第9話 人民解放軍
一
大統領が逃亡したという事実を公表するかどうかでホワイトハウス内はエンドレスな議論となった。公表すると国民の怒りが沸騰するのが明白で、反政府運動がさらに激化するのは必至であった。が、秘匿すると副大統領を大統領に就任させることができない。大統領不在のままだと大統領令が出せない。
そして、東の空が白みかけた頃、サンタモニカビーチ沖に巨大な4つの真っ黒い艦影が現れた。
突然のことにラスキン国務長官は狼狽した。
大きくせりだしていたその腹はひとまわり小さくなっていた。
「どこからどうやって現れ出たんだ?」
と、ラスキン国務長官が言うと、
「わかりません。ステルス機能があるようですが、グアムの基地が機能してなかったことや、衛星通信を攪乱されていたということもあります」
と、国防長官は答えた。
日が昇って艦影がはっきりと見えるようになると、それが人民解放軍の大型航空母艦と大型揚陸艦であることがわかった。
<揚陸艦:四川、浙江>
<空母:江蘇、河北>
と、艦船の名称が統合参謀本部議長のディスプレイに表示されたのは午前6時頃であった。
映像を観ると、4隻の甲板には「人民救済」という文字がプリントされた白い幕が掲げられていた。
「これは侵略ではありません」
と、張偉王天将が北京から声明を配信したのは午前7時であった。その表情も声も極めて穏やかだった。
張はさらに言った。
「USAN国内における大規模な治安崩壊と、無差別なロボット兵器の投入により、一般市民の生命が重大な危険にさらされています。人民解放軍は人道回廊の確保と市民保護を目的として行動します・・・・・・」
声明は30分以上続いた。
その声明が終わると、ほぼ同時に4つの艦艇から上陸用船艇が発進した。
甲板には多数の兵員が乗っていた。その背後には介護用ロボットというシールを貼った陸戦用ロボットも多数あった。
「これは国際法違反だ。間違いなく侵略だ・・・・・・」
と、ラスキン国務長官は宦CIA長官に言った。
が、宦は言った。
「同じ事をアメリカも行ってきましたよ。ソマリア、コソボ、リビア、ベネズエラ、どれも国際法違反でした」
その表情はやけに落ち着いていた。
ラスキンはその顔を見て、
「おまえは、やはりヤツらの手先だったのか」
と言った。
しかし、宦チョーチはこれを無視した。
人民解放軍の上陸は、驚くほど静かだった。
銃声はなく、爆発もなかった。
上陸した兵士たちは、まず、ビーチの砂浜に白い大きなドーム型のテントをいくつも張った。
そのうちの一番大きなテントの入口には、
<中国人民救済事務総督局USAN本部>
<Headquarters Office of USAN People Rescue Department>
という看板が掛けられ、オーシャン・ビュー・アベニューに向けては英語で書かれた横断幕を掲げた。
――WE ARE HERE TO PROTECT CIVILIANS――
その横断幕を見た市民の一部からは、拍手がわき起こった。
ロボット兵に怯えていた者たちにとって、人民解放軍は実際に解放軍に見えた。
各地で武装闘争を行っていた組織もこれを歓迎した。彼らにすると、スポンサーが直々にやって来たわけであり、大いに期待がふくらんだのである。
尚、NBC、CBS、ABC、FOX、CNN、などのメジャーな放送局の幹部たちは大いに怯えた。NHKの幹部はもともと中国政府とべったり癒着していたため大喜びした。
そして、
「人道支援に反発するのは愚かな行為だ」
と、連日コメンテーターや芸能人に言わせた。
マスコミ報道のせいもあり、一般のロサンゼルス市民は晴れわたったカリフォルニアの青い空の下に浮かぶ4つの巨大な艦艇の映像を見ても騒がなかった。
が、上陸部隊の後方に地上用戦闘ロボットがあったことや、歩兵たちのことごとくが東洋人で、それらのほとんどが英語を話せないことなどがSNSなどで拡散されると、
<やはり、侵略にちがいない>
<中国政府が我々を救済するわけがない>
というような書き込みがネット上にあふれた。
その艦隊の司令官は、人民救済事務総督局の局長であると名乗っていた。
その名は、
敏沐宸、
といった。
