プロローグ
夕暮れの商店街には、コンビニ前に散らばる空き缶、歩道に放置された自転車、信号を無視して駆け抜ける人影が目立った。誰もが忙しさを理由に、ほんの少しのマナー違反を見逃している。だが、その「ほんの少し」が積み重なり、街の空気はどこかざらついていた。
市役所の会議室では、職員たちが疲れた顔で資料をめくっていた。市民のモラル低下は統計にも表れている。苦情件数は年々増加し、地域の信頼は揺らいでいた。新しく就任した市長は、机を叩くようにして言った。
――「ヒーローを公募しよう」
その言葉に、会議室は一瞬静まり返った。だが市長は続ける。老人の買い物を手伝う、小学生の登下校を見守る、横断歩道で旗を振る。そんな地道な活動を「役に立つってカッコいい」と掲げ、街に新しい風を吹き込むのだと。制服やバッジも用意され、活動記録は広報誌に載る。市民の承認欲求を刺激し、ボランティアを「ヒーロー」として見せる仕掛けだった。
その頃、伊藤悠真は自室の机に広げたプリントを前に、ため息をついていた。中学二年生。来年からは受験準備が本格化する。成績は中の下、特別な得意科目もない。平凡な点数をどうにか補うためには、内申点を稼ぐしかない。
「……まぁ、やるだけやってみるか」
市役所のチラシを眺めながら、悠真は鼻で笑った。ボランティア活動など興味もないし、面倒くさいことは極力避けたい性格だ。だが「ヒーロー」という肩書きが通知表に反映されるなら、話は別だ。制服を着て旗を振るだけで、先生に評価されるなら安いものだ。
邪な理由で応募した悠真に、街を守る使命感などあるはずもない。ただ、彼の心の奥底には、まだ自分でも気づいていない物語の始まりが潜んでいた。




