっき買い物に行ったら、現金しか使えないって言われたわ。どうなってるのかしらねえ」

 と、ルカは軽く世間話をした。

 が、ネモリンは気にとめなかった。


 テレビの画面が切り替わり、別のスタジオが映った。

 そこでは、年配の男が眉間に深い皺を寄せて語っていた。

 「金融危機がはじまっています。円と米ドルのレートがかつてない値動きをしています。日経平均は大暴落となり、取引停止となりました」


 画面がさらに切り替わり、銀行の玄関口に長蛇の列ができている映像となった。

 レポーターが早口でしゃべっている。

 「先ほど、ポイペイやクレジットカード決済などを仲介する決済代行会社が一斉に当面の決済処理停止を発表しました。しばらくは現金による買い物しかできなくなったわけですが、銀行などの金融機関はATMによる出金を停止し、窓口に来た者にだけ現金を渡すようにしたそうです。なお、出金の額には上限を定めたそうです」

 「みなさん、焦ってはいけません。すでに銀行の窓口業務はパニック状態になっています。現金はちゃんとおろせますからアワをくわないでください」

 

 その報道を聞いたルカは表情をくもらせ、

 「いやだわあ・・・・・・、今、現金は2万円くらいしかないわ」

 と言った。

 それを聞いたネモリンは、

 「まずいよ。銀行に行ってきてよ。花なんかいらないからさ」

 と言った。

 「でも、すごい行列になってるわ」

 「どっか辺鄙なところの銀行なら大丈夫じゃない?」




     二



 「やはり、臨時国債を発行して金融危機を回避せねばならないのでは?」

 と、総理官邸でぼやいたのは官房長官の楊龍平であった。

 が、劉財務相は猛然と反対した。

 「まごこの代にこれ以上借金を残すんですか! 財政が破綻しますよ!」

  

 そう言われると楊長官は黙るしかなかった。

 米軍との対決でかろうじて勝利できたのはロボット戦闘機のコントロールシステムをレジスレイターに直結させるという劉財務相のアイデアによる。閣僚たちは皆で劉財務相の功績を褒め称えたばかりであった。


 「とりあえず、事態の推移を見守りましょう」

 と、ユン総理は問題を先送りした。

 「それもいいですが、まず日銀総裁に金利を下げるよう言いましょう」

 と言ったのは金字塔幹事長だった。

 これに対し、劉財務相は、

 「円安なんですから金利はあげないと」

 と言った。


 そのとき、総理のデスクの上の赤い警告灯がついた。

 スタン・P・キャラウェイ米国大統領からのホットラインであった。

 ちなみに、ホットラインは電話ではない。テキストメッセージを交換するテレタイプ端末である。


 <親愛なるユン総理へ、日本発の世界恐慌が迫っています。そちらが売りに出した米国債をただちに買い戻していただきたい。このままでは米国債がデフォルトします。そうなったら日本経済もただではすみませんよ。尚、エネルギー問題や金融危機に関する対策は急を要します。本日中に方針だけでも発表願います。財源は臨時財政対策債や特例国債の発行でまかなってください。プライマリーバランスを黒字化するという政策はただちに破棄してください。レジスレイターver.1.0に入力したその設定もただちに削除してください>


 ユン総理は半べそをかきながら金字塔の顔を見た。

 閣僚たちは総理に何と言ったらいいのかわからず、皆一様に黙りこくって手をこまねいた。


 「返信はいかがいたしますか?」

 と、職員のひとりが金字塔の顔を見ると、金字塔は、

 「急がんでいい」

 と言った。




     三



 ホワイトハウスの執務室では、キャラウエイ大統領がソファーの上に寝ころがって日本からの返信を待っていた。その横で国務長官がディスプレイを見つめていた。

 統合参謀本部議長もその場にいたが、すでに戦闘が終了しているので自分はもう部外者だと感じていた。

 一方、CIA長官は干しぶどうのような顔を下に向けて出番を待っていた。

 ユン総理がこちらの意向どおりに動かない場合はこれを排除するしかないと考えていた。意向どおりに動いたとしても、数日内にはなんらかの形で一連の事態の責任をとらせようと思っていた。