敏局長は報道陣を旗艦の河北に招待し、自分の姿を撮影させた。
その男は浅黒い下ぶくれの顔をした49歳の中年将校であった。階級は中将で、金色の肩章には銀の星が2つついていた。
カメラの前では常に笑顔を絶やさず、部下を叱責する際にも決して怒った顔を見せず、カメラ目線になると何度も、
「アイアム、リアリィ、OKガイ」
と、言って笑顔をつくった。
それは映画の『エイリアン2』に登場する悪役の青年のセリフであった。敏局長は映画を観ておらず、それが善玉のセリフであると思い込んでいるようだった。
「局長は映画をよく観られるんですか?」
とリポーターのひとりがマイクを向けると、
「ハリウッド映画は毎日観ています」
と敏局長は答えた。
敏局長は河北の電磁カタパルトで垂直離着陸機に乗り込み、報道陣もこれに同乗した。
その垂直離着陸機はサンタモニカ空港に着陸し、事前に集めてあったロサンゼルス市民の歓迎を受けた。そこに集まっていた市民のほとんどは白人で、東洋系の者はほとんどいなかった。意図的に白人を選んのだとリポーターたちは思ったが、そのことをカメラの前で語る者はいなかった。
空港を出た敏局長は多数の側近と護衛兵を従え、ロールスロイスに乗り込んだ。その前後には軍用車両が隊列を組んだ。が、その様子は撮影禁止とされた。
敏局長がホワイトハウスの応接室でラスキン他の幹部たちに面会し、最初に語った言葉は、
「ステルス機能を使ったので驚いておられるでしょう。大変申し訳ない」
というものであった。
謝罪の言葉をクチにする中国人を初めて見たラスキン他の幹部たちは、違和感を覚えた。
それでも、丁重なあつかいを心がけ、マスコミの前では何度も握手を交わした。
「大統領にお会いしたい」
と、敏局長は言った。
ラスキン国務長官は大笑いして見せ、
「いやいや、あなたも大した役者ですなあ」
と言った。
人民解放軍がネモリンの逃亡を知らないはずはなかった。それどころか、明らかにそれを知って乗り込んで来たのであった。
敏局長が最初に行った仕事はカリフォルニア州の暴動の鎮圧であった。人民解放軍の資金援助と武器供与を受けて反政府運動を行っていた者たちを次々と拘束し、裁判にもかけずに死刑を宣告し、その組織を解体した。組織の幹部の名前も顔もわかっていたので作業は迅速に進められた。
ラスキンはそれらを黙って見ていた。
反乱分子を処理してもらえるのはありがたかったし、それを阻止するのもおかしなことであった。
が、感謝の言葉は発しなかった。
二
その頃、ネモリンは、孫冲とともに南フランスのカンヌにいた。
オーシャンビューのある五つ星の高級ホテルのペントハウスに宿泊しており、そこにランニングマシンや筋トレマシンを持ち込ませ、運動と酒とセックスに溺れる日々を送っていた。
ラスキンからは毎日連絡が入ったが、仕事をするつもりは毛頭なく、なにを言われても、
「そっちでなんとかしてくれ」
というような返答しかしなかった。
「敏局長が大統領に会いたいと何度も申し入れてきています」
と、ラスキンは毎回言っていた。
「大統領は不在だ、でいいじゃないか」
と、ネモリンは毎回答えた。
ちなみに、USANの憲法では、大統領が執務不能に陥ったり、死亡または辞職したり、もしくは免職された場合には副大統領がその任を引き継ぐ、と定められていた。
が、ネモリンは辞職しておらず、死亡したわけでもなく、免職されてもいなかった。免職するには弾劾裁判を開いて上院で判決を下す必要があった。
だが、人民解放軍がロサンゼルスを占拠して以来、上院議会を招集しても議員たちはロサンゼルスに足を踏み入れようとはしなかった。
「コート・ダジュールの日差しもすっかり弱くなってきたわね。もっと暑いところに行ってみない?」
と、孫冲はプールサイドのパラソルの下でドンペリニヨンのゴールドにロマネコンティを加えたものを飲みながらネモリンに言った。その飲み物が旨いはずがなかったが、孫冲もネモリンも値段を味わっていた。
「暑いとこって?」
と、筋トレを終えたばかりのネモリンは孫冲に聞き返しつつ、汗だくのままプールに飛び込み、水面から顔をあげて白い歯を見せた。
「そうねえ、ニュージーランドなんてどうかしら?」
と、孫冲はさりげなく言った。
