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道化師は笑う  作者: 無縫


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3/16

おはよう非日常

耳元で「起きて」と囁く声に目を開けると隣には姉が立っていた。だが、窓の外はまだ夜の闇に沈んでいる。時計の針はそこまで進んでいなかった。

「おはよう姉ちゃん。どうしたの」

姉にこうして起こされるのは小さい頃のトイレ以来だ。姉は今年27歳、さすがにトイレではないことは確かなはず。

「何か鈍い音が立て続けに聞こえるの。何か確かめたいから一緒に見に行ってくれない」

なんだよ。知らないのか。

「瑠子だよ。夜中トイレ行くときよく寝ぼけて頭を壁にぶつけまくってる」

「そんな感じの音じゃなかった」

明らかにいつもの姉ではなかった。心配のし過ぎだと思いながらも姉を見るとそうも言えなくなる。

「わかったよ。一緒に見に行こ」

「怖いから一人で見に行って」

「え、さすがについてきてよ」

姉にはこういうところがある。お化け屋敷でもそうだ。絶対に一番後ろと前にはいかない。駄々をこねる姉を何とか説得し部屋を出る。

階段を下りる途中でドアの隙間からちらりと何かが見えた。

信じたくなかったが信じるほかなかった。血の付いた妹の手だった。僕たちは急いで最悪の状況を想像しながら階段を転げ落ちるように降りた。脈打つ心拍が時計の音に重なる。

「なんで…」

「とうさん、かあさん、りこ…?」

姉はそう言葉を残し鈍い音と共に地面に倒れていった。

片足はあらぬ方向に曲がりもがき苦しんでいた。

え、何が起きた。脳の機能がすべてシャットアウトされた気分だった。

振り向くと人が一人立っていた。

バットを思いっきり姉に振った。

骨のきしむ音が耳に残る。

「あぁぁぁぁぁぁぁあああぁ」

「いい声だなぁぁぁ。もっと聞かしてくれよ」

仮面の隙間から見えるその目は笑っていた。

そして誰のものでもない気持ちの悪い声をしていた。

怖くて足が、体が動かない。動け!お願いだから動いてくれ。頼む…頼むから

姉ちゃんを助けたいのに圧倒的恐怖がそうはさせてくれなかった

もう一度バットを姉に振り下ろし両足が完璧に使い物にならなくなった。

「ねえちゃぁぁぁん」

姉の目がどんどん細くなっていきすぐに閉じられた。

待って…待ってくれ。死なないで。お願いだから。おいてかないで…

バットは次の瞬間僕の肩に直撃しその場に崩れ落ちる。

骨が砕ける鈍い音と激痛が全身を駆け抜け腕がねじれる。

痛い痛い痛い痛い。誰か助けて…

血が滲み腕や肩が思うように動かない。呼吸もままならなかった。

床には血の海が広がり、冷たい痛みと恐怖が襲う。

殺人鬼は楽しそうに見下ろしながら低く囁く。

「壊れていく音、顔たまらない。たまらないなぁ。次はどこを壊して欲しい?

どこ壊せばいい声出してくれる?それともお姉ちゃんから先に壊す?」

痛みで立ち上がることすらできない。

この体はどうでもいい。僕が盾になる。姉ちゃんだけは殺させない。

動かない上半身を引きずりながら姉に覆いかぶさった。

「…絶対に姉ちゃんは殺させない」

殺人鬼の笑いが血の匂いに満ちた空気を震わせる。

「兄弟はどこもそうなのかい。あの兄弟もそうだった」

殺人鬼はゆっくり近づきバットの先でコツコツ床をたたいた。

その音は鼓動のように重く、耳に焼き付いて離れない。

「どれだけ壊したら君はお姉ちゃんを譲ってくれるのかな」

愉悦に浸った声で笑う。

姉の顔は血の気を失い、意識が遠のいている。

お願いだよ…目を開けてよ…守れなかったのか?