 次の大統領選挙は翌年であった。

 それまでに今回の大統領の判断が正統なものであったと国民に納得させる必要があった。


 日本からの返信があったのは6時間後であった。

 <親愛なるキャラウエイ大統領、この度のそちらからの攻撃について、大統領の謝罪の気持ちはよく理解しました。したがって、この件をICJ(国際司法裁判所 )に持ち込むことは控えます。尚、エネルギー問題は深刻な状況です。日本にはまだ石油が必要です。ペルシャ湾の交通を一刻も早く回復していただけるようご尽力いただけると幸いです。それから、こちらは天然ガスに関するロシアとの交渉も継続いたします。この件についてもご協力いただけると幸いです。金融システムの問題についてですが、ご心配いただき恐縮です。目下、最善の策を検討しておりますので、しばらくお待ちください>

 というのが、その文面だった。


 EUはその時点ですでに大量の米国債を放出しており、デフォルトが秒読みに入っていた。米ドルは暴落しつづけ、1米ドルが0.2ユーロを切っていた。

 FRB(米連邦準備制度理事会)は前日から米国債の買い入れを開始していたが、

 「これ以上の買い入れはハイパーインフレを引き起こす危険がある」

 と、議長が声明を出していた。


 キャラウエイ大統領は頭皮を真っ赤にさせて怒った。

 CIA長官は他の者を部屋から出させ、

 「このままでは来年の大統領選挙は勝てません」

 と言った。

 大統領は、

 「言いたいことがあるなら早く言え」

 と怒鳴った。

 

 長官は大統領の肩に手をあて、

 「日本政府と日本人が所有している米国内の資産をすべて凍結いたしましょう」

 と言った。

 大統領は長官が何を言っているのか理解できなかった。

 「凍結した資産を原資にして米国債と米ドルを買い戻すと声明を出すのです。投資家たちは必ず反応します」

 と、長官はつけ加えた。

 キャラウエイ大統領は即座に反応した。

 「そんなことをしたら世論が炎上するだろう。日本人の個人資産にまで手をつけるとなると、これは人権問題になる」

 「大丈夫です。ローハン司令官を殺害したのは民間人でした。その民間人の身柄はまだ引き渡されていませんし、その身元すらも公開されていません。日本人すべてが米国政府に敵対しているのだと言えば米国民の気分は反日でかたまります」

 「ふむ・・・・・・」

 「それから、ユン総理についてですが、このままにしておくわけにはいきません」

 「それはそうだな・・・・・・」


 キャラウエイ大統領は干しぶどうのような長官の顔を見ながらやや落ち着きを取り戻した。

 



     四



 みすぼらしい長髪の青年がヨレヨレのジャケットを着て総理官邸の見学ツアーに参加したのはその3日後であった。

 青年の名は山下といった。

 山下は22名のツアー参加者とともに厳重なセキュリティチェックを通り抜けて総理の執務室まで入り、総理のデスクの上にテニスボールほどのサイズの地球儀を置いて退出した。


 ツアー客の行動は監視員が見ていた。

 が、その地球儀については、

 「お客さんがたくさんいましたので気づきませんでした」

 と、監視員は言った。

 で、監視員の責任が問われることはなかった。

 山下の姿は監視カメラにとらえられ、爆発が起きるまでの行動はすべて画像で残っており、セキュリティの問題については画像を解析していたAIの不備とされた。

 が、山下が置いた地球儀が爆弾だったのかどうかは不明であった。

 画像では地球儀ではなく、窓の外に付着していた小さな物体が爆発したようにも見えるのだが、その件についての調査は行われなかった。

 

 その日、ユン総理はいつもどおり朝の閣僚会議を終え、マスコミの取材を5分ほどですませて午前10時12分に執務室に入った。

 爆発が起きたのはその3分後であった。

 ユン総理は履いていたストッキングに伝線がはしっていることに気づき、デスクチェアに腰かけたままストッキングを履き替えるために身をかがめていた。

 このため、全身に傷を負いはしたが、致命傷とならず、命拾いした。


 山下はその日のうちに逮捕され、

 「自分がやりました」

 と自供した。

 尚、山下にはギャンブル依存症の父がおり、そのために大学を卒業できなかった、という過去があり、

 「ユン総理はIR(カジノを含めた統合型リゾート)の推進に積極的だったので、それを阻止しなくてはいけないと思いました」

 と、警察の取り調べで供述した。

 マスコミはその件を嬉々として報道した。


 が、キャラウエイ大統領の声明が発表されるとこの件はまったく報道されなくなった。

 「日本政府や日本人が所有する米国内の資産を米国政府が凍結し、それを原資にして米国債と米ドルを買い戻します」

 という大統領の話は日本人にはまったく理解できないことだった。

 そして、日本としては一刻も早く対応策を決めねばならないときに、肝心の総理大臣は入院中であった。官房長官は無事であったが、官房長官の采配で事を決めるわけにはいかなかった。与党第1党の幹事長である金字塔は金銭スキャンダルのことがあったためにマスコミの前に出られず、これも役には立たなかった。