その横には白いポロシャツを着た屈強な体格の男が2名、ゆっくりと周囲を見渡しながら立っていたが、ニュージーランドと聞いて表情に変化が顕れた。それらは、フランス政府がネモリンの護衛のために張りつかせた国家憲兵隊治安介入部隊の隊員であった。
「今頃のニュージーランドはまだ春だろう」
と、ネモリンは言いながらプールからあがり、孫冲が手にしていたシャンパングラスを横取りして中身を一気に飲み干した。
その肉体は2ヶ月余りの筋トレですっきりと痩せつつあり、腹部にはぼんやりと腹筋が浮き上がっていた。
ビーチベッドに寝そべっていた孫冲は、そんなネモリンを見あげながら、
「最近、冷たいわね」
と、すねて見せた。
筋トレで体脂肪を落としたネモリンは、自分が映画スターだった頃のことを思い出していた。孫冲は、そのネモリンが自分とのセックスに飽きてきて、別の女を物色していることに気づいていた。
すねた孫冲を見て、ネモリンはテーブルの上に広げられていた女性用のファッション雑誌を手にとり、
「じゃあ、一度、パリにもどろうか」
と、モデルの写真を見ながらニヤニヤした。
孫冲はビーチベッドから跳ね起き、ネモリンの手から雑誌を奪って建物の出入口に向かった。
だが、ネモリンはその後ろ姿を見送るだけで、これを追いかけようとはせず、若い金髪のウエイトレスを呼びつけて英語で冗談を言いはじめた。
「ミスタ・プレジデント! その女は瀬戸グンの妹かもしれませんよ!」
と、孫冲は振り向きざまに憤然として言った。
ネモリンはその孫冲の声音と態度に気圧されて、だらしない笑顔を顔面に貼りつかせたまま3秒間ほど動けなくなった。
三
「敏局長が我々にことわりもなく工場の建設をはじめました」
と、ラスキン国務長官から連絡があったのは、ネモリンがオークランド行きの便をどうするか孫冲と相談していたときであった。
「工事を止めるためには大統領令にサインをいただかなくてはなりません」
というのがラスキンの用事であった。
「前から言ってるように、タブレットにサインしてメールで送るってことにならんのかな?」
と、ネモリンは言った。
「制度変更には議会の承認が必要です」
と、ラスキンは何度も言ってきた話を再度くり返し、
「本日中にホワイトハウスの公式便箋を届けさせるので、サインをお願いします」
と言った。
そのやりとりを横で聴いていた孫冲はネモリンに言った。
「工場のひとつやふたつ、どうでもいいことよ。用紙はオークランドに届けてもらいましょう」
結局、人民解放軍の工場建設はそのまま続行された。
ネモリンはオークランドに着いてから大統領令にサインしたのだが、その頃には基礎工事が完了していた。
ラスキンは、
「ただちにその構造物を撤去していただきたい」
と、敏局長に申し入れたが、無視された。
工場が完成したのは11月に入ってからであった。
工事のスピードがあまりにも早く、ロサンゼルス市民はそのことに驚いた。
その工場の場所はサンタモニカ・ビジネスパークの中で、サンタモニカ空港の滑走路に面したところであった。5階建ての建物で、窓がなく、屋根や壁にはソーラーパネルが貼り付けられていた。
敏局長は、その工場を精肉工場だと発表し、
「飢餓に苦しむ市民のために上質なステーキを提供します」
と言った。
マスコミから英雄あつかいされるようになっていた敏局長の精肉工場は最初こそロサンゼルス市民に歓迎されたが、しかし、すぐに、
「近郊には牧場も養豚場も養鶏場もないのに、おかしいのではないか?」
と、市民たちは訝るようになった。
そして、いくら待っても市民にステーキがふるまわれることはなかった。
それでも、
「飢餓に苦しむ人たちを救済するためのありがたいプロジェクトだと思われます」
などとNHKはしきりに憶測報道をくり返して敏局長を援護した。
だが、それは牛や豚や鶏を処理する施設ではなかった。
<死刑宣告を受けた者が次々と消える>
という情報がSNSなどで拡散されはじめたのは翌年のことであった。
四
「人民解放軍はサンタモニカの工場で人肉を缶詰にしているようです」
という報告をラスキンが受けたのは年が明けてすぐのことであった。
報告者は宦チョーチCIA長官であった。
