#7
そうして、日は経って。七月も下旬に差し掛かろうかという頃合い。
「ほわあ! 改めて見ると、おっきいですわねぇ」
「だなあ。まあ、ここに来るまでの道中にあった富士山なんかと比べると、さすがに負けるが」
「間近で見ると、やっぱり違いますわね……!」
現在地は九州地方の熊本県。阿蘇山の近くへとやってきていた。
理由はもちろん、ダンジョンに挑むためである。
この付近には阿蘇ヒトサンダンジョンがある。阿蘇ダンジョンだのヒトサンだのと呼ばれるているここは、立地としては極端にアクセスが良すぎることも悪すぎることもない、ほどほどの場所にあるダンジョンで。ダンジョンとしての整備が十分にされている一方で、それほど人も多くはない、という、初心者が訓練を行うにはちょうどいいダンジョンである。
政令指定都市がそれなりの距離にあるということもあって、有事の際の対応速度が速い、ということもいい点だ。
そして、そんなところに来てやるべきこと、というと。
「ついに、ダンジョンに挑めますのね……!」
「よし。それじゃあ、早速ではあるが」
基礎訓練の、お時間である。
「はい、まだまだ走るー」
「どうしてですのおおお!」
弓弦さんから「ここを使うといい」と言って貸していただいた別荘に到着し、荷物を軽く整理するや否や、さっそく準備運動と言わんばかりの走り込みである。
できればなんとか夏休みまでに間に合わせてやりたかったが、やっぱり最初の低さもあって、少しばかり間に合わなかった。
が、基礎の運動能力についてはこの数日で本当に改善された。
「うう、ついにダンジョンに入れると思っていましたのに」
「安心しろ、最後の追い込みだけだから」
こうした弱音を吐く側面については相変わらずではあるのだが、その一方で走っている現在の状態については、もはや最初の頃の鈴音と同一人物とは思えないほどに見違えている。
そこそこのペースで走っているにもかかわらず呼吸は乱れていないし、走る際の姿勢についても体幹が安定した状態でしっかりと走ることができている。
ひとしきりの基礎トレーニングを終え。さすがに多少呼吸が大きくなっている鈴音を見つつも。とはいえ、ここからが今日の本題であり。
そして、ダンジョンに挑む前の、最後の準備。
「武器を使った基本の体捌きの訓練だ」
俺がそう言うと、準備をしてくれていた千癒さんが二組の模擬用の武器を運んできてくれる。
「これは。もしかして、剣と盾ですの?」
「まあ、一番ベーシックな組み合わせではあるな」
そして、鈴音が尊敬している、海未が使っている武器でもある。
とはいえ、彼女の憧れだけで選んだ、というわけではないが。
「まあ、とりあえず持ってみるといい」
「わかりましたわ! っ、とと!」
盾を持つまではよかった鈴音だが、直剣を持ち上げたところで、思わず前に姿勢が持っていかれかける。
「実際に持ってみると重心の位置が思っていたよりも遠かったりするからな。どこに重みがあるのかを意識しながら持つといい」
もちろん、ダンジョンに入ってから練習してもいいといえばいいのだけれども、ダンジョンではなにが起こるかがわからない。
だからこそ、できるならば外である程度慣らしておくほうがいい。
今度はちゃんと直剣を構えられた鈴音。刃は潰してあるので軽く振ってみるようにと伝える。
初めてというだけあって、案の定剣に遊ばれている。振った重みに身体が持っていかれているし、真っ直ぐにも振り下ろせていない。
「ぐ、ぬぬ。これ、は……」
「剣の重心を意識すること。それから、身体のうち、どこを動かしてどこを動かさないのかを考えながら振ること」
もう一組の剣と盾を装備しながら、鈴音の隣で実際に手本を見せてみせる。
それをジッと観察してから、自分でも試してみて。どこがだめだったかを考え直してから、もう一度やって。
何十回、何百回と繰り返しているうちに、それなりに真っ直ぐに振れるようになってくる。もちろん、まだまだ付け焼き刃だが。
「どう、でしょうか!」
「ああ、いい感じだな」
「それじゃあ!」
「とりあえず素振り千回いこうか。あと、今は剣ばっかりに意識を持っていかれているから、左手の盾にも気を払うように」
「……へ?」
「せっかくだから、時折俺が打ち込みを入れるから、しっかり守るように」
俺の方の模擬武器も刃は潰れているので大怪我はしないので大丈夫ではあるが。それでも当たれば痛くはあるので、しっかり守る必要はある。
「あの、その! 月村さん! あのっ!」
「よーい、はじめ!」
「あんまりですわあああ!」
泣き言を叫びながらも、なんだかんだでちゃんとやるあたり、鈴音らしいなと感じる。
とはいえ、まだちょっと動きが甘くはあるけど。
「ほら、しっかり振って、しっかり守る!」
「ひぃん!」
そこから、三日ほど剣と盾を持っての体捌きの訓練を経て。それなりに動けるようになったのを確認してから。
「ダンジョンに行くぞ」
「……へ?」
「だから、ダンジョンに行くぞ」
そもそも、武器を持ち出しての訓練は最終段階の詰めである。
しっかり身体ができていない状態で変な癖をつけるわけにも行かなかったし、それ以前に、最初の彼女だとまともに剣を振ることもできなかっただろうから。
少なくとも、今の彼女ならば運動部の男子高校生並みかそれ以上の身体能力があると言っていいだろう。
まあ、実際に体育なんかでスポーツをやるとなったときに動けるか、は別として。筋力や持久力については、本当にそれくらいになるまで身についている。
男子高校生並み、という評価を聞いた彼女は喜んでいいのかどうかという微妙そうな表情を浮かべるが、これに関しては褒める意図で伝えている、