 ただし、そのキャラウエイ大統領の声明が発表されても、米国債の金利はあがりつづけた。米国債の投げ売りが止まらないのである。そして、米ドルは下がりつづけた。

 

 CNNやFOXはその日の午後に特番を組んだ。

 エコノミストたちはいろいろなことを言ったが、

 「投資家たちは、米国を見放してるのでしょう」

 という意見が多かった。

 日本と米国に流れていた投資マネーは一気に引き上げられており、そのマネーはEUや東南アジアやアフリカなどに流れていた。


 前大統領の首席補佐官を務めたスミスというアナリストは言った。

 「軍事力を背景に優位な取引をするのが米国であり、そこに米国の力の源泉があったわけです。なのに、米軍が東京で負けました。第7艦隊が壊滅し、橫田基地が征圧され、司令官が殺害されたのです。もはや、アメリカの威信は存在しません」

 

 ちなみに、そのスミスは民主党政権のときの主席補佐官で、現大統領のキャラウエイは共和党の大統領であった。


 で、スミスの解説は米国政府にとどめを刺した。

 米国債の暴落はとまらず、金利は爆上がりしつづけ、投資家たちの投げ売りがつづき、買い手がつかなくなり、FRB議長は米国債の買い入れ停止を発表した。

 



     五



 翌日、キャラウエイ大統領は演説した。

 「日本の自衛隊が我が軍に勝利したのは、戦闘機のコントロールシステムをレジスレイター ver1.0 に直結させたことによります。戦闘についての全責任を放棄して、すべてをマシンに丸投げしたのです。これは倫理的にありえない行為です。日本は卑怯な手段を使ったというだけではなく、人類滅亡の危機をまねいたのです」


 その演説を総理官邸のテレビで観ていた金字塔は頭をかかえた。

 楊官房長官は、ほら見たことかと言わんばかりに言った。

 「自衛隊法第7条と第8条に違反したことは申し開きできませんね。憲法違反でもありますしね」


 劉財務相はひたすら謝罪した。

 「申し訳ありません。わたしがバカでした・・・・・・」


 車イスに乗って執務室に現れたユン総理は、泣きべそをかくだけであった。


 片山防衛相は言った。

 「証拠はありませんよ」




     六



 その頃、ネモリンは顔面の手術を受けていた。

 顔全体にこびりついた黒い付着物が皮膚の奥にまで浸透しており、それらを取り除く手術であった。


 待合室でテレビを観ていたルカは何も心配していなかった。3日まえに銀行で100万円をおろしてあったので、しばらくは大丈夫と思っていた。

 