SCIFと呼ばれる盗聴防止のための内装が施された特殊な部屋にある黒い電話をつかってラスキンは宦長官に言った。
「ただの噂だろう?」
すると、
「ただの噂に踊らされるようではCIAの長官は務まりません」
と宦は言った。
「これはご無礼した」
と、ラスキン国務長官は謝罪した。
宦長官は、はずんだ声を出してさらに言った。
「ご存知でしょうが、中国は、2020年代末に大量の餓死者を出しました。農産物を輸入に依存するようになったのは1960年代で、その依存度は2000年代に入って極端に悪化しました。で、習主席が経済政策と外交で大敗し、食糧の輸入が困難になりました。そこに洪水が頻発したりして極端な食糧不足が起きました。食う物がなくなったときに人が何を食うかは、民族も人種も関係ありません。皆、同じです。ちなみに、2030年代に入り、中国の人口は8億人にまで減りましたが、これはひとりっ子政策で出生率が低かったというだけのことではありません。食えなくなった人民が人を喰うしかなくなったわけです。軍事政権になってからは経済も拡大し、人口も多少回復しましたが、人を食べる習慣というのは一度根づくとなかなか消えません」
ラスキンは言葉につまった。
中国の人口が10億人を切ったなどという話は公式に発表されたことはない。CIAの内部にはそのような情報が入っていたようだが、確定した話として語られたことはなかった。
「世界は2020年代後半からCOC(Cut Off China)体勢を強化しました。これには厳しかったようです・・・・・・」
と、宦長官はさらに言った。
ラスキンが、
「あなたの祖父母が日本に移住したのはその頃のことですか?」
と質問したが、宦はそれを無視し、
「まあ、中国には太古の昔から人を喰う文化がありましたからな」
と得意気に言った。
中国史に疎いラスキンは、黙った。
すると、宦長官は語りはじめた。
「古代の中国では人肉のことをヤンシャオロウ(両脚羊)と呼んでました。味噌や酢などで塩辛のように漬け込んだものを、ハイ(醢)と言いまして、処刑した罪人の肉を醢にすることを、ハイケイ(醢刑)と言いました。孔子もそれを食べていたことが『論語』に記されています。『三国志演義』にも人を食べる記述はあります。合戦に敗れて落ち延びた劉備元徳を田舎の狩人が接待するエピソードがあるんですが、そのときにその狩人が元徳にふるまったのは女房の肉だったとなっていて、これが美談とされていました。『三国志演義』は明代の書ですから、明代ではそういうことが美談だったわけです」
ラスキンには信じられない話であったが、それ以上に中国移民の宦チョーチがその自分の祖先の悪行を楽しそうに語ることが薄気味が悪く、
・・・・・・やはり、スパイになるような人物というのは普通ではないんだな、
と思った。
宦長官が電話を切ると、ラスキンは即座にFBI長官に電話を入れた。
「CIA長官を人民解放軍のスパイであるとして拘束していただきたい」
と、ラスキンが言うと、FBI長官は、
「証拠があるのですか?」
と言った。
「証拠はそちらで用意していただきたい」
と、ラスキンは言った。
翌朝、FBI長官が交通事故で死亡した。
五
ラスキンは重い腹をゆすりながら走った。
ホワイトハウス西棟にあるシチュエーション・ルームに国防長官、財務長官、国家安全保障問題担当補佐官(NSCの事務を総括)、首席補佐官、国家情報長官 (DNI)、統合参謀本部議長、行政管理予算局 (OMB) 局長などを集めて、閣僚級委員会 (Principals Committee)を開くためであった。
尚、宦チョーチは姿を消していた。
「ミスタ・プレジデント、早々に帰国していただきたい。でなければ、大統領を辞任していただきたい」
と、ラスキンはディスプレイに映った寝ぼけ顔のネモリンに言った。
「辞任はしない。ただ、すべてあんたに任せる」
と、ネモリンは言った。
「人民解放軍は死刑囚ばかりでなく、軽微な犯罪者をも精肉工場に連行しています。で、その精肉工場を各州に建設すことを決定したらしいです」
と、言ったのは国家情報長官 であった。
「国を護るには、戦うしかありません。大統領不在のままでは軍事行動は起こせません」