元が小学生並みというところからよくこの短期間で成長した、ということもありはするが。そもそも、鈴音の体躯が平均よりも小さめであるということを加味すると、男子高校生並みの身体能力というだけでも相当である。
これ以上のトレーニングを続けてもいいといえばいいのだが、彼女にとってのモチベーションもそうだし、魔力による身体強化込みでのタイさばきなども覚えていく都合、このあたりで挑んでも問題ないと判断した。
「ただ、その前に行かなきゃならないところがあるから。先にそっちに行くことにはなるが」
「も、もちろんです! どこへでもお供いたしますわ!」
どちらかというと供をしているのは俺の方なのではないだろうか、と思わなくもないが。
「それじゃあ早速――っと」
「お車の準備であれば、こちらに」
相変わらず、準備がいいことで。
千癒さんが既に別荘の表に車を回してくれていた。
「それじゃあ、冒険者街まで向かってもらっていいですかね」
「承知いたしました」
冒険者街。あくまで通称名でしかないが、ダンジョンの付近に形成されている、冒険者協会を中心とした冒険者向けの施設が並んでいる通りである。
高天原ダンジョンのように周辺環境が店を開くにはあまり向いていなかったり、あるいは渋谷マルハチのように既に周辺に店舗を構えるだけのスペースが無いような例外はありはするが、大抵の場合は、ダンジョンから少し離れたところにはこうして冒険者街が作られている。
「とりあえず、まずは協会に行って冒険者登録を済ませる必要があるが」
「でしたら、早速行きましょう!」
もしかしたら、以前、詐欺かつ誘拐ではあったものの冒険者まがいについて行っていたときにに登録だけ済ませていたかもしれないと思ったが、どうやらそれすらさせてもらっていなかったようだ。
まあ、冒険者登録をしたときに交付される冒険者証にはダンジョンへの入退場のログが記録されるため、そこから足がつく可能性も懸念して、おそらくは意図的にさせていなかったんだろうが。
ちなみに千癒さんもダンジョンには同行することになっているが、彼女にも確認したところ持っているとのこと。やっぱり冒険者だったか。
なにはともあれ、冒険者協会まで彼女を案内すると。受付をして、そのまま登録の作業へ。
登録をするだけならばそれほど難しい手続きなどもないため、着々と登録が進んでいく。
「ああ、そういえば。冒険者証の再発行ってできましたっけ?」
彼女の手続きを待っている間、俺は職員の方にそう尋ねる。
そういえば、俺も冒険者証を未所持なのである。《海月の宿》のギルドハウスに置いてきちゃったから。
阿蘇ダンジョンも入り口付近ならば冒険者証が無くても入れるが、しばらく先まで進むなら必要になってくる。
「いちおう可能ではありますが、数日から数週間とかかってしまいますね。不慮の事故による場合は、ひとまず仮の冒険者証なら発行はできますが」
「……完全に過失だからなあ」
まあ、無くしたやつのほうが悪いので、これに関しては仕方がないだろう。
「ちなみに、新規で登録し直したらすぐに貰えたりします?」
「いちおう、手続き上は可能ではありますね。ただ、以前の登録を抹消して新規に登録し直すことになるので、ランクなどについても最初からになりますが」
「ああ、たしかにそれはそうか」
少し、考える。
隣ではせっせこせっせこ鈴音が手続きを進めていた。
「まあ、鈴音の付き添いとしてダンジョンに潜るだけだし、別に最初からでも問題はないかな」
「でしたら、こちらで手続きをいたしますので」
職員の女性に言われるままに、俺も手続きを勧めていく。
半分は一度やったことがある手続きなので、久々とはいえスムーズに進んでいく。
「じゃあ、これでお願いします」
「はい。それじゃあ冒険者登録の抹消から……って、えっ……」
手続きを始めようとした彼女が、パソコンをしばらく操作したところでピシャリと固まる。
そうして、何度も本人確認書類と俺の顔を交互に見たり、パソコンの画面を確認したりして。
「あの、本当に抹消して、大丈夫……なのですか? その、物凄くランクが高い、みたいですけど」
なるほど、たしかにランクが最初からになる、というデメリットを考えると彼女の困惑も理解できる。
ただ、海未たちと一緒にいたからこそ上がったランクではあるし、ひとりになってしまった今の俺にはある意味不適格なものだった、とも考えられる。
「大丈夫です、手続きしちゃってください」
「わ、かりました……それじゃあ、消しちゃいますね」
そうして、引き続き登録の手続きをしてくれる。
俺が待っていると、どうやら隣で鈴音がの方の登録が終わったらしく。
「月村さん、できました! 私の冒険者証です!」
ぱああっ、と。笑顔の花を満開にさせながら、できたてほやほやの冒険者証を見せてくれる。
ランクはF。仮冒険者証とも呼ばれる、一番最初の冒険者証である。
「これで、私も冒険者の仲間入りですの!」
えへへ、と。笑顔を浮かべなからに自分自身の冒険者証をうっとりと眺める鈴音。本当に、憧れていたのだなということが察せる。
「月村様。こちら、新規の冒険者証になります。以前のものは使えなくなっていますので、ご注意ください」
「あら? 月村さんも冒険者証を作っていたんですの?」
「ああ。ちょうど鈴音と出会う直前に無くしちまったからな。だから、俺もFランクだ」
苦笑いを浮かべながらに俺がそう言うと。鈴音は両の手を胸の前でぱちりと合わせながらに。「お揃いですわね!」と言った。