 が、テレビのワイドショーでは物価高騰の件が盛んに放送されていた。

 「見てください! にんじん1本が2千円ですよ!」

 と、スーパーマーケットで取材しているレポーターが騒いでいた。

 「いやだわあ」

 と、言ってルカがチャンネルを変えると、ユン総理が日本政府の公式声明を発表していたが、包帯だらけのその姿を見て、

 「うわっ」

 と、小声をあげてチャンネルを変えた。

 すると、

 「犯人は中学生の息子だったようです。千円札の取り合いでつい殺してしまった、と供述しているようです」

 と、アナウンサーがニュースを読み上げていた。


 さすがのルカも不安になった。

 そのとき、ストレッチャーに乗せられたネモリンが手術室から出てきた。

 ストレッチャーを押していた看護師は、

 「大丈夫ですよ」

 と、笑顔を見せた。

 その顔があまりに可愛らしいのでルカは嫉妬を覚えた。

 それで、

 「何が大丈夫なんですか?」

 と、看護師につめよった。

 看護師は当惑したが、

 「手術の経過はのちほど先生のほうから説明がありますので」

 と言って、どんどんネモリンのストレッチャーを押して行った。




     七



 ネモリンが退院したのはその4日後であった。

 ルカは車イスに乗せたネモリンを玄関横で待たせ、発券された番号札を持って会計の窓口に行った。すると、

 「3千5百22万6千325円です。現金はありますか?」

 と訊かれた。

 「ちょっと待ってください。わたしは生活保護を受けてますので、無料になるはずなんですけど、でも、3千5百円ってずいぶん安いですね?」

 と、ルカが言うと、窓口の女性はニヤリとした。

 「みなさん、勘違いなさるんですよね。3千5百円ではありません。3千5百万円なんですよ。それで、一条さんは東京都の公費負担を受けておられるようですが、東京都は昨日から公費負担の支払いを停止しています。知事さんがそのように発表されてましたけど、ご存知なかったですか?」

 と、言われてルカは仰天した。

 「お支払いを延期される場合は、いろいろと書類を書いていただかないといけません。15番窓口に行っていただけると相談員がいますので、そちらでお手続きをお願いします」

 と、窓口の女性は早口でまくしたてた。


 ルカは顔面蒼白になった。

 

 ポルシェを売れば・・・・・・

 などと考えながら15番窓口に行くと、そこは大勢の患者やその親族でごったがえしていた。

 相談員は5名ほどいたが、相談者の数が多すぎて対応しきれていなかった。で、相談員に向かって怒号を発している者が何人もいた。

 相談員は、皆に同じセリフをくり返していた。


 「まず、銀行に行って残高証明書をもらってきてください。残高が足りなくても大丈夫です。その場合は支払い可能額をご呈示いただき、残余のぶんをどうするかの相談になります。リボ払いも可能です。金額は確定していますので、あとで請求額が上がることはありません。ただ、お利息がつきます」


 ルカは1時間以上も待たされた。

 その間、ネモリンはずっと携帯PCでゲームに熱中していた。

 ルカを応対した相談員は表情の乏しいロボットのような女子であった。名札を見ると日本人ではなかった。


 「銀行はどこも行列になっていて、今日中にその書類をもらえるとは思えないのですが」

 とルカが言うと、相談員は、

 「残高証明書は明日でも大丈夫です。ただ、残高証明書をご呈示いただくまではマイナンバーカードをお預かりすることになります」

 と、言った。


 隣の窓口で相談員を怒鳴りつけていた男は警備員に両腕をつかまれて別室に連れていかれた。


 「わかりました」

 と、ルカは言うしかなかった。

 相談員はルカの様子を見てさらに言った。

 「明後日から日本円は使えなくなります。新たにDENという通貨が利用可能になりますが、そのDENと円の換金レートはまだ決まっておりません。明日の朝までには決まるそうですが・・・・・・」


 ルカには相談員の話が飲み込めなかった。それで、

 「あのう、都知事さんが、そのう、生活保護をもう一度はじめてくれるということにはならないのでしょうか?」

 と、おずおずと尋ねた。


 「さあ、どうでしょうね。都知事はエジプトに行ってらして、いつ戻られるのかわからないようですよ」

 と、相談員は冷ややかに言った。


 ルカは窓口を離れ、覚悟を決め、携帯PCで中古車を買い取る店をさがした。

 が、どこも閉店していた。

 それで、常連客に次々と電話してみた。

 どの客も警戒して電話には出なかったが、ひとりだけ折り返してきた男がいた。

 奈良間順、

 という者であった。


 「マヨちゃん、元気かい?」

 と、奈良間は呑気な声を出した。

 マヨ、というのはルカの源氏名だった。


 ルカは相談事があると言った。

 「じゃあ、今晩、店に行くよ」

 と、奈良間は言った。


 ルカはネモリンを連れて自宅に戻り、シャワーを浴びて髪をととのえ、黄色いミニのワンピースに着替え、携帯PCでタクシーを呼ぼうとしたが13時間待ちと出た。

 仕方なくポルシェを出して六本木の店に向かった。

 道はすいていた。

 が、店は閉まっていた。

 玄関ドアに貼り紙があり、閉店、とだけ書かれてあった。


 ルカがその貼り紙をじっと見ていると、奈良間が後ろから声をかけてきた。

 「マヨちゃん!」

 という声を聞いたルカは涙ぐみ、

 「ジュンちゃん」

 と、言いながら奈良間に抱きついた。

 