と、統合参謀本部議長は言った。
だが、ネモリンは、
「そんなことはそっちに任せるから好きにやってくれ」
の一点張りであった。
「ミスタ・プレジデント、そのためにはあなたに辞任していただかねばなりません」
と、ラスキンは再度言った。その横には副大統領がいた。
「辞任はしない」
と、ネモリンはくり返した。
すると、副大統領が、
「そちらに次席補佐官はいらっしゃいますか?」
と言った。
「なんでしょう?」
と、孫冲はネモリンの横にぴったりとくっついて返事をした。
「あなたは日本人ですか?」
と尋ねたのは国家情報長官だった。
この国家情報長官はCIAやFBIなどを統括する立場ではあるが、個別の案件に踏み込むのは異例のことであった。
孫冲はけろりと答えた。
「わたしはUSAN市民です」
「あなたの父親も母親もご存命ですか?」
「いいえ、両親は死にました」
「祖父母はおられますね?」
「いいえ、祖父母も亡くなりました」
「あなたの顔を見て、あなたが山本キリルであることを確認できる身内の方はいらっしゃいますか?」
「弟がいます」
「弟さんはかなり前から行方不明ですね?」
孫冲はその質問には答えなかった。
その会話を聞いて、さすがのネモリンもイヤなものを感じた。
「ミスタ・プレジデント、この写真をごらんください」
と、国家情報長官が見せた写真は山本キリルが高校生のときの写真であった。
「山本キリルが大学を卒業するまえの写真で現在残っているのはこれが唯一のものです。みつけるのに苦労しました」
その写真は孫冲に似ていたが、そっくりではなかった。
国家情報長官がさらに何か言おうとすると、音声とディスプレイの画像が消えた。
ディスプレイには、
<NO SIGNAL>
という表示だけが残った。
六
翌朝、ネモリンはひどく狭い2段ベッドの中で目を覚ました。オークランドの高級ホテルのスイートルームではなかった。手には手錠がかけられていて、それがベッドの上の段にヒモでくくりつけられていた。
「リルちゃん、ここはどこ?」
と、目の前で化粧をしていた孫冲に尋ねると、
「わたしの本当の名前はキリルじゃないの。チョンと言います。黙っていてごめんなさい」
と、孫冲はふり返ってニッコリ微笑んだ。
ネモリンはクチをポカンとあけたまま困惑した。
「あなたが悪いのよ。最近は金髪の小娘ばっかりキョロキョロ見るようになって、わたしのことを見なくなったわよね。昨日も情報長官がねほりはほり私のことを追求してるのをあなたは黙って聴いてたわね。なので、仕方がなかったの」
と、孫冲はクスクス笑った。
そのとき、ドアが開いた。
入って来た男は制服を着ていた。
なにやら言葉を発したが、その言葉は中国語であった。
孫冲は通訳した。
「これから、あなたをロサンゼルスにお連れするそうよ」
そのとき、遠くの方から金属のパイプを叩くような音が何度も聞こえ、部屋が大きく傾いた。
狼狽するネモリンを見た孫冲は、
「驚かせてしまったわね。今、わたしたちは潜水艦の中にいます」
と言った。
制服の男がまた何事かを言うと、孫冲はそれを通訳した。
「あなたが生きていられるのは、あなたにまだ仕事があるからよ」
ネモリンはボロボロと涙をこぼし、
「なんでもします。だからさあ、これ、はずしてよ」
と、手錠をゆすって見せた。
孫冲は手錠のことを無視して言った。
「今、ロサンゼルスで人道支援をしている敏局長のことはわかってますよね?」
「うん、覚えてる」
「あなたには、敏局長を副大統領に指名してもらいたいのよ」
「・・・・・・」
「もう一度言うわ。敏沐宸人民救済事務総督局局長をUSANの副大統領に指名するのよ。わかった?」
ネモリンは泣き止んだ。
「そのミンって人を副大統領にしたら、オレはどうなるんだい?」
孫冲は、ニッコリ笑って言った。
「あなたの最後のお仕事は死ぬこと。それですべてから解放されるわ」
ネモリンは蒼白になり、
「そんなのひどいよ。オレにはまだまだやりたいことがあるんだよ」
と、言った。
しかし、孫冲は、
「ゴネてもだめよ。仕事はちゃんとしてもらうわ。みんなに選ばれて大統領になったんだから当然でしょ?」
と言った。