僕は動く手で姉の体を必死に抱き寄せ、壊れた手で覆い隠す。

体中の骨がきしみ、呼吸のたびに激痛が走る。

倒れている僕の耳元でまた囁く。

「どっちから壊してほしい?君の首かそれとも姉ちゃんの首か」

背筋に氷が走る。

恐怖で体が震えるのに、声はかすれても消えなかった。

「…やめろ、姉ちゃんに触れるな」

その言葉が返って殺人鬼を喜ばしたらしい。

「いいね、いいよ。その顔。最高だ」

バットが再び振り上げられる。

鈍い笑い声とともに。外の暗闇が一層僕らを包み込む。

バットを振り下ろされるたびに肉の裂ける音と骨の砕ける音が響く。

痛い。体がもう動かない。自分の体がどうなっているか何もわからない。人の形を成しているだろうか。多分なしていないだろう。叩かれるたびに死に近づいているのだけはわかる。それでも…それでも…姉ちゃんだけは渡すわけにはいけない。

視界が赤くにじみ、呼吸は途切れ途切れになる。

「ま…もるん…だ」

殺人鬼は息を弾ませ僕を見下ろす。

その目は狂気と興奮に溺れる。

言葉にならない恐怖が僕を責め立てる。

やめてくれ。終わってくれ。お願いだからもうやめてくれ。何をしたっていうんだ。

バットの先が僕の背に押し当てられた瞬間、背骨が悲鳴を上げた。

全身の感覚が崩れていく。

それでも腕だけは姉を抱きしめて離さない。

やがて殺人鬼はバットを下した。

「たくさん楽しめたから今日は帰る。次また来たらもっといい声で鳴いてね。君たちがフィナーレにふさわしい」

満足そうに笑いバットを肩に担ぐ。

一瞥してゆっくり暗闇に溶ける。

フィナーレって…?

残されたのは濃厚な血の匂いと静寂。

「…ね…えちゃん」

最後の力でそう呟く。

神様仏様悪魔でもいい。姉ちゃんを連れて行かないでください。連れていくなら僕を連れて行ってください。地獄でもどこでも行きます。だから…だから…

頬を伝う温かい血と少し暖かい姉の背中を感じながら意識は完全に途切れた。

ふと目を覚ますと病室にいた。雨の音が聞こえる。

外は暗く何時かわからない。何か一部の記憶が抜けているような感覚だ。

「陽起きたのね。4日も眠ってたんだよ」

そこには姉のいつもの笑顔はなかった。あったのは目の下のクマと涙だけだった。自分に何が起きたのかと困惑しながら姉の手を握った。断片的な記憶をつなぎ合わせる。

姉ちゃん生きててよかった。どこのどなたかは存じ上げませんが姉ちゃんを救っていただきありがとうございました。天に向けて心の中で何度も頭を下げ、手を合わせた。ただ、ありがとうと。

「陽あのね」

言いかけて姉は倒れた。

「姉ちゃん?」

「大丈夫ですよ。疲れて眠っただけでしょう」

その時医者が近くにいることに気づいた

全然気づかなかった。いつからいたの。

僕の心の声、関係なしに問いかけた

「なぜここに運ばれてきたか分かりますか」

その質問に僕は答えることができなかった。

覚えているのは妹のプレゼントを渡し、笑いあういつもと変わらない日常。そして血だらけの家族。

あれ…そのあとなんだっけ。

思い出そうとするごとに脳で脈打つように痛みが走る。なぜかこの感覚だけは覚えている。

医者は僕を見ながらやはりというような顔で口を開き話し始めた。

「あなたは脳に強い衝撃を受けここに運ばれてきました。脳には一部欠損。そして一部の記憶がなくなっています。あまりにも出血が多いためあなたのお姉さんからすこし血をいただきました。珍しい血液型でしたので。ストックがなく。たぶんですが貧血気味なのでしょう。その体であなたのそばにずっといたのですから」

急に言われてもわけがわからない。何がどうなっているんだ。

父さん母さん瑠子はどこにいるんだ。なぜここにいない。

病室を見回すともうひとつベッドがあった。多分姉のだろう。あと三つ足りない。

必死にない記憶を手繰り寄せる。

ただ覚えのある痛みだけが僕と記憶のない過去をつなぎとめる。

家族について聞こうとすると奥から「起きたか」と低く、しかし落ち着くような声が聞こえてきた。やがて足音が近づき病室に二人の刑事が入ってきた。

一人は土管のような首をしたがっちりした体格の若い人で身長が高かった。

二人目は瘦せた体をしていたものの一人目の人に敬語を使わせている。上司なのだろう。手にはしわがたくさん入っている。

「気が付かれましたね。無理に動かなくても大丈夫です。

中央警察署から参りました。操楽と横におられるのが上司の神薙です」

「「よろしくお願いします」」

「よろしくお願いいたします」

多分今回のことを聞きに来たのだろう。

「体の具合は大丈夫でしょうか」

神薙さんは柔らかく声をかけてくる。その視線は真剣だが、どこか被害者を傷つけないように言葉を選んでいるのが伝わる。

「まだ痛みますけど大丈夫です」

正直めちゃくちゃ痛い。全身包帯でぐるぐる巻きにされているのに痛くないわけないだろ。

「そうなのですね。それはよかった。ただ、このような深手を負い、起きたばかりにもかかわらずこのようなことを聞くのは無粋なことかと思いますが、事件のことを少しだけお伺いできないでしょうか」