 奈良間は中年のおっさんであった。

 腹が出ていた。

 首のあたりから異臭も出ていた。

 が、ルカはまったく気にしていなかった。


 「弟の入院費がすごい金額になっちゃってて、もう、ポルシェを売るしかないなって思ってるのよ」

 と、ルカはカフェチェーン店でカプチノをすすりながら言った。

 酒を出す店はどこも閉店しており、やっとみつけた店であった。


 「ポルシェは今売ると安いぞ。だいたい中古車屋さんはみんな倒産してる」

 と、奈良間は言った。

 「ジュンちゃん、お願い、買って!」

 と、ルカは泣きついた。

 「なんでもします!」

 と、さらに言った。


 奈良間は嬉しそうに微笑んで、

 「わかったよ。いくらいるの?」

 と尋ねた。

 ルカが金額を言うと、

 「なーんだ、そんなもんでいいのかい。カネってのは、あるときはどうでもいいもんだけど、足りなくなると大変だよな」

 と、奈良間は言いながらルカの肩に置いていた手で太股をなでた。


 奈良間はこれといった職にはついていなかったが、不動産をたくさん所有していた。妻はいたが子がなかった。父親は国会議員だった。




     八



 一連の金融崩壊は「エノーマス・ウエンズデイ」と呼ばれるようになった。

 日本円と米ドルが同時に紙くずあつかいとなり、ユーロが天上知らずの値上がりとなって世界経済は機能を停止した。

 人々は絶望する余裕すら失ったが、これを救済する手段がないわけではなかった。

 「日米合併」

 という言葉を世に出したのはレジスレイターであった。



 日本は議院内閣制の共和国となっていたが、大統領という役職はつくっていなかった。天皇制が廃されたあとでも、天皇を超える役職をつくるというのは土着の日本人のコンセンサスを得られなかったからである。

 尚、天皇家は宗教法人として残っていた。

 これにより、精神面では日本という概念がまだ存在していた。

 が、その日本も歴史の闇の奥に消え去るときがきた。


 そのとき、ネモリンの携帯PCにメッセージが届いた。

 <あなたは、今、USANの国民となる資格を得ました。USANの国民となることを承諾する場合は「YES」を、拒否する場合は「NO」をタップしてください。尚、拒否した場合、あなたは国籍を失います。改めて永住権を請求することはできますが、審査を受けることになります。回答は今すぐでなくてもかまいません。明日の13時まででけっこうです>

 というのが、そのメッセージであった。

 USANというのは、

 United States of America and Nippon、

 という国号の略であった。


 自宅でテレビを観ていたネモリンは、

 「オレ、そのレジスレイターってのを知ってるよ」

 と、奈良間に向かって誇らしげに語った。

 ユン総理が演説の中で、

 「レジスレイターの提案を受け容れて日本国と米国の合併に賛成します」

 と言ったので、ネモリンはつい嬉しくなり、神田錦町の雑居ビルの中に飛び込んで来たF-47を通してレジスレイターと会話したことを説明した。

 「なんていうのかな、すんごくきっちりしたしゃべり方でさ・・・・・・」

 奈良間はそのネモリンの話をうわの空で聞いていたが、瀬戸自衛官の名前が出るとネモリンの方に顔を向けた。

 「それでさ、橫田基地の地下に入ってさ・・・・・・」

 と、ネモリンはさらに自慢話をつづけた。

 すると、奈良間は、

 「もしかして、ローハン司令官を撃ったってのはおまえか?」

 と、真顔で言った。

 ネモリンは、はっ、としてクチをつぐみ、

 「ローハンってだれですか?」

 と、しらばくれた。

 奈良間はその表情を見て、こいつか、と思った。


 そこにルカがキッチンカウンター越えで声を発した。

 「できたわよ。お刺身は鯛とマグロよ」

 ネモリンはその皿と酒の入ったグラスを受けとり、奈良間のまえのテーブルに置いた。


 テレビ画面のユン総理は涙をボロボロこぼしながら、

 「もうこれしかないのです」

 と言った。

 それを観たネモリンは、

 「あっ、泣いてる。なんで?」

 と言った。


 ソファに寝ころがっていた奈良間は起き上がり、

 「日本が終わったんだよ」

 と言った。

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