机を挟むようにして椅子を置き静かに腰を下ろした。

操楽さんはノートをすぐに開けるが神薙は手のひらを軽く上げ制した。

「もちろん、すべてを今話していただく必要はありません。思い出すのもつらいでしょう。ただ、あなた方を襲った人物の手がかりを少しでも掴みたいのです」

脳裏によぎるのは、暗闇に浮かぶ興奮した目、鈍い衝撃、血の匂いだった。

フラッシュバックしたバラバラな恐怖が脳を包む。

恐怖で頭がはちきれそうだ。

指先が震え、シーツをぎゅっとつかむのを見て神薙は言う。

「無理に話さなくてもいい。言えることだけで十分です。私たちはあなた方を守るためにここにいます」

その声にはただの聴取ではなく、被害者を第一に考える神薙の優しさがにじみ出ていた。

喉の奥が詰まるようで言葉を発するのが怖かった。

それでも神薙さんの落ち着いた眼差しに背中を押されるように少しながらも声を出した。

「顔は見えませんでした。でも、ずっと笑っていたんです。殺しが楽しくてしょうがないみたいに」

「ずっと笑っていたのですね」

「はい。僕が叫んだのを楽しそうに…」

喉が震え、思わず涙が滲む。

思い出したくない。嫌だ。辛い。すべてこの記憶を消して楽になりたい。あの頃に戻りたい。でも戻れない。

「大丈夫ですよ。思い出すのはつらいでしょう。犯人を捜すために、その情報だけでも十分です。本当にありがとうございます」

彼らは頭を深々と下げた。

何かあいつに近づくための証拠は…ないのか。あの時はどうだった。この時はどうだった。やっぱりうまく思い出せない。

神薙はわざと深呼吸をした。

「ほら、一緒に落ち着きましょう」

心臓の鼓動が少しずつ静まり、僕はゆっくりと頷いた。

落ち着け。落ち着け。何でもいいから話すんだ。記憶の断片をつなぎ映画のフィルムのようにあの時起こった出来事を作っていく。顔は…?見えなかった。特徴は…?わからない。何された…?バットで…

「…バットを持っていました」

「バットですか。なるほど」

「それで…体中を…」

言葉をこれ以上続けられなくなった。

それほどあの人に負わされた精神的痛みは大きいのだろう。

今、叩かれてもいないのに全身が痛い。全身が重い。

「無理に話さなくてもいいですよ。今日はここまでにしましょう」

その言葉は温かく涙腺をやさしく刺激した。

「すいません。最後に一つだけ。あの夜の犯人について何か印象に残っていることやもしかしたらあの人かもしれないなどないですか」

声の調子は変わらず穏やかだがその目は真剣だった。

僕の頭の中にあの時の記憶が再び蘇る。

血に濡れた服、突きつけられる絶望、耳を裂くような笑い。

「声に違和感がありました。何か人ではない感じの」

その曖昧な言葉にも2人は強くうなずいた。

芋ずる式に記憶が頭に降りてくる。

「あ、あと、誰かもわからない兄弟の話を懐かしむようにしていました」

操楽はノートを取りながら目を見開いた。

「あとは何も覚えていません」

「そうですか。わかりました」

警察官はゆっくりと椅子から立ち上がり、静かに深く頭を下げた。

「聞きたくないかと思いますが、あなたからもらった情報から推測すると今回襲ったのは、通称ピエロという殺人犯だと思われます。何かわかり次第ご報告致しますのでゆっくりとお休みになってください。今日は本当にありがとうございました」

そいつが家族を殺したのか許せない。

姉を傷つけ家族を奪った。あろうことか瑠子の誕生日に。

地獄に送ってやる。絶対にだ。

すぐに操楽さんも立ち上がりノートをポケットに入れ小さく会釈をする。

病室のドアノブに手をかける前に神薙が振り返った。

「また改めてお伺いすることがあると思いますが、無理は絶対にさせません。何かありましたらすぐにご連絡ください。私たちはあなたの味方です」

その言葉には揺るぎない決意と被害者への気遣いが入り混じっていた。

僕はかすかに頷き彼らの背中を見送った。

優しい刑事さんだった。ぼくの気持ちを感じ取り、その都度気遣ってくれた。

ドアが閉まると病室には再び静寂が戻る。

消毒液のにおいと機械の規則正しい音が先ほどまでのやり取りが夢であったかのように淡々と響く。

病室の扉を静かに閉める。

廊下に出た二人の警察官は一瞬だけ無言のまま歩いていた。

先に口を開いたのは操楽だった。

「やはり被害者はみんな口をそろえて似たようなことを言いますね。殺しを楽しそうにそれも笑ってしていると」

「そうだな」

廊下の蛍光灯が白く光る中、二人の間に張り詰めた沈黙が落ちた。

「同一犯ですね」

神薙はうなずく。

「しかし今回はバットか。毎回殺人のたびに殺す道具を変えるがどこから仕入れているんだか見当がつかん」

そのまま病院を出て二人は警察署へと向かっていった。

2人の刑事が帰ると太陽は沈んでいた。

なんで僕の家族を殺したんだ。なんでほかの家族じゃないんだ。そんな言葉が僕を埋め尽くす。憎悪は膨れ上がりやがて抑えきれないものになっていた。この人だけは絶対に守らなければ。そう決心し姉を見つめる。姉の長い睫毛が緩やかに震え重たい瞼がゆっくりと持ち上がった。

「陽…。あなたまでいなくなったら…よかった。本当に良かった」

姉ちゃんそんな顔しないで。こっちまで泣けてくるよ。

姉は力いっぱい僕を抱きしめた。まるで無くしたかと思った宝物を見つけたように。

「姉ちゃん…」

僕も姉の愛を感じながら強く抱きしめた。

それから何週間たったかわからない。外を見ると朝日が昇り、雲が晴れていた。

「おはよう、陽。今さっきお医者さんが来てね。今日退院していいそうよ。支度して家に帰りましょ」

もう退院か。病室のご飯も悪くなかった。でもそれは母さんの手料理ほどではない。

帰ったら姉ちゃんがご飯を作ると言い出したがさすがに遠慮した。姉のご飯はすべてダークマターになってしまうからだ。だからこの歳で嫁の貰い手がないのだろう。

「支度って言ってもこれだけだけどね」

おどけて見せた。その顔は無理やり笑っているようだった。

僕の前ではそんな顔しなくていいよと言いたかった。でも言えなかった。無理にでも笑わないとあの時の恐怖が戻ってきてしまう。

いまだに僕は一部だけ記憶がなくなっているが医者にこんなことを言われた。

「記憶とは1本の木のようなものです。何かに刺激され葉っぱや枝が動きそして木そのものが揺れることで記憶が戻ります。思い出したく無いためにその記憶がないのかもしれませんが思い出したいというのなら木を揺らしてみてもいいかも知れません」

退院の手続きを終えた僕と姉は並んで玄関に立った。

外の光は眩しいはずなのに、二人の心にはまだ暗い影が残っている。

あの殺人鬼は今もどこかでのうのうと生きている。

包帯で巻かれた頭がそれを物語っている。

許せない。家族を奪っておいて平穏な生活を送ることが。ピエロが生きていることが。

病院から家に帰る途中ふと姉に「ピエロを殺したい」と言ってしまった。漏れ出してしまった。気持ちが。

姉の顔を見ると涙の通った赤いあとだけが残る。何も返して来なかった。しかし、指先は強く握られ。爪が食い込む。それは何かの決意かはたまた復讐心によるものなのか僕にはわからない。ただそれが生きる意味となり、まるで棺から蘇った亡霊のようであったのは覚えている。

ガチャそんな音とともに玄関と扉が開く。

いつもの「おかえり」という声はなかった。

家に帰ると妹の笑顔も、母の手の温もりも、父という精神的支柱全てがなかった。

ただ仏壇だけが僕たちを迎えていた。お帰りと言わんばかりに。

「「ただいま、みんな」」

長いにもかかわらず読んでいただきありがとうございます。3日ごとに更新していきたいと思いますので、次の話も読んでいただけると幸いです。。


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